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番外:太郎さんとたろう君

本編終了後、宇宙にて

 吸い込まれそう、と思った。



 今私がいるのは、信じられないが宇宙だ。地球から機械人の住む惑星に向かう道中の三日間、私は宇宙船の中でぼう、と窓から真っ暗な宇宙を眺めていた。


 宇宙とはいえ船内はどういう仕組みか重力が働いているようで無重力のようなおかしな感覚はなく、普段と同じように過ごせている。




 宇宙は怖い。見ているだけでなんだか不安な気持ちになってくるし、もしここから放り出されたらなんて想像もしたくない。しかし一度目に入るとふと我に返るまでずっと食い入るように真っ暗な空間を眺めてしまっていた。



 私は窓から体を離すと傍にあるベッドへと身を沈める。宇宙船の中はまるでホテルのような設備が付いており、ルームサービスは勿論、屋内公園やプールもあるらしい。

 しかし宇宙船に乗り込んでから二日目になっても、私は殆ど泊まっているこの一室から出ていなかった。一日目である昨日は鈴木さん――太郎さんに案内されて全体を一周したものの、今彼はここにはいない。昨日一緒に船内を歩いている時に知り合いと遭遇したようで、その人に会いに行っているのだ。彼らが使う文字も言葉も全く分からない私は大人しく留守番を選んだ。


 言葉が分からないのは仕方がない。何せ地球で会った宇宙人は皆日本語が堪能だったから。しかし私が引き籠っている理由はそれだけではなかった。



 ある程度は時間ごとに照明が変化して時間の流れを演出しているものの、ずっと外は暗いので時間の感覚が曖昧になって変な気分なのだ。時差ボケというやつだろう……海外には行ったことがなかったので多分だが。


 どうにも眠いのだが何となく眠れない。このまま目を閉じて意識が落ちるのをひたすら待とうかと思ったが、そういえばと思い出し私は体を起こして部屋に隅に置いていた鞄を開けた。

 ごそごそと中を漁り、そして手がふわりとしたそれに触れたのが分かると私はそのまま引っ張り出す。



「……ちょっと歪んじゃった」



 手に掴んだのはテオさんから貰った黒いクマのぬいぐるみ――たろう君だった。黒い見た目だとか、あまりデフォルメされていないのに妙に愛嬌のある顔だとか、なんとなく彼に似ていると思って名付けてしまったのだが、今冷静に考えると滅茶苦茶恥ずかしいことをしたと思う。

 それでも太郎さんが居なかった二年間、特に最初に一年は寂しい時についつい代わりに話しかけてしまったり、子供でもないのに抱き枕にしてしまっていたりしていた。


 他に貰ったぬいぐるみはかさばるので持って行かずに送別会の時に友人に配ってしまったのだが、この子だけは手放すことは出来なかった。例えもう本人は目の前にいたとしても。




 私はたろう君を持って再びベッドに横たわる。眠れない日は決まってこの子を抱き枕にした。なんとなく何かを持っているだけで気が休まるようで、いつも然程時間を掛けずに眠りに落ちることが出来るのだ。


 そして今日も、まるで自宅で眠るような安心感が生まれ、気が付かないうちに意識は沈み込んでいた。


















「……ん」



 どのくらい眠っていただろうか。目を擦り腕時計を見るが、先ほどから三十分も経っていなかった。



「深雪さん、起きたんですか」

「……あ、お帰りなさい。太郎さん」



 上半身を起こして暫く大人しくしていると、太郎さんがマグカップを持ってこちらにやって来るのが視界の端に映った。

 彼は眠いのか機嫌が悪いのか、どことなく普段よりも少しだけぴりぴりした空気を纏いながら私の眠っていたベッドの端に腰掛けた。もう姿を偽る必要がない為、今の太郎さんは黒い鋼鉄の姿だ。ますますぬいぐるみに似てくる。



「気持ちよさそうに寝ていましたね」

「太郎さんは眠くないんですか?」

「そうですね、宇宙船に乗るといつもよりも眠たくなります。……深雪さん、それ、わざわざ手荷物の中に入れて来たんですか」

「え、はい。持ってると落ち着くので」



 太郎さんはぬいぐるみをちらりと一瞥する。部屋にぬいぐるみが大量に置いてあったのは彼も勿論見ているし、その理由も知っている。特にこの子は名前を付けてしまう(しかも好きな人の)ほどのお気に入りだったので太郎さんも良く見ているはずである。


 彼の視線にやはりこんな年になってぬいぐるみを持って来るのは恥ずかしいことだっただろうかと羞恥で俯いた。




「……深雪さんは、やっぱりテオ君と仲が良いですよね」

「え?」

「私が紹介したのにいつの間にか二人でよく会っているし、メールもテオ君の方がずっと多かった」

「……えーと」



 突然拗ねた様子でそんなことを言い始めた太郎さんを私はぽかんと間抜け面で眺めてしまった。確かにテオさんとはよく会っていたが、それはぬいぐるみを引き取る代わりに太郎さんの話をしてもらっていただけである。私にしてみれば得しかなかった取引だ。



