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親友と最後の日

 後一か月もすれば大学も三年に上がる。後期の授業はとっくに終了しており、長い長い春休みが続いている。


 気が付けば三月になってしまっていた。



 鈴木さんはいつ帰ってしまうんだろうか。怖くて聞くことが出来なくて、具体的にあとどれくらいの猶予があるのか分かっていない。


 無意識にため息が癖になってしまっていたある日、私はバイト先である喫茶店に呼び出されていた。




「急にどうしたの?」

「……ちょっと気になって、ね」



 私の正面に座るのは茜だ。春休みになってもちょくちょく遊んでいたのだが、どこかに出かける訳でもなくこうして喫茶店に呼び出されることなんて珍しい。


 何とも神妙な顔をしている彼女は曖昧に言葉を返し、そして店長自慢のコーヒーを一口飲む。今は他に客が居ないので店内は静かなジャズのBGMだけが音を響かせていた。




「深雪、あんた鈴木さんとはどうなの」

「どうなの、って言われても」



 突然飛び出した鈴木さんの話題に、私は自然と姿勢を正して息を詰めた。



「元気が無いの、あの人の所為なんでしょ」

「どうして……」

「最近の深雪が一喜一憂するのなんて、いつも鈴木さんのことばっかりじゃないの」



 茜は鈴木さんのことを知っているので、確かについつい話してしまうことが多かったかもしれない。



「ちゃんと付き合ってんの? 喧嘩でもした?」

「付き合っては……ない」

「はあ?」

「はあ? って言われても、私と鈴木さんは付き合ってないの」

「……あれで?」



 茜は信じられないと目を見開いて「あんたの話聞く限り、どう考えても両思いじゃないの!」と声を上げた。店長がちらりとこちらを見るのが視界の端に映る。



 その、憎からず想われているというは、多分自意識過剰ではないと思う。成人式の時にしろ、バレンタインにしろ。そして私の気持ちも、鈴木さんには十中八九知られている。


 それでも互いに言葉にしないのはきっと、この関係がもうすぐ終わるのを理解しているから。せめて、綺麗にお別れを言えるように。




「何でさっさと付き合わないのよ?」

「鈴木さん、もう帰っちゃうから」

「帰る?」

「……故郷に。元々一年の留学だったの。だから、今から言ったって無駄だよ」

「そういえば元は外国に居たって言ってたっけ」



 本当に外国だったらまだ希望が持てた。いや、実際にそうだったら今と同じくらい落ち込んでいるかもしれないが、宇宙規模の現実を知ってしまえば同じ地球のどこかなんて可愛く思えてしまうものだ。

 どのみち、私と鈴木さんで種族すら異なる。だから結ばれるなんて到底不可能な話なのだ。



「……」



 また一つため息が出てしまったのを、茜が苛立たしげに指をテーブルにとんとん叩き付ける。



「それで?」

「それでって……」

「鈴木さんが外国に帰るのを、あんたは何も言わずにただ見送るだけなのって聞いてんのよ」



 他に何が出来るというんだ。茜は知らないが気軽に行き来できるような場所でもないのに。私は茜のきつい視線から逃れたくて俯いた。



「だって、仕方がないことだから」

「ふうん。……つまり、深雪は大人しく待つことしかできない、可哀想な自分に酔っていたい訳」

「な、そんなこと――」

「彼とは結ばれることが出来ないの。悲劇で、運命で、しょうがないことなのって、あんたドラマの主人公にでもなったつもり? 馬鹿馬鹿しい」


「勝手なこと言わないで!」



 彼女のあんまりな言葉に、私は思わずテーブルを強く叩いて声を荒げた。確かに茜はいつも言いたい放題だが、ここまで酷いことを言われたのは初めてだった。


 何も知らない癖に、茜が思っているよりもずっと深刻なことなのに。

 そう言いかけた所で我に返った。茜が鈴木さんの正体を知らないのは当たり前で、それを責めるのはお門違いだ。だって、言えないのはこちらの事情なのだから。




 急に店内がやけに静まりかえり、気まずい空気が流れる。私は彼女の顔を見るのが怖くて下を向いて固く目を閉じた。



「茜には、関係ないでしょ……」



 絞り出すように言った言葉に、返ってきたのは重苦しいため息だった。





「……私だって、いつもはここまで他人の恋愛事情に口出しなんてしないわよ。勝手にやってろって感じだし。……でも深雪、あんた鈴木さんのおかげで救われたんじゃないの」

「え?」

「年末に会った時、あんたいつもよりずっと元気だった。毎年あの頃はまだずっと暗くて塞ぎ込んでたのに、今回だけは違った。それは、あの人が居たから」


 そうじゃないの、と殆ど確信めいた強い言葉で問いかけられ、私は息を呑んだ。まさか、そんな所を見抜かれているなんて思いもしなかったのだ。

 私が想像するよりもずっと茜は私のことをよく見ていたのかもしれない。



「私には、どうすることも出来なかった」

「茜……」

「深雪が苦しんでるのは知ってた。心配もしてたけど、それ以上何を言えばいいのか分からなかった。余計に傷付けるかもって、踏み込めなかった」



 私だって、何を言われたかったかなんて分からなかった。きっと、何を言われても拒絶していたと思う。事実鈴木さんにだって放っておいて、嫌いだ、と突き放すような言葉を叫んだのだ。

