ゴーヤは完熟するとオレンジ色
なんか、前回の更新から一ヶ月経っている。
時間って、進むもんなんだね。
最近のはリラックスしすぎて長くて無秩序になっていた気配があるので、かるくコジマジック的に整理して圧縮して書こうと思う。豚骨ラーメンで言う、ハリガネあるいは粉落としなスピード感を目指す。
粉落としとは、いったい、どういうことなのか。
♪~プロフェッショナルのテーマ(シカ作オ)
【駿、やはりおそるべし】
昨夜はプロフェッショナルSP。我らが駿の、風立ちまくる密着取材ドキュメンタリーであった。現実とは思えぬファンタジー世界な仕事場で、バリバリと作画と絵コンテを進めながら、駿は頻繁につぶやく。
「面倒くさい」と。
僕は、専門学校時代に「それだけは絶対に言ってはいけない、それを言うようなら、芸術で食っていくのなんてやめちまえ」みたいな勢いで教わってきた。
なのでびっくりした。駿ともなると、それくらいの次元は越えるのだなあ、と妙に納得したが。
そして本当に、ストーリーの結末は、なんと、ぶっつけで、制作の終盤でやっと決まるのである。
やはりびっくりした。
駿は、僕の教育と理解を超えまくっていた。
尋常ではないプレッシャーだろう。アニメ映画なんて、本当に大きな仕事で、そんなビックプロジェクトを、結末が未定のまま全力で創っていくなんて……。あまりにもおそろしい。そんな作り方、大丈夫なのか。命と脳と胃袋がいくつあっても足りないだろう。
やはり映画館で見たいけど、泣きそうだから勇気がいる。人生初の、ひとりで行こうかな。
【お盆、田舎と都会】
もう二週前か、東北地方にお盆帰りした。地震の影響はさほどない。軽く土が流れた所があるらしいのと、木造の家の壁にヒビや隙間が発生したくらいだ。被害は比較的、無に等しい。
いろいろと、祖父母や先祖のエピソードを聞き、思いをはせる。でっかい金庫から、古い硬貨が出てきたので、いくつか拝借した。時効まで逃げ切る所存である。
一番古い一銭銅貨には、なんと明治14年とある。だいたい120年前。ライト兄弟がまだ空を飛んでいない時代だ。想像を絶する。
大日本、という国が発行した硬貨。なんだかクオリティも高いし、オーラがある。
と、田舎と都会の二元論を書こうと思っていたのでした。書く。
田舎には人間が少なく、希少である。そして自然は溢れんばかり。
都会には自然が少なく、希少である。そして人間は溢れんばかり。
というわけで、価値観も逆転する。
いや、正確には逆転しない。歪んだ円は反転しても歪んだままなのだ。
田舎では、絶対的な孤独を感じる。人間が少ないからだ。ふと遭遇した猫などを、背中が見えなくなるまで目で追ってしまったりするほど、さみしい心持になる。ちょっと大げさに書いているが……。
そして都会では、人間の河に揉まれ、しかし相対的な孤独を感じる。これはいかに、である。
まあそんな感じで、人間は集まりすぎても散らばりすぎてもイマイチなのか? と考えた次第である。
なんにせよ、自然はスゴイ。たまには思いっきり包まれてみるのもいいだろう。人間としての眠れる感性を呼び起こすイメージで、都会に染まりきったチャンネルを自然の物事へと合わせてみよう。
【山ぶどうワイン】
これぞジャパニーズワイン、というモノを頂いた。そして惚れた。
山ぶどうの味は、まあ、野生な感じで、甘味が少なめで酸味と渋みがあり、そして濃いのが特徴。薬効的にカラダには良さそうだが、果物扱いでパクつける味ではない。などと言う僕はフレッシュでは食べたことはなく、頂いた100%ジュースを飲んでみての感想なのでした。
で、山ぶどうワイン。これは、山ぶどうの原種と交配種とを、両方混ぜて作っているワインだそうでした。
海外のワインでの渋みというか、ちょっと薬っぽいようなエグミと風味が僕はイマイチだと感じていて、ワインはあまり飲めない人間でしたが、この山ぶどうワインはたくさん飲めた。二日で、ほとんど一本飲んでしまった。
エグミと薬っぽい風味に代わって、野生っぽいワイルドな渋みとイガイガ感が、控えめに残るような後味。なんとなく、自然なのだ。好感がもてたし、胃のほうも、多量の受付を許可した。
