第15話 恋の終わり
ずっと、ずっと好きだった。
「どうしたアリス、遊んで欲しいのか?」
幼い頃の私はいつもルークの後ろを着いて回っていた。構って欲しい一心で沢山話し掛けて、恐らく気付かないうちに彼の邪魔もいっぱいしていたんだろうと思う。けれど怒られたことなんて一度たりともなくて、そもそもルークが誰かに怒っている所なんて見たことがなかった。彼はいつも泰然自若としていて、その青い瞳は常に穏やかに澄んでいた。
随分昔の話だ、恐らく美化してしまっている所もあるかもしれない。だけどそれでも、再会した時に見た優しい青い目は昔と一切変わっていなかった。だからこそ姿が変わっていようと彼はルークなのだとすぐに信じることが出来たのだ。
「ルーク!」
ホタルとフユキを向こうの世界に送った後、私はすぐに妖精の国へと引き返してきた。のんびりしていたらまたどこへ行ってしまうか分からない。
「アリス、そんなに急いでどうしたんじゃ?」
それなのに、そこにルークは居なかった。
慌てて魔法を使った先に居たのは不思議そうに私を見る長老だったのだ。
「長老、ルークは!?」
「結界を見に行くと言って花畑の方へ行ったぞ? わしも一応修復はしたが、あやつの方がこういうことは得意じゃからな」
すぐに戻って来たはずなのに、こちらの方が少し時間が進んでいるみたいだ。どうやら焦って魔法を使った所為で時間に歪みが発生したのかもしれない。
ともかく考えている暇はない。私は長老の言葉に返事をする余裕もなく、魔法を使って花畑へ一気に移動しようとした。だがしかし、こんな時に限っていつもは全く失敗しないはずの魔法が上手く使えなくて、何度も別の場所へと飛んでしまう。
妖精魔法は得意だ。同世代の子達よりもずっと上手いと自負しているし、長老だって認めてくれているから私をフユキの教師役にしてくれたのだ。
だけどそれは、私が他の誰よりもひたすらに練習したから。あの長老よりも更に上を行く程魔法が得意なあの人に追いつきたかったから。私が魔法を上達させる度にルークは褒めてくれた。「アリスはすごいな」って笑ってくれた。その笑顔が見たかっただけなのだ。
何度目かの魔法でようやく花畑に到着する。花に囲まれて背を向けるその男を目にした途端、姿は違うのにずっと昔に見た彼の背中思い出した。再会するまで曖昧だった姿が、鮮明と言えるほど蘇ってくる。
ルークは忘れてしまったと言ったが私は覚えている。綺麗な羽を、ずっと見てきた背中を、そして優しい瞳を。
「ルーク!」
「アリス、どうした?」
昔と同じように振り返ってくれる。似ても似つかない風貌なのに、本当にルークなのだ。
「ルーク」
「何かあったのか?」
不思議そうにこちらに歩み寄って来る彼の姿に泣きそうになる。見た目だけならどこから見ても彼は人間で、妖精とはまるで違う。
彼が一緒でありたいと願ったのが私ではないということがまざまざと見せつけられた。
――それでも、言わなくちゃ。
「好き」
「アリス?」
「ずっと昔から、好きだったの!」
目頭が熱くなって声が掠れる。それでも喉を必死に震わせて伝える。
ホタルにはああ言ったが、この恋はまだ終わっていない。だからこそ、終わらせなければいけないのだ。
「……そうだな、アリスは昔から俺に懐いていたな」
「違う! 子供扱いしないで!」
茶化すようにそう言ったルークに大声で叫ぶ。本当に本気なのだと、どうか分かってほしかった。
「ずっとルークが好きだった。子供にしか思われていないって分かってても、居なくなった後もずっと忘れられなかった。ずっと……」
「……アリス」
驚くように目を瞠ったルークを見ていられなくて俯く。その拍子に両目からぽつりと一粒の涙が零れ落ちた。
やっと言えた、と思った。
ざあっ、と花びらを揺らすように風が吹く。木々がざわめく。それらが意識せずとも感じ取れるくらい、ここには沈黙しかなかった。
