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第1話 私と彼の日常

更新は三日から、遅くても一週間に一度くらいの予定です。

「桜井、一体何度言ったら分かるんだ!」




 田舎とも都会とも言い難い立地の県立高校。その二年一組の教室では、今日もある男子生徒の怒鳴り声が響いている。



「はいはい、分かってるってー」

「昨日も同じこと言ってただろうが!」



 そして私――砂原蛍さはらほたるは今日もまた、怒鳴られている友人をすぐ傍で見ているのであった。


 友人の桜井望さくらいのぞみは決して問題児というほどの生徒ではない。誰とでもすぐに打ち解けることが出来るし、明るい言動でクラスのムードメーカーになっている。けれど遅刻が多く、提出物も結構な頻度で忘れるなどの理由からよく委員長である男子に怒られているのだ。


 私がそんな彼らの姿を――より正確に言うのならば委員長の彼をぼうっと眺めていると、不意に彼が友人に向けていた顔をぐるりとこちらに動かした。厳しい表情が私に向けられたのを見て、咄嗟のことに私の顔は引き攣ってしまう。



「砂原、お前からもこいつに気を付けるように言ってくれ」

「え? あ、うん。……そうだね」



 がちがちに固まった私はたどたどしく何とかそれだけ言葉を返す。そんな私を訝しげに見た委員長は、そのまま踵を返して自分の席に戻った。恐らく早々に次の授業の準備をするのだろう。


 私は彼が十分に離れたのを確認すると、瞬間ぱたりと机の上に突っ伏した。



「うわあああっ!」

「蛍、今日も挙動不審だったよ」

「知ってる!」



 駄目だ、またやってしまった。

 頭を抱えたまま望のからかうような声に言葉を返す。どうしても駄目なのだ、彼を前にすると頭が真っ白になって碌に会話が儘ならない。


 委員長――日高冬樹ひだかふゆき。私は彼のことが、好きだ。




「それにしても……本当に謎なんだけど、何で蛍って日高のこと好きなの?」

「ちょ、そんなに大きな声で言わないで! 聞こえたらどうするの!」

「蛍の声の方がよっぽど大きいけど」



 確かにそうだが、本人が同じ教室にいるっていうのにそんな発言しないで欲しい。望は心底不思議そうな表情を浮かべながら、教科書を取り出している日高君を遠目にちらりと眺めた。



「確かにしっかりしてるけど真面目過ぎるっていうか、口煩いしお節介だし。今だってプリント忘れたぐらいであんなに怒鳴らなくてもいいと思うんだよね」

「……それは、望が三日も連続で忘れたからだと思うけど」

「ついうっかり」



 何とも悪びれることないからっとした物言いに、私は彼の心労を想って一つため息が出た。

 望の言う通り、確かに日高君は絵に描いたような真面目な人間で、まさに委員長という役職に相応しいとクラス中で認識されている。しかし委員長として頼りにされるその一方で、自分にも他人にも厳しい性格からやや煙たがられている面もあるのだ。

 ……私としては、他の人の為にあれだけ真剣になれるのはすごいと思うのだけれど。



「まあ蓼食う虫も好き好きって言うけどね。私は応援してるよ」

「……うん、ありがとう」

「蛍とくっついたらあいつも少しは丸くなるかもしれないし、そしたら私も怒られないで済むかも」

「……自分で怒られない努力をしようよ」



 望の言葉に呆れてそう言いながらも、しかし私も彼女が日高君に怒られることで彼を間近で見ることが出来るのに喜んでいるのも事実なのであまり強くは言えなかった。




 そろそろ授業が始まる、と望が私の席から離れるのを見送りながら教科書を取り出す。そして準備を終えて手持ち無沙汰になった私は、無意識のうちに視線を日高君へと向けていた。

 真っ直ぐに伸びた背筋を見ながらため息が出る。後姿もかっこいいなあ、なんて考えた自分の思考にどうしようもなく恥ずかしくなった。


 そもそも私は今まで彼氏というものがいたことがない。好きになった人は何人かいたが、結局碌に話をすることも出来ないまま学校が離れたり、相手に彼女が出来てしまったりと成就したことはなかった。


