第13話 謎の救世主
どこかで見たことがある、と漠然と感じた。
「とりあえず、これでいいか」
突如として目の前に現れた男は呑気な口調でぽつりと呟くと、おもむろに片手を上げてパチン、と軽快な音を鳴らす。どうしていいのか分からずに動けない私達が茫然とそれを見つめていると、一瞬にして武器を失って混乱していた男にどこからともなく現れたいくつもの縄が絡みついた。
あれは知っている。何しろ以前、私自身があれで捕らわれたのだから。
抵抗しようとした男をものともせず、縄達は男の全身をぐるぐる巻きに縛り上げ、指一本動かせないほどに拘束した。
「ふざけるなっ解け!」
「そう言われてもな。そちらが悪いのだから仕方がない」
再度パチンと音が鳴ると、ぎゃあぎゃあ喚いていた男が途端に水を打ったかのように静かになり、がくりと意識を失うように動かなくなった。
「……さて、三人とも怪我はないか?」
「――あ」
ただただ目の前で起こった一連の出来事を茫然と見ていた私達に話し掛けるように、背を向けていた男がこちらを振り向く。二、三十代くらいだろうか、さらりとした黒髪と帽子の奥に微かに見える惹きつけるような青い目が印象的な男だ。
ふわりと微笑んだその男を視界に捉えた時、私は先ほどまで感じていた既視感の正体を知った。
――あの時の不審者!
黒いコートに目深に帽子を被った背の高い男。あの時だって顔は碌に見えなかったが、雰囲気や声色そして私に笑いかけた表情が記憶と重なり、不意に思い出した。
「怪我はないですが……あの、あなたは」
驚きで声も出なかった私に代わり日高君が警戒するように尋ねる。助けてもらったのだから味方だとは思うのだが、いきなり現れたり魔法を使ったりよく分からない人だ。
「俺? 俺は……」
「妖精なんでしょ?」
男がのんびりと話そうとしたのを遮るように、ケージの中にいるアリスが体を起こして矢継早に言った。
「さっきから探していた妖精の気配、あんただったのね」
「妖精? この人が?」
「魔法で人間に姿を変えているのよ」
「ご明察、俺は妖精だ……久しぶりだな、アリス」
男――妖精と言われたが見かけはどう見ても人間だ――は帽子を取り、そして懐かしむように青い目を細めてアリスを見る。知り合いだったのかと私もアリスを窺ったのだが、彼女はといえば不思議そうな表情を浮かべて首を傾げているだけだった。
「私を知ってるの? 妖精の姿に戻りなさいよ、じゃないと分からないわ」
「悪いがそれは出来ない。……覚えていないかな、昔よく遊んでやったんだが」
「は?」
「ルークだ。いやなに、長い間この姿で居たから元の自分を忘れてしまっていてな」
「居たぞ!」
妖精二人のやり取りに気を取られていたからだろうか、鋭い声と複数の足音がすぐ傍まで迫っていたことに気付くのに遅れてしまった。先ほど追いかけて来た男達の残りだろう。再び凶器を向けられた時のことを思い出して身を竦めると「やれやれ、昔話は後回しだな」と妖精の男が呑気にため息を吐いた。
「ルーク……って、え?」
「すぐに片付けるから、三人とも大人しくしていろ」
私とは別の理由で混乱しているらしいアリスを置き去りに自体は進む。私と日高君はアリスが入ったケージをしっかりと抱え崖から落ちない程度に端に寄った。そうしていれば続々と追手の男達は木々の間から姿を見せ始め、しかしこちらへ向かおうとした途端に先ほど同様に縄に飛び掛かられて体をぐるぐる巻きに縛り上げられている。
「うわっ何だ!」
「斬れ!」
手にした剣で縄を切ろうとした人もいたが、真っ先に腕を拘束されてそれも叶わない。
余裕の表情で次々敵を無力化する様子に、どうにかなりそうだと張りつめていた緊張が少しだけ緩んだその時、パン、と何かが破裂するような大きな音が鼓膜を叩いた。
