本音と優しい人
「それじゃあ、深雪さん。成人おめでとうございます」
「ありがとうございます」
乾杯、とグラスを合わせる。成人式が終わったその夜、私の部屋で鈴木さんと二人約束通り飲むことになった。
一緒に式に出た茜に今日の予定を話すと予想通りにやにやと笑われた。自分だって彼氏と一緒に過ごす癖に。
家に帰って着替え、セットでばりばりになっている髪を解いて風呂に入る。上がって少しのんびりと寛いでいた時、ちょうどタイミングよく鈴木さんがお酒と料理を持って訪ねてきた。
こたつに入って向き合いながら、最初の一口をごくりと飲み始めた鈴木さんを見る。こちらの方が気が楽だからと、今日は人間バージョンではなく素の姿である。
鈴木さんはもうすぐ帰ってしまう。
ここ数日、それを考えては茫然としたり、泣きそうになったりしていた。けれど今日は無理やりではない笑顔を作れていると思う。
せっかく鈴木さんがお祝いしてくれるのだ、沈んだ顔を見せたくない。一緒にいる時間が限られているのなら、せめて今はその時間を精一杯大切にしようと思ったのだ。
頭で、理屈でそう考えるのは簡単だ。感情は追いついて来ないけど、それでもそうやって自分を納得させた。鈴木さんに会う度に辛くなるくらいなら、それでいい。
「深雪さん、どうかしたんですか?」
乾杯の後、グラスに口を付けるでもなく考え事をしていた私に鈴木さんが声を掛けてくる。まさか考えていた内容を言える訳もなく、私は咄嗟に彼が持っているグラスを指さした。
「それ、美味しいのかなって」
「ああ、このお酒ですか。私達の国の物なので人間には強すぎると思いますよ」
「そ、そうですよね……」
私と鈴木さんが飲んでいるお酒は種類が違う。私のものは度数の低いカクテルだが、彼のは先日お父さんがお土産に持ってきた機械人が好んで飲むものだという。
そして私もようやくお酒を飲み始めた。ジュースみたいな味で、けれど喉を通った後体がぽかぽかと温かくなる。
「おでんも作って来たんです。お祝い料理という感じではないですけど、寒い日にはこれでしょう?」
鈴木さんが持ってきた料理はどれも見慣れたものばかりだ。そのどれもが美味しいと分かっているので私は喜んで箸を伸ばした。
「美味しいです!」
「良かった」
はふはふと大根を食べていると、鈴木さんの微笑ましげな視線を感じる。ちょっと勢いよく食べすぎただろうかと恥ずかしくなるが、彼の料理が美味しいのが悪いのだ。初めて料理をした時はレシピの一字一句に翻弄されていた鈴木さんだが、こんなにも料理上手になってしまった。
ご飯が美味しいとお酒も進んで、熱くなった顔を手で仰ぐ。前は一口飲んだだけで倒れてしまったが、今はややふわふわするものの意識ははっきりとしている。やはりあれは相当強いお酒だったらしい。
同じく鈴木さんも、飲み続けている所為か少し酔っているようだ。鋼鉄の顔は赤くなっていたとしても分からないが、いつも以上に表情が緩くて楽しそうである。
あらかた料理も食べ終えて二人でのんびりテレビを見ていると、「あ、そうだ」と鈴木さんが小さく呟いて立ち上がる。
「ちょっと隣に物取ってきます」
「その恰好ですけどいいんですか?」
「暗いし、服で殆ど隠れてるんで大丈夫でしょう」
そんな会話を交わして待っていると、然程時間も掛けずに鈴木さんは腕にゲーム機を抱えて戻って来た。
「ゲームするんですか?」
「テオ君が貸してくれたんです、一緒にやりましょう」
一緒に、とは言うもののコントローラーは一つだ。あまりゲームは得意ではないんですけど、と一言先に断っておくが、しかし鈴木さんはへらへらと口元を緩めて笑うだけだった。
「いやー! 無理無理無理!」
テオさん、何でこんなゲーム持ってきたんだ!
近所迷惑になるから声を抑えなければと思うがそこまで冷静になれない。
鈴木さんは悲鳴を上げる私の隣で淡々とコントローラーを操作して、画面に映る気持ちの悪いエイリアンを撃ち抜いている。
到底一緒にやることなど不可能で、私は鈴木さんの服を掴んでエイリアンが迫る度に悲鳴を上げることしかできない。怖いなら見なければいいのだが、正直音だけ聞いていた方が嫌な想像が駆け巡って余計に怖いのだ。鈴木さんの操作が上手いのでプレイヤーキャラが死なないのがまだ安心感を与えてくる。
「……鈴木さん、私がこういうの苦手だって言いましたよね」
「そうでしたか? 忘れてました」
絶対に嘘だ! 記憶力いい癖に!
