第29話 プレゼント
「アリス、何か思いついた?」
「うーん……」
十二月に入ってから急に冷え込んできた。外はそんな気温の中、私とアリスは暖房を付けた部屋で向き合いながら共に頭を悩ませている最中である。
二学期最後の登校日……つまり終業式の日なのだが、その日が冬樹君の誕生日なのだ。それで勿論お祝いしようとアリスと二人で当日の計画を練っていた。ちなみに彼の誕生日は冬だということしか知らず正確な日にちは分からなかったのだが、アリスが冬樹君のお母さんにこっそり尋ねてくれたので知ることが出来た。
ついでに、お祝いがしたいから当日に冬樹君を貸してくれと一緒に頼んでもある。家族で既に予定があったら駄目だなと思っていたのだが、しかし「お友達と誕生日パーティなんて素敵ね」と快く了解してくれた。
そして冬樹君本人にも「この日は空けておいてね」とアリスが予定を取ってくれたので、後はパーティの準備とプレゼントを考えるだけである。
場所は私の誕生日を祝ってくれたのと同じ、妖精の国で行うことになったのでそちらの準備は妖精の子達に任せてしまう形になったのだが……とにかく誕生日プレゼントが思いつかなくて私達はうんうんと頭を捻らせているのであった。
「フユキって難しいわよね」
「多分学校で使えるような実用的なものの方がいいとは思うんだけど……誕生日プレゼントっぽくないよね」
ノート、ペン、と普段使いそうなものを思い浮かべてみるもののいまいちぱっとしない。
「なんかよく疲れてそうだし……健康グッズ?」
「敬老の日か勤労感謝の日みたい」
確かにいつも先生にこき使われているしそういうものは案外喜ぶかもしれないけど。
冬樹君を頭の中に思い浮かべてみる。渡して喜んでもらえそうなもの、好きなものは……。
「あ」
「何、何か思いついた?」
「いや、冬樹君って甘い物好きだなあって」
「フユキが?」
「うん。この前冬樹君のお母さんが昔から好きだって言ってたんだけど……」
アリスは少し考えるようにした後、「そういえば妖精で甘い物嫌いな子は見たことないわね」と合点が行った様に手を打った。
「じゃあホタルが何か手作りのお菓子とか作ればいいじゃない!」
「それなんだけどね」
甘い物が好きだと思い出した時からアリスがそう言いそうなことは予想していたが、しかしそれにはとても大きな問題があるのだ。
「私……料理とか、全然駄目なの」
とにかく要領や手際が悪い。悪いのは自覚しているけど直らないのだ。何から手を付けていいのか分からなくなって、レシピを確認している間に鍋を噴き溢したり焦がしたり、そしてそれを見てパニックになって材料が入ったざるをひっくり返したりと酷い有様になる。
以前におにぎりを握った時なんて、上手く纏まらなくてぼろぼろになってしまったので強く強く握っていたら、お米が融合してねっとりとした口当たりの大きなお米の合体形を作り出してしまったことがある。あれだけまずいおにぎりなんて初めて食べた。
「……まあでも、お菓子作りなら全部材料準備してからゆっくり焦らずやれば、多分大丈夫よ。火を使わないものもいっぱいあるでしょ? 私も見ててあげるし」
「アリス、お菓子作りの経験は?」
「勿論無いわよ!」
だよね、魔法があるから作らないだろうね。
でも本とかで色々作り方見たことあるから多分大丈夫よ! とやけに自信満々に胸を叩くアリス。とりあえず二人でお菓子作りの本を捲って(キッチンに本を取りに行った時に、お母さんに「あんたが作るの!?」と驚愕された)初心者でも簡単、と謳い文句が書かれていたクッキーを選ぶことにした。
「ところで、私のものは決まったけどアリスはプレゼントどうするの?」
「あ、私はもう決まってるから」
「え、そうだったの!?」
今まで私のプレゼントを一生懸命考えてくれたので今度は私が協力しようと思ったのに、あっさりとそう告げられた。冬樹君へのプレゼントは難しいと言っていたのにアリスは一体何を選んだのだろうか。
「それで、何にしたの?」
「……秘密」
意味深な含み笑いをされた。そんな態度を取られると余計に気になるのだが、「ホタルもきっと喜ぶ」と言われ、ますます首を傾げることになった。冬樹君へのプレゼントなのに何で私も喜ぶことになるのだろうか。
心に引っ掛かりを覚えながら迎えた当日。前日にアリスと試行錯誤を繰り返して作ったクッキーは鞄の中にあるし、それだけだと流石に寂しい気がしたのでシンプルな皮製のブックカバーも購入してある。冬樹君はそれなりに本も読むようなので無難な選択になったと思う。