「それに、太郎さんは隣に住んでたんですからメールよりも直接会った方が早いに決まってるじゃないですか」

「確かにテオ君の方が私よりもずっとしっかりしていますし、使ってるオイルにも拘っていますけど……」



 聞いてない。食べ物が絡んだ時とか、彼は時々考えることに夢中になって話を聞かないことがある。

 というかしっかりしている云々はともかく、オイルなんて言われてもまだ人間の私に分かるはずがないのだが。



 ……太郎さん、妬いてくれてるんだろうか。だろうかというか、そうなのだろう。

 勿論言うまでもなく、テオさんと私には何もない。あっても友情だ。




「太郎さん、ちゃんと聞いてください」

「……なんですか」

「このクマのぬいぐるみ、私のお気に入りなんです」

「知ってます」

「その、たろう君って、名前なんです」

「……」


「ちょ、ちょっと太郎さんに似ていたのでつい! だから何か手放せなくて!」



 彼の無言に耐えられなくなって思わず咄嗟に言葉が出る。弁解したいのか、自ら羞恥の底に叩き落したいのか分からないが、ものすごい恥ずかしいことを言ったのは確かだ。


 とにかく私が言いたいのは、このぬいぐるみはテオさんに貰ったからという理由で持ってきているのではないということだ。それが伝わったのならばいいのだが、どうだろうかと息を呑んで太郎さんの様子を窺った。




 彼は私とぬいぐるみを交互に何度か見つめた後に、持っていたマグカップを呷り一気に飲み干した。そしてサイドテーブルにそれを置くと、空いた両手で顔全体を覆う。


 まだ機械人ではない私は彼から何も読み取ることは出来ない。まして人間の皮を被っている時よりも表情の変化が分かり辛いので、余計に彼が今何を思っているのか分からなかった。




「……はあ」

「あの、太郎さん」

「自分自身に、本当に呆れます。……別に疑っていた訳ではないんです。二人が話しているのを見ればそこに恋愛感情がないのははっきり分かりますし。けど、それとこれとは別というか」



 両手を放しようやく見えた鉄の顔は、何だか先ほどの私と同じく酷く恥じているような表情だった。




「私は友人にも、まして無機物にすら嫉妬してしまう狭量な男です。正直言って、深雪さんに相応しい男とは到底言えません」

「何を言って」

「しかし」



 真正面から嫉妬したなんて言われ、何だかむず痒い気持ちになる。嬉しいような、そしてちょっと申し訳ないような。何れにしても太郎さんの言葉に心拍数が上がってしまっているのは確かだ。


 自分を否定するような彼の言葉を止めようと口を出すが、しかし彼の言葉はまだ続いていた。太郎さんは私とまっすぐ向き合うように体をずらすと、ぬいぐるみを持っていた私の手に触れると、まるで手錠をするかのように両手首をそれぞれの手で掴み、目を合わせた。




「そんな男に捕まってしまったのは深雪さんです。すみませんがもう逃がしません。諦めて下さい」

「太郎さん……」



 自嘲気味にほほ笑んだのを至近距離で見た私は、慌てることすら出来ずに思考を停止させた。


 ……やばい。

 何がやばいって、多分今、私顔真っ赤だ。熱くて堪らない。


 彼の言葉は真っ直ぐなことが多いが、いざこうしてはっきり言葉にされると、どうしても駄目だ。想われているんだということが嫌でも伝わって来て、まともに頭が回らない。


 逃がさないなんて、逃げるつもりなんてあるはずがないのに。




「……今更、何を言っているんですか。例え太郎さんが私のことを手放したくなっても、もう一度手にしたくなるまで諦めませんよ」

「私が、深雪さんを手放すことはありません。……覚悟しておいて下さい」

「望むところです」



 はっきりとした彼の言葉に負けないように胸を張って堂々とそう告げると、彼はようやくふわりといつもの雰囲気で柔らかく微笑んだ。よかった、やっぱりいつもの太郎さんが一番だ。


 そう思って私も釣られるように笑っていると、不意に掴まれていた手が解放され、その代わりに持っていたたろう君がすっと奪われた。




「え?」

「とりあえず、こっちはお預けです。……本物が目の前にいるんですから、今は必要ないでしょう」

「わっ」



 太郎さんはぬいぐるみをマグカップの隣に置くと、そのまま私を抱きこむようにして倒れ込んだ。


 突然のことに慌てていた私も、眠りに入る穏やかな息を聞いてそっと抱き返す。





「深雪さん、おやすみなさい」

「……はい、おやすみなさい」





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