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第27話 理想の人

 改めてケーキを食べ始めると冬樹君の不安そうな表情はたちまち消え失せ、嬉しそうに口の中をクリームでいっぱいにしている。小さいとはいえこんなに表情豊かな彼は見たことがないのでつい気になって見てしまう。



「冬樹君、美味しい?」

「うん!」



 ああ、日高君にもこんなに可愛い時代があったのか。


 冬樹君はあっという間にケーキを食べ終えてちゃんと一人で口元を拭く。私はといえば彼を眺めていた所為でまだ半分も食べていなかった。



「冬樹君、私の分も食べる?」

「え! ……でも、それはお姉ちゃんのだから駄目」



 幸せそうに食べる姿をもっと見たくてそう言うと、冬樹君は一度ぱあっ、と表情を輝かせた後、しかしむっと口を押さえて首を横に振った。本当にどんな教育したらこんなに良い子になるんだろう。



「私はもうお腹いっぱいだから、冬樹君が食べてくれたら助かるんだけどなあ」

「本当?」



 食べていいのかな、と逡巡を繰り返す冬樹君の前にケーキの皿を差し出すと、彼は期待の籠った目でお母さんの方を振り返った。お母さんが「頂きなさい」と頷くと嬉しそうに顔を綻ばせて「ありがとう!」とこちらにお礼を言って食べ始める。




「ごめんなさいね蛍ちゃん」

「いえ、私があげたかったんです」



 少し冷めた紅茶の最後の一口を飲み干すと、不意にお母さんが壁時計を見上げて「あ」と小さな声を上げた。



「どうしたんですか?」

「ちょっとこれから出掛ける用事があったんだけど……蛍ちゃん、もしよかったら帰って来るまでここに居てもらってもいいかしら。そんなに時間も掛からないと思うから」



 一時間くらいで帰って来れると思うんだけど、と少し困り顔で言うお母さんに、それくらいなら大丈夫だろうと頷く。小さくなった我が子と他人を家に残してそちらの方が不安じゃないかとも思ったし実際に尋ねてしまったが、彼女は「冬樹のお友達だから」と笑って言うだけだった。



「本当にごめんなさいね。冬樹、ちょっと出掛けて来るから蛍お姉ちゃんと仲良くしてるのよ?」

「うん」

「昔冬樹が使ってた玩具や絵本も一応出してあるから、ぐずったらそれで遊ばせてあげて欲しいのだけど」

「分かりました」



 必ず何かお礼をするから、と言いながらお母さんは慌ただしく支度を始め、そして十分もしないうちに家を出て行った。冬樹君は元気よく「行ってらっしゃい」とお母さんに向かって手を振っていたものの、彼女の姿が見えなくなると途端にうろうろと視線をあちこちに飛ばして不安そうな顔をした。


 人見知りはしないようだけど、それでも初対面の人間とお留守番は緊張するだろう。ケーキを食べ終えて手持ち無沙汰になったのもあるかもしれない。



「冬樹君、何か本読もうか?」

「……いいの?」

「好きなの持って来ていいよ」



 私がそう提案すると、冬樹君は少し不安げな表情を緩めて居間から出て行った。こんな姿ばかり見ていると普段の日高君を忘れてしまいそうで、本当に元に戻るんだよね? と少しだけ不安になって来る。


 レオはまだ五十歳と言っていた。アリスの年齢は知らないが長老の話では結構な年月生きているみたいだし魔法も人に教えるくらいだ、他の妖精よりも上手いのだろう。だから大丈夫と何度も心に言い聞かせて不安を奥底にしまい込む。冬樹君には知られないように。




 ぱたぱたと音を立てて戻って来た冬樹君は二冊の本を抱えていた。一つは薄くて小さな本だが、対比するようにもう一冊は分厚くて大きいものだ。何を持ってきたのだろうと覗き込むと、冬樹君は見やすいように床にそれら二冊の本を並べてくれた。


 『シンデレラ』と『昆虫図鑑』である。

 どんな組み合わせなんだろう。



「さっきの苺食べたちょうちょ、どの種類か調べる」

「……流石にあれは載ってないかな」



 図鑑を広げて蝶々の項目を一つ一つ見始めた冬樹君。だが妖精は昆虫図鑑には載っていないだろう、というよりどの図鑑にも載っていない。



「冬樹君。あれは妖精だから、蝶々じゃないんだよ?」

「でも羽生えてたよ」

「蝶々は喋ったり出来ないからね。……ほら、シンデレラ読んであげるからこっちにおいで」



 シンデレラの絵本をひらひらと振って示すと、冬樹君は嬉しそうに図鑑を置いて私の元へとやって来る。絵本が見やすいように伸ばした足の上に冬樹君を乗せて絵本を開いた。下に兄弟もいないので読み聞かせなんて初めてだが大丈夫だろうか。











