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風邪と揺れる心

 波乱の台風が通り過ぎて翌日。からっと晴れた気持ちの良い天気の今日、しかし私はその日の下に出ることなく部屋で布団を被っていた。


 強い雨に打たれ、更に川に落ち、精神的に色々大変だった訳で、それらに打ち勝つほど私の体は頑丈ではなかった。結果的に風邪を引き、ろくに身動きもとれない状態になっていたのである。




「片桐さん、熱計りました?」

「……いえ、まだです」



 ぐったりと横になっている所に声が掛かり、私は何とか顔をそちらへ向ける。見上げた先には鈴木さんは心配そうに体温計を持ってこちらにやって来る所だった。


 なんで彼が私の部屋にいるかというと、昨日の騒動から一夜明け、大丈夫だろうかと様子を見に来てくれたのだ。そして私はある意味鈴木さんの予想を裏切らない形で寝込んでいたということである。

 昨日彼の前で大泣きしてしまった手前私としては顔を合わせ辛かったのだが、鈴木さんは何を聞くでもなく、まったくいつも通りだったので正直安心した。



 体温計を渡されて脇に挟む。その間に彼はキッチンに向かい、何かを作り始めたようだ。




「少しは食べなければ治りませんからね、雑炊でいいですか?」

「……重ね重ね、本当にすみません」



 ああ、私は一体どれだけこの人に迷惑を掛ければ気が済むんだろう。鈴木さんは優しいけど、それに頼り切っていいはずがないというのに。


 今まで、出来ることは全て自分だけでやって来た。それなのに彼が来てからというもの沢山頼って、酷く迷惑を掛けてしまっている。だんだんと自分が弱くなってしまっている気さえした。

 ……駄目だ、体調が悪い時はネガティブにしか考えられない。


 ピピピ、と電子音が小さく鳴りのろのろと体温計を見る。……39℃か、結構あるな。




「どうでした?」



 音を聞きつけたのか鈴木さんがキッチンから戻って来る。そうして彼は私の返事を待たずに体温計を取り上げるとその表示を見て顔をしかめた。



「高いですね、人間の平均体温を随分超えています。親御さんに連絡した方がいいかもしれません」

「いえ、あの、大丈夫です」

「しかし、心配しますよ。私よりも家族の方が傍に居た方が安心すると――」

「すみません、その……いないんです」

「いない?」

「何年か前に、両親とも亡くなってしまって」



 どうしようか迷ったが、私は口を開いた。高1の時に両親は事故で亡くなり、元々親戚との繋がりも薄かった為一人暮らしを始めたのだと。


 このことを自分から話したのは初めてだった。茜は話さずともその当時を知っているので例外だが、基本的に周囲の人間は知らない話だ。




「……すみません、辛いことを言ってしまったようで」

「いえ、気を遣わせてしまってこちらこそすみませんでした」



 気まずい空気が流れてしまって、お互いに謝りながら頭を下げる。


 嫌な空気を払拭できないまま鈴木さんはキッチンに戻り、中断していた調理を再開した。私はその後ろ姿をぼーっとした頭でなんとなく眺め、誰かが家にいるなんて変な感じだなとぼんやり思った。


 確か雑炊を作ると言っていた。鈴木さんに初めて渡した料理が雑炊だったから好きだと思ったのかもしれない。

 別に雑炊自体は好きでも嫌いでもないのだが、風邪を引いた時にお母さんが作ってくれるのは決まって雑炊だった為、私の中ではお粥よりも体調が悪い時の定番だ。




 熱で頭が働かなかったからだろうか、鈴木さんを眺めているうちに随分時間が経っていたようだ。いつの間にか出来上がっていた雑炊を持って彼は枕元にやって来る。




「気分はどうですか?」

「だるいです……」



 気持ち悪いとか咳が酷いという訳ではないのだが、とにかく熱の所為で頭がぐるぐるして寝返りを打つのも億劫だ。


 手伝ってもらって上半身を起こしたのだが、彼の元に伸ばした手に器が乗ることはなかった。



「辛いでしょう、手伝いますよ」



 にこりと微笑みながらそう告げた彼は、何の躊躇いもなく雑炊を掬ったスプーンを口元に差し出して来る。



「え、あの、流石に……」

「病気の時はこうすると母が言っていました。遠慮しなくていいんですよ」

「……はあ」



 いつもなら絶対にもっと抵抗するだろうし、大学生にもなって他人に食べさせてもらうなんて恥ずかしくてたまらないことだ。しかし今の私には反論する気力もなく、いいか、と深く考えることもなく口を開いた。