「俺を好きになってくれて、長い間想い続けてくれて、ありがとう」
耳に入って来た彼の声に涙を拭って顔を上げる。見上げた彼の表情は酷く優しくて、慈愛に満ちている。……まるで、我が子を見るような、そんな顔だった。
「すまない、アリス。俺はもう、彼女しか想うことが出来ない」
「……っ」
知っていた。知っていたけど、それでも苦しい。
どうして人の姿になっているのかと尋ねた時も、そしてフユキを見ている時も、あんなに愛おしそうな顔、私に向けられたことなんて無かった。
だけどそれでも伝えなければと思ったのは、このままではずっと同じことの繰り返しだと、また後悔し続けるだけなのだと心底分かっていたからだ。
ルークが居なくなってから何百年もの間、ずっとそう思い続けて来た。ホタルの恋を応援するなんて言ったのは好奇心もあったが、半分は彼女に対する苛立ちだ。想う人がこんなにも傍にいるのに行動を起こさないホタルに昔の自分を重ねてしまったのだ。私はもう会うことも出来ないのに贅沢だなんて、理不尽にもそんなことを考えてしまったから。
「……ありがとう、ルーク」
ようやく終われる。苦しいのに妙に力が抜けて、私は再び零れそうになる涙を必死に堪えて笑った。
「アリス」
「ルークのことだから、またすぐに色んな場所を旅するんでしょ? フユキのことは心配しなくても私にまかせて! 今度帰って来た時にはルークよりもうんと魔法が上手になるように教えるんだから!」
ルークの言葉を遮って明るい声でそう言って胸を叩いた。恋は終わってしまった。だから今私が彼の為に出来ることはただ想い続けることではなく、もっと別のことだ。
彼が大切に思う人を、私も大切にしたい。
「だから、またいつか……帰って来て」
「……約束する。ありがとう、アリス」
彼が言った言葉には、酷く様々な感情が詰め込まれているように感じる。
近づいて来たルークが、そっと私の頭に触れた。昔撫でてもらった時のように懐かしくて、だけどあの時のように何も考えずに喜べない。
それでも、私は今出来る最高の笑顔をルークに向けた。
「いってらっしゃい、ルーク」
「アリス、どこに行ってた……って、どうしたの!?」
「ホタル……」
妖精の国から出てホタルの家へと戻るとすぐに彼女が迎えてくれた。それと同時に今まで我慢していたものが次々と堰を切ったかのように溢れ出して止まらなくなる。
何も考えられなくなってホタルにしがみ付き、ひたすら泣き続けた。
「アリス……」
「私……、ルークに、言って……っ好き、って」
「……うん」
「でも、やっぱり、駄目で……だめ、で」
嫌だ嫌だ、私を好きになってよ、そんなに優しい顔で他の人のことなんて考えないで。
そんなこと言えないのに、言っても好きになってもらえないと分かっているのにぐるぐると頭を回る。
私、ちゃんとルークの前では綺麗に笑えていただろうか。吹っ切れたように見えていただろうか。
「う、うわあああああっ」
これが最後だから、泣き終わったら諦めるから、だから今だけは只々何も考えたくない。
ホタルの手が背中に触れる。それが最後に頭を撫でられたのを思い出させて苦しかった。
「……ルーク」
ずっと、好きだった。
「日高君、おはよう」
「フユキおはよー!」
「砂原、アリス、おはよう」
休み明けの月曜日、私は学校へ行くホタルに着いて行き、途中でフユキに会った。
現金なものとも言えるが、あれだけ大泣きして更に疲れて眠ってしまえば随分と気持ちが落ち着いた。
ルークへの想いやフユキへの複雑な心境が全くないとは言わないものの、それでも少しだけ前を向くことが出来るようになったように思うのだ。
「フユキ」
「何だ?」
私は彼の顔の前まで回り込むと、きょとんと目を瞬かせているフユキに向かってびしりと指を突きつけて宣言した。
フユキのことは、私にまかせて。
「魔法の練習頑張るわよ! これからはもっとビシバシ行くんだから、覚悟しなさい!」




