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大嫌いとありがとう

 クリスマスなんて嫌いだ。


 クリスマスなんて、大嫌いだ。





 12月24日、クリスマスイブ。毎年訪れる最悪の日。

 特に今年は例年よりも気温が低く、私は一人家の中で膝を抱えながら震えていた。


 今日この日だけはどうやっても気持ちが浮上することはない。事情を知っている店長は忙しいはずのこの日を毎年休みにしてくれる。茜も『大丈夫?』とメールをくれながらも気を遣ってそれ以上は踏み込まないでいてくれている。



 只々時間がいつもよりも遥かに遅く感じる時間が過ぎ去るのを待つだけ。

 今年もそうなるだろうと思っていた矢先の午後7時、インターホンの音が鳴り響いた時から例年とは違う今日が始まった。



「片桐さん」

「鈴木さん……」

「どうしたんですか、元気がないですね」



 何で扉を開けてしまったのだろう。そのまま居留守を使っていれば彼も何か察してくれたかもしれないというのに。


 ろくに返事も返せない私に、鈴木さんは顔色を窺うように身を屈めて覗き込んで来る。




「今日、クリスマスイブでしょう? 片桐さん、今日バイトにも来ていなかったようなのでそこのケーキ買ってきたんです。一緒に食べませんか?」



 本当に、優しい人だ。だけれど今の私にはそんな彼の厚意に応えるような余裕など欠片もなくて、俯いたままそっとケーキの入った紙箱を押し戻した。



「……すみません、今日は」

「あ、それと今日、確か誕生日でしたよね。だったら尚更お祝いしないと」

「え……私、言いましたっけ」

「前に誠君と話しているのを聞きました」



 記憶力は良いんですよ、機械人ですからね。とにこにこしている鈴木さんを視界に入れながら、そんな話をしたかと一瞬頭を巡らせる……が、すぐにやめた。思い出しても無駄だ。彼がそういうのならそうなのだろう。



「イブが誕生日なんですね。あ、もしかして片桐さんの名前もそれで……」

「鈴木さん、すみません。今日は本当に、無理なんです」



 外から吹き付ける風が一気に冷たさを増す。鈴木さんに謝りながら、とにかく帰ってもらおうとドアノブを掴む手に力を込めた。



「片桐さん……?」



 訝しげに眉を顰めた彼を見ないように玄関のドアを閉めようとしたのだが、しかしそれよりも早く鈴木さんが何かに気が付いたかのように「あ」と短く声を上げる。




「雪が」

「ゆ、」



 雪が、降って来た。



「い、いや……!」



 目の前をちらついた白にもはや扉を閉めることも忘れて、私はすぐさま踵を返して部屋の中に逃げ込んだ。外の風の入って来ない温かい室内に入ってばくばくと煩い心臓を押さえていると、がたがたと音を立てて鈴木さんが部屋の中に入って来てしまっていた。


 彼は震える肩に手を置くと酷く心配そうに私を見下ろす。




「勝手に入ってすみません。しかし、本当に今日はどうしたんですか」

「……いえ、何でも――」

「何を、恐れているんですか」

「っ鈴木、さん」

「顔色がいつもよりもずっと悪いし心拍数も随分上昇しています。おまけに汗までかいている。……何が、あったんですか」



 鈴木さんの真剣な瞳が怖くて、思わず目を逸らした。


 こんな時に見逃してくれないなんて、彼はなんて酷い人なんだろう。機械の体が恨めしくなる。鈴木さんがただの人間で、もっと鈍感な人だったらどれだけ救われただろうか。



「何でもないです」

「しかし――」

「何でもないんです! 放っておいてください!」



 そう叫びながら肩に置かれた手を思い切り振り払った所ではっと我に返る。


 やってしまった。鈴木さんは心配してくれているだけなのに酷い八つ当たりをして。きっと幻滅されたに決まってる。

 振り払われた手を茫然と見ている鈴木さんに居た堪れなくなって背を向けた。




「……お願いですから、今日だけは、一人にしてください」



 これ以上一緒に居たら今度は何をしてしまうか分からない。荒れ狂った心のままに酷い言葉を浴びせて、彼を傷付けてしまうかもしれない。


 ……いや、きっと私は鈴木さんを傷付けるのが怖いのではない。そうして結果、彼に嫌われるのが怖いだけなのだ。

 鈴木さんが立ち去るのをじっと待っていると、しかし不意に左手が温かいものに掴まれた。



「嫌です」

「放して……」

「お断りします。今のあなたを一人に出来ない」

「放してったら!」



 先ほどのように無理やり振りほどこうとするのに、今度はしっかりと力を込められていてびくともしない。


 癇癪を起して暴れそうになっても、もう片方の腕も取られて動きを封じられてしまう。



「鈴木さんの馬鹿、大嫌い!」

「構いませんよ。私は片桐さんが好きです」



 やけになって殆ど泣きながら彼を詰ったのに、それなのに鈴木さんは酷く冷静に、そして穏やかにそれだけの言葉を返して来た。


 一瞬、呼吸が止まる。



「前に言ったでしょう。片桐さんが弱っているのに放っておけるはずがないと」



 呼吸と共に動きも止めた私に鈴木さんは両腕を掴んでいた手を離すと、代わりに空いた手を私の背中に回した。突然のことに、私は抵抗もせずに茫然と固まる。



「片桐さんが何に苦しんでいるのか、私には全く分かりません。だからその気持ちを理解することも共有することもできない。でもそれ以上に何もしないまま立ち去ることが出来ません。

