第14話 ご先祖様
「……はあ?」
そう言ったのは一体誰だっただろうか。私かもしれないし日高君だったかもしれない。はたまた長老やアリスだったか。
心なんて読めなくても、ぽかんと口を開けて呆ける私達が皆同じ気持ちであるということは簡単に理解することが出来る。
「誰が、誰の子孫だと?」
「何言ってるんだ? そこの……フユキと言っていたか? この子が俺の子孫に決まっているだろう。間違いなく妖精の血が混ざっているようだしな」
最初に意を決したように沈黙を破ったのは長老だった。彼は念を押すように語気を強めてルークさんにそう尋ねたのだが、尋ねられた当の本人は「何を当たり前なことを言っているんだ」とばかりに首を傾げながらさらりと爆弾発言を続けるだけである。
視界の端に入るアリスがふるふると震えているのが少し見えた。
「俺の、先祖が……妖精の血の元が、あなただと言うんですか」
「そういうことだが」
日高君だって自分が妖精の血を引いているということは知っていた。だがその大本がまさか目の前に現れるなんて誰が思うだろうか。妖精が長生きなのは理解していたが、それでも生きているなんて考えもしなかったのではないだろうか。私は勿論そんなこと思いもしなかった。
元々妖精に関して言えばなんでもありなんだ、と少々落ち着きを戻して来た私はちらりとルークさんと日高君の顔を見比べてみた。
ルークさんは表情だけでなく全体的に落ち着いた、柔らかい印象を受ける整った顔立ちをしている。日本人顔ではないのだが、かと言ってどこの国の人間とも言い難い掴みどころのない造形だ。
一方日高君はというと、普段の厳しく堅いイメージがそのまま顔に出ており、印象としてはルークさんの真逆とも言える。唯一同じなのは髪の色くらいで、血を引いていると言われても全くぴんと来ない。彼のお母さんの方がルークさんのイメージには近いかもしれない。
「……今まで何百年もどこに行ってたかと思えば、ほいほい異世界を渡り歩いていたとは」
「楽しかったぞ。土産話ならいくらでもある」
「お前は昔から自由過ぎるんじゃ! しかも人間の子を作るとは……わしが最初にフユキを見た時どれだけ驚いたと思っとる! 妖精の血を引く人間など初めて見たわ!」
「良かったじゃないか、貴重な体験をして」
「少しは、反省しろ!」
暖簾に腕押し、とはまさにこんな時に使うんだろうな、と声を荒げる長老と相変わらずのほほんとしているルークをさんを交互に見て思った。日高君は「この人が……」と小さく呟きながら少し頭痛を押さえるような仕草を見せる。
「久しぶりにここに戻って来ようとしたら風の噂でフユキの話を耳にしてな、一度会いたいなと思ったんだ。それで最初に向こうの世界に行ったんだが……」
そう言ってルークさんはちらりと私の方へ視線を向ける。思わずぎくりと背筋を伸ばしてしまったのは、あの時の彼に対する態度が酷いものだったと自覚しているからである。
「あの子……ホタル? から薄く妖精の匂いがしたものだからうちの子と知り合いじゃないかと思ったんだが、逃げられてしまってな」
「そ、その節はすみませんでした」
「砂原、以前に会っていたのか?」
「会っていたというか、まあ、一応」
まさか不審者扱いしたとも言えずに口籠る。だってすごく怪しかったんだと主張したいのは山々だが、本人と、そしてその子孫に語るのは気が引ける。
不思議そうな顔をする日高君から目を背け、視線が合わないように小さく俯いた。
「それで?」
「妖精の国で待っていたらそのうち来るんじゃないかと思い直してこちらに来てみたんだが……いやはや、この国の場所を忘れてしまっていてな。結構彷徨うことになった」
「故郷の場所を忘れるやつがいるか」
「生憎、自分の姿すら思い出せないくらいだしなあ」
ルークさん曰く、妖精の国は人間が近付かないように隠蔽されている上、数百年も経っていた所為で周辺も比べものにならないくらい変化していたらしい。
そこでふらふらと適当に人間の領土をふらついていた所で、近くで妖精の気配――アリスと日高君のものだろう――を感じとって、ちょうど絶体絶命に陥っていた私達の元へと現れたとのことである。
「タイミング良く来たのは感謝するが……頼むからもう少し落ち着きを持ってくれ、本当に」
「今でも十分落ち着いていると思うんだが。慌てることもそうそうない」
「そういう意味じゃないと分かるじゃろう! ……もう良い。言っても無駄じゃ」
「手厳しいな」
もう何も言うまいと、大きく大きくため息を吐いた長老は「とにかく結界を調整して来る」と私達を残して魔法を使った。すぐさま彼の姿は掻き消え、きっとあの花畑へ向かったのだろうと考えた。
「……ねえ」
長老が居なくなりその場に短い沈黙が訪れると、それまでずっと口を挟まなかったアリスが、ようやくと言った様子で口を開く。先ほどまであれだけはしゃいでいたのに、今の彼女は今までに見たことが無いくらい、彼女らしくもなく大人しかった。
