Ex 行間にて
昔から口煩い、真面目過ぎると言われ続けて来た。
俺にとっては当たり前なことも、周囲の人間にしてみたらそうではないらしくつい口を出してしまうことが多かった。そうしているうちに勝手に委員長に選ばれるようになったり、教師の犬と揶揄されるようになっていた。
そうして流れるままに雑用やらを任されるようになっても、他の生徒から見ればただ内申を上げようと必死になっているようにしか映ってはいなかったようだ。
別にどう見られようがそれはそいつ次第だ、良く思われたいだとか見返りを求めたつもりは無かった。……無かったはずなのだ。
「皆のことを気に掛けて一生懸命で。そういう所、本当にすごいと思うよ」
あの日、初めて妖精の国へ迷い込む直前に言われた言葉。口にした当の本人はまるで記憶に残っていないだろうが、俺にとってはどうしようもなく嬉しい言葉だった。
勿論俺にも友人がいない訳ではなかったし、誰もから倦厭されていたということはない。だがそんな風に面と向かって言葉にされたことなんて今まで一度もなくて、柄に無く顔が緩んでしまったのは仕方がなかった。
そんな風に思ってくれていた彼女――砂原蛍は、正直言って変わったやつだ。妖精や異世界なんてものに巻き込んだ俺を責めることもなく、命の危機さえあったのに関わって良かったと笑うなんて。
そんな彼女がせっかく誘ってくれた文化祭。俺が頷いた時酷く嬉しそうにしてくれた彼女の期待を裏切ってしまうように、今俺の隣に砂原はいなかった。
「いやー、悪かったな。せっかくの文化祭に」
「いえ……」
断言する、絶対に悪いなんて考えていない。
職員室で雑務を片付け終えた俺達にへらへらと笑いかける高橋先生に若干の苛立ちを覚える。いつもならばため息一つで諦めるものの今日は違う、せっかく「俺がいい」とまで言って砂原が誘ってくれていたのに、と。
「ホントですよ先生、いい加減にしてください」
不満げに食って掛かったのは同じく駆り出されていた三組の委員長だ。不機嫌そうに足をぱたぱたと鳴らした彼女がそう言って視線を動かした先は、何故か俺だった。
「日高君なんて彼女と一緒に居たんですよ? それを引き離したこっちの身にもなって下さい」
「……は?」
「ほー、日高がねえ。意外だな」
面白がるように片眉を上げた先生は完全にからかう気満々と言った様子だ。失礼な話だがどう考えても口が堅いとは思えないこの先生を放っておけばあることないこと吹聴されそうで、俺は砂原の名誉を守る為にしっかりと否定しておかなければならなかった。
「違います。砂原とはそういう関係では……」
「砂原……ああ、砂原蛍な。いつから付き合ってるんだ?」
「だから――」
話を聞かない先生に頭痛を覚える。誤解が広まれば彼女にもきっと迷惑が掛かってしまうだろうに。
そうやって考えていた時、不意に数日前の記憶が頭を過ぎった。今のように猛に砂原との仲を誤解された時に言った彼女の言葉を思い出して、つい心音が早くなるのを感じる。
日高君だったら……と、言われたあの言葉の続きは、一体何を言おうとしていたのか。
「ねえ日高君、砂原さんが」
「だから砂原とはそんなんじゃ」
「じゃなくて、いいの? 何か綺麗な男の子と一緒にいるけど」
「は?」
明後日に飛ばしていた思考が我に返る。委員長が指差した先を目で追うと、職員室の窓の外に設置された椅子に砂原と、そして今朝見た金髪の男――レオが話しているのが見えた。
「ほら、先生が呼び出したから大変なことになってるじゃないですか!」
「お、かなりイケメンだな。日高、頑張れ」
「……失礼します」
アリスの姿はない。この世界に来たばかりの妖精を置いてどこに行ったんだあいつは!