しれっとそう言った鈴木さんは更に暗いステージへとキャラクターを進め、突然横の壁を壊して出てきたエイリアンの腕を容赦なく吹っ飛ばしている。
ひいっ、と血飛沫が飛ぶ画面を見ていられなくなって思わず鈴木さんに抱きつきそうになる。……が、寸前で堪えた。危ない危ない、そんな恥ずかしいことをしてしまいそうになるなんて、お酒というものは随分と私の自制心を奪っているようだ。
「鈴木さん、酔ってますよね?」
「そうかもしれませんね」
こんなに意地悪な人だったっけ。むしろ普段はこちらが驚くほど親切な人だ。怖がるのを分かっていて面白半分にこんなゲームを持ち出してくるような人ではないのに。
「あ、囲まれた」
「ぎゃああっ! さっさと倒してください!」
……気力を使い果たした。
切りのいい所まで進めてゲームは終わり、私はぐったりとこたつに入りながら仰向けになった。叫び過ぎて喉が痛い。明日苦情が来ないといいけど。
「深雪さん、お水入りますか?」
「お願いします……」
ゲーム機を片づけた鈴木さんが気遣わしげに私を見やり、勝手知ったるキッチンへと向かう。体力が尽き、時間も遅いのでうとうとしていると「持ってきましたよ」と上の方から声が掛かった。
「起きられますか」
「ありがとう、ございます」
そのまま沈みそうになっていた意識をどうにか引き上げて体を起こす。のろのろと水の入ったグラスを受け取るとそれを一気に飲み干し、テーブルへ置いた。
「……少しはしゃぎ過ぎましたよね、すみませんでした」
「いえ……」
「深雪さんと居ると楽しくて、お酒の所為もありますがつい調子に乗ってしまいました」
少し声のトーンを落として謝る鈴木さんに、私は小さくため息を吐いた。
そんなこと言われたら、怒れるはずもない。むしろじわじわと喜びが溢れて来て、単純なものだなと苦笑する。
再び寝転がった私の額をさらりと撫でた鈴木さんはグラスを持ってキッチンに戻る。
「式で疲れたでしょう。明日は休みですからゆっくりして下さいね」
「はい……」
「……眠そうですね、こたつで寝ると風邪引きますよ。運びましょうか」
「……」
彼の方は随分酔いが冷めたのだろう、先ほどとは打って変わっていつも通り、親切に接してくれている。私は未だに酔いから抜け出すことが出来ない。
彼の足音が近くなった。
「鈴木さんは、優しいですよね」
「深雪さん?」
いつも通りの優しい鈴木さん。自宅で潰れているのだから放っておいても構わないのに、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。
ほんの些細な出来事だった。いつもなら何でもなかった。けど酒で自制が緩んだ今、そんな優しさが、いとも容易く感情を乱すきっかけになる。
「どうしてそんなに優しくしてくれるんですか」
彼といる時間は楽しもうと、決して口に出さないでいた言葉が抑えが効かずに表に出てきてしまう。
「どうしてって」
「分かってます。鈴木さんが誰にでも優しいなんてこと」
彼の優しさは万人に向けられるもので、だから決して特別な意味なんてあるはずがなくて。クリスマスの時だって、私でなくても同じように傍に居てくれたんだって、そう思う。
「……鈴木さんの馬鹿」
「深雪さん……?」
「優しくしないで、期待させないでよ!」
どんどん感情は溢れ出して来て止まらない。彼が困惑しているのが分かっても、それでも自分を抑えられない。
「どうせ、私を置いて居なくなる癖に」
これ以上、好きにさせないで。
つう、と気が付けば涙が零れていた。乱暴に腕で拭い、これ以上流れないようにきつく目を閉じる。
彼が帰るのを止める権利なんてない。そう思っていたから決して言わないでいようと思っていたのに。こっちが勝手に鈴木さんに依存した癖に彼を責めるような恨みがましい言葉を言うなんて、最低だ。
だけどそれを言ってしまったのは私で、酔っていたからなんて言い訳も出来るはずもない。
「私は」
どれくらいの時間だろうか。しん、と静まり返っていた部屋に、ようやく一つの低い声が微かに響いた。
「私は、深雪さんが思っているような善人ではありませんよ。誰にでも優しく出来る程心が広い訳でも、博愛主義でもありません」
「そんな、こと」
「深雪さんが考えるよりもずっと自分勝手で、打算的だ。優しくするのはそうする理由がある、ただそれだけなんです」
無条件に私のことを受け入れてくれた深雪さんの方が、余程優しい人ですよ。
私はこんなにも我が儘な人間なのに、鈴木さんは何を言っているのだろう。
「私に優しくするのにも、理由があるんですか」
「……言葉にしなければ、分かりませんか?」
目を閉じていたからだろうか、意識がどんどん薄れていくのを感じる。その先の言葉を聞きたいのに、お酒で混濁した脳はあっという間に機能を停止していってしまう。
「あなたを置いて行くなんて、私だって――」
最後に残った僅かな意識が、唇に熱を感じた気がした。