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第3話 妖精の少女

 がしゃんと音を立てて牢屋の扉が閉まる。


 連れて行かれたのは薄暗い洞窟の更に地下だった。洞窟の奥の階段を降りた先にはいくつかの牢屋があり、けれど他には誰も捕まっていない。



「……どうしよう」



 私は暗い牢屋の中で一人膝を抱えて俯いた。体を拘束していた縄はここに入れられた時に解かれたものの、それだって「どうせ逃げられないから」と言って解いてくれたのだ。一応試しに目の前の鉄格子に触れてみたがまるでびくともしなかった。


 本当に訳が分からない、何でこんなことになってしまっているのだ。私はただ、当たり前のように学校から帰っていただけだったのに。

 先ほどまではぬいぐるみやら人形やらに追われて考えている余裕などなかった。しかしこうして今、静かな牢屋に一人ぼっちで閉じ込められてしまって、急に今まで押さえていた不安や恐怖が溢れて来る。



「……っ」



 怖い。震える体を押さえるように抱きしめるけれど、収まるどころかますます体は震えぽろぽろと涙が零れた。嫌だ、元の場所に返して、と堪え切れずに声を上げて泣いてしまう。








「……ねえ、大丈夫なの?」



 泣き続けて目元が痛くて堪らなくなってきた頃だった、鉄格子の外からそんな可愛らしい声が聞こえて来たのは。誰も居ないと思っていたので突然声を掛けられたことに驚き、一瞬涙が止まる。


 緩慢な動きで膝に埋めていた顔を上げ、そして私の潤んだ視界に映ったのはこちらを心配そうな表情で見つめる妖精の女の子だった。



「え……」

「まったく、そんなに目を腫らしちゃって」



 女の子はそうぽつりと呟くと右手を上げる。すると瞬時にその手の中にファンシーなステッキが現れ、彼女は長い金髪を揺らしてそれを大きく振った。


 目の前に小さな光が現れ、また何か可笑しなことをされるのではないかと体が強張る。だがその光はすぐに四角い形になり、そして私の膝の上にぽとりと落ちた。光が消えた後そこにあったのは……白いハンカチである。

 思わずハンカチと女の子を見比べて困惑していると、彼女はふん、と満足げに鼻を鳴らす。



「私はあなたの見張りなの。煩くされたら私が怒られちゃう」

「……ありがとう」



 黙らせる方法なんてきっといくらでもあるのにこうして優しくされる理由が分からない。そうは思ったものの、私はお礼を言って彼女の厚意を素直に受け取ることにした。


 ハンカチを拾い上げて涙を拭いていると徐々に荒かった呼吸も落ち着いてきて頭も冷えて来た。ちゃんと話すことの出来る人が現れたということもあるだろう、しばらくしてようやくハンカチから顔を上げると、女の子は腕を組んで待っていたように「それにしても……」と口を開いた。



「そんなに泣くくらいなら何で不法侵入なんてしたのよ」

「……好きで来た訳じゃないよ」

「ん? どういうこと?」



 きょとん、と目を瞬かせた女の子に、私は少しずつ今までの出来事を話し始める。学校の帰りに気が付けば変な子供部屋に居て、そして色んなものに襲われてここに辿り着いたのだと。正直言って自分でも話していて分からないことだらけだったのだが、彼女はといえばうんうんと話を理解しているかのように頷き、相槌を打っていた。


 全てを話し終える頃には私も随分平静を取り戻し、ハンカチを綺麗に畳み直して彼女に差し出した。



「ハンカチありがとう。……えっと」

「アリスよ」



 妖精の女の子――アリスは再びステッキを振ってハンカチを消す。



「あなたの名前は?」

「砂原蛍だよ」

「サハラホタル? 変わった名前ね。よろしく、サハラホタル」

「……蛍って呼んで」



 アリスは名前だけみたいだし、妖精には名字の概念が無いのかもしれない。




「話を聞く限り……つまりホタル達は他の世界から来たのね」

「他の世界?」

「そう、妖精を知らない人間なんてこの世界にいないもの。てっきり私達を捕まえに来た懲りない人間だと思った」



 他の世界とか妖精だとか、はっきり言って荒唐無稽な話ばかりだ。普段ならきっと笑い飛ばしているだろう。だがしかし、先ほどから私の身に降り掛かっているありえない出来事達を振り返ってみれば嫌でもアリスの言葉が正しく思えてくる。そもそも羽の生えたこんなに小さな人型の生物が妖精でなくて何だというのだ。

 常識に捕らわれている場合ではないのである。




「人間……この世界にも居るの?」

「沢山居るわよ。たまに私達を捕まえて売ろうとするやつらも居て、だから人間が妖精の国に入らないように不可侵条約が人間と妖精の間で結ばれてるの。私達も侵入者が現れないように罠を仕掛けてるから、ここに入って来るやつらなんて滅多に居ないんだけどね」

「罠って」

「ホタルも見たでしょ? ここに来るまでに幻覚魔法を」



 幻覚魔法……そんなことを言われてもぴんと来ないが、ここに来るまでに起こったことを考えれば答えが出る。あの恐ろしい光景は今もすぐに瞼の裏に蘇ってくるのだから。



「あの子供部屋のこと?」

「そうそう、ああやって驚かせて追い返すの」



 驚かせるというレベルではなかった。刃物を振り上げ追いかけられて、本当に殺されるかと思ったのだ。



「……死んじゃうかと思ったよ」

「あれは幻覚だから実際に攻撃されても体は傷付かないわ」

「え?」



 当然のように言われ、私は無意識にナイフが掠めた足を見下ろした。言われてみれば痛みは愚か傷一つなく、確かにナイフが当たった感覚があったのにと首を捻る。現実味のない光景であったのは確かだが、あのぬいぐるみ達が幻覚だったと言われるとそれも信じがたい。


 もし仮に逃げ切れなかったとして殺されることはなかったのかと安堵していると、そんな私の気持ちに水を差すようにアリスが「まあ致命傷を負えば心が死ぬことはあるけど」とさらっと告げる。


 ……え?