少し困ったようにレオと話している様子の砂原を見て俺は急いで彼らの元へ向かった。ああ、靴を替えている時間も惜しい。職員室の窓は床までの大きなものなので、上履きのままでも構わず外に出ればよかったと思ってももう遅い。
別に騒ぎを起こしていた訳でもないのに、俺は何故こんなにも急いでいるのか。論理的な説明は出来なかった。ただ何となく彼らをそのままにしておきたくなかったのだ。
きっと妙な勘でも働いていたのだろう、近付くにつれて二人が言い争うのを目撃してそう納得した。
この時無意識に急いだことに対しての明確な理由が判明したのは、それから数か月後のことだった。
『冬樹君、よろしくね』
『びっくりさせてごめんね。大丈夫だから』
『私はもうお腹いっぱいだから、冬樹君が食べてくれたら助かるんだけどなあ』
『冬樹君。あれは妖精だから、蝶々じゃないんだよ?』
『……魔法使いはシンデレラに魔法を掛け、素敵なドレスを作り出しました』
『ありがとう。でもこれは魔法じゃないんだよ。貰ったもの』
『……大事な人だよ』
「冬樹君!」
ほたる、お姉ちゃん。
目を覚ましてすぐ目の前にいた彼女をそう呼びそうになった所で完全に意識が覚醒した。
「さ、砂原……!?」
今俺は、何て言おうとした?
動揺で一気に飛び起きようとすると激しい頭痛が襲ってきてすぐさま元のように寝かせられる。
……そうだ、俺は修学旅行で風邪を引いて倒れてしまったんだった。
心配そうにこちらを見る砂原に先ほどの夢が蘇りそうになって必死に蓋をする。動揺をひた隠しにしながらなんとか会話を終え(途中で再び魔力暴走を起こして大変なことになったが)、熱い顔を隠すように布団に潜って猛達の視線をやり過ごす。
やつらが帰って来たことによって騒がしくなった室内に少しは気が紛れた。だがそれも長くは続かず、すぐに夕食の時間となって猛達はおろかアリスまでもが「私もご飯食べに一旦帰るね」と居なくなってしまったのだ。俺の分は後から別に用意されたものを持って来てくれるらしいが、とにかく当分この部屋に一人きりでいることになってしまった。
「……」
別に寂しいとかそういう感情はない。だが、しんとした空気の中で横になっていると嫌でも色々なことが頭をかけ巡ってしまう。……先ほどの、夢。そしてウェディングドレスを着せてしまった彼女の姿も脳裏に何度も蘇って来ては悶絶するように頭を抱えた。
あの夢は恐らく俺が魔法で小さくなった時に実際にあったことなのだろう。夢にしては随分リアルで鮮明に思い出されるそれは、しかしその全てが本当だったか不明だ。俺が渡した髪飾りに対して照れた様子であんな風に言っていたなんて、そんなのただ俺の願望が夢になっただけなのかもしれないのだから。
――願望だって?
自分の思考にふと疑問を抱いた。そもそも先ほどだって無意識に魔法を使って砂原にドレスを着せてしまったのだ、風邪で頭が回らないのかもしれない。とにかく自分の深層心理が理解できなかった。
ただチャペルの話を聞いて彼女も行きたかったんじゃないかと、その場にいる砂原を想像してしまっただけ。たったそれだけで――。
「……くそっ」
なんでこんなに顔が熱いんだ。全部熱の所為に決まっている。それしかないと断言したいのに理屈っぽい酷く冷静な自分が、いや熱だけの所為ではないだろうと淡々と思考を分析し始めてしまう。
魔法を習い始めた当初にアリスが言っていた通り、妖精魔法は望むものを強く思い描くことが必要だ。魔力が暴走している今も同じように望むもの――願望がそのまま表れただけで、つまり俺は無意識だろうとなんだろうと砂原のドレス姿が見てみたいと思ってしまった訳だ。きっと綺麗だろうと、その姿を想像してしまった。
難しい理論なんて端から必要なんてない。結局の所、大事な人だと言われたのが現実であろうと夢だろうと、俺がそう言って欲しいと願っているのは変わらないのだから。なんだかんだとぐだぐだと考えた所でそこまで思考が行きついたのなら、答えは一つしかない。
俺はきっと、砂原のことを好いているのだろう。
思えば文化祭の時に慌てて彼女の元へと向かったのだって、ただレオに嫉妬していただけのことなんじゃないか、と。動物園でマリアと砂原、どちらを彼女にしたいと尋ねられた時だって、比べるのはどちらに対しても失礼だというのに当たり前のように結論を出してしまっていただろう、と。
ああ、なんだ。
「結局、ベタ惚れじゃないか……」
きっとなんて曖昧なことを思った癖に。
更に顔が熱くなる。今体温を測ったらきっと数値に驚かれるかもしれない、それほど彼女のことを考えるだけで落ち着いては居られなかった。つい今し方まで自覚していなかったというのに、実に体は心に忠実だ。
……本当は、これまでも気付かないふりをしていただけなのかもしれない。何しろ砂原は謝罪にしろ感謝にしろ、そして好意に至ってもとても真っ直ぐに伝えてくるのだから。
