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ポップコーンと宇宙

「片桐さん、映画見に行きませんか?」




 夏休みの中盤、突然鈴木さんがそんなことを言いながら訪ねてきた。

 挨拶も吹っ飛ばして開口一番にそれだけ告げた彼に、私は一瞬目を瞬かせる。



「映画、ですか?」

「はい。テオ君が二枚チケットをくれたんです」



 テオさんか。……あれから会っていないからまだ私と鈴木さんの関係を誤解しているだろうし、気を利かせたのだろう。


 鈴木さんに差し出されたチケットを覗き込むと、そこには聞いたことのないタイトルが書かれている。

 ……タイトルを見てもジャンルが分からなかった。



「これ、どういう映画なんですかね?」

「さあ。地球の映画なんて初めてですので分からないですが」



 だから楽しみなんです! と張り切っているのがいとも簡単に伝わってくる鈴木さんを微笑ましく見てしまう。時間も空いていることだし、何より無料である。私は彼の誘いに躊躇うことなく頷いた。

















「片桐さん、早く早く」

「そんなに急いだって、上映時間は変わらないですよ」



 近場の映画館の前まで来ると、鈴木さんはまるで子供のようにはしゃいで私の腕を引っ張った。本当に楽しみなんだなあ、と思いながら館内に入る。


 やや薄暗い室内に張られたポスターを順に眺めながら歩いていると、チケットに書かれたタイトルと同じものを見つけた。宇宙を背景にして一組の男女が映っているもので、これを見る限りSFものだろうかと推測する。


 チケット売り場でテオさんに貰った前売り券を差し出し入場券と交換してもらうと、鈴木さんは早速目を輝かせてポップコーンを買いに行った。

 遅れて着いて行くと、彼はその長身を屈めてポップコーンの味で悩んでいるようだった。




「決まらないんですか?」

「どんな味か気になって……」



 味はどうやら塩、キャラメルの定番を始めとして何と六種類もあった。鈴木さんはメニューを右に左にと慌ただしく視線を映して懸命に悩んでいる。今は混んでいないからいいが、カウンターにいる店員さんも苦笑いである。



「私は塩にしますけど」

「え、もう決まってるんですか!? こんなに種類があるのに」

「私、ポップコーンは塩味って決めてるんで」



 どうにも昔からポップコーンといえば塩しか食べて来なかったので他の味は違和感があるのだ。ぐぬぬ、と何故か恨めし気に見られながらアイスティーを合わせて注文する。



「……全部は流石に出費が多すぎる。せいぜい、二つか」

「そんなに悩まなくても、また今度頼めばいいじゃないですか」



 呆れて私がそう言うと、鈴木さんは一瞬きょとんと視線を私に移した。



「……そっか、そうですよね。片桐さん、また一緒に来てくれますか」

「いいですけど」



 まるで目から鱗が落ちたように手を叩き、彼は「コーラのLとポップコーンのキャラメルと醤油バターを」と即座に注文した。


 別に私じゃなくても、テオさんとか他の人と来てもいいんじゃないのかとも思ったが、にこにこと嬉しそうな彼にわざわざ水を差す必要はないだろう。……店員さんからやたら生暖かい視線を受けることになったのはご愛嬌だ。











 舞台は周囲の惑星から次々に侵略を受けて荒廃した地球。そこで地球人の男性とスパイの火星人の女性が出会う所から始まった。


 敵同士だと分かっても徐々に惹かれあう二人と、どんどん争いが加速する地球。そして――。









「……まさかあの終わりは予想外でした」



 私は映画館の外に出て伸びをしながら呟いた。それぞれの味方に引き離された二人は、最終的にそれぞれの仲間を全て見捨てて宇宙に旅立ったのである。二人が幸せになれる場所を探して。


 思わず終わった瞬間に「ええええ」と声を出してしまったが、周囲もざわついていた為聞かれることはなかった。




「でも、アクションはすごかったですね」



 十分に楽しんだ様子の鈴木さんは歩きながら「あの中盤の爆発からの脱出シーンはリアリティがありましたね。それに銃撃戦も……」と次々に感想を告げる。


 確かに、あの映画のアクションシーンはとても力が入っていた。時限爆弾のタイマーの音だけがずっと響いていたシーンはとてもはらはらしたし、戦闘は非常に迫力があった。

 ……が、逆に言えばアクションシーンで力を使い果たしてしまったような内容だった。



「あの二人、あの後どうなったんですかね」

「さあ……」



 鈴木さんの言葉に、私は主人公とヒロインを頭の中に思い浮かべた。そもそもあの二人は地球人と火星人で種族が違う。それだけでまず前途多難だ。



 正直、種族を越えた恋なんて物語の中だけだ。現実ではそうそう受け入れられるものではない。


 所詮映画の中の話だ、深く考える必要はない。それなのに実際に今、私の隣には別種族の宇宙人がいる訳だから余計に考え込んでしまう。テオさんは当たり前のように私を鈴木さんの恋人だと認識していたけれど、そこに何の抵抗も違和感もなかったのだろうか。