「どうしたアリス?」
「ルーク、なんで人間の姿で居たの? 元の自分を忘れるくらい、そんな長い間ずっと」
「何だそんなことか。簡単な話だ」
ルークさんは考える素振りも見せずにそう告げると、まるで小学一年生の算数を解くかのように、至極当然と言ったように言った。
「あの人と一緒でありたかったから、だ」
「……」
「その、あの人っていうのは」
「勿論、君のご先祖様のことだ。しっかり者で、頑張り屋で、とても素敵な女性だったよ」
彼はアリスから日高君に向き直ると、懐かしむように目を細めて微笑んだ。今までのどの表情よりも優しく、柔らかく。
「ああ、よく見ると面差しが彼女に似ている。特に目元なんかそっくりだ」
「そう、なんですか……?」
「ああ、君を見ると色々なことを思い出すよ。例えば――」
日高君に向かって思い出話を始めたルークさんから視線を外し、私は無言で黙り込んだアリスに目を向けた。
日高君がルークさんの子孫であると聞いた時はその驚きで他に思考が回らなかったが、よくよく考えなくても、それはつまり彼が日高君の先祖の女性と恋に落ちたということなのだ。
それも、妖精よりも彼女と同じ人間の姿を選び、今でもこんなに優しい表情を浮かべるほどに想っているということ。
何百年と会えなかったアリスの想い人。その本人が唐突に目の前に姿を現してあれだけはしゃいでいたのに。それを思うと私も何ともやり切れない気持ちでいっぱいになってしまった。
好きな人が居た、とそれは昔の話だとそう言ったアリスの言葉が嘘だったということが嫌でも分かってしまう。彼女は今でもずっとルークさんのことを――。
「ルークってば、私が覚えていたよりもずっと破天荒だったわね!」
突如、俯いていたアリスががばりと顔を上げると、大きな声で楽しげにそう声を上げた。
「もっと大人でかっこいいと思ってたのに!」
「アリス、それは心外だぞ。俺は十分大人だろう?」
「嘘ばっかり! 大体昔のルークはもっと――」
からりと笑いながらびしびしルークさんに文句を言い始めたアリスは、正直言って彼女の気持ちを知っている身からすればどう見ても空元気で無理やり取り繕っているようにしか見えない。
かと言ってそれを指摘する訳にもいかずにただはらはらと見守ることしか出来ずにいると、一頻り話終えたアリスは「そういえば!」とわざとらしく手を叩きながら私の方をくるりと振り返った。
「ホタル、フユキ、そろそろ帰らないとやばいんじゃない?」
「え? ……あ」
そういえばそうだ。家に帰らなくてはならないということをすっかり失念していた。辺りを見回してみれば、もう夕暮れで茜色に染まった綺麗な空が広がっており、夜はもうそこまで来ている。
慌てて時間を確認しようと携帯を取り出そうとした所で私の手は止まる。そうだ、携帯は逃げる時に投げてしまい、そして鞄はそもそも浚われた時にどこかへ行ってしまったのだと。
「日高君、荷物どうしよう!」
「そういえば、忘れてたな……」
二人揃って助かったことしか頭になかった。命に比べたらそれは荷物が無くなったなんて些細なことかもしれないが、だからそのまますっぱり諦められるという訳でもないのである。
「携帯はともかく、あの花畑にまだあるかも」
「砂原の携帯は……そうか、あの時に」
「うん、あれはもうどうしようもないから」
人間の領土に置いて来た上、勢いよく投げたのでもしかしたら壊れているかもしれない。
「はいはい、忘れ物だ」
アリスに頼んでもう一度花畑に戻れないだろうかと考えた所で、ルークさんの呑気な声とぱちりと指を鳴らす音が聞こえた。と、瞬間その声に合わせるように目の前にどさりと見覚えのある鞄が降って来た。
「ああっ!」
「鞄……! ありがとうございます!」
「お帰りの際は、お忘れ物がありませんように」
まるで映画館かどこかのアナウンスのような口調でそう言ったルークさんの言葉を聞きながら、私は鞄を抱きしめんばかりに受け取った。
中を確認すると無くなっているものがないどころか、外に放り投げた携帯すら傷一つ無い元の状態で入っていた。
「本当にありがとうございます!」
「いや、そもそもこちらの世界の事情に巻き込んでしまったのだからこれくらい当然のことだ。……フユキ、妖精魔法はもう少し頑張った方がいいな」
「は……? はい、努力します」
突然話を振られた日高君は困惑しながらも神妙に頷き、「荷物くらい自分で取り戻せってことか?」難しそうな顔をしていた。
私はそんな彼を眺め、そしてもう一度鞄の中に目を落とす。そこには今朝家で準備してきた荷物の他にも新たに加わったものが入っている。
少々不格好な可愛らしい二つの花輪を見ながら、私は小さく笑った。
長老によろしくと伝え、ルークさんに見送られながら私達はアリスの魔法で元の世界へと戻る。
ふわりとした感覚の後、無事に日高君の家へ戻った私達は何故かそこに二人だけしかいないという事実に首を傾げた。
「アリス?」
次回、アリス視点の予定です。




