平成鎖国
林マリコさんの『野心のすすめ』という本を読む。大変ナイス心意気で書いている。日本のため…という動機で書けるなんて、ペンは原爆より強く優しい、です。
無駄のない平易な文章で、子どもにも読んで貰おうとしていてまた尊敬。カッコつけて難しく書いてその功績オンリーで褒めて貰おうなんてチャチな理念はもう前世紀の生臭いゴミなのだ。大事なのは内容と目的、それが芯だ。ひとの生き方にも通ずるだろう。
出発点も到達点も外部まかせ。何をおいても自分不在なのが、現代の生命力の不足を招いている。与えられ根性。指示待ち人間。
個人的な鎖国。集団的な鎖国。国としても鎖国。
生きることは巡ることである。
これを否定するひとは、呼吸と血流をなんとする。物流をなんとする。世代交代をなんとする。
死にたければどれでも好きに止めるがいい。ただの犯罪なのでオススメはしないが。
亀山モデルの技術を台湾に出し惜しみしたシャープは、創始者、松下幸之助の理念とシンクロしているのだろうか?
家電トップを守れないのは自明の理であり、すでに陥落しているのだ。販売量など、大きな数字での勝負に固執していては、何も巡らない。
できることをなぜやらない。
後発を育てればいい。家電技術は円熟し、時代のニーズが流れ、満たされ、国内に開拓の余地はない。
本当はもう小さなパイなのに、それしかパイがないかのように貪り、奪い合う。その醜さ、愚かさ。
もう地球規模の生き方をしてもいい頃だろう。特に、大企業は当然のように国境を越えている。当たり前だ。日本はいま鎖国政策なんて敷いていない。
ただ、広い人々の心が閉鎖されているのは由々しき事態だ。現代は、次々生まれる新条件のメリットデメリットに気をつけて見極めて動き、そして活かすべき激動の時代。
なのに、しかしみんな寝ている。与えられ根性。哀しき座敷犬。
不幸でしかない。
呼吸はこれだけ、血流はこれだけと、自分で自分にギリギリ配給して生きているのを幸せと設定してしまっている。
配給。ぜいたくは敵か?
廃棄は悪だ。エネルギーを殺す、つまり、それは人間の営みに巡るべきエネルギーをカットしてしまうことだ。
なぜ、もったいない、が世界で褒められるのかを考えよ。
そして、いま日本は、何を「もったいない」と惜しがっているのか。
野心である。努力である。向上である。
エネルギーを使って、自分を巡らせようとする労力を「もったいない」とケチるのだ。
鎖国。自給自足もできないひとが、そんなことをしてどうなる?
ただの緩慢な自殺である。生きながらにして安楽死である。
死という滑走路へとゆるゆる下降しているのを水平だと決めてかかり、安堵するのだ。
恐れよ。自殺は最大のエネルギー放棄だ。
なぜ、日本人は引きこもる?
物理的に引きこもる、それに加えて精神的にも。
どっちかでいいだろう。なぜ両方やる?
ブログでもなんでもいいから、趣味が合うひとや気に入ったひとには声をかけたらよろしい。ファンレターみたいなことだ。なぜ惜しむのか。アイドルは神と崇めるのに。その好きのエネルギーは一方通行専用か?
(僕も厳しいお手紙、お待ちしてます)
誰もが好意に飢えている。お互いに出し惜しみして、さらに飢える。しまいには、奪い合い、妬み合いの噛みつき合いだ。
戦争。日本はその意味では戦時中だ。内乱中だ。エネルギーの殺し合い。そりゃ国は沈む。
この国にある資源、エネルギーは何か。
物体的なものではないだろう。当たり前すぎて、フリーなココで書くにも忍びないくらいだ。
では、物体的ではないエネルギーをも枯れさせたらどうなる?
そこの十代の皆さま。どうなるとおもう?
ネットに、敵はいるのだろうか。気に食わないヤツをやっつけてロンパして消すことにエネルギーを燃やす場合だろうか。時代だろうか。
イジメは、なぜなくならないのだろうか。
戦争は、なぜなくならないのだろうか。
この国は、なぜ良くならないのだろうか。
草食系男子。
装飾系男子?
中身はあるか。あなたの個性は。流行のパッケージに収まるよう、自分をトリミングしていないか?
あなたは誰だ?