時々何てことない様にこちらが喜ぶようなことを口にしては、途端に我に返ったように焦る姿を見て余計にそれが本心であるかのように思えて、その度に自惚れてはいけない、思い上がるなと自戒した。彼女にとっては特別な言葉ではないのだと言い聞かせた。
そうやって言い聞かせている時点で、彼女に対して身勝手な願望や期待を抱いていたと証明しているようなものだったのに。
「……はあ」
そんな彼女に好きだと言われて舞い上がって居られたのはほんの一瞬だけのことだった。
魔法が掛けられた本の世界。そこへ強制的に連れて行かれて、訳の分からないうちに話が進められた。王子と呼ばれて、溺れて、助けられて……そして、彼女を見つけた。
けれど隣国に到着してからというもの彼女に会えていない。明らかに作為的に俺と砂原を引き離そうと周囲の全員が画策しているのだ。王女に会わされて勝手に婚約の準備が進められ、着々と結末への舞台が出来上がっていく。あの時の、と頬を染めた王女に対して、俺は酷く冷めた目で相手を見ることしか出来なかった。こんなことをしている場合ではないのに。
何度か砂原に会おうと部屋から抜け出そうとしたがそれも全て失敗している。その時に気が付いたのだが、この世界で魔法が使えなくなっているということが一番の痛手だった。この本に掛けられた魔法が邪魔をしているのかもしれない、とにかく脱出する術はその所為で随分と絞られることになった。
一応、この世界から抜け出す手立ては考えてある。それは、この本の元である物語の筋書を崩すことだ。この世界は全てが魔法で作られた訳じゃない。基盤にあるのはただの童話なのだから、付け入る隙はそこしかない。
ああ見えてアリスは実践的な魔法以外にもその魔法の構造や理論まできっちりと俺の頭に叩き込んでいたのだ。恐らくこの仮説は間違っていない。
もし人魚姫の結末が変わったら……人魚姫と王子が結ばれれば、この魔法を打ち壊すことが出来るかもしれない。だがそれにしたって、砂原と相談することが出来ない以上、現状ではどうすることも出来ないのだ。……会った所で、彼女が話すことは出来ないけれど。
声を失っただけではない、足だってとても痛がっていた。そして何よりきっと、今頃死ぬことに一人怯えているのだろう。
ぎり、と歯を強く噛み締める。どうして彼女がこんな目に遭わなければならない。どうして――。
何故かって、それは。
「……俺の所為じゃないか」
以前から危惧していたはずだ。彼女を妖精と関わり続けさせて、万が一取り返しのつかないことになったらと。
こうなることを恐れていたはずなのに結局俺は何もしなかった。もっと強く言えば突き放せていたはずなのにそれをしなかったのは、完全に俺が自分に甘かった所為だ。砂原が今苦しんでいるのは、全て。
だからこそ、絶対に砂原を生きて現実に戻すと心に決めた。どんな手を使っても、必ずと誓った。
こんな俺を好きになってくれた彼女を、どうあっても死なせる訳にはいかない。
だが実際にやってみなければ結果は分からない。この仮説が間違っているかもしれないし、そうでなくても今までのように無理やり物語が進行して王女と結婚させられるかもしれない。
だから、もしそうなった時にはもう一つの方法を考えた。――砂原が持って来るであろうナイフで心臓を刺す、覚悟を。
そうなれば確実に物語は壊れるだろう。だが同時に俺も死ぬことになる。俺だって進んで死にたくはないし、ましてや自分の心臓にナイフを向けるなど想像するだけで恐ろしくて堪らない。
だがその時点までどうにもならなかったら俺が死ぬか砂原が死ぬかしか方法がないのだ。元々俺が蒔いた種だ。もしそうなれば彼女を犠牲できるわけもなく、俺が終わらせなければならない。
……一人で現実世界に戻って彼女の亡骸と対面するくらいなら、俺は自分を殺す。
もう覚悟は決めたのだ。
決めていた、のだ。
「何で、ナイフを持って来なかった!」
だというのに、部屋に来た砂原の手には何もなかった。受け取ったはずのナイフなどどこにもなく、ただ彼女は小さく微笑むだけだった。
どうしてと砂原を責めたかった。あのナイフが無ければ彼女は死ぬかもしれないのに。魔法の掛かったあのナイフでなければ人魚に戻ることは出来ず、俺が別の方法で死のうが彼女は助からないというのに。
試せる方法が、一つだけになってしまった。
「砂原」
頷いてこちらを見る彼女に近付く。成功しなければ、砂原は。
……いや、その先を現実にする訳にはいかない。
俺が諦めてどうするんだ。彼女が助けを求められるのは俺にしかいないのに、俺が無理だと思ってしまえば砂原はどうすればいいと言うんだ。
魔法が使えない? 妖精には適わない? そんなことを考えている暇があったら目の前の彼女を救え。アリスの魔法なんてぶち破って見せろ。
絶対に、砂原を泡になんてさせるものか!
