おととい髪を切りました
21世紀も14年目ですね。ミレニアム年越しでドミノ世界記録を達成したテレビの映像を思い出し、それがもうずいぶん昔のことなのだなぁと遠い目をします。ブラウン管は今やレトロ。
テレビは、戦前くらいの開発当時、ファックスのような情報伝達装置として使われるだろう、と研究者たちは想定していたそうです。が、ご覧のように、主力メディア装置として高い支配率を保持しています。
技術とアイデアがうまいこと交わると、面白いことになるという一例でしょう。
新聞に「クリエイティブは、異分子に活性化されてイノベーションを生む」という文がありました。それ自体が刺激的です。
時代の寵児を紹介するコーナーで、英国の芸術大学が掲げた理念なのだそうです。異分子、リケジョとして入学したと。日本の美大なら入れなかっただろう、と彼女は語っていました。
異分子による刺激。クリエイティブというものは、ポッと湧き出るようにも見えるしそうした発生の仕方もあるのでしょうが、下地ももちろん存在しています。イメージしたのは、菌が充分に土に染み広がっているところに雷が落ち、キノコがぽこぽこ生えてくるシーン。
逆再生でもいい。キノコがあって、そこからの胞子をどこに着地させるか、という流れや、植樹する感じとか、まあ色々です。
いま文章創作を始めて三年経っている僕。いや四年かな?
長編5本に、+色々。
ここからプロ(金銭報酬を受け得る)レベルを目指すとなると、生産量を上げるのが至近の課題だと判断しました。
チャレンジ。
最初の長編を書いた時は、今思うとフレッシュでストレートな姿勢でした。何も知らず、蓄積もゼロだった分、軽やかでした。
初心忘れるべからず、とは、「言うはやすし、行うはきよし、小さなことからコツコツと」ですが、ここはひとつ、再度意識しようと思います。
+当然ながら蓄積も総動員で、つまり新旧のいいとこ取りな姿勢で書きたいものです。
書きたいものを挙げていきます。
フルーツソルジャーミミ(まだ序盤。悩み中)
アニメイカー部(新人賞へ向けて。構想段階。作中作が多く展開するので、枠は分かり易いものに。キャラの生命力)
プチトマト2(続編というのは初チャレンジ。誰のために、と言われれば特にキャラのために書く。まだ構想すら淡い)
魔女の翼続編(上に同じ。断片的にシーンを集める段階。葡萄を食べることだけは決まっている)
……案外に、こうして並べてみると楽しくなってくる。いざ取り掛かってみれば頭髪を掻き乱したくなるかもしれないけど。
以前は、書きたいものが溜まるなんてことはなく、反対に書きたいものを探すのに苦労していた。やはり今は、陶芸で言うところの、作りの段階に凝り出したというフェーズに居るのだろう。(陶芸では、初心者の始めての湯のみなどは形になって完成するのだが、やがて薄さや形を狙い出すとたちまちぐじゃっとなる、らしい。まさしく僕もそうだった)
ああ、書かねば。
そこに使命感に駆り立てられている、というような窮屈さはない。ぽわーんと浮かされている感覚にちかい。書きたい、に限りなく近い、書かねば。
(しかしまた、ずいぶん日記みたいなことを書いているなあ。これ)
異分子うんぬんは、個人的に思うところあるが、書きはしないでおく。何となく、思い起こされることがあるだろう。いずれ読み返した時も。
異分子をありがたがるのは大事かもしれない。崇拝にまで行かなくとも。
新しさとは、全部が全部新規なのではなく、しばしば、ほんの一部分だけが新しいかどうかを問題にしている。
車に例えると、斬新なコンセプトカーはしかし市場には販売されない、とか、そんな感じだろうか。
どこかが新しい。それが馴染んでいて見つけにくいくらいの勢いでもいいのかもしれない。ほとんど懐かしいくらいに安心感があるけど、なんだか新しさがある。そんな作品。
新しさは、しかし観測側が主に判定するものだろうから、あくまでパラメータの一項目であると思って、まず「何をどう書くか」とかいった根本を意識するのが先決だろうと思う。
ううん。んんん……。
何か新しい作品を……と考えるものまた楽しい。いや、さすがに今は上記のアイデアを元に構築していくのがメインですが。
書きながら考える、というのもある。運動して無理やり血行を良くするような感じで、とにかく書いてみて流れを見てみる。昔の手漕ぎポンプ式の井戸みたいなイメージ。
すると、ご覧のようにとりとめもない仕上がりとなる。
こうして、書いた文章をネットに新鮮パックでお届けできるのは、思えばずいぶんありがたい。さすがは21世紀。
このサイトの人口もどんどん増えているようだし、この娯楽洪水の時代に、文字趣味の人が増えているというのは不思議な面白味がある。
