隣人と私の未来
それからの日々は、思っていたよりも呆気なく過ぎて行った。
春休みが終わると茜に鈴木さんのことを問い詰められ、機械人の下りを除いて説明すると「あんなとぼけた顔してプロポーズしていくとは、なかなかやるわね」と感心して舌を巻いていた。
一か月が過ぎた所で鈴木さんから手紙が届いた。向こうに戻ってからの話や、地球の料理が恋しいから着払いでいいので仕送りしてほしいだなんて、鈴木さんらしいなあ、と微笑ましくなる内容であった。
勿論それだけではなく、私を心配する内容だったり……その、結構恥ずかしい文章が色々と書いてあったのだが、少し読むだけでこちらが赤面してしまって中々読み終えることが出来なかった。
日持ちする物を選んで仕送りをするついでに私も――つい、わざわざ綺麗な柄の便箋を購入して――鈴木さんに手紙を送った。
内容は大学のことだったり、彼の後に隣に引っ越してきた人の話だったりと様々だ。とはいっても、新しい隣人は鈴木さんのように親しく交流している訳ではなく、軽く挨拶する程度だが。
それと私は最後に悩みに悩んで、そして悶えながら一言“愛してます”と書き殴った。その一文だけやたらと字が雑になってしまったが、直す気力もなかった。
手紙は地球のとある住所を指定して送ると、そこから向こうまで届けてくれるらしい。鈴木さんの手紙に書かれていた住所を写し、そしてべたべたと大量の切手を貼って完成だ。
手紙、やっぱり書き直そうかなと何度か思ったものの、結局勢いでそのまま送ってしまった。
そんな風に手紙のやり取りを続け、大学にバイトにと忙しく過ごしていれば、12月などびっくりするほどあっという間だ。
一か月前に届いた手紙には『約束通り、誕生日にそちらに行きますから』と念を押すように書かれており、私は少し安堵しながらもこちらも約束を果たすべく、久しぶりに1人分以上の食事を作った。
こんなにクリスマスが待ち遠しいなんて、あの事件から初めてのことだった。
「深雪さん、お久しぶりです」
「鈴木さん!」
久しぶりに会うというのに、私はどたどたとはしたない音を立てて玄関まで慌てて向かう。彼の前まで来た所で随分体が冷たい鈴木さんにいきなり抱きしめられたのは大いに驚いた。
「外、寒かったんですね」
「ええ、雪は降ってないみたいですが」
「雪……」
勿論忘れていた訳ではない。それでも鈴木さんが来ることに浮かれて、随分奥底にしまっていた記憶が少し顔を出した。
私が考えていることが分かったのか、鈴木さんは体を離して静かに頭を撫でる。
「言ったでしょう、今日だけは絶対に一人にはしません。それに、久しぶりの深雪さんの料理、すごく楽しみにしていたんです」
「……私だって鈴木さんに会うの、ずっと楽しみでした」
「さ、深雪さんの誕生日を祝いましょう。プレゼントもありますから」
「……はい!」
暗い顔は駄目だ、だって今日は特別な日なんだから。鈴木さんに促されるようにして、私は彼を部屋まで連れて行った。
「はい、深雪さん。私からのプレゼントです!」
「これは……?」
「惑星間で使える携帯電話です。手紙だと時間が掛かりますし、声も聞けませんから。申請に時間が掛かって今まで渡せなくてすみません」
「携帯……」
「ただ、流石に買うにはちょっと高いものでして、私が留学していた時も借り物でしたし。だからレンタルになってしまったんです。必要が無くなった時に、渡して下さい」
必要が無くなった時というのはつまり、鈴木さんと私が地球と向こうで会話しなくてもいい状態になれば、ということだ。
鈴木さんへの気持ちが無くなった時か、あるいは……離れて暮らさなくても良くなった時か。
私は渡されたごつい携帯を、両腕で守るように抱きしめた。
「……暫く、少なくとも一年以上は返しませんから」
「嬉しいです」
特に何も考えることなくそんな言葉が出てきたということは、私の覚悟は既にこの時に決まっていたのかもしれない。
四年になってからは、本当に怒涛の日々だった。卒論の為の資料集めや、更にバイトを増やして多忙を極めた。向こうに行くのには相当なお金が掛かるだろうし、それこそ……手術代が安く済むはずがない。
鈴木さんからお母さんの連絡先を教えて貰って沢山相談に乗ってもらうことが出来たのは幸運だった。経験者の言葉はとても参考になったし、私が向こうの暮らしを不安に思っていれば、安心させるように多くの話を聞かせてくれた。
……鈴木さんとの進展具合を探られたり、お父さんとの惚気話をされる割合もかなり多かったが。
この時初めて知ったのだが、鈴木というのは元々お母さんの旧姓で向こうではそう名乗っていないのだという。
「深雪ちゃんは絶対にうちの子になってくれると思ったのよねー」
「どうしてですか?」
「昔の私そっくりで、太郎のこと――あ、私の場合お父さんね、大好きだってすぐに分かったもの。生命探知って便利よね」
「お母さんもばればれだったんですか」
「ずるいわよね。こっちの気持ち分かっててはぐらかすんだもの。でもそんな所も……」
惚気が止まらない。途中で鈴木さんがお母さんの携帯を取り上げてくれなければどれだけ話していたのか分からない。
「すみません、本当にあの夫婦はどうしようもないんで」
「いえいえ、いつもお母さんにはお世話になってますから」
「……おかげで私が深雪さんと話す時間が削られているのですが」