悪いが僕は知りませんし、誰もあなたが誰かなんて知りません。
あなたが発表しない限り。
オタクを恥じる時代は過去だ。
誇れ。そのエネルギーこそが黄金だ。
カネを蓄えておいてまで人々が希求するエネルギーだ。心を動かし、誰に言われなくとも自発的にやりたいからやるという、オタクエンジン。
エネルギーの殺害こそを恥じろ。ブレーキペダルから足を離し、アクセルを踏め。
そして、暴走事故には気をつけて。じわじわと恐る恐るゆっくりでいい、そのエネルギーを使うといい。加速しろ、巡らせろ、そして教えてくれ。
その素晴らしさを、あなたの声で発表してくれ。それが最高に面白い。まだ知らないから。
僕は、こんな感じが日本を浮上させる最善手だとおもっている。
あと社会の荒波に揉まれ、オトナ修行で研ぎ澄まされた技術と経験をもつひとは、その蓄えられたエネルギーをも材料にして使ってみて欲しい。何をためらうことがあるか。減るものではない。
やらなかったという後悔が、どうしても生涯欲しいというなら別だが。
やって失敗して恥ずかしくても、だからどうしたと成功を目指せ。生きることを諦めるな。
恥をおそれ、恥を得ることなく朽ちること。これこそが最大の恥だ。
恥を知れ、そのためには恥に飛び込め。生涯、恥に一度も触れずに、いったいどこまでいけるとおもうか?
巡れ。同僚たちや学友たちの怯えた眼差しに気づき、まず、好いてやれ。声をかけろ。図書室で頻繁にすれ違うなら、もうそろそろ声をかけてやれ。たぶん最初は怖がられるが、さりげなく繰り返せ。諦めるな。失敗を糧に、次を見ろ。失敗さえも得られないことを恐れよ。
ゼロ年代の世代。無から有を生め。できるだろう? なぜやらない。言い訳をつくるヒマがあるのに。
嫌いなヤツに嫌いと言う。
同じエネルギーで、好きなヤツに好きと言えばいい。
でもでも、嫌いなヤツに嫌われてもいいが、好きなヤツに拒否されるのは怖い。
もちろん。当たり前だ。だが、だからそれがどうした。誰オシかを平気でのたまう口が何を言うか。それを身近なひとにスライドするのは宇宙スケールの大事業か?
ならこう言おう、嫌いなヤツに嫌いと言うエネルギーをケチれ。貯めておけ。どうせゴミにして排泄するくらいなら、有意義なエネルギーのまま温存しておけ。
しかしまあ、それだけだと普通はパンクしますので、どうにか健康に合法的に処理していただきたい。
楽しもう。でなきゃかわいそうだよ、自分が。
環境のせいにする。それで環境は変わらないよ、把握には役立つけど。
さあ、環境・条件を把握したら、対処法を楽しく探そう。知恵を絞って遊びましょう。
答えなんて与えられません。見つけてください。もしできなかったら、寿命のあとで神様に答え合わせされて「やり直し」でまた同じ条件に生まれ直す。と、そう仮定したらすこしは焦る?
じゃあ、そうです。生まれ変わりってそんな感じ。
ちいさいことでいい。最初の一歩がとてつもなく尊いのだ。まさに月面への一歩。探して、踏み出してみてほしい。減るもんじゃない。むしろ鍛えられていく。
……と、いうような論調ではない本でした。
筆者が還暦近いですからそのあたりの読者にクリティカルで、僕はさらに理論派なので野村監督の本の方が楽しかった。文章のプロの文章より、野球のプロの文章のが面白いというなんとも不可思議な現象。野球ファンだからね僕は。あとこの本は理論派じゃないひとの「共感」にターゲットを絞っているかも。
でもほとんど似たことを言っているのがまた面白い。野村監督と。
さて、まあとにかく僕は、虎の威を借る狐です。それを発表した次第でした〜。へへーん。テヘペローん。
【昔・田舎・その復活】
中央集権への極大はピークをすぎた。東京だけが日本ではない。当たり前。むしろ、お米を生産して支えている地方が日本人のカラダを作って支えているのです、思い出してよ。
みなさん、いま東京にお住まいのひとでも、何代か遡れば田舎に行き着くでしょう?