「――好きだ」
「フユキ、久しぶり」
「ああ」
三年に上がってから初めてだろうか、約一か月振りにアリスが来た。
あの悪夢のような本の世界から脱出してから、アリスは暫くの間妖精の国で反省として長老に扱かれていた。うっかりだろうが何だろうが蛍を殺し掛けた彼女に対して怒りが冷めていなかった俺は、長老に反省部屋の時間の流れを変えるように提案してしまったのだが……とても面倒な魔法だろうにノリノリで応じてくれた。
今現在アリスをまだ許せていないかというと完全に許したとは言い難い。だが怒りはもう抱いていなかった。一番の被害者である蛍が許してしまったということもあるが、アリスが心の底から後悔していることも分かっていたからだ。
だが制限は付けさせてもらった。この世界で、向こうの世界との行き来以外の魔法の使用を禁止したのだ。勿論魔法が掛かった物を持って来ることなんて論外である。
「アリス、お前最近あまりこっちに来なくなったな」
「だってフユキの魔力で使える魔法は教え終わったし、それに今もう一人生徒が増えてそっちが大変なのよ」
「生徒?」
「レオよ」
「ああ……」
「フユキは理論もちゃんと頭に入れてるからいいんだけど、レオは基礎が滅茶苦茶でね……」
本当に手が掛かる子よ、と彼女は少し困ったように苦笑する。言葉の割にはとても楽しそうだ。
「それに……」
「それに?」
「今まではルークに代わってフユキのこと見てなくちゃって思ってたけど、今は私が居なくてもフユキのことを任せられる子が居るからね!」
「……そうか」
それでどこまで進んだの? とにやにや笑いながら尋ねて来るアリスを躱して学校へと向かう。本当にあいつはこの手の話になると厄介だ。しつこく告白の時の状況を尋ねて来るが絶対に言うものか。あんなみっともない告白言える訳がない。
そのまま学校へ到着し、いつも通り授業を受け、いつも通り昼食を食べ、いつも通り授業が終わった。そしていつも通り、俺は自分のクラスから二つ離れた教室へ向かうのだ。
「蛍、帰れるか」
「ちょっと待って!」
三年になってクラスが分かれてしまった蛍を教室の入り口から呼ぶと、桜井と話していたらしい彼女は慌てて鞄に教科書を詰め始めた。話し相手が居なくなった桜井はというと今朝あたりに見たような楽しげな笑みを浮かべながらこちらへやって来る。
「相変わらず熱いわね」
「今日はそんなに暑くはないと思うが?」
「違うわよ、あんた達二人の話に決まってるでしょうが」
これだから日高は、と何故か馬鹿にされたように言われる。紛らわしい話をする方が悪いし、だいたい猛と桜井だって大概である。
新学期当初は蛍を迎えに行く度に物珍しそうに冷やかして来たやつらもいたが、それが一か月も続けば流石に慣れたのか好奇の視線も止んだ。
「けど日高だけクラスが分かれちゃうとか残念よね」
「煩いのが居なくなって清々してるんじゃないか?」
「まあ確かに気軽にプリント忘れられるようになったけど、私はともかく蛍がね」
このクラスの委員長は誰だったか……苦労していそうだ。
「……ねえ日高」
「何だ」
「蛍のこと、頼むからね」
「冬樹君、お待たせ!」
桜井の声に被さるように準備を終えた蛍が早足で掛け寄って来る。……気のせいだろうか、以前にも桜井とこんな会話をした気がした。その時は何と答えていただろうか。
何にせよ、今の答えは決まっている。
「……任せろ」
隣にやって来た蛍の手を強く握りしめ、桜井を安心させるようにはっきりとそう口にすると、彼女は実に満足そうに頷いた。




