テオさんとぬいぐるみ
一度意識してしまったら、後は只々転がり落ちて行くだけだ。
ここ数日、鈴木さんを前にすると緊張してしまってまともに顔も見れていない。それなのに電車の中でも授業中でも彼のことを思い出してしまってぼう、と物思いに耽ってしまっている。
茜にもどうかしたのかと心配されてしまったものの、正直に話す訳にもいかずに何とか誤魔化してやり過ごした。
そのまま「鈴木さんが好きになった」と口にしてしまえば「それがどうした」で終わってしまう。そう、表面上は何の問題もない話なのである。鈴木さんの正体を知らない人から見れば、どこにでもあるただの片思いで片付けられる。
まさか遠い惑星から留学して来た宇宙人を好きになってしまったなんて、そんな事実を口に出せるはずもない。
そうして一人もやもやと悩んでいたある日、私はお気に入りの作家の新刊を買うべく本屋にいた。いつもなら発売日に即座に購入するのに鈴木さんのことで手一杯になっていてすっかり忘れていたのである。
エアコンの効いた涼しい店内に入り、文庫本のコーナーへと足を進める。平積みされていた新刊をまず手に取り、それから周りの本をチェックしているとふと横を背の高い男性が通り過ぎた。
それだけならば何の問題もないのだが、その顔は確かに見覚えのあるものだった。
「テオ、さん?」
大柄な外国人というだけで目を引くのだが、彼は更に顔も整っている。見間違いではないだろうと声を掛けると、彼は自分の名前に反応したのかぴくりと体を揺らしてこちらを振り返った。
真正面から見ればやはり鈴木さん宅で見た機械人――実際に正体を見たわけではないが――だった。
「……」
私を視界に入れたテオさんは、一瞬目を泳がせる。そして少し訝しげに眉を顰めた彼は、数秒後ようやくはっとしたように口を開いた。
「太郎の彼女か!」
今絶対に忘れられていた。まあ、彼からしてみれば黒髪の地球人なんてありふれ過ぎてすぐに区別がつかないのかもしれないが。
「……あの、この間も言ったんですが、彼女ではないです」
「ん? 人違いか? じゃあどこで……」
「じゃなくて!」
この人、天然なんだろうか。地球では人工物と酷似してる癖に。
記憶を掘り返しているのかあさっての方向に視線を飛ばしている男に頭痛を覚えながら、私は一言一言区切るようにはっきりと口を動かす。
「鈴木さんの隣に住んでる、片桐深雪です。でも、彼女では、ないです!」
「彼女じゃない?」
じゃあ……と、更に口を開きそうになったテオさんを制止して私は一から説明を始めた。
鈴木さんのストーカーに彼女と勘違いされて襲われたこと、彼が私を庇った時にその皮膚の奥を見てしまったこと、そして「機械人だと知っているから大丈夫だろう」と本来の姿を教えてもらったこと。
ゆっくりとそして周りの目を気にして小声でそう告げると、テオさんは成程、とようやく納得したように強く頷いた。
「君も災難だったな。しかし、地球人の女はやっぱり恐ろしい……」
地球人の女、目の前にいますけど。
「テオさんも何か被害に遭ったことがあったんですか?」
「ストーカーって程ではないが、まあしつこく付きまとわれたことはな」
「……その容姿ですもんね」
鈴木さんといい、テオさんといい、見かけの良い恰好を選ぶから余計に大変なんだろう。……まあ、わざわざ顔を作るのに不細工に作ろうと思う人も中々いないと思うが。
そんなことを考えていたからか、不意に鈴木さんのあの気の抜ける笑顔が脳裏をよぎる。ここ数日恥ずかしくて碌に見ていなかったそれを思い出して、私はテオさんを見上げた。
彼に、話してみてはどうか。
一瞬そう思ったものの言葉は出てこない。いくらテオさんが鈴木さんの事情を把握していようと、まだ二回しか会ったことのない人物においそれ恋愛相談なんて出来るはずもない。
もごもごと言い淀んでいた私に先に声を発したのは彼の方だった。
「なあ、この後時間あるか?」
相談は出来なくても少しぐらい鈴木さんのことを聞き出せないかな、という甘い気持ちで彼にほいほい着いて来てしまった私は、自分では滅多に訪れないであろう場所に立っていた。
耳をつんざく雑多な騒音と楽しそうな人々の声、そしてやや薄暗い店内。私は何故かテオさんとゲームセンターに入っているのである。
「あの、何でここに?」
「え、そりゃあゲームする為だが」
わざとすっとぼけたこと言ってるのかな、この人。どうして私をここに連れて来たんだろう。
この前もゲームしてたし、きっと好きなんだろうなと思いながら先導する彼に着いて行くと、足を止めたのはクレーンゲームの前だった。
「これやるんですか?」
「ああ、見ていろ」
こちらを振り返ることなくそう言ったテオさんはお金を入れるやいなや、気合の入った様子でボタンの上に手を置き、一度深呼吸する。
張り切ってるなーとその様子を眺めていると、彼はゆっくりとボタンを押してクレーンを遠くまで移動させる。そしてアームの角度を調整すると彼はボタンから手を離す。わくわくしながらガラスの向こうを覗いていると白い兎のぬいぐるみ目掛けてアームが下がり、そして周囲のぬいぐるみを押しつぶす。一瞬失敗したかなとも思ったのだが、上がったアームには兎の耳に付いていたタグを見事に引っ掛けて元の場所まで戻っていた。