つまり、そのカラダのDNAは田舎産だし、それくらい昔の時代の生活といえば、つまり江戸300年くらいの時間の中でどのような自然淘汰を経てたどり着いたカラダであるか、そのようにある意味動物っぽく考えてみますと、現代にわらわらと食物アレルギーなどの恐ろしい症状が現れている事実にひとつのアプローチの仕方が見えてくるだろう。
僕はここで、その推論を展開していく。
ここ数代の日本人は、カラダに合わない生き方をしてきた。食品添加物や脂質、糖質、動物性油脂の過食。昔は、子どもが大きくなる確率は低かった。赤ちゃんが病死したりなんてしょっちゅうだ。それは大人でもランダムで、次に誰が死ぬかわからないような時代。カラダの健康が本当に大事にされた。
しかも職業は百姓。百の姓というだけあって、万能性が問われる仕事だ。
春は田んぼを作り、田植え、除草、畠仕事、稲刈り、脱穀。冬には家で藁から縄を結い、わらじやなんだと色々つくる。自然が相手なのだから、休みなんてない。主婦も赤ちゃんを背負いながら一緒に野良仕事だ。
それでも自然淘汰で死ぬ。だから村落では、近い数件で組みをつくった。助け合うためだ。代を重ねていけば、家ごとに浮き沈みがある。優秀な初代だからって、二代目が冴えてるとは限らない。知恵ものも力持ちも、使いようが大事である。
行事や家の修繕でも組みは大活躍する。白洲正子の本で、茅葺の屋根を葺き替えるとき、それ専門の屋根屋でもない、現地の百姓集団が鮮やかな手際であれよあれよと仕上げのを見て感激したという。
百姓、恐るべしなのだ。
いまの仕事はなぜ退屈か。
さて、カラダの話に戻る。
簡単に言おう、ヨーグルトより味噌の方がカラダに合うに決まっている。考えてみれば当たり前だ。そのような腸だっつーの。
味噌汁、これは暖かい点も素晴らしい。ホッとする。昼ごはんの弁当が冷えてても、暖かい味噌汁があればすこしは許せる。そういうことなのだ。
ヨーグルト、これはデザートの域を超えないと見ていい。冷たいし、腸のみんなはビックリする。まあもちろん、菌の改良などでイイことはイイだろう、僕の父もそっちの道に携わっているので、ヨーグルトも買ってください。よろしく。
しかし、日本のこの素晴らしい大豆文化の縮小は大変なタイタニックカウントダウンではないのか。
大豆は畑の肉です。水をおそろしく使う畜肉より、よっぽどカラダと地球にヘルスィー。
おからを捨てるな!
タンパク質を棄てるなんて、狂気の沙汰だ。許すまじ、肉を返せ。
額を出せ、肉と書いてやる。油性で書いてやる。米でもいい。
厚揚げって、美味しいよね。居酒屋行ったら、レギュラー注文してあげて。
おからを捨てるな!
豆腐や豆乳をつくるとどうしてもおからが出る。これを味噌作りに混ぜたりできないか…。玉味噌という、味噌を軒下に吊るして乾燥させてから熟成させる方式があるらしい。
お盆で帰ったときに買いにいくことになったので、とても楽しみ。
そう、自分のカラダのルーツである地方の味噌を食べてください。それが腸とDNAに一番優しい健康法ではないのだろうか。もちろん、他の発酵食品でもいい。とにかく、腸内を効率的に健康にすれば幸せ気分になるのだ、マジで。第二の脳なんだって。たぶん、見た目が似てるから?
オマケに、確定ではない研究者情報を。
味噌を投与したマウスは、放射線に強くなったらしい。より熟成された味噌ほど、放射線に強いとか。
大豆をつくるところから、各家庭で味噌を作るブームまで広めたいところだ。クラフトビールなど、ご当地ナニナニは元気なのだ、こういう「まさに」なご当地文化こそを、復活させて楽しみたいのです。
食いしん坊「お米食べろ!」
自分のルーツを探るには、親孝行もセットとなります。一族の現在位置としての、自分。この大きな長い世代とご先祖様を背中につけている僕らは、うかうかしている場合ではない。文明開化くらいは楽勝にこなし、地球をユートピアにしてしまうくらいの勢いで、しかし古来のシャイで謙虚な三つ指で姿勢良く取り組んでいきましょうよ。きっと楽しいよ。
ツインテールを叩いてみれば、文明開化の音がする。
ネギっ子「みっくみく〜♪」