「この程度の魔法、効きませんよ」
はじけ飛ぶように縄だった残骸があちこちに落ち、それと同時に森の奥から一人の人間がこちらに歩み寄って来る。剣を持っていた男達とは違う、丈の長い上着――ローブというのだろうか――を羽織り、手には大きな杖を持っている。
いかにも、というような魔法使い然とした男だった。
「仕事の邪魔をしないで下さい。もうその妖精の買い取り先は決まっているんですよ」
周囲に仲間がばたばた倒れているのにそれを一瞥するだけで興味を失ったかのように視線を外した男は、杖の先を妖精の男――ルークさん、だっただろうか――に向けて冷静にそう口を開いた。
対して杖を向けられたルークさんも平然と余裕を崩すことなくそのまま笑みを浮かべている。
「協定は知っているだろう。我が身が大事なら、妖精を捉えたことが公けにならないうちに逃げた方がいいと思うが」
「逃げる? それを知る人間はここで居なくなるんですからそんな必要などありません!」
そう言うやいなや、魔法使いらしい男は杖の先からバチバチと白い閃光をこちらに向けて放った。魔法には詳しくない私でも、それが当たったらただでは済まないだろうと直感させるような強い光は、ルークさんに直撃するように見えた。
見えた、だけだった。
「この程度の魔法、効かないな」
あえて男の発言に被せるように軽々と言ったルークさんは、何もしなかった。指を鳴らすことも避けることもしなかったのに、その閃光は彼の目の前で消滅してしまったのだ。
「な」
「人間にしては強い魔力だが……妖精相手にそんなもので通用すると思ったのか?」
いつの間にか目の前からルークさんの姿が消えていた。その代わりに、彼は瞬間移動でもしたのか――実際にしたのかもしれないけど――魔法使いの背後に立ち、縄に縛られた男が持っていた剣を拾い上げて魔法使いの首に突き付けている。
「まあ元々逃がす気などなかったが。期待させて悪かったな」
ルークさんは魔法使いが動く前に剣をくるりと返して柄で魔法使いを殴り飛ばした。随分軽々とした動きだったのに関わらず、魔法使いは数メートル程転がるように飛ばされ、そして木の幹に激突する。
他の男達同様、ぴくりとも動かなくなった。
「さて、制圧完了」
「あの……生きてますよね?」
「ああ、殺しはしない。妖精を浚おうとした証拠は残しておかないといけないからな」
あれだけ居たはずの追手達が死屍累々と……死んではいないらしいが転がっているのを見て思わず聞かずにはいられなかった。何しろ本当に死んだように動かないのだ。
「助けて頂いて、ありがとうございます」
「あ、ありがとうございます!」
「構わない。二人とも礼儀正しいな。……アリス?」
「……わっ、あの、本当にルーク? 本当に?」
「本当に、ルークだ。大きくなったな」
「こ、子供扱いしないで!」
ルークさんに話し掛けられるまで時間が止まったかのように動きを止めていたアリスだったが、はっとしたように我に返るとケージの格子に張り付くようにしてルークさんに息もつかない様子で話し始めた。
「アリス、話は後でいくらでも出来るから、ひとまずその檻を壊すぞ。ちょっと屈んでいてくれ」
言葉に従ってアリスがその小さい体を更に小さくすると、ルークさんは私にアリスを離すように言い、持っていた剣をケージに向けて軽く振った。
アリスに当たらないだろうかとはらはらしていたが、剣はまるで野菜でも切るかのように綺麗にケージの上面だけを削ぎ落してしまった。
と、それと同時に持っていた剣も折れてしまう。
「おや、粗悪品だな」
「……あんな頑丈なもの斬ったら普通は折れるんじゃないのか……?」
