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第30話 お伽話

 ふわふわ、ふわふわ。



 体が揺らめく感覚を覚えて、私はゆっくりと瞼を押し上げた。



 目の前に移るのは青、蒼、藍。とにかく真っ青な空間だった。





「ほらホタル、何ぼーっとしてるの?」

「ずっと楽しみにしてたみたいだから眠れなかったのかもね」



 体と一緒にふわふわと漂う思考に身を任せてその空間を眺めていると、お姉さん達が声を掛けて来た。



「ごめんなさい」

「早く行きましょう。ホタル、海の上はすごいんだから」



 そうだ、今日は私が初めて海の上――人間界を見ることが許された日だった。五人のお姉さんが頭上を泳いでいくのに続いて私もひれを動かし、上へ上へと向かって泳ぐ。


 ひれ?


 自分の思考にふと違和感を覚えて泳ぐのを止める。そして何気なく自分の体を見下ろして、その一部がまったく異なった生き物になっているのを理解して悲鳴を上げそうになった。



「さ、魚!」


「何で魚に驚いてるのよこの子は」

「さあ……ホタルはたまによく分からないこと言うから気にしない方がいいわ」



 初対面なのに酷い言い草ですね、お姉さん達!


 先ほどまで何も不思議に思うことなく姉だと思っていた女性達だが、よくよく考えてみれば私に姉なんかいない。そもそも顔も見たことがない人達をなんで今まで姉妹だと認識していたのか。一つ違和感を覚えれば芋蔓式に何もかもおかしく思えてくる。



 真っ青な空間、辺りに大量に泳ぐ魚、下半身が魚のようになっている私とお姉さん達、そして海の上の世界に行くということ――つまりここは海の中だということ。



「……人魚姫」



 つまり私は……あれだ、お伽話の人魚姫になった夢を見ているということか。




「ホタル、置いて行くわよ!」

「あ、今行きます!」



 泳がずに漂っているだけの私を急かしたお姉さん達は我先にとどんどん上へ向かって行く。反射的に返事をして、このままだとどうしようもないので私も泳ぎを再開した。


 海の中だと認識しているのに何故か呼吸をすることができ、そしてすいすい泳ぐことができる。確かに水泳は比較的得意ではあったがこんなに速くはないし、第一こんなひれを使って泳ぐ方法など知らない。



 やっぱり夢だ、と再認識するのと同時に、童話の主人公になる夢なんて見ている自分を夢の中で恥ずかしく思ってしまった。ヒロインになりたい願望でもあったのだろうか、身の程知らずもいいところだ。

 確か明晰夢と言っただろうか。起きてから覚えているくらいなら恥ずかしい夢を見たなで終わらせられるのに、夢だと認識しながら続きを見せられるのは大変苦痛だった。早く覚めてくれないだろうか。






「ほら、ここが海の上よ!」



 ざばん、と水飛沫を上げて次々と海から顔を出すお姉さん達に続いて私も海面から顔を上げて外の空気を味わう。日の光を浴びられるかとも思ったのだが今は夜のようだ。



「ホタル、あれが前に話した船よ」

「船……」



 そうだ、人魚姫のストーリーでは確かこの船に乗っていた人間の王子に一目惚れするんだったっけ。


 絶対に人間に見つからないように、と固く約束させられた後にそっと船に近付いてみる。辺りは暗いし船の上ではパーティをしているらしく騒がしいので、海面に顔を出していても気付く人などいない。

 遠目からでも楽しそうにダンスを踊っているのが見えてお姉さん達も「煌びやかで素敵ねえ」と感心してため息を漏らす。しかしそんな彼らを見ていた中で不意に何かが私の視界を横切った。何のことはない、ダンスする人の中を歩いていた人間が居ただけだ。


 しかし私はその人物から目を離すことが出来なかった。他の人間よりも更に高価な衣服に身を包み、しっかりと背筋を伸ばしたその人。



「あ、あああああ……」



 早く夢から覚めて!