 自分から積極的にアタックしたこともなく只々ずっと遠くから見ていただけ。そしてそれは、今だって同じだ。

 望にも応援していると言われたしこのままでは今までと同じだと思うのだが……それですぐに行動を起こせれば苦労はしない。




「……っ!」



 と、その時だった。突然日高君が体を捻ってこちらを向いたのは。


 言い逃れが出来ないくらいにしっかりと目が合い、顔が熱くなるのを感じた私は慌てて俯いて彼の視線から逃れた。もしかして見ていたことに気付かれたのだろうか。目が合ったことの驚きと恥ずかしさ、そして気味悪がられていたらどうしようという不安で心臓が暴走しそうな程早い。

 膝の上で固く手を握り締めていると、ちょうどチャイムと共に先生が教室に入って来た。



「さっさと席に着けー、始めるぞー」



 先生の声にまだ立っていた生徒がばたばたと音を立てて自分の席に戻り始め、そしてそんな僅かな喧噪に紛れるようにして私は恐る恐る顔を上げた。するともう彼は当たり前に前を見ており、私はほっとしたのと少し残念な気持ちで何とも言えないもやもやが胸に留まっていた。
















 その日の夕方、いや殆ど夜に近い時間。私は一度家に帰ったのに関わらずもう一度学校へ来る羽目になっていた。理由は簡単だ、食べ終えたお弁当箱を学校に置いて来てしまったのだ。


 まだ夏ではないがそれでも気温は高く、更に言ってしまえば明日は休みだったので放置したままにしておけば週明けの月曜日に恐ろしい目に遭うだろう。

 そう思い部活を終えた生徒とすれ違いながら、私は暗い廊下を歩いて二年一組へと辿り着く。教室の明かりを付ければがらんとした空間はやけに広々と感じた。せっかくの週末なのだ、さっさと家でゆっくりしたいと思い目当ての弁当箱を手に取って鞄にしまい込む。




「……砂原?」



 早く帰ろうとくるりと踵を返した時だった、私を呼ぶその声が聞こえたのは。




「ひ、日高君」

「こんな時間にどうしたんだ」



 教室の扉を開けて入って来たのは日高君だった。彼は怪訝な顔で私を見ると「もう下校時間は過ぎてるぞ」とやや諌めるような口調で言う。

 こんな時に遭遇するなんてまさか思わずに、私は落ち着けと何度も心の中で自分に言い聞かせながら口を開いた。



「お、弁当箱、忘れちゃって。……そういう日高君は?」

「帰ろうとした所で担任に色々頼まれてな。ようやく片付いたところだ」

「そうなんだ。あの、お疲れ様」



 委員長ということもあって日高君は先生にも頼りにされている……というよりも、こう言ってはあれだが鴨にされている。多分彼自身もそれは理解していると思うのだが、それでも引き受けてしまうのが日高君なのである。



「……それじゃあ、また来週」



 普段あまり話すこともないのでこんな風に別れの挨拶をすることも初めてだ。自然に笑えているだろうか。そう言って日高君の横を通り抜けようとしたのだが、けれどその足はすぐに止まることになった。



「待て、砂原」

「え?」

「もう暗いし一人で帰るのは危険だ。お前、確か歩きだっただろ」

「……知ってたの?」

「去年も同じクラスだったからそれくらい知ってる」



 驚いた。私は望と比べても目立つ生徒ではないし、それこそ彼女ほど日高君に怒られない為接点も殆どなかったのに。



「俺も歩きだから送る」

「……え!? そ、そんな心配してくても一人で大丈夫だよ!」



 何で断ってるんだ、私! せっかく一緒に帰ろうと言ってくれているのに!