 だから、ぶつけて下さい。何でもいい、少しでも気が晴れるなら怒っても叩いてもいい。私が打たれ強いの、知っているでしょう? ただ一人で抱え込んで壊れてしまわないで下さい」



 こんな訳も分からず怒って泣いている隣人に、どこまで優しくするつもりなのだろう。



 今まで怒っていたのが嘘のように握った拳に力が入らなくなり、ぽつぽつと流れていた涙は一気にどっと溢れる。


 張りつめていた体の力も抜けてしまって、鈴木さんに縋るように彼の服を掴む。ひょっとしたら表面の皮膚まで掴んでいるかもしれない。



「……私」



 毎年毎年、耐えてきた。自分の罪に押しつぶされそうになりながら、誰も居ない部屋で一人、これが罰なのだと言い聞かせてきた。誰も私を責めない、誰も私を赦しはしない。当たり前だ。誰にも話さなかったのだから。



「私の所為で、死んだんです」


 ずっと奥底に沈めていた言葉が口をついた。


















 私が生まれたのは、雪の降り積もったクリスマスイブ――ホワイトクリスマスだった。12月にしては珍しく降り積もった雪を見た両親は私を深雪、と名付けた。



 そうして私はごく平凡な人生を歩んできた。誕生日とクリスマスが重なっている為に他の子よりもプレゼントは少なかったが、その代わりに毎年ケーキもプレゼントも豪華だったし、その日ばかりは本当に無茶な要求でなければ大体のことは受け入れられた。



 そして、高校一年の誕生日。その日は私が生まれた年と同じホワイトクリスマスだった。


 前から気になっていたちょっとお高めのレストランで食事をしたいと強請り、ちょうど食事中に雪が降り始める。深雪が生まれた時もこんな風に雪が降って……と話す両親とホワイトクリスマスをその目で初めて見て喜んでいた私。それが、最後の幸せな瞬間だった。


 話に夢中になり少し遅くレストランを出て、未だに降り続く雪の中を車が走る。

 その時だった。うとうとと眠りそうになっていた私の視界が真っ白に塗りつぶされたのは。




「……対向車のトラックが雪でスリップしてこっちに突っ込んで来たんです」



 何が起こったのか分からなかった。激しい轟音と衝撃が訪れた後は、嘘みたいな静寂がその場を支配し、私は母親に抱きしめられたまま茫然としていた。



「お母さんが、私を庇ったんです。気が付いたら血まみれで……私以外、皆死んでいました」



 お父さんもお母さんも、ぶつかって来たトラックの運転手も皆死んでしまった。暗くて通りの少ない道路で、ただ雪が赤く染まるのを見ていることしかできなかった。


 ただ一人生き残って、寒くて、怖くて、いっそ一緒に死んでいたらとすら思った。



「私が、レストランに行きたいなんて言ったから。話し込んで遅くならなければ。……私が、この日に生まれていなければ」



 お父さんもお母さんも、今頃当たり前に生きていた。トラックの運転手だって、私達の車が通らなければもっと軽い事故で済んでいたかもしれない。




「私が生まれてしまったこの日が大嫌い。両親を殺してしまった今日が、大嫌い。ホワイトクリスマスも、この名前も、嫌い、です」



 体の震えが止まらない。自然と鈴木さんの服を掴む手に力が入った。そして、同じように背に回された手にも力が籠められる。ずるずると立つ気力もなく座り込むと、彼も引っ張られるようにして冷たい床に足を付けた。




「……深雪さん」

「何で、呼ぶの、嫌いだって言ったのに」

「ご両親が付けた大切な名前です。あなたが嫌っても、それは変わりません」

「……」

「深雪さんがこの名前を好きになるまで、呼びますよ」



 好きになる、そんな時が来るだろうか。カーテンを閉め忘れた窓から未だにしんしんと雪が降り続いているのが見えて寒気がした。それなのに抱きしめられた体は暖かくて可笑しな気持ちになる。


 いつの間にか、涙が止まっていることに気が付いた。




「……今まで、ずっとこうして一人で過ごして来たんですか」

「はい。……私はもう、誰もいないから」



 クリスマスに誰かと一緒に過ごしてしまえば、その人まで死んでしまうのではないかと思った。家族を全て失った私は一人でいることが贖罪のように思えて、いつも部屋に籠っていたのだ。




「私が居ますよ」



 唐突に発せられた言葉に、私は体を離して鈴木さんを見上げる。

 慈愛の籠った温かい微笑みが降って来た。



「ご両親の代わりにはなれませんが、私が深雪さんに家族をあげます」

「……何を、言っているんですか」

「そのまま、言葉通りです。あなたに罪なんてありません。こうして一人ぼっちで居続ける必要なんてない。一緒に居ます」

「正気、ですか」

「勿論です」



 淀みなくそう口にした鈴木さんに私は黙ることしかできなかった。

 どうして、この人は私をここまで甘やかすのだろう。何も返すことなどできないのに。


 結局のところ私は、踏み込まないでと逃げながら、誰かがそう言ってくれるのを待っていた卑怯者なんじゃないか。私は悪くないと、赦しの言葉を望んでいた甘ったれな人間なのではないのか。


 そう自覚しても、



「深雪さん。誕生日、おめでとうございます」



 あの事件以降初めて自分を肯定された言葉に、救われたのは確かだった。



「今日この日に、生まれて来てくださってありがとうございます」





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