もちろん完全に好みの問題だろうが、前述の海外ワインの感じに不満のある方は、あるいは気に入る可能性が高めかもなので、軽くオススメ。
国産ワインは、もうブーム直前くらいかな? 日本酒ももっと活気が出てくればいいけど。
他には、母方の親戚の叔父さんが、父と競うように飲み続け、グデングデンになった頃に封を切って一杯ごちそうしてくれた、“紅霧島”とかいう、紅芋で作った芋焼酎(でも無色透明。だいぶ高価)が、とても華やかで美味しかった。しかし父は、これを飲んだ記憶を保持できなかったそう。残念なことである。美味しかったのに。
高い良い酒は、早めに飲む。これは基本戦術に設定しておこうと思う。
【たのしい歴史】
前々回だったか、無知蒙昧なクセに歴史について、あーだこーだヨーダと書き綴りやがった僕であったが、やはり己の無知蒙昧ぶりを改めて思い知るありがたい流れとなった。僕は小さい天罰なら、わりと頻繁に食らうタイプである。いやデカイのもあったか、確か。
どうでもいいけど、しかし無知蒙昧って、正確な意味はピンときてないよ。
井沢元彦さんの、“逆説の日本史”シリーズと出会う。
これは、日本史学界では、珍しい、ワンマンによるトータルでの流れをまるごと研究するスタイルで連ねていく一大個人プロジェクトである。そういうのを、通史、というらしい。
そのスタイルは古代ローマやギリシャなどでは塩なんとか七生さんが有名で、兄もお好きらしい。曰く、そのなんとか七生さんのエッセイが、イタリア生活でブティックがどうのと、あまりにも普通なんだけど面白い、という異な評価であった。古代ヨーロッパ史は、駿やアメリカも参考にしたそうだから、やはり栄養豊富な分野なのだろう。兄の勉強チョイスセンスは僕の比ではなく、それ以前になんというか、ちょうど僕が興味はあれども全然手つかずな分野を深く探究してくださっているので、ものすごくありがたい。
そう、二人して全く同じことを勉強しても、旨味も益も少ないだろう。(比較検証くらいか)
ちょうど夏休みの宿題といったノリで、手分けしてやるのがナイスなのだ。
詳しくは、そのあたりは、現役の学生さんに実験していただきたい。
ともあれ、ようやく歴史の面白さを知り始めている。ありがたいことだ。ごっそりストーリー作りの参考になるし、まったくたまらん。
歴史などと堅苦しい言い回しだが、要は、人があーだこーだヨーダとした話でしかない。その運動単位や影響範囲が大きくなって、社会だ国家だ価値観だ、などと色々ふらふら変化していくのを面白がればいい分野なのだ。
スターウォーズみたいなものだ。さすがに教科書はツマランだろうけど、歴史ドラマとかは、まだ楽しめるでしょ。その延長・拡大解釈すれば、けっこう歴史も面白がれる。かも。
まあ、テストの点はすぐ上がったりはしないかな。しかしシュミとして、オススメ。
誰でも一人くらいは気に入っている偉人はいるだろうから、その人を始点にして調べてみればいい。軽いノリで。
そして、今現在というのも、歴史の一部であることを思い、戦慄するのだ。
戦争は、やだなあ。どこでどんな代理戦争が起こることやら……。
そう、脱教科書の入門書して、“たけしの20世紀日本史”を強めにオススメ。これは楽しいし、読みやすい。ちゃんと痛烈だし。
【マンガ、おそるべし】
そろそろお気づきだろう。僕は「おそるべし」という言葉が好きだ。どうにもなんとも、大げさすぎて面白い。子どもの頃からそう思っていた、と最近思い出し、よく使うようになった。頑張って局所的にでも流行らそうと思う。
おそれ知らず、というのもかっこいいけど、度を越すと危ないからね。もっと色んな事に畏怖の念をいだくべし。何より一番おそろしいのは、何も知らない、ということだろう。
けどそれは案外、幸せでもあったりするのだろうが……。んん。
などと、もやもやした時には、マンガで気晴らし。やはり日本のすごい分野だと思う。僕らの身の回りに当たり前に溢れているけど、レベルとか活気とか、世界でもこの国だけでしょ、ふつうに。
だからヨーロッパを始めとして、世界で日本マンガが売れまくる。まったく第二次ジャポニズム。
なんでこんなにマンガはギンギンなハイレベル激戦区になっているのか……。世界をリードしてる分野なんて、今や貴重ですよ。すごいよね。