にしても最初からネットで見られるのが当然、という状況で書き始められるというのは、ある意味、アマチュア的な時期を飛ばしていきなりプロになっているような感覚もあるのではないか。
不特定多数に読んでいただける、というのは、昔の原稿用紙に直に書いていた時代からすれば、状況としてはそうだろう。金銭の報酬の有無を別にすれば。
出版業界も、本の種類がどんどん増え続けていて「数撃ちゃ当たる」式の戦略となっているそう。多産多死。チャンスも多いが生存は困難。
そのように競争率の高い今、どこかのラノベ新人賞の総評で、「作家性が大事」とあった。
マニュアル的に整った話より、うんぬん、といった具合。
それは「こうであるべき」より先に「こうしたい」を前に押し出して欲しい、とも言い換え得るだろうか。
読者についてきてくださいとへりくだるより、読者がついて行きたくなく作家になれ、と。
生物種のバラエティに富んだ熱帯雨林で、生き残るにはどういう生命がいいか……的な。
また太古のカンブリア紀をイメージする。生命爆発という、生物種が一気に増えた時代だという。そこにいる肉食生物アノマロカリスが何となく好きです。ユーモラスな姿ですが、襲われる生物からしたら最悪に恐ろしい造形です。プレデター&エイリアンの幼体みたい。
YO・DA・N
またラノベ研究所かどこかで見た意見では「少なくとも読者へのサービスを5割にしておかないと(残りは作家のエゴ)、商品としてなりたたない」というのもあった。
6割読者サービスで、エゴ4割が大体の基準だ、と。サービス7割までいくと、わざとらしくなる恐れがあるとか。
僕の今の考えを述べてみると、「キャラが生きているかどうか」というところを重要視している。
キャラは、しかしストーリーと密接に絡む要素でもある。ストーリーで動くのがキャラで、ストーリーによって魅力を発揮していくのか、それともキャラがストーリーを動かし、ストーリーの面白味を引き出すのか、といった主従関係からすら不定だ。どっちでもあると思う。様々な名作を思い出してみて、その点を考えてみると面白い。
キャラは作者が書くので、作者の演技によって生きているとも言えるし、独立した生命でもある。嫌なイメージがつきまとう言葉だが、操り人形に近いと思う。
操り人形、とは言えど、そこに操作者が深くダイブしていくと、しばしば、人形のほうが作者を操りだすような事態となる。
ドカベンの作者の人が「まさかあそこで打つとは思わなかった。打たない予定だったのに、打っちゃった」といったとかいうエピソードを聞いたときは吹き出した。すげえことです。
ストーリーの方法論は調べれば学べるが、キャラを魅力的に……となると、僕はキャラを取材する人間観察アイと、先にも言った演技力(操作能力)が大事かなと思う。方法論で組み立てるよりも、「こういうヤツがいる」と紹介する感じか。
そういう意味で、伝記やインタビュー記事などは結構参考になると思う。
キャラクター論は、樹海のように広く深く展開できると思う。僕は迷うこと必至なので、こうしてその遠景をレポートするのさえ億劫だ。
ともあれ、特にラノベは、「キャラを気に入ってもらう小説」といった側面が強いのではないか、と思う次第です。
主従、というキーワードから考えてみるに、昨今の主人公像はふたつに大別できそうだ。
主的な主人公。ストーリーを動かしていくタイプ。
従的な主人公。ストーリーに巻き込まれていくタイプ。
当然ブレンドされているのも多いだろうが、核となる動機、行動理念にフォーカスを当ててみると識別可能だと思う。ここから、流行というか、昨今の傾向が見出せるか。
……あ、イマイチかな。もう迷った。
キャラクターか……。
言い出しておいて、自ら悩んでしまいます。
微生物の海。
個々の意識は淡く、泡のように儚い。
生きて殖えるか、死んで減るか。延々とそれだけ。
みんな、ひとつの細胞で生きていた。それが身体の全てだった。
淡い意識の網が漂う。個の意識、それとも全の意識かは判然としない。意識だという自覚すらない。あるのは、しかし意識だった。
身体はやがて変わっていく。途方もない時間に渡り、意識との主従が曖昧にもつれ合いながら、その構造を変えていく。
俺の名前は高山正宗。高校二年生だ。なんだかんだ言って友達は少ないが、まずまずうまくやっている。身の丈に合った感じかな。制服のサイズも身体に合ってきてるし、まあ、そんな感じだ。これから受験の足音が近づくにつれて圧迫感が高まっていくんだろうな。制服も小さく感じるほど、もう少し背が欲しいところだ。平均値を越えるかどうかの瀬戸際だからな。
「まーさむねっ!」
「いって! 何すんだよ!」
ダラダラと通学路を歩いていた俺の背中に、衝撃とともに頭頂部に響くようなバカ明るい声が炸裂し、それは言わずもがなの幼馴染なアイツのものだと直ぐにわかってしまう俺だし、そうと聞けば背中に弾けた感触もアイツのちっこい手のなせるワザっつーかピンポイントな鋭さなわけで……。