少し拗ねたように言う鈴木さんが可笑しくて、そして嬉しい。
「今年も、行きますから」
「はい、待ってます」
また後少しでクリスマスがやって来る。
去年と同じように鈴木さんを迎え、いつも電話で話しているのに話題は尽きずに楽しい時間が進んでいく。
ケーキを食べ終わった所で、私はフォークを置いて深呼吸してから鈴木さんを見つめた。
「鈴木さん、話があるんです」
「聞きません」
即効で否定の言葉が被さり、私は思わず固まった。
「……前は先を越されてしまいましたから、私の話を先に聞いて下さいね」
そう言うやいなや、鈴木さんは鞄から小さな箱を取り出し、それをテーブルの中央に置いた。
「これは」
「開けなくても分かると思いますが、開けて下さい」
恐る恐る、少し震える手で小さな箱を手に取る。開けなくても分かるなんて、そんなことを言われれば余計にそうなんじゃないかと期待が膨らんでしまう。
「深雪さん、心拍数がすごいことになってますが」
「うるさいです」
そりゃあ心臓だって早くなるに決まってる。意地悪くそんなことを言う彼を軽く睨んで箱を開けると、そこには想像通り、シルバーの指輪が輝いていた。
想像通りだったと言っても衝撃が無いわけではない。鈴木さんは茫然と指輪に見入っていた私からひょい、と指輪を取り上げると両手で左手を掴んだ。
「改めて、もう一度言います。嫌だったら、はっきりと断って下さい」
「……」
「嫌じゃないって、思っていいんですね?」
恥ずかしくなってこくりと頷くだけに留めた私に彼は目を細めて、薬指に指輪を嵌めた。
「結婚して下さい。機械人になって、向こうの惑星で一緒に暮らして欲しい」
「……はい、喜んで」
本当に、嬉しい。
放された手を戻して間近で指輪をかざして見ていると、鈴木さんは胸に手を置いて「良かった」と小さくため息を吐いていた。
「鈴木さんでも緊張していたんですか?」
「そりゃあ勿論、万が一断られたらなんて何度も思いましたよ」
「私が今機械人だったら、鈴木さんがどれだけ緊張していたか良く分かったのに」
くすくす、と思わず笑みが零れる。別の生き物になるなんて、不安で堪らない時もあったのに、今は何だか楽しみで仕方がない。
「……鈴木さん、私今日両親に報告して来たんですよ」
「ご両親に?」
「はい」
こんなに清々しい気持ちでお墓参りに行ったのは初めてだった。綺麗に掃除をして、花を添えて、そして話をしてきた。
「生んでくれてありがとうって。守ってくれて、ありがとうって……初めて言えました」
「深雪さん……」
「お父さんとお母さんのおかげで、私は幸せになることが出来たんだよって、伝えました。……勿論、鈴木さんのことも話しました。ちょっと変わってて、人間でもないけど大好きな人なんだって。二人に貰った体は少し変わっちゃうけど許してって、謝りました」
「……すみません」
私が人間でないばかりに、と鈴木さんが謝るのを慌てて顔を上げさせる。
「ごめんなさい、鈴木さんにそう思わせたかった訳じゃないんです。前に言いましたけど、私は機械人の鈴木さんが好きなんですから。ただ、両親には全部伝えておきたかったんです。鈴木さんのおかげで、私は救われたから」
私を暗闇の中から掬い上げてくれた鈴木さんのことを、どうしても二人に言いたかった。
「鈴木さん、今度は先を越されちゃいましたけど言います。――好きです。私を、機械人にして下さい」
「――喜んで」
鈴木さんは今までに見た中で一番優しい笑顔で、私を抱きしめた。
残りの三か月なんてあって無いようなものだ。
大慌てで荷物を纏めて身辺整理を終えれば、次は友人達に送別会と称してあちこちに連れ回された。
「イケメンと結婚して海外暮らしとか、滅茶苦茶羨ましい!」
「深雪め、この野郎幸せになれ!」
「鈴木さんと仲良くやりなよー」
酒が入った友人達にばんばんと背中を叩かれて咳き込む。苦しいからか、別れが寂しくなったからか、私は少しだけ泣いた。
「深雪」
「茜」
少し離れた所で高みの見物をしていた茜の元へふらふらと逃げてくると、彼女は優雅にカクテルを飲みながら少し寂しげに笑って、友人の誰よりも強く私の背中を叩いた。
「痛あっ」
「幸せになりなよ……元気でね」
「……うん。茜もね」
「当然。心配されなくても、あんたよりもずっと幸せになるわよ」
見てなさいよ、と彼女は自信満々に胸を張った。
「深雪さん、お待たせしました」
「鈴木さん」
とうとう、この日が来た。
アパートまで迎えに来てくれた鈴木さんは、いつものふわふわした雰囲気もあるが、どこかきりっとしていて、普段との彼のギャップに思わず笑ってしまった。
「……深雪さん」
「すみません……なんかいつもよりも頑張ってるなって」
「念願叶ってようやく深雪さんを迎えに来れたんですから、張り切るに決まってるじゃないですか」
「ありがとうございます」
軽口を叩きながら、私はアパートを見上げる。何しろ六年ほど暮らしていたのだ、名残惜しくもなる。ましてやここで、鈴木さんと出会ったのだから。
「深雪さん?」
「何でもないです」
彼が私の隣人で本当によかった。
「太郎さん、行きましょう」
私が腕を取って先に進み始めると彼は少し驚いたように目を瞬かせ、そして「はい、深雪さん」と私の隣に並んで微笑んだ。
隣人は機械人でした。
そしてこれから先、彼の隣を歩いて行く私も――