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アルバイトとミルフィーユ

「深雪、来てみたよー」

「いらっしゃいま……茜?」



 午前中で授業を終えたその日、私がバイトをしている喫茶店に茜が彼氏と共にやって来た。


 珍しい。今まで一度も来たことがないという訳ではないがここのお店は大学から離れているし、何より気軽に入れるチェーン店よりも少し割高な店なのだ。その分コーヒーに拘っているし、何より時給が高いので私にはありがたい所である。




「急にどうしたの?」

「斉藤君がここ来てみたいって。そういえば深雪がバイトしてたなーと」



 隣にいる彼氏のことだろう。いかにも真面目そうな風貌の男の子で、ちらりと視線を送ると「どうも」と少し緊張気味に頭を下げられた。一度会った筈だが話してはいないし、殆ど覚えていないなあ。


 お好きな席にどうぞ、と促しながらお冷とメニューを取りに奥へと戻る。途中で店長に「お友達かい?」と聞かれたので頷いておいた。彼は元々父親の友人で、一人になってしまった私を心配して高校生の時からバイトとして置いてくれている。



 再びフロアに出て茜達にメニューを差し出していると、何故だか斉藤君がじっと私のことを見ているのに気付いた。同じように茜も彼の視線の先を追い、少し首を傾げる。




「どうしたの? 深雪のことそんなに見つめて。……もしかして、惚れちゃった?」

「ち、違います! 本当に違います!」



 思い切り「からかってますよー」と顔に書いてあるのだが、そんな茜にも斉藤君は必死になって弁解する。振り回されてるなー。



「最近よく話を聞くので、つい……」

「話って……?」



 茜、そんなに私のこと話してるんだろうか、と思ったのだが斉藤君は首を振ってそれを否定する。



「鈴木先輩です」


「……ええ?」



 鈴木さん? 確かに知り合いなのだろうけど、わざわざ大学の友人一体何を話しているんだろうか。何を言われているのか知りたいような知りたくないような。

 困惑した私とは対照的に、茜は彼の言葉に目を瞬かせた後にやにやと笑みを浮かべながらこちらを見てくる。



「良かったわねー、深雪。お揃いで」

「お揃い?」

「あんたも最近鈴木さんの話ばっかりよ」

「え……そう、だっけ」



 自覚がないって怖いわねー、と茜は笑みを深めて肩肘を付く。


 必死に思い返してみるものの、日常会話などその場その場で何となく口にすることばかりでぱっと思い出せはしない。そんなに私、鈴木さんの話ばかりしてたの!?

 顔が熱くなる。駄目だ、これは確実に茜には気付かれている。




「そ、そんなことよりも、ご注文を!」



 そうだ、今はバイト中。店長は多少会話をしても文句は言わないが仕事はきちんと全うしなければ。

 気を取り直してそう言った私に、妙に生暖かい視線が二つほど飛んできたが無視した。



「僕は特製ブレンドで」

「私はアイスコーヒーとミルフィーユね」

「少々お待ちください」



 ミルフィーユ、私も食べたいなあ。店長のコーヒーはとても美味しいが、そこまで味の違いが分からない私にとっては彼の作るケーキの方がおすすめだ。帰りまで残っていたら買って帰ろう。


 今はお客さんが少ない。茜達を除けば一人カウンターで店長と話している常連がいるだけで、あまり忙しくない。皿洗いをしていれば、茜達の楽しそうな声が耳に入って来る。



 一目見た感じでは正直、お似合いだとは思わなかった。今まで茜は彼女と同じくらい目立つ男の子としか付き合っていなかったし、真面目そうな彼はちゃんと茜と付き合って行けているのだろうかと、失礼ながら考えていた。

 しかし今テーブルに向き合って話す二人の横顔を眺めていれば、それがいかに筋違いな考えだったと思わせられる。一人の人と長く続かなかった彼女だが、さて今回はいつもとは違うかもしれない。




「深雪ちゃん、持ってって」

「はい」



 いい香りのするブレンドと涼しげな音を鳴らすアイスコーヒー、そして大きな苺が乗ったミルフィーユ。それらを持って二人の元へ向かうと、茜が彼から視線を外してこちらを見た。



