鈴木さんと料理教室
とある休日の昼間。私がちょうど昼食の準備を始めようとした時、聞き慣れたインターホンと共に、これまた聞き慣れた声が聞こえてきた。
「片桐さーん」
鈴木さんである。どうにも彼の正体を知ってしまってから以前よりも尋ねてくる回数が増えた。その内容はといえば、日本に生きている人ならば当たり前に知っていることの質問が多く、今まで分からなかったことをとにかく尋ねてくるのである。
彼が今まで軋轢を生まずに暮らしていたことが奇跡のようだ。
今日もその類だろうと、はいはいと返事をしながら扉を開ける。
「今日はどうしたんですか?」
「少し分からないことがありまして」
いつも通りの気の抜ける笑顔を浮かべながら、鈴木さんは片手に持っていた本を私に差し出して来た。覗き込んでみればそれは、どうやらレシピ本のようである。表紙には“初心者専用、基本から学ぶレシピ集”と謳い文句が書かれている。
「料理ですか?」
「はい! この惑星の食事はとても美味しいのですが、やはり少々摂取エネルギーが少ないのが難点でして。外食で必要エネルギーを補おうとすると出費が嵩むので自炊することにしたんです」
「なるほど」
最近は灯油を飲まずに普通に食事をしているらしい。そんなに美味しくないのか、地球の灯油は。むしろ味覚はあまり変わらないことを考えれば、鈴木さんの故郷の灯油は私でも飲めるような味なのか。まあ飲んだら死ぬけど。
「それで、何を作るつもりなんですか?」
「カレーです。大学の学食で食べたら美味しい上にカロリーも豊富で大変素晴らしいものでしたので」
食べたカレーの味を思い出しているのか、口元を緩めてほわほわとしたオーラを放つ鈴木さん。しばらくその様子に癒されていると、本題を思い出したのか、はっと我に返り慌ただしく本のページを捲り始めた。
開かれたのは、勿論カレーのページである。
「とりあえず本の通りに作ろうと思ってレシピを読んでいたのですが、油の分量が分からなくて……」
「油の分量?」
「適量、とは何ccのことなのでしょうか?」
極めて真剣に尋ねてきた彼に、私はあえて質問に質問で返してみた。
「ちなみに鈴木さんはどのくらいだと思いますか?」
「そうですね……以前食べたカレーは結構どろっとしていましたし、200ccくらいでしょうか」
……1カップと来たか。これは一人で作らせたらやばいかもしれない。ギトギトのカレーを想像して胸焼けがした。
カレーよりも先に揚げ物を作りそうな勢いの鈴木さんに頭痛を覚えながら、私は「一緒に作りましょうか」と提案することにした。
最初でこれなのだ、どうせ他にも質問が飛んでくるに違いない。だったら最初から近くで見ていた方が楽である。
私の言葉に彼は目を輝かせて「お願いします!」ととても嬉しそうに笑った。
鈴木さんの部屋は、思っていたよりもずっと普通だった。間取りはうちと同じであるし、別に訳の分からない機械が置いてあるわけでも無く、綺麗に整頓された見本のような家である。
真新しい調理器具が揃うキッチンで、鈴木さんはしっかりとエプロンを着用して準備万端だ。傍から見ていてもわくわくしているのが伝わってくる。
「まず、材料を切りましょうか」
「それなんですけど……」
「分からない所ありましたか?」
「一口大、とはどのくらいに切ればいいんでしょうか? 一口でちょうど食べられる大きさってことですかね」
人参一本を三等分に切り分けてそう言った鈴木さん。これは出来上がるまで長くなるだろうな。
「……鈴木さん、学食のカレーに入っていた人参はどのくらいでしたか?」
「そういえばかなり小さかったような」
「そのくらいで大丈夫です。後、皮を剥いてくださいね」
私がそう言うと、鈴木さんは心得たとばかりに大きく頷いてまず人参の皮を剥き始める。料理は初心者のはずなのだがしかし包丁の扱いは異様に上手く、とても薄い皮がまな板の上にどんどん落ちていく。
ほおー、と思わず感心して声を上げてしまった。
「上手ですね」
「決められた工程を行うのは得意なんです」