「……魔法使いはシンデレラに魔法を掛け、素敵なドレスを作り出しました」


「魔法ってすごいね」

「……そうだね」



 順調に読み聞かせが進む中、ぽつりと冬樹君が溢した言葉に何とも言えない気持ちになる。魔法がすごいからこそこんな状況になってしまっているんだと。

 シンデレラが魔法を掛けられる挿絵をじっと見ていたのでページを捲るのを待っていると、唐突に彼がこちらを振り返って私を見上げた。



「ほたるお姉ちゃんも魔法かけられたの?」

「え? 何が?」

「それ」

「……ああ、これね」



 冬樹君が指差した先にあるのは、私の髪に付いているヘアクリップだった。彼はシンデレラのティアラと見比べて「魔法で作ってもらったの?」と首を傾げる。



「とってもきれい」

「ありがとう。でもこれは魔法じゃないんだよ。貰ったもの」

「誰に?」

「……大事な人だよ」



 まさか君に貰ったものだよとも言えず、曖昧に言葉を濁す。……口に出してからまたすごく恥ずかしいことを言ってしまったなと頭を抱えたくなったが、冬樹君は特に興味を持った様子もなく追及されなかったので気にせず物語を進めることにした。






「シンデレラと王子がダンスを踊っていると、ゴーンゴーンと十二時の鐘が鳴り始めました」

「……」



 そのまま読み進めていると、いつの間にか冬樹君の頭が上下に揺れ始めた。時折はっと目を覚ましてはうとうと眠りそうになるのを繰り返し、そのまま絵本に頭を激突させないようにそっと体を支えておく。

 少し涼しくなってきた風と柔らかい日差しが窓から入って来て私まで眠くなってくる。



「シンデレラは、ガラスの、靴を落とし……」



 あ、やばい。本当に寝そう。









「――フユキ!」



 穏やかで居心地の良い優しい空間、そして今にも意識を落としそうだった私の眠気は突然の大声で全て吹き飛ばされた。


 はっと意識が覚醒した瞬間、ぽんっ、と音を立てて目の前が真っ白に染まりそれとほぼ同時に足に掛かる重量が一気に増した。



「わあっ!」



 気が付くと私はそのまま後ろに倒れてしたたかに頭をぶつけていた。更に全身に重たい物が圧し掛かりとても苦しい。




「――何で居間で寝て……って、砂原!?」

「重い……」



 妙に懐かしく思える声が聞こえたかと思うと体に掛かっていた重量が一気に無くなる。白い霧のようなものが晴れて視界が明瞭になると、そこには?マークを頭に沢山張り付けたような表情をした冬樹君がこちらを見下ろしていた。

 三歳児ではない、いつもの高校生の冬樹君だ。



「冬樹君……よかった、戻ったんだね」

「戻ったって一体何が……」

「ホタル、フユキ、本当にごめんなさい!」



 一気に安堵が押し寄せてほっとしながら体を起こすと、私と冬樹君の元へ非常に慌てた様子で小さな妖精が飛び込んできた。言うまでもない、アリスだ。



「本当にレオが迷惑掛けて……」

「アリス、思ってたより早かったね」



 今日は向こうに戻ると言っていたので、レオの足止めが無くてももっと時間は掛かるだろうと思っていたのに、と思いながら告げると「レオの様子がおかしかったのよ」とため息を吐いた。



「絶対に何か隠してるなって思って問い詰めたら案の定、すぐに吐いたわ」

「アリスには弱そうだもんね……」

「砂原、アリス、一体何の話をしてるんだ」

「実は……」



 何も事態を飲み込めていないであろう冬樹君にアリスが申し訳なさそうに事情を説明する。レオが冬樹君に魔法を掛けたこと、それによって今まで彼が三歳の頃まで小さくなっていたこと、そして今アリスが急いで戻って来て治してくれたこと。


 話を聞いて行くうちにどんどん表情が険しくなっていった彼は、全て聞き終えるとまず私に向き直って頭を下げた。



「砂原、また巻き込んですまない。それに出掛ける約束も破って」

「冬樹君が謝ることじゃないよ」



 彼に非などどこにもないのだから謝る必要なんてない。それなのにしっかりと頭を下げる姿は先ほどまでの冬樹君に酷似していて――本人だから当たり前だが――本当に戻ったのだと再度安心した。




