約束と別離
「鈴木さんの優しい雰囲気が好きです。いざって時に頼りになる強さが好きです。ちょっとおとぼけで天然な所も好きです。私に手を差し伸べてくれたあなたが――機械人である、鈴木さんが好きです」
静まり返った部屋の中に染み入るように、私の言葉は余韻を残すようにして消えた。
依然彼から目を逸らさず食い入るように見つめていると、何秒か後まで沈黙していた鈴木さんは私から視線を外してそして繋がっていた手を解いて立ち上がった。
「……悔しいですね」
「え?」
ふわり、と中は鉄で出来ているなんて想像もつかないように、優しく抱きしめられた。
「先を越された上そんなに情熱的なことを言われたら、男として立つ瀬がありませんよ」
鈴木さんを見上げようとして、しかし頭に手を置かれていて出来なかった。
「深雪さん」
「はい」
「私で、本当にいいんですか」
ゆっくりと体が離れると、そこには赤くなった顔を隠すように額に手を置く鈴木さんがいた。
「当たり前です」
「私は人間ではありませんし、深雪さんが思っているよりずっと卑怯な男ですよ。両親でも何でも使えるものは使って、あなたを囲い込もうとしていたんですから」
「え、それって」
「クリスマスに落ち込んでいる深雪さんを見て、母に連絡したんです。『好きになった女性が、家族がいないと泣いているから協力してほしい』と。……それでも、こんな男でもいいんですか」
鈴木さんがそんなことを言っていたなんてと驚くが、しかし私はそれよりも“好きになった女性”と言われたことに気を取られて、思わず顔が熱くなった。
「鈴木さんが、いいんです」
鈴木さんだから好きになったのだ。仮に他の人だったら、きっと人間じゃないと知った時点で絶対に好きにはならなかっただろう。
そう言うと、彼は今日初めて微笑んだ。
「深雪さん、好きです。私を受け入れてくれたのがあなたで良かった」
「鈴木さん……」
「たとえこれから離れようとも、この気持ちは絶対に変わりません」
「……いや」
そんな寂しそうな笑顔、見たくない。
「深雪さん」
「嫌、絶対に、嫌! 会えなくなるなんて、耐えられません……」
一度放していた体を再度抱きしめる。どこにも行って欲しくなくて、強く強く腕に力を込めた。
面倒だとか、鬱陶しいとか、そう思われても絶対に放したくなかった。
「……深雪さん」
「どうしても駄目なんですか、何にも方法は無いんですか」
「……留学の規定は一年です。旅行に来ることは不可能ではありませんが、それでも頻繁に行き来出来る訳ではありません。……しかし」
鈴木さんはやんわりとした手付きで私の腕を外すと、何かを言おうとして、しかし言いよどむように何度も口を閉じた。
「一つだけ、一緒に居られる方法があります。ですが、それは……」
「……あるんですか、本当に」
本当に?
絶望の中に希望が入り混じって、けれどそれを信じていいのか不安で心が揺れる。
それでも、本当に方法があるとしたら。
「教えて下さい! どんなことでも、鈴木さんと一種に居られるなら、私は――」
「……」
「鈴木さん!」
「……分かり、ました」
鈴木さんは一度私から少し距離を取るように姿勢を戻すと、大きく深呼吸をする。
膝に置かれた手に強く力が込められているのが良く分かった。
「深雪、さん」
「はい」
「私と――」
「私と、結婚して下さい。そして、同じ……機械人になってほしい」
「え?」
機械人に、なる?