あ、機械っぽい。と思ったが口には出さなかった。鈴木さんは料理よりもきっとお菓子作りの方が向いていそうである。
少しばかり得意げな様子が微笑ましい。
全ての皮を剥き終えると、鈴木さんは少し考えるように目を伏せ、なにやらぶつぶつと呟いた。
「……この人参は180g、均等な重さに切るのはどう切れば……」
……几帳面すぎる。機械人って皆こうなんだろうか。
結局、「こんなの適当で良いんですよ!」と私がざくざく切ることになり、彼は隣で切られていく材料を真剣な眼差しで食い入るように見つめていた。
そう言えば、正しい適量がどのくらいなのか伝えるのをすっかり忘れていたと思い出したのは、彼は計量カップを取り出して油を注ごうとした時だった。
「ちょっと待ったあ!」
「片桐さん、どうかしましたか?」
「油はちょっとでいいんです。ほんとにちょっと!」
「そうなんですか?」
熱した鍋に少し油を注いでみせると、鈴木さんは感心したように「片桐さんは物知りですねえ」と声を上げる。
なんだろう、違うとは分かってはいるもののなんとなく皮肉に聞こえてしまう。何せ彼は私よりも数段格上の大学に通っているのだ。
その後は滞りなく進み、ごくごく普通のカレーライスが完成した。手際は良く器用だし、一口大だとか適量という言葉に惑わされなければ私よりもずっと料理が上手になりそうだ。
気が付けば既に時刻は昼と夕方の中間ほどまで来ている。昼食を食べ損ねてしまった私は「一緒に食べましょう」という彼の提案を喜んで受け入れた。
何となくお腹が空く時間を逃してしまっていたものの、食欲を刺激するカレー独特の匂いに誘われて空腹を覚え始める。
「いただきます」
しっかり手を合わせて礼儀正しくそう言った鈴木さんは、待ってましたとばかりにスプーンを持ち、ものすごいスピードで食べ始めた。もぐもぐと口いっぱいに頬張る姿はまるで小動物のようでとても癒される。
私も遅れてスプーンを持つ。……うん、普通に美味しい。人参も固くないし、玉ねぎも蕩けていて完璧である。
「どうですか?」
「美味しいですよ」
期待の籠った視線に素直に応えると、鈴木さんは「よかった……」と大きく息を吐いた。
「片桐さんにはいつもお世話になっているので何かお礼が出来たらいいと思っていたんです。もしよければ、これからも料理を作ったら食べてくれませんか?」
「いいんですか?」
「はい! また色々教えて下さい」
本当に、同い年とは思えない無邪気な人だ。彼の秘密を共有しているからだろうか、なんだか随分と懐かれてしまった。けれど、それを別に嫌だとは思わない。
「じゃあ、今度は私が作ったご飯を食べに来て下さいね。あまり上手くないですけど」
ただの隣人としてだけではなく、友人としてやっていけそうである。彼は本当に見ていて飽きない。
私の言葉に鈴木さんはその整った顔を緩ませ、嬉しそうに頷いたのだった。
「……美味しいですが、やはり少し物足りないような」
「え?」
半分ほど食べた所で、鈴木さんは不意にそう呟いてキッチンへと向かった。そうして戻って来た彼の手には……サラダ油の容器が握られている。
嫌な予感しかしないと思っていると、彼は予想通り容器の蓋を開け、そして食べかけのカレーの上にどばどばと油を注ぎ始めた。
「……あの、鈴木さん!?」
一回し注ぐと満足したのか蓋を閉じ、そしてスプーンで全体をかき混ぜる。恐ろしいことになっているカレーを鈴木さんは何の躊躇いもなく口に運び、そして口の中でゆっくりと咀嚼した後飲み込んだ。
彼の反応が気になって、私もごくりと息を呑む。
「そうそう、これこれ。このくらいの方が私は好きです」
「ええ……?」
何とも美味しそうに――見た目は酷いが――そのまま食べ続ける彼に、私は思わず鈴木さんと油に混ざるカレーを交互に見つめてしまった。
そんな私の視線を勘違いした彼は「食べます?」と何とも恐ろしいことを言い出すものだから、私は渾身の勢いで首を横に振ったのだった。
……確かに見ていて飽きない人なのだが、同じくらい疲れる人でもあるな。