で“ハチワンダイバー”がとんでもなく面白い。とーよー君に紹介されて読み始め、まさしくダイブした。ちょっと絵がもっさりしてるけど、じわじわと、カイジ的な魂レベルのヒリヒリ感が加わってくる。どんどん面白い。ふざけかたも好きだ。ツボ。そして将棋のことを一切知らない僕でも楽しめる、そのスゴさ。
と、忘れていた。
逆説の日本史、これを紹介してくださったのは、あの伝説の炭水化物作家さんなのである。
この場で、こっそりと感謝させていただく。
ありがとう。お米さん。
ガンツもいよいよクライマックスだ。完結マジか。
相変わらず主人公が無敵ハーレムながらに地獄のごとく苦労するマンガだ。ものすごい二極性。
終盤で、ついに作者が過激な仏のような思想を展開する。アリと人間の命の重さがどうのこうのと。
それは、スムーズに手塚治虫の“火の鳥”的な思想につながる。
ともあれ大クライマックスパート。これは序盤などのこれまでのイメージと比べると、ちょっと大展開すぎるからか、ネットでの評判はイマイチだとか。まあ、だろうなあ。
まさしく、お釈迦様の手のひらの上。
しかし作者は最初からこのクライマックスでいくつもりだったのかどうか……それさえも、あまり関係ないか。とにかく、このストーリーを選んだことに、僕は敬意をこめて称賛を贈る。偉い。そして相変わらずエロい。そしてグロい。ずっとグロい。全巻グロいから、さすがに慣れてしまいそうだ。
しかしエロには慣れない。
慣れたくもない。
それは断固として主張する。
エロは基本好きだ。
エロに罪はない。
しかしTPОをわきまえないと、PTAやWHОに怒られるだろう。
僕は、何を言っているのだろう。
エロなしの作品のほうが好きだったりします、などと、いまさらな自己弁護しておく。
【変態、生物の】
チョウは、卵からいきなりは生まれない。幼虫とサナギを経る。変態だ。
それをテーマに放送した、Eテレの油断ならない番組のひとつである“地球ドラマチック”が、心に残りまくった。
さすがはイギリス国営放送の制作。あからさまに人類を皮肉ってる。しかしそれについては後述。
まず、なぜ幼虫はチョウになるのか。
ずっと幼虫のままでも、生物として、問題ないのではないか?
これを、超いまさらながら、疑問に思ってみて欲しい。
子どもの頃には、まったく疑わなかったことだ。なぜチョウになるか、なんて……。
さて、シンキングタイムはいずれ終わる。それが世の常。
チョウになることで得られるメリット・変化を考えてみよう。
移動力が格段に上がる。(繁殖活動に有利)
生存形態と、エサが変わる。
……と、ちょっと当たり前すぎる話なのでやっぱり結論だけ。
一種類の生物なのに、その一生において、全く異なる形態と生き方へと移ろう。それが生存戦略、つまり、生き抜く方法。
役割分担、とも言える。幼虫は食べまくってエネルギーを貯める。そして変態、チョウになって繁殖を目指す。(生物は、多くの種が繁殖のために生きて、死ぬ)
確かに、卵からいきなりチビなチョウが出てきても、どうにもならなそうだ。蚊ですら、変態するし。
ていうか、飛ぶ虫って、だいたい変態するな。
でもGはあれか、サナギとかじゃなく、脱皮を繰り返すだけかも。
まあ、しかしなにしろ、幼虫というシステムは、なかなか興味深いものだ。
単細胞生物などを想起する。スケールは違えど、プランクトンみたいじゃないか。まったく、どうやって進化してきたのだろうか……。魚が陸に上がったルートは有名だが、虫のルートは思えば謎だ。
ともあれ、虫というのは、大人が大人げなく思考対象にすると、けっこう面白いと知った。
グロいけど。
【ウニも変態】
エビやカニが幼生というプランクトンベイビー時代を経過するのをご存じの方は多いだろうが、ウニも、となるとなかなかオモシロ情報ではないか。
海面近くを漂っていた幼生は、変態間近になると、海底などの、オトナの生活エリアへと移動していく。そして変態、姿かたちと生活方式が大変化する。
そういえば、ダンゴ虫はエビの仲間だという。では、虫というのは節足類の陸棲版かな。魚だけでなく、エビも上陸していたってワケか……?