「お待たせしました」

「深雪、その制服似合ってるわよねえ」



 テーブルにコーヒーを置いていると、不意に茜が笑みを浮かべながらそんなことを口にする。


 私が着ているのは袖や襟に細かいレースが施されたブラウスにシックな膝丈の黒のスカート、そしてエプロンだ。特筆するべきものでもないのだが、何故か茜が楽しそうに私の全身に目をやっている。



「普段あんまりスカート姿なんて見ないし、可愛いわよ」

「え? うん、ありがとう」

「髪もアップにしてるし、いつもの深雪に見慣れていたら驚くかもしれないよね……誰かさんも」

「誰か……って」



 茜が見慣れない携帯――多分彼氏のだろう――を振ってにやりと笑う。



「鈴木さんも惚れ直しちゃうかもねー」

「ちょ、茜、呼ばなくていいから!」

「ていうか、もう呼んでたりして」

「え?」



 ぽかんと私が口を開けたのとほぼ同時に、入り口の扉が開かれてカラン、と涼しい音を立てた。

 お客様を迎えようと反射的に振り返った先を見て、私は思わず固まる。



「や、片桐さん」



 そこには案の定と言うべきか、のほほんと顔を綻ばせた機械人が片手を上げている。

 すごいタイミングだなあ、と急に冷静になって思った。気持ちを自覚してからはしばらく緊張して会い辛かったのだが、最近ようやく落ちついて以前のように接することが出来るようになった。



「……いらっしゃいませ」

「お、いい雰囲気の店だな。深雪ちゃん、久しぶり」

 のっぽの鈴木さんに隠されて気づかなかったのだが、彼の後ろからもう一人男性が顔を出したのに驚く。誰だっけと思ったのは表情に出さずに「お好きな席にどうぞ」と声をかける。


 ……あ、思い出した。結局本名が分かっていない山さんだ。



「ちょうど一緒に居たのでまこと君も連れて来たんです」

「そう、だったんですか」

「その制服似合ってるね、可愛いよ」

「……ありがとうございます」



 どうやら山さんは誠さんという名前らしい。愛想の良い笑顔でそう褒められれば悪い気はしないが、それよりも彼の隣にいる人物の反応を窺ってしまうのは仕方がないことである。