失敗作で悪いけど、と望に少々焦げたクッキーを渡すと「蛍がお菓子作ったの?」とお母さん同様驚かれた。
「ごめんね、それはあんまり出来よくないんだけど」
「そんなことないよ、美味しいから大丈夫。こんなちょっと焦げたくらい失敗に入らないし」
試しに一枚、と口に入れた彼女はもぐもぐと口を動かしながらからっと笑った。……よかった。一応味見はしたものの、他の人に実際に美味しいと言われると安心する。
「……それで、これは日高にあげる為に作ったのかな、蛍さん?」
「……何で分かったの」
「私に失敗作渡したってことは成功したのはどこに行ったのかなーって」
こういう時に限って望は頭の回転が異様に早くなる気がする。この前の修学旅行の時だってお守りのことを問い詰められて非常に困った。恐らく気付かれてしまっていると思う。
「今日冬樹君の誕生日なの」
「成程ね」
望にそう言いながら姿勢よく席に着く冬樹君を遠目に窺う。アリスには妖精の国での準備が整うまで冬樹君を足止めしていて欲しいと言われているのだ。しかしよく考えてみると、彼がわざわざ今日妖精の国に行く用事もないので足止めの意味など全くないので、恐らく私が冬樹君にプレゼントを渡す時間を作る為にそう言ってくれたのかもしれない。
しかしそうやって呑気に構えていたのがいけなかったのか、私は下校時間になった今冬樹君を探すはめになっていた。
終業式ということもあり学校自体は半日で終了したのだが、終業式が終わると各自解散だったのでその時に冬樹君を見失ってしまったのだ。望と話しながらのんびり教室に鞄を取りに戻るとそこには既に彼の姿はどこにもなかった。慌てて昇降口へと向かったのだが、しかし幸いにはまだ冬樹君の靴は残っていたので校舎内のどこかにいることは判明している。
きっとまた先生から何か雑務でも頼まれたのかもしれないと思いながらメールを送ると、すぐに「図書館にいる」と簡潔な返答が来たので廊下を引き返して階段を登った。
「……あれ?」
息を弾ませながら目的地である図書館の扉を開けるが、けれどそこには何故か誰の姿もない。
今日は終業式だったので図書委員もいないのかと思いながら入り口からは死角になっていた棚の間を探していると、ぎい、とどこかの扉が軋む音がした。
「砂原、こっちだ」
音と声に釣られて振り返ると、奥の書庫から冬樹君が顔を出していた。
「冬樹君。ごめん、今大丈夫だった?」
「ああ、ちょっと書庫の掃除を頼まれただけだからすぐに終わる」
やはり頼まれていたらしい。冬樹君らしいなあと思いながらも、ただ見ているだけではいられなくて私も手伝うことにした。
「悪いな」
「いいよ。冬樹君もいつもお疲れ様」
やっぱりプレゼントは疲れがとれるようなグッズの方が良かっただろうかと思考を巡らせながら箒を掃いていれば、元々殆ど彼が終わらせていたおかげもあってすぐに掃除は終わった。
時刻はちょうど一時を回ったところだ。今日はお弁当も持ってこなかったのでもしこんな静かな空間でお腹が鳴ったらどうしようかと少々不安になる。
「……冬樹君って、こういうの断ったりとかしないの? 絶対に先生が楽してるだけだよ?」
「そうだろうな。だけど俺がやらないとどうせ別のやつに頼むだけだろ? 俺は部活も入ってないしこれくらいは構わない」
……本当に、高橋先生はちょっとくらい罰が当たってもいいと思う。冬樹君の方があの先生よりもずっと大人だ。
「ところで、砂原は俺に何の用だったんだ?」
「あ」
「今日はアリスから空けておけと言われているから、あんまり時間が掛かることは無理かもしれないが」
彼の誕生日だというのに本題を忘れてどうするんだ。私は慌てて鞄からクッキーとプレゼント用にラッピングしてもらったブックカバーの包みを取り出し、恐る恐るそれを冬樹君に差し出した。
「冬樹君、誕生日おめでとう」
「……そうか。そう、だったな」
終業式のことで頭がいっぱいでど忘れしていた、と彼は目を瞬かせながら私の手の中にあるプレゼントに視線を落とす。そしてそっとプレゼントを受け取って腕に抱えた。
「砂原、ありがとう。それにしてもよく知ってたな。誕生日が今日だって」
「アリスが冬樹君のお母さんからこっそり教えてもらったの。アリス達は今頃向こうの世界で誕生日パーティの準備をしてる頃だと思うよ」
「だから今日空けておけと……」
彼は納得したように頷き、そして渡された二つの包みのうちクッキーの方を見て「砂原が作ったのか?」と小首を傾げた。
「そう、だけど……あの、お願いだから期待しないでね! 味はそう大層なものじゃないし……でも、一応食べられるものだから。くれぐれもハードル上げないで!」