 丁寧な所作で差し出されたスプーンを口に含む。……美味しい、と思う。やや味覚が麻痺しているが、鈴木さんが作ったので間違いないだろう。


 ごくりと飲み込むと、それを見た彼が次の一口を掬う。そして流れ作業で雑炊を食べ続けていると、じんわりと体が温まってくる。それは雑炊を食べたからに他ならないのだが、きっとそれだけではないのだろう。




 両親が亡くなってから、こんな風に誰かに看病してもらったことなんて初めてだった。毎年一、二度風邪を引く度に、只々眠ってひたすら病魔が去るまで耐えていた。しんとした部屋でがたがた震えて、嫌でも私はひとりだという現実を突きつけられていたのだ。


 こんな風に誰かが傍に居てくれるなんて本当に久しぶりで、温かくなると同時に泣きたくなる。



「……鈴木さん、本当にありがとうございます」

「いえ、私が心配だっただけですから」


 片桐さんがこんなに弱っているのに放っておけるはずがありませんよ、と彼はそっと私の頭を撫で、そしてそのまま額に手を当てた。



「まだ高いですから、寝ていて下さいね」



 至近距離で優しい表情を見て、何故だかいつもと違う感情を覚えた。それが何かは考えない方がいい。



 鈴木さんは再び私を寝かせた後、空になった器を持ってキッチンへ足を向ける。どうやら洗い物までしてくれるらしい。シンクの水が流れる音を聞き私は無意識に安堵の息を吐いていた。


 よかった、まだ居てくれるんだ。

 少しばかりクリアになった頭でそう考え、しかし自分の思考を反芻してはっと我に返る。


 何を甘えているんだ。「片付けまでは結構ですから」と彼を家に帰してあげればいいのに、それなのにどうしても私はその言葉を口に出すことが出来ないでいた。

 もごもごと口を動かしているうちに洗い物は終わったのか、彼は手を拭いてベッドの傍のマットの上に腰を下ろす。




「……あの、寝ていれば治りますから、戻って頂いても大丈夫ですよ?」



 勇気を出して私が言うと、しかし鈴木さんはきょとんと目を瞬かせる。



「何言っているんですか、こんなに酷い風邪なのに。今日は一日看病しますよ」

「風邪が移ったらどうするんですか」

「機械人は風邪を引かないので大丈夫です」



 普通の人間ならば素直に説得されそうなものを、冷静にそう切り返されて思わず口を噤む。鈴木さんが嘘を吐いていたとしても私には分からないが、彼は正直者なので多分本当なのだろう。


 黙り込んだ私を言い負かせたと判断したのか、彼は勝ち誇るようにちょっと子供っぽい表情を浮かべた後、横になっている私の手を掴んだ。



「病人にはこうするんでしょう?」

「……それも、お母さんから聞いたんですか」

「はい」



 手を握られるだけで安心してしまうのは病人だからだ。そうに決まっている。体も顔も熱いのは、熱だけの所為だ。他の要因なんてあるはずがない。


 どくどくと鼓動が早くなっているのは、それも、熱の所為?

 眠ろうと閉じていた目を少し開けて彼に視線を送ると、相変わらず慈愛の笑みでこちらを見ていた所にしっかりと目が合ってしまい、慌てて逸らした。



 駄目だ、と思った。


 命を救われて、弱った所を看病されて、だからこれは吊り橋効果に違いない。錯覚に決まっているんだ、と心の中で何度も自分に言い聞かせる。それなのに心臓はますます早くなっていくし、目を閉じれば先ほどの鈴木さんの微笑みが過ぎっていても経ってもいられなくなる。



 動揺して思わず繋がった手に力を込めると、同じように強く握り返された。



「安心して下さい、ちゃんとここに居ますから」



 お願いだから、今そういうことを言わないで欲しい。

 顔を見られないように布団を頭まで被る。




 やばい、好きになってしまいそうだ。



 そんなの駄目に決まっている。どんなに彼が良い人であっても、私とは全くかけ離れた存在だというのに。あの映画の二人のように「種族なんて関係ない」なんて楽観的に言えるはずがない。好きになってはいけない人なのだ。



 そんなことを考えている時点で手遅れであるという結論は、混乱している頭では到底思いつかなかった。





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