「なーに怖い顔してこっちをジロジロ見ているのっ!? もしかしてもしかすると、ボキュに惚れちゃったのかなあ〜? 落ちちゃったのぅ? 恋の奈落に? フォールインラヴなのねぇ、むねりん! もう……お父さんに何て言われるか……どうしよう」
「バ……バッカロウ! ジロジロなんか見てねぇし、惚れてねぇし、落ちてねぇし、奈落とか怖えし……」
俺らはこうした、丁寧なやり取りを重んじている。どんなに長くても発言を遮ったりはしない。野球のように攻守交代は厳格さ。
説明だってバッチリ含んでいるから、情景が浮かぶこと夥しい、もはや映像作品もかくや、といったレトロフューチャー。キッチュでパンクないつもの朝の一コマさ。あーあ、退屈であくびが止まらないね。あくびで窒息するわ。お、可愛い子だ。一年生かな……。
「ちょっとお! どこ見てるの! のめすよ!」
「見てねぇよ、目に自由を味合わせてるんだよ、俺の意思じゃねえ」
「ぷうー! 怒っちゃうぞう!」
「やめろ膨らむな。視界が狭まる」
膨らむ幼馴染を見て、俺は昨日焼いて食べた餅を思い出した。いや……フグだ。フグの怒顔だ。
幼馴染は草フグだった。草という苗字も珍しいが、フグに至ってはミラクル大珍名というほかはない。国民的なセル画アニメ家族の母しか前例はないだろう。いや、あれはフネだった。フグ田サザエの母の名である。俺は、昨日テレビで見た例の髪型の立体感を思い出した。ナショナルの提供でお送りされた。
「な……なあに? もしかしてもしかしてもしかすると、ボキュの髪、寝癖立ってるぅ?」
「背ビレみたいなやつならいつも通り立っているな。オペラハウスみたいな感じで」
「ちょおっとぉう! ボキュの髪はそんなにオフホワイトじゃないぞぉう! ぷんぷんぷうー!」
俺はそろそろ面倒臭くなってきたので、なんだかんだあった後、フグと相思相愛になった。相当に、なんだかんだあったんだぜ。びっくりさ。フグの膨らむときのガスが、呼気ではなくて、実は特殊なミラクルエネルギー体だったってのが、一番のびっくりネタかな。
あと、フグの両親が離婚して、苗字が変わったな。
草フグから、虎フグになったんだ。
それはちょうど俺らが付き合い出した頃で、なんだかしらないが、虎の凶暴性を発揮し出すようになったんだ。やってられないよ。名は体を現すって言うけど……ほんと、まんまだもんなあ……。
「ガルルルル……! ガブぷっくぅ〜!」
「いてて! いてえ! こら、おいこら! 右上腕に噛み付いて、そして頬を膨らますんじゃない! 痛いしなんかガスの圧力が感じられる!」
俺たちは、ファミレスで嫌な注目の集め方を演じるのであった……。とほほ。これだから海水魚は……。
次回予告
二度あることは二度あった! 七つの海の内のふたつくらいは待望の第二巻!
もはや名前が表記されるのは冒頭の一回程度に落ち着きつつある正宗は、アイデンティティがやせ細って食も細る! 肉よりも、魚! いやいやむしろ白身魚な高校生!
「あれから一週間……長かったような、短かったような……」
焦点の淡い正宗! 青春の黄昏!
「ガルルルル!」
そこに噛み付くお待ちかね! 虎フグ!
ピンチにつぐピンチの正宗……。彼の命が、どこからか摂取してしまった致死性の毒に揺らぐ時……虎フグは、覚醒する!
具体的には、虎になる! フグを捨て、虎に、その身体が変じていくのだった……!
その様子を目の当たりにした正宗は、果たして、何を思う? そして、その致死性の毒をデトックスできるのか?
乞う、ご期待!
「母が再婚したの……。コスタリカの人。名前は、タイガーさん。……そう、だからボキュは、今はもう、もしもしもしかしなくても、タイガー・フグなの。あはは……笑っちゃうよね? もうほんっと……K1選手みたいでしょう? なんかさあ……強そうだよね……」
「はぁ……はぁ……。苦しい……あぁ、やべ……視界に色がねえぞ。わかんねぇ。なんだこれ……」
揺らぐ意識。
混濁する自我。
場所、自分、その境界を把握できない。
ここは海か。
確かに、広い。果ては彼方だ。
方向がない。量も密度もない。単一。全てが、溶けて合わさっているのだろうか。もう、わからない。
……いつから、いつまで、こうなのだろう。
……なんだろう。これは。
……なんだ。
……な……。
………………
…… ……
… ……
……
…
…
…
.
「さてここで、本年の干支、午年を、二巻から登場する新キャラクターこと、わたくし、ウマズラカワハギがお知らせいたします」
「ちょっ! なんなのよあんたぁ! タイガー、許さないんだから! ガブぷっくぅ!」
「やれやれ。愉快な海産物たちだぜ……」