「片桐さん?」



 急に黙り込んだ私に、鈴木さんはその長身を屈めて顔を覗き込んで来る。唐突に現れた顔に驚きながらも私は今まで考えていたことを悟られないように口を開く。だって、これじゃあまるで私が鈴木さんを恋愛対象として意識しているようだったから。



「し、新天地を探すと言っても大変ですよね、あの二人。当てもなく宇宙を彷徨うなんて、きっとすごく怖いでしょうし」

「そうですよね。現実に宇宙の遭難事故なんてニュースを聞くとぞっとします」

「あ、そうか。鈴木さんは実際に宇宙を通って来たんですよね」

「はい」



 宇宙の彼方というくらいだから、本当に私が想像も出来ないくらい遠くから来たのだろう。そんな長い間、彼は宇宙空間に居たのである。




「私、実を言うとあまりSFものって得意じゃないんです」

「え、すみません。あの映画も嫌でしたか?」

「いえ、今日のはSFというよりアクションと恋愛物だったので大丈夫だったんですが……」



 そういう意味ではあの映画は良かった。あまり惑星間の戦争と言っても舞台は地球であまり宇宙の描写はなかったから。



「宇宙が、ちょっと怖いんです。生身で生きていくこともできないし、何より無音で真っ暗っていうのが駄目です。絶対に耐えられない」



 宇宙に夢見る人達が聞けば臆病だと笑うだろう。しかし私は映像だけでも宇宙は苦手だ。

 私がそう言うと、鈴木さんは「当然ですよ」と静かに微笑んだ。



「生命が存在出来ない空間を恐れるのは当たり前です。……実は私も、ここに来る前は少し怖かったんです」

「鈴木さんが?」

「私だって怖いことくらいありますよ。宇宙船の事故だって絶対にないとは言い切れませんし……まあ、どちらかというと恐れていたのは着いてからのことでしたが」

「地球で暮らすこと、ですか?」

「話には色々聞いていましたし勉強もしました。けれど何もかも勝手が違う世界というのは恐ろしいものです。正体が露見して騒ぎになるかもしれない、地球の空気に私達に有害な物質が混入しているかもしれない。考え出したらきりがありません」



 そして、実際に正体を知ってしまった人間――私も居る。


 不意に鈴木さんが立ち止まり、釣られて私も足を止めた。彼は微笑みを消し、いつになく真剣な表情で私を見下ろしていた。



「確かに不安でした。しかし私は幸運だった。だって隣人が片桐さんだったんですから」

「鈴木さん?」

「私のことを知っても普通に接してくれる。理解して気遣ってくれる。それは本当に幸せなことなんです」

「そんな、大げさな」

「いいえ。片桐さんのような人は滅多にいませんよ。普通、隣に得体のしれないものが住み着いているなんて知ったらすぐに逃げます」



 確かに鈴木さんが機械人だと知って最初に感じたのは怖い、という感情だった。けれどそれでも私が逃げなかったのは彼が命の恩人であること、そして何より鈴木さんの人柄によるものだ。




「……私も、鈴木さんじゃなければ逃げてましたよ」

「片桐さん……」



 私は普通なんです、鈴木さんだから大丈夫だったんです、と言いながら私は視線を逸らした。真っ直ぐに感謝をぶつけられて何だか居た堪れなくなったのだ。



「私は、鈴木さんが思っているほど良い人じゃないです」

「いえ。あなたが自分のことをどう思っていようと、少なくとも私にとって片桐さんは良い人なんです」


 これは私の気持ちなので、否定しないで下さいね。と彼は真剣な表情を崩して茶目っ気たっぷりに笑みを浮かべた。


 否定を封じられた私は返す言葉もなく俯く。こんな風に裏の無い溢れんばかりの善意を向けられたことなど生まれて初めてで、どうしていいのか分からなかった。



 にこにこと上機嫌で歩く彼をちらりと窺いながら、早く家に着かないだろうか、とそればかりが頭を巡っていた。






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