「すごい!」
出てきたぬいぐるみに思わず感嘆の声を上げると、テオさんは少し得意げにぬいぐるみを掴んで、そしてそれを私に差し出して来た。
「やる」
「え、いいんですか?」
促されるままに手のひらサイズの兎を受け取る。ぬいぐるみなんて小学校以来だろうか。
そうこうしているうちに次の狙いを定めたのか、テオさんは再度コインを投入してゲームを開始する。百発百中とまでは行かないが、私には真似できないような芸当で次々ぬいぐるみを捕え、そして私の腕の中にどんどん積み上げていく。
五個目に取ったクマは他のぬいぐるみよりも大きく、そこで私の腕では容量オーバーとなった。
「あの、なんでこんなにくれるんですか?」
ひとまずゲームをストップしたテオさんにそう問いかけると、「あー」と間延びした声を出した後、視線を横に背けた。
「俺こういうゲーム好きなんだが、調子に乗ってやってたら随分上達しちまってな。それで景品を部屋に置いてたんだがどんどん増えて……」
テオさん曰く、彼は箱のような景品よりもぬいぐるみの方が取るのが得意らしい。そして景品を取る楽しさを覚えてしまった彼の部屋にはファンシーなぬいぐるみがどんどんたまってしまい……下宿先の大家さんに見られた時は非常に生暖かい視線を送られたとか。
「だから貰ってくれるとありがたいんだが」
「せっかくなので頂きますけど……他の人に渡せば良かったのでは?」
殆ど顔も覚えていなかったような女をわざわざ誘わなくても友人くらいいるだろうし、先ほども言っていたが彼ならば周囲にぬいぐるみを喜びそうな女の子も沢山いそうである。
しかしテオさんは、私の言葉を聞くと難しげに顔を歪めてしまう。
「……前にあげたこともあったんだがな」
「もういらないって言われたとか?」
「いや、それがきっかけで付き纏われて大変だったんだ」
「そ、そうだったんですか」
かっこいい男の子が目の前でさらりとぬいぐるみをゲットしてプレゼントされたら勘違いする女の子もいるのかもしれない。……まあそれがストーカー未遂にまで発展してしまう子だったのは彼も運がなかったが。
「テオさん、見た目いいですからね」
「……地球人の美醜は分からん」
こんな顔のどこに惹かれるのやら、と本気で首を傾げているテオさんに、私は鞄にぬいぐるみを詰めながらさりげなく質問することにした。
「ちなみに、テオさん達の好みはどんな感じなんですか」
言うまでもない、機械人――鈴木さんにはどんな人が好ましく映っているのか気になって仕方がなかったのだ。
「好み……?」
「顔とか、スタイルとか」
「基本的に体のパーツはカスタマイズできるしなあ、それこそ個人の好みとしか言えないんだが」
俺は表面の光沢が、とか頭のパーツが、とか色々話してくれたものの、工学系に明るくない私にはちっとも分からない話だった。
「……まあ結局は、性格なんじゃないのか」
長々と話した彼は、しかし最後にそう述べて話を終えた。
性格と言われても、それこそ体型以上に治せないものではないか。
「気になるなら、太郎本人にでも聞けばいいじゃないか?」
「そんな簡単に言われても……って」
本人に直接聞くなんて無理に決まってる、と言いかけた所で我に返る。
「え、な、な、なんで……」
「……? 太郎のこと好きなんだろう。だから安心して連れて来たんだが」
ぱくぱくと言葉にならずに口を動かす私に対して、彼は非常に淡々とそう告げる。
疑うこともないはっきりとした言葉に、私は降参するしかなかった。
「なんで、分かったんですか……」
「太郎のことを話していた時の心拍数、体温の上昇、それから表情筋の動きを見れば大体分かる」
「……センサー標準搭載の馬鹿」
件の女の子に付きまとわれてから、周囲のそういう感情に敏感になっていたというテオさんはすらすらとそう言った後「あいつはぼやっとしてるから大変だろうが、頑張れ」と肩を落とした私を激励するようにぽん、と頭に手を置いた。
いや、私が今落ち込んでいるのはテオさんの所為なんだけど……。
帰りにばったり鈴木さんと遭遇し、夕食に誘われてしまった。緊張するが嬉しくて時間になるまでうろうろと無意味にリビングをぐるぐると歩いていると、そういえばぬいぐるみを貰ったんだったと思い出す。
鞄を開けて真っ先に目に飛び込んでくるのは、最後に貰った少し大きい黒いクマだった。
四足歩行で歩く姿のクマは、他のデフォルメされたものよりも随分本物に近いのに、しかしなんだか愛嬌のある顔立ちをしている。
「……なんか、鈴木さんに似てるな」
棚の上に置きながらそんな独り言が出た。あんなロボットのような恐ろしい外見をしているのに、表情だけは柔らかな彼を思い出す。
「片桐さーん、準備出来たんで一緒に作りましょう」
玄関の方から聞こえる声に慌てて返事をしながら、私はクマの頭を撫でた。
とりあえずこの子はたろう君という名前にしようと心の内だけで思った。