「心が死ぬって、結局死んじゃうってこと!?」

「そうよ? 実際に体が傷付いてなくても死んだって思い込んだらそのまま死ぬもの」



 怖い。何が怖いって、可愛らしい子供の姿をしたアリスが酷く平然とその事実を語っているという所である。妖精と人間の価値観の違いなんだろうか、無邪気そうな表情が余計に恐ろしい。


 ……とりあえず他のことは置いておいて、生きていてよかったとだけ思うことにした。



「まああなた達はこの世界の人間じゃないし、そういう事情ならきっとすぐに開放されると思うわよ」

「本当に?」

「もう一人の子が長老の所に行ったから、今頃話でもしてるんじゃないかしら」



 長老の許可が下りればここから出られるので少しの辛抱だと言われ、私はほっと胸を撫で下ろす。



 自分のことでいっぱいいっぱいだった心に余裕が生まれ、そうすると今まで考えていられなかったこと――日高君は大丈夫だろうかという心配が過ぎった。




「アリス、日高君は……」

「ヒダカクン?」

「私と一緒に居た男の子は大丈夫なの?」

「ああ、あの子ね。心配しなくてもホタルよりはいい待遇よ。ちょっと長老に色々見てもらってるだろうから」

「見てもらってる?」

「ちょっと特殊なのよ。すぐに分かると思うけど……ところでホタル」



 特殊って……日高君が一体どうしたんだというんだと疑問が湧くが、少なくとも無事なのが分かっただけでいい。


 そうは思ったものの、不意に鉄格子へと近づいたアリスが酷く楽しげな笑みを浮かべているのはなんでだろう。何を言われるのか不安になって来る。



「何?」

「ホタルとあの男の子はどういう関係なの?」

「はい?」

「こんな所まで一緒に来るってことは恋人?」

「ち、違う!」



 にたーっと効果音が付きそうな表情と共に発せられた言葉で私は一瞬固まった。どうしていきなりそんな話になるんだ! と叫びたくなる。

 焦って大声を出して否定すると、アリスは「何だつまんない」と口を尖らせた。



「けどそんなに顔を真っ赤にしてるってことは、もしかして片思いだったり?」

「な、なな」



 何でばれた!? というか私、そんなに顔真っ赤になっているんだろうか。慌てて顔を押さえると想像以上に熱くなっていて自分で驚いてしまった。


 思い切り図星を突かれて二の句が告げなくなっていると、彼女はしたり顔でやっぱりとにやにや笑う。



「協力してあげようか」

「アリス?」

「私がホタルとあの子をくっつけてあげるって言ってるの!」

「何を言って――」



 突然そんなことを言い出したアリスに反論しようとしたのだが、それよりも早くこつこつと誰かの足音が聞こえ、私はすぐに口を閉じることになってしまった。


 誰が来たかなんて考える間でもない。何しろここは妖精の国らしいのだ、足音を立てて歩く人など私以外に一人しかいない。



「砂原!」

「日高君……」



 どこも変わった様子の無い日高君が階段から早足で降りてくるのを鉄格子に掴まって覗き込むと、彼は私を視界に入れて酷く驚いたように目を瞬かせ、そして顔を顰めた。



「こんな所に閉じ込められてたのか……! 怪我は?」

「大丈夫、この子と話してただけだから」



 離れていたのは大した時間でもなかったのに、彼の姿を見た途端にどうしようもなく安心して気が抜けた。アリスと話しているのだって緊張していたつもりはなかったのにいつの間にか気を張っていたようだ。




「アリス、牢を開けなさい」



 自分でも間抜けだろうなと思う緩んだ笑みを浮かべてしまっていると、日高君の背後から声が聞こえた。彼にばかり意識が集中して気が付かなかったのだが、その後ろにはアリスと同じく羽を生やした妖精の少年がいたのだ。


 少年に声を掛けられたアリスは「はーい、長老」と返事をしながらステッキを振って牢の扉を開ける。……長老?



「アリス……長老って、この子が!?」

「そうよ?」

「この子などと言われる年じゃないがね、これでも五百年は生きておる」



 驚きのままに叫んでしまったものの、そんな私にも少年……信じられないが長老はほけほけと笑って軽く窘めただけだった。


 五百年なんてあまりにも途方もない数字すぎて逆に驚けない。むしろこの少年の姿で八十歳と言われた方がびっくりしただろう。



「妖精はこの姿が成体じゃ。……ほれ、そこのアリスだって年は」

「女の子の年齢は秘密なのー!」

「……この国の妖精の中でもかなり上じゃ」

「長老! もうっ」



 妖精達のやりとりに私と日高君はお互いにどちらともなく目を合わせてしまった。二人の応酬が落ち着くまで待っていると、ややあって仕切り直すように長老がこほんと息を吐く。



「……とにかくここから出るのじゃ。話は外でする」



 長老の言葉に今まで騒いでいたアリスもぴたりと口を閉じ、ステッキを消してふわふわと出口まで飛んでいく。


 私も立ち上がって牢の外に出ると、私を待ってくれていた日高君が改めてほっと溜息を吐いて「無事でよかった」と告げる。ただクラスメイトの安否を確認して安心しただけだとは思うが、それでも微かに浮かべられた笑みに心臓が早くなるのが分かった。




 「日高君も」と言葉を返しながら、私はアリスが先に行っててよかったと胸を撫で下ろすのだった。




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