 切実にそう願わずにはいられなかったのは、目を奪われた人物――人間の王子が、私のよく知る人物……つまり、冬樹君であったからだ。


 思わず顔を両手で覆った。他の人は誰もが知らない顔なのに王子だけ冬樹君なんて、自分の願望をまざまざと見せつけられているようで堪らない。



「ホタル、どうしたの?」

「あの王子様に見蕩れちゃったのかしら」



 合っているけど違う。見蕩れているのはいつものことだけど、今はそういう訳ではないのだ。


 そのまま彼が歩くのに合わせて視線を動かしていると、冬樹君は誰ともダンスを踊ることなく甲板の端まで辿り着き、そしてぼうっと海を眺め始めた。見つかっては困るとお姉さん達は海に潜っていたが、私は言いつけも忘れてただ冬樹君を見ていた。彼ならば見つかっても別に大丈夫だと勝手に安心感を抱いていたということもある。




「――あ」



 海を眺めていた彼の視線が一瞬こちらを見た気がした。だがそれを確かめる間もなく冬樹君の目は動き、今度は真っ暗な空を見上げる。雨が降って来たのだ。夜で気が付かなかったのだがいつの間にか空は一面黒い雲に覆われており、ぽつぽつと振り出したはずの雨はすぐに酷いどしゃぶりになって海の、そして船の上に容赦なく降り注いだ。



「嵐が……!」



 そうだ。人魚姫の物語ならば、この船は……。


 急いで船内に避難する人、大きくうねる波の所為でその場から動けない人、そして傾いた甲板まで押し寄せた波に浚われて海に放り出された人。

 甲板の端にいた冬樹君が避難しようとする間もなく波に呑みこまれる姿がスローモーションのように私の眼球に映り込んだ時、私は夢だとかそんなこと一切頭に思い浮かべることなく、ただ彼を追いかけてすぐさま暗い海の中を泳ぎ始めた。



 自分が出せる全速力で泳ぎながら冬樹君の姿を探す。普段海底に住んでいるからだろうか、暗い夜の海中でも様々なものを見ることが出来たし、そして服が違っても普段から見ていた彼の姿は他の何より見つけやすい。船の残骸に混じってすぐさま冬樹君を見つけ出した私は、彼を抱えるように海面に浮上して荒れ狂う波間に顔を出した。



「冬樹君! 冬樹君っ!」



 意識を失っているようでどれだけ呼んでも反応は返って来ない。とにかく陸に、と遠目に見える海岸に向かって冬樹君を担いで泳ぎ始めた。


 激しい波の所為でとても泳ぎにくい。海中ならばもっとスピードは出るものの冬樹君を背負っているのにそんなこと出来る訳もない。必死に泳いでいる間にも波に呑まれて沈んでいく人々が視界に入って動きが止まりそうになるが、現状でも辛い私が今から他の人まで助けていたら海岸に着くまでに冬樹君が死んでしまう。


 口の中に苦いものを感じながら、私は少しずつ近づく砂浜を目指して体を動かすしかなかった。





「はあっ……はあ……」



 ようやく砂浜まで来れたものの、今度は私が陸では満足に動くことが出来ない。何とか冬樹君を水が来ない所に寝かせると、海でしたように再度彼の名前を呼んだ。



「冬樹君!」



 何度も何度も呼び掛けても反応はない。どうすればいい、溺れた人間にどう対処すればいいのか。


 以前にアリスが海で溺れた時はすぐに水を吐き出したのでなんとかなったが、彼は全く呼吸も戻らない。

 正しい処置の仕方なんて碌に覚えていない。だけどこのまま放置したら冬樹君は。



「……」



 迷っている暇なんてなかった。

 冬樹君が以前アリスにしようとしたように、私は躊躇うことなく大きく息を吸って冬樹君の口に自分の口を押し当てた。空気が漏れないように鼻を押さえておくことだけはなんとなく記憶に残っている。ゆっくりと何度も空気を送っていると、不意に視界の端で何かがぴくり、と動いたような気がした。



「冬樹君!」



 慌てて体を起こすと、その瞬間冬樹君の口から咳き込む音と共に水が吐き出される。顔を横に傾けて水を吐き出す彼を見て、私は力が抜けるように、そして涙が出るような安堵を覚えた。


 嵐が通り過ぎたのか日の出の光が眩しい。余計に目を刺激されて涙を流していると、陸の方から騒ぎ声が聞こえて来た。

 冬樹君のことでいっぱいいっぱいになっていて忘れていたが、ここは人魚姫の世界なのだ。人魚姫が王子を介抱しているとそこへ他の人間がやって来て、そして王子は息を吹き返す。