「……あ、やっと来たわ」



 アリスが急に何もない空間を見上げてそう言ったかと思うと刹那その場所から淡い光が溢れ、そしてすぐに消えた。光の代わりにその場に姿を現したのは長老と、そして不貞腐れたように俯くレオだった。



「長老の隣にいるのがレオか?」

「そうだよ」



 以前とか違う姿なので物珍しそうにレオを見る冬樹君がいる一方、三人の妖精は非常に重たい雰囲気を醸し出している。



「フユキ、今回はレオが本当にすまないことをした」

「いえ……俺も良く分かっていないので」

「いくら妖精の血を持つとはいえ人間に、それに身体に影響を及ぼすような悪意の籠った魔法を掛けるなど……レオ、処罰の覚悟は出来ているか」

「……」



 長老の言葉にも俯いたまま何も話そうとしないレオ。そんな彼に冬樹君は歩み寄り、眉を寄せて疑問を口にした。



「この前も言ってたよな。俺が悪いんだって」

「……」

「一体何の理由があってこんなことをするんだ。何か訳があるんだろ」

「……すは」

「何だって?」

「アリスは! 俺のお嫁さんになるのに! それなのにいつもいつもフユキ、ホタルってお前らのことばかり言って! 俺からアリスを奪うなあっ!」



 ぎっ、と冬樹君を睨みながら爆発したように大声でそう叫ぶレオに、真正面にいた冬樹君はもとよりアリスや長老も驚いたように目を見開いた。私もまた、レオは大好きな姉のような存在を取られて怒っているとばかり思っていたのでお嫁さん発言には驚く羽目になった。



「れ、レオ、あんたそんな風に」



 突然告白されたアリスが困惑しているのを余所にレオはまだ叫び足りないとばかりに冬樹君に向かって声を上げ続ける。




「アリスは俺のものだ! こんな妖精だか人間だか分からない半端者に渡すつもりはない! どうせお前の先祖の妖精だって気まぐれで人間に手を出しただけに決まってる、そんなんで妖精の血を引いてるなんて粋がって」

「レオ!」


「――っ!」




 長老がレオを制止するのと同時に、机を強く叩きつける音が部屋中に響いた。叫んでいたレオも、彼を止めようとした長老も、そして目を見開いて硬直したアリスも、息を呑むように音の発信源――私を見た。


 じんじんと机を叩いた手が熱を持ち始める。それを無視して私はつかつかとレオの前に来ると、衝動のままに彼を掴んだ。



「取り消して」

「な、放せ、人間!」

「今の言葉、今すぐ取り消して!」



 がたがたとレオを握る手が震える。更に力を込めそうになった所で背後から冬樹君が私を取り押さえるように抱き込み、レオを掴む手を無理やり解かせた。



「砂原、落ち着け!」

「だって!」



 いくら知らないからといって言ってはいけないことがある。冬樹君を半端呼ばわりしたことも確かに腹立たしいが、しかし何よりレオは絶対に口にしちゃいけないことを言った。 


 よりにもよって、アリスの前で。



「アリスが……アリスがどんな想いでルークさんのこと……!」



 感情が溢れて涙が止まらない。違う、本当に泣きたいのはアリスのはずなのに。


 あの人と同じでありたかったと、冬樹君に向けたルークさんの優しげな目。振られたと大泣きして、私じゃ駄目だったんだってこちらまで痛くなるほど苦しげに泣いていたアリス。


 気まぐれで人間に手を出した?

 彼が一途にただ一人を想っていたからこそ、何百年も続いたアリスの恋は実らなかったのに。彼を想って泣いていたアリスの気持ちを踏みにじるような言葉が、どうしても許せなかった。



 言いたいことは沢山あるのに碌に言葉にならなくてしゃくり上げる。滲んだ視界でレオが困惑したようにアリスを見つめ、何か言おうとして黙り込む姿が見えた。自分の発言の何かが彼女にとって悪いことだったと理解したのだろう。