 ただ、彼がそれで引き下がらなかっただけのことで。




「鈴木さんのおかげ、なんでしょ」

「……うん、そう」

「そんな人、手放すの? あんた今後、鈴木さんを諦めたこと絶対に後悔するよ、断言する」

「でも」

「でもじゃない。好きな男だったら、どんな手を使ってでも手に入れるくらいの気がないと駄目よ! 例え相手に彼女が居ようと奥さんが居ようと、外国に行こうと月に行こうと、本気だったらしがみ付いてでも手に入れなさいよ!」



 ふん、と鼻を鳴らしそこまで堂々と言い切った茜に、私は暫し二の句が継げなかった。再び店内に静寂が戻るのを聞きながら、頭の中で彼女の言葉を反響させる。


 どんな手を使ってでも、しがみ付いてでも……。




「それが、私とは違う人種でも?」


 あ、言っちゃった。



「鈴木さんってハーフか何かだったの? そんなの何の障害にもならないわよ」



 いえ、機械人です。茜が勘違いしてくれてよかった。


 彼女の言葉は一理ある。しかしそうは上手くいく話ではないのだ。

 ……だけど、無理だとしても、それとすぐに諦めることは別問題、か。



 結局私は、好きになるだけ好きになって、何の努力もしてこなかったわけだ。女を磨く訳でもなく、繋ぎ止める努力もせず。離れるからしょうがない、種族が違うからしょうがない、言い訳ばかりだ。


 もし彼が人間だったら、なんてそんなことを考えるのは見当違いも甚だしい。だって私は、機械人の彼を好きになってしまったのだから。




「今からでも、間に合うかな」

「考えている暇があるんなら行動しなさい!」



 もう、言い訳も御託も止めだ。どんな結果になろうと、どんなに惨めになろうと食い下がればいい。



「大丈夫よ、あんたには恋愛の師匠が付いてるんだからね」

「はい、師匠」



 胸を張ってそう言った茜の様子が何だかおかしくて、私は気が付いたら声を立てて笑っていた。


















 茜の言葉に背中を押され、私は帰路を急いでいた。

 あの後、散々騒いでしまったので店長に謝ると、彼は快く許してくれただけでなく「頑張って」と激励してくれた。茜との会話が嫌でも聞こえていただろうから、ちょっと恥ずかしかった。


 アパートに着いた頃にはちょうど日が暮れてしまい、辺りは急に暗くなった。一度荷物を置いたらすぐに鈴木さんの部屋へ行こうと鞄から鍵を探しながら進んでいたのだが、玄関の扉まで後数歩、という所で私の歩みは止まった。



「鈴木さん……」



 扉の目の前には、今まさにインターホンを押そうとしている彼がいたのだ。



「深雪さん、お帰りなさい。ちょうど良かった」



 普段の彼ならばここで気の抜けた笑顔を見せてくれる所だが、今日の鈴木さんは酷く真面目な表情で帰ってきた私を迎えた。


 嫌な予感がした。



「上がってもいいですか……大事な、話があるんです」

「……どうぞ」




 連なって部屋へ入ると、一言も会話せずにローテーブルを挟んで互いに向き合う。二人の間には言葉では言い表せないような薄暗い空気が流れていた。


 ごくり、と息を呑んだ所で俯いていた鈴木さんが顔を上げ、釣られるようにして私も彼を見つめる。




「深雪さん」

「はい」

「明日、向こうの惑星へ戻ります。中々言えなくて、すみません」

「明日……」



 あした。

 大事な話があると聞いた時から予想はしていた。それでも彼の口から実際にその言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。



「そう、なんですか」

「はい。……今まで本当にお世話になりました」



 嫌だ、こんな風にただの隣人として別れるなんて、耐えられない。



「深雪さん、聞いてほしいことがあります」



 暫し沈黙していた鈴木さんは、不意にテーブルに乗っていた私の手を掴んだ。




「私は、あなたが――」

「待って!」



 彼の言葉が言い終わらないうちに、私は咄嗟に声を上げた。



「言わないで」

「しかし」

「お願いです。……私の話、先に聞いて下さい」



 覚悟は決めたはずだった。それなのにばくばくと、まるで破裂してしまいそうなほど心臓の音が煩い。鈴木さんにも気付かれているだろう。それで、いい。


 掴まれていた手を解き、私は逆に鈴木さんの手を掴み返した。



「好きです」



 彼を射抜くほど強く見つめ、震える手を誤魔化す為に握った手に力を込めた。




「鈴木さんが、好きなんです」






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