お楽しみはこれからだ
映画史上、始めて声のセリフが発せられたのは、タイトルの言葉だったそう。英語の直訳だと、貴方がたはまだ何も聞いちゃいない(だからこれからもっといいもん聞かせてやる)みたいなニュアンスで、コンパクトに和訳すると「お楽しみはこれからだ」なのです。
最近、どうやら僕は覚醒しました。といっても何らかの薬品的成分を摂取したのではないですよ、ゼッタイ。心が晴れた、というのがわかりやすいかなと思います。そして広がりました。
文章にも反映されている兆しがあります。より思考のアンテナ感度が広角望遠になり、ワードチョイスを多彩にしたりより伝達に適した表現•編集をしながらサラサラ書くことができるようになりつつあるような感じ。うん、たぶん。実戦(新作)でどうなることやら楽しみです。
ただもしかしたら、普通に、最近読んだ良作の文体の影響を受けた、というのが実態かも。頭のメモリの広さと、心の澄んだ感じを受ける素晴らしい文体でした。心の、という点はなんとなくなのですが、確かにその人の人間性がにじみ出ていたのです。優しさとクリアな煌めきがありました。
講談社ラノベ新人賞、「マンガ化とかじゃんじゃんメディアミックスしたいから、そんな感じの作品よろしく」だそうです。なるほどそういう理念だったか。戦略としては特化的だしいいんだろうと思う。ラノベはメディアミックスしてナンボってものなのかなあ…。
確かに、魅力があればメディアミックスした方が良く、魅力は多ければ多いほど安心。
ただ、メディアミックスには向かなくても強い魅力がある、そんな作品も歴然と存在しているのです。
ラノベは小説ではない、ラノベだ。…本当に? まだわからない。僕の読者の部分はミックスされたメディアの進化も期待している。何でもかんでも挑戦して欲しい。
特に、アニメ産業の未来に不安がある。海外からも愛される、人類規模の財産だ。それなのに、最前線のアニメーターは産業革命以前の炭鉱夫みたいに大変な労働環境だそうです。マンガの世界もまたしかり。
昔、日本という国が、浮世絵などで西洋に巻き起こしたジャポニズム。その再来を無為にしてしまうのは、あまりに口惜しくはないかな。
アニメ、マンガ。どちらも過酷な競争と、商業ノルマとの狭間で喘いではいないかな。
自由な、柔軟な、「お楽しみ」を生み出す上で、今の業界は健全かな。最前線のクリエイターは健全かな。向上心と挑戦心の両腕をなくして死んだような生き方をしながら、それでもその生き方を続けなくてはならなくて、そのために他のすべてを犠牲にしながら、ようやくひねり出した作品が、古く光りもしないガラクタだったら…。悪循環。ダウンスパイラル。
楽しませる。つまり人々の心をもてなす。
げっそり痩せたミイラ女将の旅館に、世界の客が集まる訳はないだろう。いっそ博物館にしなさい。比較的新鮮なミイラが、続々と入荷してしまう地獄の光景なんか、ホラー作品の中だけで十分ですが。
延命、ジリ貧、守りの原作チョイス、目立たず埋れて売れない、ニーズだけで固めた着想、…そうしたダウンスパイラルへの入り口に、うっかり誘われないように。
お客は馬鹿だが夢を求める純朴さも備えている。特に、若い客に対しては、未来をミイラにしないためにも「楽しむ」ことの尊さを伝えたい。
僕も、さあ新作を考えよう。
一年ほど前に思いついたアイデアがある。
「ハッピーホームレスクラブ」という題で、家のない子の集まる部活のお話…。暗そうだ。ストーリーはほぼ手付かず。社会的な設定をきっちりしたほうが良さげなので億劫。
よし、他のアイデアを探そう。何がいいかな…、思い切って、マンガ化アニメ化を念頭においた、原作力のある作品を考えてみようか。なかなかに楽しそうなハードルではある。
地獄への入り口に注意して、高みを目指そう。