ダンゴ虫はエビの仲間、と書いたが、実際にエビたちがダンゴ虫を仲間だと認める保証はまったくない。念のため、書いておく。
それにしても生物は面白い。特に変態がこんなに面白いとは。
そして番組では、不敵にも、ここでカフカの“変身”のあらすじを幕間にぶっこんでくるのだ。まったく、やってくれるものである。
人間は、自分も変態しちゃうんじゃないかと、恐れているのです、それは、古来より、連綿と伝承されている物語などでモチーフとして扱われていることからも……などと、やかましいことを流すのだ。
人間も生物。当然。人間も動物。当然。
語るまでもない。恐れるまでもない。
とりあえずそういうのはいいから、人間ならではのナイスな生き方を探そうぜ、ってノリで、文明はここまで来た。
川平慈英「来てしまった!」
心や精神などの、非物質な部分ならいくらでも変態する恐れはあるよ。だって、人間だもの。とんでもない可能性があったって不思議じゃない。
生物には、ものすごい力があるのだ。
その生物界の大大大後輩と言うべき、この人類は、ちょっと今だけ調子に乗っているだけだ。あるいは、ホンモノなのかどうか。それが問われ続けているだけです。
そういやGなんて、何億年も存続している。
我がG軍は永久に不滅である、てな勢いだ。僕は長嶋さんは大好きなので、応援する。色んな意味で。
恐竜時代は一億三千万年くらいだったか。想像を絶する長さだ。奴らは、爬虫類の仲間だと思われがちだが、恒温動物である。つまり冬眠とかしない。確か。
それで後半などでは、草食恐竜の一種が、子育てシステムを始めた。
一方、性能の低めなネズミみたいなのしかいなかった、我らが哺乳類軍は、胎生、つまり卵要らずの繁殖スタイルを採用していた。(時間関係は前後するかも……日本史無知蒙昧現象のデジャヴである)
でまあ、隕石だなんだという環境の大激変によって恐竜は滅び、小型なパ・リーグが大リーガーになったのだ。
そして、やがて、人類、そしてイチローが生まれ、4000本安打を積み上げるのである。
だが、忘れてはいけない。
その素晴らしいイチローの頑張りを支えた存在があることを。
弓子夫人の朝カレーと、ユンケルの存在である……。
決して、忘れてはならないのだ……。
ユンケルは、昔、タモリがCMキャラクターだったということを……。
ユンケル……黄帝液……。
黄帝の、液って……どないやねん……。
【バッタの精神的変態】
こっぴどく脱線したことをお詫びはしない。反省もしない。
媚びぬ、引かぬ、省みぬ。byラ王
セザンヌ、スザンヌ、ルノワール。
(いま知らない人名が出たぞ、という方のために、補足。スザンヌとは、斉藤カズミ投手の妻である。以上)
さて、楽しいショッキングな話に戻ろう。
この、バッタの話はまさしくクライマックスだった。僕の心に残りまくっている主因である。
バッタ。なんの変哲もない緑色のバッタ。(外国産)
こいつは普段、単独行動を好む。それは比較的狭いエリアで暮らし、エサを分け合うためであろう。離れていたほうが、エサの取り合いになりにくい。つまり、生存&繁殖に有効なのだ。
で、この緑バッタの後ろ脚に頻繁に刺激が加わるようになると、その生態が時間をかけて(何代かに渡るという)変質していくという。
後ろ脚に刺激……? と思うだろうが、これは単に、生活エリアが減り、密集せざるを得ない状況下に陥り、そのようになったぞ、と判定するためのセンサーとして後ろ脚を選んだのだろう。つまり、バッタたちが混み合って暮らしていくと、習性がガラッと変わるのだ。
ついでに、見た目のカラーリングもすごく変わる。緑一色だったのが、黒とか黄色とか、なんだか危ない感じになる。(黒と黄色の組み合わせは“警戒色”といい、蜂などにも見られるように、高飛車なイメージを与える攻撃的な色合いだ)
で、習性の変化とは。
まず、集団行動を好むようになる。緑の頃とはまったく正反対に、である。
で、イナゴの大襲撃、みたいな食事スタイルとなる。つまり、集団で飛び回っては、道中の草を食らいつくしていくのだ。まるで世紀末である。
おそらくこれも、幼虫とチョウの関係の別バージョン、言わば変奏みたいなものだろう。
集団移動は、長距離に渡る。たとえばその道中ではぐれたりしたバッタは、また緑の一匹狼に戻って、そのままはぐれた土地に根付く。つまり、生息地の範図を広げるという運び。また単に、エサが減って追い詰められて、という生物的な対ピンチど根性システムでもあるのだろう。実に巧妙だ。
まったく、がばい連中である。たくましすぎる。おそるべし。
……と、こうしたことと、人類との共通性は、それぞれが好きなだけ考えればいいとは思う。僕は、あまり気にしすぎないことをオススメしておく。
面白がれる程度でいったん控えておくのも、賢い勉強戦術といえるだろう。
それと、これは書いておかねば。
僕は、変態な人間もけっこう興味があるし、好きだ。詳しく観察したいし、ざっくり言うと、憧れている。
変態と天才は、本当に紙一重なのだ。というか、同一生物の違った側面とすら言えるかもしれない。
ではでは、お互い、法と健康と交通に気をつけて、なるべく幸せに生存していきましょう。
僕も健康を目指すにあたって、ユンケルは高いので、朝カレーくらいから試してみようと思う。あと素振りでもしたいなあ。いや、その前にランニングか。
涼しいと、ありがたいよね。猛暑のおかげで、そのありがたみを痛感。