「……どれだけ自信がないんだ」
「あ、そっちはブックカバーなんだけど、そっちはお店で買ったものだから保障するよ! ……そうだ、後これも!」
クッキーに対して過剰に反応する私を見て少し呆れるように笑った冬樹君。そんな彼に忘れないようにと最後にもう一つ鞄から取り出したものを勢いよく押し付けた。
「……本?」
私が三つ目に彼に渡したものは、黒い表紙の薄い本だった。タイトルも作者名も何も書かれていない少し大きめの本。表紙は硬く頑丈に出来ているようで、一見すると絵本のような形態だった。
「砂原、これは?」
「アリスからのプレゼントだって言ってたけど……」
「アリスが?」
今朝学校に行こうと靴を履いていた玄関でアリスに渡されたものだ。「私からのプレゼントだからフユキに渡しておいて。絶対にホタル一人で開けたら駄目だし、フユキと二人っきりになった時に開いてね」と念を押すように何度も言われた。
中身はなんだと尋ねたが開いてのお楽しみとしか返って来なかった。私に内緒にしていたプレゼントはこの本のことなのだろうけど、一体何なのだろう。
「二人でいる時に開いてって言われたけど」
「なんだろうな。よく分からないが……」
冬樹君はその本を開こうとして、しかし既に両手にプレゼントを抱えていた為開けなかった。それに気付いた彼は、プレゼントを置くわけでもなく何故か両腕の中を見下ろしてふっと微笑んだ。
「冬樹君?」
「いや……俺は幸せ者だな、と思って。誕生日を祝ってもらって、パーティを計画してもらって……こんな風に両手に抱えるくらいのプレゼントを貰って」
プレゼントを見て目を細めていた彼は、そして顔を上げて――私を見た。
「砂原、本当にありがとう。本当に嬉しい」
「――好きです」
私に向かってとてもとても優しく笑い掛ける冬樹君を見ていたら、酷く自然にその一言が口から零れ落ちた。
「冬樹君が、好きです」
自分でも止められなかった。口にする度に唸るような強い感情が体の中を暴れ回って涙が出そうになる。
言ったんだ。言ってしまったんだ。
嵐のように混乱する思考の中で僅かな一片のみがどこか清々しい気持ちに満たされている。もう後には引けない。覆水盆に返らずだ、後は冬樹君の言葉を待つしか私に出来ることはない。
「……」
しかし彼は何も言わなかった。ただ茫然と目を見開いてこちらを見るばかりで、そして力が抜けたように両腕に抱えていたプレゼントが重力に従うように腕からすり抜けるのを、私もまた茫然と眺めていた。
「あ」
その瞬間我に返った冬樹君は反射的に床に落ちようとしているプレゼントを受け止めようとして、しかしその手は二つしか掴むことができなかった。
一番大きな黒い本はそのまま私達の目の前で床に音を立てて落ち、そしてその衝撃で閉じられていた本が開かれる。
その光景を最後に私の視界は真っ黒に塗りつぶされ、そしてすぐに何も考えられなくなった。
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「アリス、楽しそうね」
「それはもう!」
私が鼻歌を歌いながらパーティの準備を整えている時に、傍に居たマリアがそんなことを言ったものだから私は力強く頷いた。何せ今日はフユキの誕生日なのだ。
そして何より、今頃二人はきっと渡した本を開けている頃だろう。そう考えるとわくわくして止まらない。
「アリスー!」
準備も殆ど終了して最終確認を行っていると遠くからレオが飛んで来る。「あいつの誕生日なんて何で俺が祝わなくちゃいけないんだよ!」と渋っていたレオだったがケーキをエサにしたらあっさり掌を返した。レオはまだ幼いので自分で魔法を使って……特に人間界のものを作り出すことなんて出来ないのである。
「レオ、どうしたの?」
「これ、アリスの部屋に落ちてたけどいいのか?」
なんか今日使うって言ってなかったか? と不思議そうな表情を浮かべるレオが魔法で浮かせて持っていたのは彼よりも大きな一冊の本だ。
私は何気なくその本のタイトルを視界に入れて、その瞬間硬直した。
「……」
「あ、いや勝手に部屋に入ったのは悪いけど、返事がなかったからであってわざとじゃ」
黙った私が怒っていると思ったのか何だかレオが言い訳を始めたが私はそれどころではない。
ばくばくと心臓が早くなるのを感じながら今一度レオが持ってきた本のタイトルを確認して、次の瞬間私はこの世界から消えた。
……どうしよう、間違えた!
「フユキ、ホタル――!」
全力の叫びは誰にも聞かれることなく、ただ空間の狭間に溶けていった。