「この惑星で共に居られないのなら、向こうで一緒になるしか方法はありません。しかし私の惑星は生身の人間には厳しい環境なんです。そして私達の種族の全体数は決して多くない。だから余所の種族を迎えて、無事に暮らせるように同じような体に手術する例も決して少なくない」
「手術って……」
「まったく同じという訳ではありませんが、基本的に機械人そのものになると考えてもらって構いません。遺伝子も変質しますし……元の姿には戻れません」
暫く何も考えられなかった。
鈴木さんと一緒に居られるのなら、どんなことでもと思った。向こうの惑星に着いていくことだって全く考えなかった訳ではない。しかし当然、自分も機械人になるなんてことは想像しているはずがない。
私の沈黙をどう受け取ったのか、鈴木さんは小さく苦笑する。
「何度か、言おうと思いました。でも機械人になるということは、今までの自分を捨てなければならない。だからこそそんなこと軽々しく言えなくて。……母はそれを選びましたけど、深雪さんにまでそれを強制することは出来ませんでした」
「お母さんがって、どういう」
「母は深雪さんと同じ、元日本人です。仕事でこちらに来ていた父と出会って、そして……機械人になることを選択しました」
「え……」
鈴木さんのお母さんが元日本人って。色々信じられないことが多すぎて頭の処理が追いつかない。
それでも、言われてみれば確かに彼のお母さんは日本に詳しかった。来たことがあるのかとは思っていたが、おせちの名前を知っていたり福袋を欲しがったり……テオさんが鈴木さんの味覚は母親に似たと言っていたのは、そう言うことだったのだ。
鈴木さんのお母さんはとても楽しそうで幸せそうだった。だけど、仮に機械人になって、私もあの人と同じように果たして笑うことが出来るだろうか。
人間ではなくなる。唐突にそんなことを言われてもいまいち実感が湧かないが、どんな風に想像してもきっと実際になった時の衝撃は分からないだろう。
「今すぐ決めろなんて言いません。私もまだ学生ですし、深雪さんを養う甲斐性もないですから」
そういえば機械人になるということばかり考えていたが、プロポーズされていたんだと今更になってようやく思い出した。
鈴木さんは照れた様子で私の両手を握ると、さりげない仕草で左手の薬指をさらりと撫でる。
「……二年、待って下さい。もし二年経ってもまだ私のことを想っていて、機械人になる覚悟が出来ていたら、必ず迎えに行きます」
「鈴木さん……」
「クリスマスには絶対に会いに行きます。一人にはしません。……もし気持ちが変わったり、機械人になる気はないと決めたらはっきりと教えて下さい。はっきりと言葉にされないと、私はきっとあなたを諦めることなんて出来ない」
……いや、告げられてもきっと引き摺ってしまうと思いますが。
鈴木さんはそこまで言って、私から目を逸らして俯いた。私の言葉を待っているのだろう、
どんな言葉を言えばいいのか、なんて考える必要もない。
機械人になる、そんなことは到底今すぐに決断できる問題ではない。だから、今出せる結論はひとつだ。
「鈴木さん」
「はい」
「私、待っててもいいですか。次のクリスマスに鈴木さんが来てくれるって、信じてもいいんですか」
「……必ず、深雪さんの元に行きます。信じて下さい」
「……信じます」
今は、クリスマスに会いに来てくれるという彼の言葉を信じるだけだ。
12月まで、果てしなく遠い。それでも一生会えない訳じゃない。
最後ではないけど、しばらく会えなくなるのだからと、私は自分なりに最高の笑顔を浮かべた……泣き笑いだったけど。
「鈴木さんの大好きなもの、いっぱい用意して待ってますから、楽しみにしていて下さい」
聞き分けが良いのは言葉だけで、目からは絶えず涙が溢れ手は鈴木さんの服を握りしめて放さない。
「待って、ますから」
「深雪さん……」
私はその日、そのまま鈴木さんの服を掴んだまま泣き疲れて眠ってしまった。
鈴木さんは、次の日の朝早くにアパートを出て行った。泣きまくって頭は痛かったし、目は張れてすごい顔だったのだが、不思議と気持ちはすっきりとしていた。
手紙を送ります、と言われたからかもしれない。文通なんて随分と古風だけど、繋がりが途切れないだけで私は十分幸せだった。
「それでは……深雪さん、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
互いに酷く穏やかに言葉を交わし、隣人は遥か遠くの惑星へと向かって旅立って行った。