いやそもそも斬れない気が……と日高君が眉を顰めてぽつりと呟く。そういえばあのケージには魔法が効かないと言っていたので本当に腕力だけで斬ってしまったのだろうか。
「ルーク、ありがとう!」
ようやく狭い空間から抜け出せたことが嬉しいのか、勢いよく外へ飛び出したアリスはルークさんの周りをくるくると回り、興奮気味に話し掛けている。
「今までどこに行ってたのよ! 何百年経ったと思ってるの!」
「さて、どのくらいだったか」
「とぼけないでよ!」
「色々な所を回っていたから時間感覚が薄くなってしまってな」
怒鳴りながらも、アリスの表情は非常に明るい。嬉しくて堪らないといった様子で、沢山の質問を投げかける彼女を見て、私と日高君はどちらともなく顔を合わせて少し笑った。
やっと本当に助かった、と思った。
「いつまでも人間の領土にいるわけにはいかないだろう、帰るぞ」
ルークさんがそう言い出すまで、アリスはずっと楽しそうに怒鳴っていた。
妖精の国に帰る方法は簡単である。魔法だ。
「そーれ!」
ようやく魔法が使えるようになったアリスがいつものようにステッキを一振りすると、みるみるうちに視界が切り替わる。ふわりと体が浮いた感覚を覚えた次の瞬間、私達は長老の家の目の前に立っていた。
ふと時計を見るとまだ午後三時だった。……朝ここに来た時からそんなに時間は経っていないはずなのに、妙に懐かしく感じてしまうのは仕方がない。ようやく戻って来れたのだ。
「長老! 大変なの!」
「何じゃ騒がしい……ん? 知らぬ人間が……いや、妖精?」
「久しぶりだな、ルークだ」
アリスが大慌てで長老の家に飛び込み少年の姿をした彼を引き摺って来ると、長老はルークさんを訝しげに見やる。そして彼の名前を耳にした途端、目を限界まで見開いてアリス同様に大きな声で怒鳴りつけた。
「ルークだと!? 今まで何処に行っとたんじゃ!」
「まあそう怒るな。今はお前が長老になったんだな、出世したもんだ」
「お前が! 帰って来ないから、そうなったんじゃ!」
一字一句区切るように声を上げる長老に対してもルークさんはどこ吹く風である。
二人が話している間に、私はずっと気になっていたことをアリスに尋ねることにした。
「ねえアリス」
「どうしたの?」
「もしかしてなんだけど……アリスが前に言ってた好きな人って、ルークさんなんじゃないの?」
「……分かっちゃった?」
やや頬を紅潮させたアリスは、長老に怒られ続けているルークさんを眺めて口元に笑みを浮かべた。
ずっと前に居なくなって帰って来なくなったと言っていたアリスの想い人。アリスがあれだけ喜んでいるのだからきっと彼なんじゃないかと思ったのだ。
「アリス、すごく嬉しそうなんだもん」
「だってもう一度会えるなんて思わなかったから!」
恋は叶わなかったなんて彼女は言っていたがずっと想い続けて来たのだろう。何百年も待つなんて私には途方もなさ過ぎて想像も出来ない。
「砂原、どうした?」
「ううん、何でもない!」
こそこそと話している私達を日高君が不思議そうに見て来るが笑って誤魔化した。
「それにしても、人間側の結界どうにかした方がいいぞ」
「ああ、まさか結界を掻い潜ってくるとは……フユキ、ホタル、アリスも済まなかった。無事で本当に良かった」
「ルークが助けてくれたのよ、あっという間に倒しちゃったんだから」
胸を張るように誇らしげに言ったアリスの言葉に長老は頷き、再びルークさんに向き直って頭を下げた。
「この子達を助けてくれたこと、本当に感謝する」
「気にするな、当たり前のことだ」
ルークさんはのんびりと返事を返すが、更に続けられた言葉に私や日高君、そしてアリスや長老までもが動きを止めた。
「自分の子孫を守るのは当然だろう?」