「……」



 にこにこと笑うばかりで何も言われなかった。一瞬でも期待してしまった分ちょっとショックだった。


 茜達の隣に座った鈴木さん達に斉藤君が「すみません突然メールしてしまって……!」と頭を下げる。きっと茜がやったことなのに律儀な人だ。



「いえいえ、片桐さんのバイト先には来たことがなかったのでいい機会でした」

「……やっぱり改めて見ると、鈴木さんってかっこいいよねー」



 まじまじと鈴木さんを見つめて茜がぽつりと呟く。ああ、斉藤君が可哀想だ。絶対に動揺しておろおろした所が見たくてそんなことを言ったに違いないのだから。


 新たに来た二人にメニューを差し出しつつそんなことを考えていると、山さんがすぐにブレンドを注文して私をじろじろと見つめてくる。なんか今日はよく人に見られる日だ。



「や……どうしました?」



 一瞬山さんと言いそうになった。



「いや? よく話を聞いてるから勝手に深雪ちゃんのこと知った気になっててね」

「あの……鈴木さん、一体どんな話をしてるんですか」



 少し怖いが興味の方が勝った。斉藤君も山さんもそんなことを言うなんて、どんな頻度で話しているんだと思う。



「どんなって、なあ?」

 山さんが鈴木さんを促すように見るのだが、しかし彼はメニューからがばっと顔を上げるととても真剣な表情で私を呼んだ。



「片桐さん」

「は、はい」

「ここのおすすめは何ですか」



 ……食べ物に関してしか真剣にならないのだろうか、この機械人め。多分まったく話を聞いていない。



「……ミルフィーユです」



 口に出してからしまったと思った。このエネルギー欠乏症の男にかかれば帰りに私が買う分が無くなってしまう。



「じゃあそれを一つとアイスティーで」

「少々お待ちください」



 一つでよかった、と安堵しながらも結局話の内容は聞けなかったな、と胸にもやもやしたものを残しながら店の奥へと戻る。



「店長、ミルフィーユってあといくつですか?」

「ちょっと待って……あと三つだね」

「三つかー」



 今注文を受けたのを引くと二つ。この喫茶店は店長だけで経営しているのであまり遅くまでやっていない。なので後数時間で閉店なのだが……果たして残るか。

 ケーキを皿に取り出しながら真剣に考えている私を見て、店長がくすりと笑みを溢す。

 真剣に考えてしまうほど、ここのミルフィーユは絶品なのだ。



「今日はお客さんも少ないし、大丈夫だと思うけど」



 そうだといいけど。バイトだと言っても別に割引される訳ではないので店長にとっては残らなければどちらでもいいのだ。


 注文を受けてから店長が入れたコーヒーを運びフロアに出ると、鈴木さんと山さんはテーブルに何かの本を広げて見ていることが分かった。

 近くまで行くとそれが映画雑誌であることが判明する。




「お待たせしました」

「あ、片桐さんちょうど良かった。また映画に行きたいんですが、片桐さんはどれが見たいですか?」



 雑誌をどかせて商品を置く場所を確保した後、鈴木さんは私にその雑誌を広げて見せてくる。



「え、私ですか?」

「はい、前にまた一緒に行く約束しましたよね?」



 そういえばそんなこともあった。彼の向かいに座る山さんが微笑ましげに私達を見ているのは気になるが……ついでに隣のテーブルからも視線を感じる気もする。とにかく、差し出された雑誌を覗き込んだ。



「片桐さんはSFは苦手と言ってましたよね? 個人的にはこれか、これか……」



 鈴木さんが指で示したのは洋画アクション、そして邦画ホラー、そして最後に邦画の恋愛ものの三つだった。

 その中でまず一つ選択肢から即座に消す。鈴木さんと一緒に恋愛映画なんて恥ずかしくて見てられない。以前見たのも恋愛要素はあったが、その時はまだこの気持ちを自覚していなかったので助かった。



「そうですね……個人的にはホラーかな」

「好きなんですか?」

「邦画なら。洋画のホラー映画は苦手ですが」



 邦画のホラーは幽霊のような実体を持たないものが多いので平気だが、ゾンビやエイリアンなどがほいほい出てくる洋画は見たくない。グロいシーンも多いのが駄目だ。



「鈴木さん、洋画のホラーだったらきっと深雪が怖がって抱きついてきますよ!」

「茜!」

「そうですねえ」



 隣のテーブルから身を乗り出すようにして楽しげにそう言った彼女に頭痛を覚える。

 そして鈴木さん、そうですね、って何に納得しているんだ。




 それからミルフィーユを口にした鈴木さんが「美味い! 今まで地球で食べた中で――」と言いかけるのを必死に口を塞いで誤魔化したり、しっかりと映画を見る日を決めてしまったりとバイト中にすることではないこともしてしまったのだが、店長からお小言が飛んでくることはなかった。多分これも常連以外のお客さんがいなかったからだろう。




「ご馳走様でした」



 一時間ほどしてようやく席を立つ四人の会計を済ませていると、鈴木さんが「あっ」と思い出したように声を上げた。



「ここって持ち帰りできますか?」

「大丈夫ですよ」

「じゃあさっき食べたミルフィーユを二つ」



 うわああ、鈴木さんの馬鹿、このおとぼけ宇宙人め!



「……かしこまりました」



 頭の中でつい酷いこと言ってしまったが、別に彼が悪い訳ではないのだ。


 渋々ケーキを取り出す私に「残念だったね」と店長が苦笑する。あと閉店まで一時間もなかったのに。

 持ち帰り用の箱に入れるとレジの前で待っている四人の元へと急ぎ、追加でケーキ分の代金を貰う。



「またお越しくださいませ」

「はい。それじゃあ片桐さん」



 鈴木さんはケーキの入った箱を少し持ち上げる。



「後で一緒に食べましょうね」


「……はい」



 ずるい。一度落ち込ませておいてそんなこと言うなんて、なんて人だろう。



 ケーキが食べられる以上に一緒に居られることに喜んでしまった私は、他の人の視線から逃れる為に、自分でも分かるくらい赤い顔を隠すように俯いた。






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