前向きな力
『すべてがFになる』を序盤まで読み返す。
初見のときには意識の水面を水切りに跳ねていった点が、いくつか新鮮に発見できた。
やはり素晴らしい。
思考を積み重ねて生きてきたものらしい密度と、若々しい柔軟性が見事に共存している不思議。
ただもちろん、僕はこの作品のすごさを完全に理解できるほどに脳がアメイジングではありません。たいして読みこなせません。読書難易度は5段階で3.5くらいか。
なんとなく、面白がっているのです。そのなんとなくですら、面白くてたまらない。
頭よくなりたいな〜、だってそしたらもっと面白く読めそうじゃん。と、そう前向きに思わせる力が本作にはある。それでいて、高い知能を無理に要求するそぶりはない。あくまでショーに徹している。この作家は、優しいのだ
。
Fはある意味ではとても『残虐』な話です。ですが読後感は『イヤ』ではない。これはまったく心だけでの判断で、しかも個人的主観そのものなのだが、不思議とこれは正しい判断だろうと思う。
きっとFは前向きな心で書かれた作品だ。
表目上の気分は、わからないが。とにかく『楽しむ』というか、好奇心という透明な宝石の輝きが、確かに感じられるのです。
よく見ると透き通る、ブラックなコーヒーのようです。
ふたたび目が覚めた気分。サンキュー、カフェイン。僕はやはり人を元気づけたいと思う。
どんなルートでも構わない。怒らせて、怖がらせて、困惑させちゃってもいい。
それでも最後は、読み終わって本を閉じるその瞬間には、前向きになって欲しい。
力を分散させること、それはどこにも向かえないということ。
「自分は、これだ」と言えることに、真っ正面から取り組んでほしい。それが最高の力を生む。
どこかで目にした文に、そのようなメッセージがありました。
心が動き、指し示す方向に進むとき、宇宙のすべてが貴方に協力するのです。
『アルケミスト』の中で語られるストーリーもまたそうでした。単なるスピリチュアルな小説ではなく、どこまでも心の宇宙に光を当てた、輝かしい、みずみずしいお話です。
『星の王子様』の系譜だと評されているようだが、似ているのは半分くらいだろう。『アルケミスト』の方がストーリーとして強い。
励ます力が強い。
日本は、文書のカタチなどに変に固執している。それは、作家も読者も同じだけ。
星新一が、欧米と日本の、文章に対する付き合い方の違いについて上手く説明してくれている。
日本では見てきたそのままに作文を書くことを刷り込まれ、欧米では友達とのパーティで面白い話をした子が人気者になる。
これはもう、気分的には元凶とさえ言ってもいいだろう。
ただ、『違い』というものをすぐさま否定するのは愚か者の典型だ。シーシェパード(パフォーマンス集団)とか。
何しろ『宇宙のすべて』が味方なのだ。そうしたらもうさすがに最強なんだろう。何も恐れずに進める。
心強い作品を目指そう。