 そしてアリスは――。




「もう、ホタルは本当に泣き虫ね」



 少々呆れたような表情を浮かべながら、最初に会った時のようにハンカチを差し出し――いや、自分で持ちながら私の涙を拭いてくれた。



「アリス……」

「……私も、気まぐれだったらどれだけ良かったかって、少しは考えたわ。でもそんな人、ルークじゃないから」

「アリス、お前あの人のこと……」



 静かな空間でぽつりと呟かれた言葉は、冬樹君に全てを悟らせるのには十分だった。


 目を見開いてアリスを見つめる冬樹を置いて、ハンカチをしまったアリスはくるりと反転してレオを振り返った。途端にびくっと怯えるように肩を揺らした彼に一つため息を吐くと、彼女はぽん、とまるで撫でるような優しさでレオの頭を叩いた。



「レオ、あんた私のこと好きなのね?」

「……うん」


「――百年早い。もっと男を磨いてから出直しなさい」



 びしっとレオの額を小突く様に指を突き出したアリスは堂々をそう言って、そして微笑んだ。



「私の理想の人はね、優しくておおらかで大人で――そして何より、一途な人よ。レオが良い男になって、百年経ってもまだ私のことお嫁さんにしたいって言うなら、その時はお嫁さんになってあげる」

「ほ、本当?」

「約束してあげる」



 不安げに小さく涙を浮かべていたレオが期待の入り混じった目でアリスを見つめる。

 二つの小さな手が小指を絡ませ、そしてゆっくりとその手は離れて行った。

















「でもアリス、よかったの?」

「ん? お嫁さんになってあげるってやつ?」



 ひとまず一件落着したということで「後でお説教じゃから覚悟せい」とレオを脅かして長老は妖精の国に帰って行った。残ったアリスとレオは帰って来た冬樹君のお母さんにケーキを出してもらってご満悦である。



 ちなみにお母さんに元に戻った経緯をどう説明したというと簡単である。そのまま「妖精さんがなんとかしてくれた」ですぐに納得してくれた。事実なのだからそう言うしかなかったのだけど、それで納得してしまうお母さんを見て、冬樹君がしっかりしている理由が少し分かった気がした。


 テーブルを挟んで正面でがつがつケーキを食べているレオを見ながらそアリスに問いかけると、彼女は楽しげに笑って小さなフォークでケーキを掬った。



「まあ百年なんて妖精ならそんなに長くないのかな?」

「妖精でも結構長いわよ。まあそれでもレオが別の子を好きになったらそれで構わないし、もし百年経っても変わってなかったら……それだけ想ってくれてたら、私もくらっと来ちゃうかもしれないしね」

「しかし結構な年の差だろ。アリス、お前は人間で言うと何歳なんだ?」

「フユキ、女の子に年を聞くのはマナー違反よ」



 ぴしゃりと冬樹君の疑問を一刀両断したアリスは思い出したかのように「そういえば」と首を傾げた。



「ホタルっていつの間にフユキの呼び方変えてたの?」

「あ」

「そういえばそうだな」



 すっかりそのまま呼んでしまっていた。慌てて事情を説明すれば、冬樹君は……じゃない、日高君は納得したように頷いた。



「アリスに指摘されるまで何の違和感もなかったんだ。無意識に呼ばれていたのを覚えていたのかもしれないな」

「その、ふ……日高君、何か馴れ馴れしくて本当にごめんね」

「いや、砂原がそっちの方がいいなら無理に直さなくてもいいんだが」

「……冬樹君?」

「それでいいぞ」



 いいんだ。……本当にいいんだ。


 嬉しさやら高校生の姿の彼にそう呼び掛けるのが改めて意識すると恥ずかしいやらで冬樹君から目を逸らすと、ぶすっと頬を膨らませたレオと目が合った。



「どうしたの?」

「べ、別に俺は大人だし? アリスがちょっと他のやつと喋ってても嫉妬なんてしないからな。何より俺は婚約者だから!」



 お前らよりずっと近いからな! と虚勢を張るように言ったレオに思わず吹き出しそうになった。本当にアリスのこと好きなんだな、と先ほどまで彼に対して全く良い感情は無かったのに微笑ましく見えてきた。


 思わずアリスの方を見てみれば、彼女も同じように優しい目でレオを見て、そして私の肩に乗った。「あ!」と酷く羨ましげなレオの声を聞きながら、アリスは私にしか聞こえないくらいの小さな声で耳元で囁いた。




「百年経てば……私もきっと恋が出来るようになるかもしれない」

「アリス……」

「そうなったらいいな。だって恋って楽しいって知ってるから。……教えてもらったから」



 アリスは私の首に寄り掛かるように体を預けると、「ありがとう」とぽつりと呟く。



「ホタル、私の為に怒ってくれて、泣いてくれてありがとう」



 嬉しかった、と表情は見えなくても彼女がとても穏やかな顔をしているのは分かった。






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