 咄嗟に出てしまった言葉に内心後悔で叫びたくなる。こんなチャンス滅多にないというのに。

 しかし日高君はそんな落ち込む私に眉を顰め「駄目だ」と語気を強めた。



「何かあってからじゃ遅い。いいから帰るぞ」

「……うん」



 酷く真剣な表情の彼は純粋に私の身の安全を心配してくれている。勿論それだけでも嬉しいのだが、好きな人と一緒に帰れるという事実に私は嬉しさやら気恥ずかしさやらで胸がいっぱいになった。










 ……まるで、少女漫画みたいだなんて思った。

 街頭の明かりが照らす夜道を二人で並んで歩く。一歩歩くごとに家が近付いてしまうのを残念に思いながら、私はこっそりと隣を歩く日高君を窺った。


 こんな風に一緒に帰ることが出来るなんて夢みたいだ。舞い上がってしまいそうな気持ちと裏腹に、しかし張りつめた緊張感と会話の無い空気に徐々に不安になってくる。

 そう、学校を出てから殆ど会話が続かない。そもそも私が日高君と話すことなんて今まで殆どなかったのだ、彼が普段他のクラスメイトとどんな会話をしているかも分からない。




「……悪かったな、送るのが俺で」



 必死に話題を探していたその時、不意に隣から聞こえて来た言葉に釣られて顔を上げる。見上げたその表情は、きりっとしたいつもの顔とは違い少々浮かない色を見せていた。



「砂原は、俺のこと嫌いだろ」

「……はいっ!?」



 あまりにも予想外の言葉にかなりの大声が出てしまった。そんなことあるはずがないというかむしろ真逆なのに、彼にはそう思われていたというのか。

 私は今までの人生で一番というほど全力で否定した。



「そんなことない!」

「気を遣わなくてもいい、俺が話し掛けるといつも顔は強張るしびくびくしてるだろ? ……自分でも好かれる人間じゃないことは自覚してるしな」



 俺はすぐに怒るし怖がられていると思っていたと言われ、私は今まで彼の前で挙動不審な態度を取り続けてきた自分を殴りたくなった。彼のことが好きなんて言いながら、私はどれだけ日高君を傷付けて来たんだ。




「違う! 嫌ってなんかないから! むしろ、その……」



 好きだ、と言いかけてぎりぎりで言いよどむ。危ない、そのまま勢いで告白してしまいそうだった。


 目を瞠る日高君に、私は一度呼吸を整えて冷静になってから改めて口を開いた。




「むしろ、すごいって思ってる」

「すごい?」

「日高君は、いつも頑張ってるから」



 先生の手伝いだって勿論今日だけのことじゃない。クラスメイトをまとめて、お節介だと言われても悪い所はしっかりと注意して、何より他の人以上に自分に厳しい。

 彼はいつも周囲の人間に真剣に向き合っているのだ。



「皆のことを気に掛けて一生懸命で。そういう所、本当にすごいと思うよ」



 そんな彼を見ていたら、いつの間にか好きになっていた。生真面目で頑張り屋な日高君のことが。


 自分で考えていることに恥ずかしくなって下を向く。こんな乙女思考になっている自分に「うわあああ」と呻き声を上げたくなった。頑張ってるなんて上から目線で偉そうだったかもしれないなんて思っていると、今まで無言だった彼がようやく言葉を発する。



「……そんなこと、初めて言われた」

「初めて?」

「煩いとか余計なお世話とか、そんな風にしか言われたことがなかったから。……別に俺が勝手に気になって口を出してしまうだけだから、鬱陶しいと思われるのは当然だと思ってる」

「そんなことない、日高君は」

「だが、砂原の言葉は嬉しかった。……そんな風に思ってくれて、ありがとう」



 ちょうど街頭に照らされていたおかげで、彼が柔らかく微笑んだその瞬間を見逃すことはなかった。いつも怒っていたり固い表情ばかりを見て来た私にとって、日高君がこうして微笑むのを見るのは初めてだ。

 一瞬にして顔に熱が集まるのを感じた。



「……えっと、あ! もう家も近いし、送ってくれてありがとう!」

「砂原?」

「それじゃ!」



 どうしていつもこういう時に逃げてしまうんだろう。むず痒い空気にどうにも居ても経ってもいられなくなってしまった私は、彼に早口でそう告げると全力で走り出した。




「砂原!」



 スピードを上げて十字路を走り抜けようとした時、鋭く背中に飛んできた声に私は一瞬で我に返った。


 足が、止まる。


 真横から音を立てて迫り来る車、眩しい白いヘッドライト。まるでスローモーションのようにゆっくり、ゆっくり時間を掛けてそれはすぐそこまでやって来る。




 背中に衝撃を受けた瞬間、世界が反転したような感覚を覚えた。





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