「ホタル! 何やってるの、早く!」

「え」



 それでも冬樹君をこのまま放っておくことが出来なくて彼の背中を擦り続けていると、酷く焦った声と共に突然体が海に引き摺り込まれた。




「馬鹿な子ね! もう少しで人間に見つかる所だったのよ!」



 掴まれた腕を辿ると、そこにはお姉さん達がとてもご立腹の様子でこちらを取り囲むように見ていた。



「あの、お姉さん達……」

「とにかく早く戻りましょう。説教はその後よ」



 私の言葉を遮って無理やり海深くへと引っ張っていく。いくら海の中では早く泳げても、それと同じだけ早い人魚五人に囲まれたら逃げることなど出来ない。

 冬樹君のことだけが気掛かりのまま、私はなす術もなく海底へと連れていかれるしかなかった。
















「ホタル、元気ないわね」

「やっぱりあの人間のことが気になってしょうがないのね……」

「海の魔女に頼めばどうにかなるかしら」

「……」



 あれからしっかり説教を受けて眠ったのだが、何故か起きても一面は青色のままだった。

 おかしい。こんなに長い夢なんて見たことがない気がする。……いや、起きた時に殆ど覚えていないだけで普段もこんなに長い夢を見ているのだろうか。


 とにかくもう悲劇のヒロイン役はもう沢山だ。冬樹君が死にかけてこっちも心臓が止まりそうになったし、早く夢から覚めてくれないだろうか。



 そう思っていると、王子のことを考えて物思いに耽っていると勝手に判断したらしいお姉さん達が心配そうに私を囲み、口々に話し合いながらまたもや私をどこかへ連れて行こうとする。

 この包囲網が強すぎてどうにもならない。まるでストーリーを知っていて無理やり話を進めているかのように、私は海の魔女の所まで連れて行かれてしまった。



「話は聞いたよ、何でも人間の女になりたいんだってね」



 そんなこと一言も言ってないんだけど!

 全力で否定したいのに私の意志などどうでもいいとばかりにお姉さん達が話をつけてしまう。どうあっても人魚姫の流れにしたいらしい。


 海の魔女と名乗った老婆は私をじっとりとした目で眺めた後、なるほどねえ……と意味深に笑ってどこからともなく液体の入った瓶を取り出した。



「人間になるのは簡単だ、この薬を飲めばいい。……ただし引き換えにあんたの声を貰うし、歩く度にナイフで刺されるような痛みがするよ」



 手渡された小さな小瓶に目を落とす。これを飲めば声と引き換えに人間になれるという。……だがこの夢が完全に物語通りならば、まだ言葉が足りないはずだ。



「だが、もしその王子がお前を心から愛してくれなければ……他の娘と結婚すれば、お前は泡になって消えてしまう。それでもいいなら飲みな」



 ひひ、と私を試すように笑った魔女は答えを待つようにこちらを見つめる。


 王子の……冬樹君の愛を得られなければ消えてしまうなんて、我ながらなんて夢を見ているんだろう。自分の深層心理を引っ叩きたい。



 しかしこれだけストーリー通りに進んでいるのだ、だとすれば私が嫌がった所でどうせこれを飲むことになるのだろう。

 ならば、さっさと終わらせたい。



「飲みます」



 宣言して瓶に口を付ける。中身は少なく一口であっという間に飲み干すことができ、甘酸っぱい味が口の中に残った。



「ほら、早く行きな」

「ホタル、頑張って!」



 魔女とお姉さん達の声を背に私は外の世界へと泳ぎ出す。どんどん浮上していく間にいつの間にかひれはなくなり、人間の時のように両足を交互にばたつかせて明るい方へと進み続ける。




「……っ」



 呼吸が苦しくなって徐々に体が人間になっていくのが嫌でも分かる。こんなことなら海面に出てから薬を飲めばよかったと思っても遅い。必死に足を、手を動かすがそれでも息が続かなくなる方が早い。


 苦しい。

 ごぼごぼと水を飲んで意識が遠のきそうになる。私、何でこんなことをしているんだろう。



「――っ!」



 力が抜けそうになりながらとうとう海面に出た片手が何かに触れ、そして海の外で誰かが叫ぶ声が聞こえた。

 朦朧とした意識の中、片手が引っ張られて顔が外気に触れる感覚を覚える。私は途端に大きく咳き込みながら水を吐き出し、代わりにずっと求めていた酸素を吸い込む。



「砂原っ!」



 先ほどはよく聞こえなかった声が鮮明に耳に入って来る。聞き覚えのある声だ。いつも、聞いていたい声だ。


 ゆっくりと顔を上げて彼を見上げ、何だか妙に懐かしく思える呼び方に安心したのと同時に今までぎりぎりで保っていた意識が一瞬にしてブラックアウトした。






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