表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
にっき  作者: コスミ
夜明けまえ
35/51

三ヶ月間

例えば店をやっていて繁盛するとありがたく嬉しいことのはずなのだが、忙しくなってついつい顔から笑みが消えてしまう、というような。

試練をいただけたら成長できるのでありがたく嬉しいことのはずなのだが…。

いらっしゃいませ〜、と最安値の業務用スマイルをしながら、内心このクソ忙しい時に来店してんじゃねえとあらぬ怒りを抱いてしまう。ていうか繁盛すんなよ! とまで思ってしまったら、もう店の将来が危うい。店じまいして、売り上げを確認して初めて嬉しがる。本当なら営業中に客に向けるべき笑顔を、最悪あるいは今仲間に向けるべき笑顔を、それ自体の原価は数円の長いレシートに書かれた数字に向けている。そんな店の将来はない。そういう店主は、小旅行かカウンセリングに行った方がいい。僕は田舎へ行く機会に恵まれ、ありがたいことに落ち込むような失敗をいろいろと発見した。まったく…。


田舎から自宅に帰ってきて昨夜の最後、父は「腹一杯食って寝て、目ぇ覚めたら起きたらいい」と言った。言い終わる瞬間にはもうこれは失言だったかと疑うような沈黙がかすめたが、僕はうんと小さく生返事でその沈黙を引きたてておいて目線を落し、考えた。


目が覚めたら、起きる。そりゃそうである。しかし、もし父会心の決まった感じのドヤ顔セリフよりも、こうしたハプニング的なうっかり気味の発言の方が、神秘を言い当てるにはふさわしい。と直感。おかげで言葉を馬鹿にする暇はなかった。何か、啓示がありそうだぞ…。と、逆のルートで父を尊敬する。さすが、もってるな、と。


一泊二日の帰省の間も、父はいろいろと良いことを言った。きりがないのでカット。

僕は、行きの新幹線であることを思い出し、心の中でまた対面し、その時、何かをすこし気づいた気になって得意になる暇もなく、いきなり泣けた。

ぼんやりと移動する。あんまり人のこないけど何かが日本一な綺麗な湖。天気が良すぎてまぶしいせいか、考えすぎて脳漿が漏れたのか、ちょっと泣けた。

三ヶ月間…。


その後、築年数が年上なホテルへ。仏教聖典を初めて読む。驚くと同時に納得だが、パンセとメッセージはほとんど同じだった。かなり良い事を言っている。が、弟子か編集者か知らないが、誤解が生まれるように書きかえているのは明らかだった。子どもの頃も聖書や宗教には違和感を覚えていたが、今ならあるていど明文化できる。


教えを守れ、という教えを強調していた。それはアホな子どもの僕が勘で気づくくらい明らかに間違っている。なぜ教えを守るべきか、という説明をまず全てしないと、盲信を生む。とにかく信じればいいのだ、と。それは違う。信じるのは結果だ。

例えば礼儀作法。その作法を会得すればいいのか、それとも、礼儀の心の知ったからこそそのように丁寧に振る舞うようになればいいのか。言い換えれば、作法が出来てさえいれば、その人は心の底から礼儀正しい人なのか。ということ。

原因と結果を切り離して都合よく使ってはいけない。セットで初めて本当になる。


二日目は父の実家に行く。僕が取り組むべき、軽土木作業の手伝いや視察やなんだということはすべてなおざりになっていた。まずい仕事になっていなかったかすこし不安だ。働きぶりのキレはいつにも増して悪かっただろう。怪我の無い事を第一目標にしているとはいえ。しかし楽しんで取り組むという僕の大きめのテーマを、しばらく忘れてしまっていた。


言葉ばかりだ。


僕は考え、言葉が頭に流れて埋め尽くしていく。心を言葉に変換してダラダラと文字を生産し続けた。


言葉とは、道具。

何かを伝えるための道具。


道具は、使うものだ。道具に使われているようでは、いい仕事はできない。


伝える、気づかせるために。目的。

では、目的が果たせるのなら、どうしてさらに道具を使う必要がある?

道具を使う、ということが目的にすり替わっていないか?

伝えるという目的を持った道具。


想い。片方が目と耳を塞いでいては、どんなに最高の言葉でも、少なくとも50%は届かない。お互いに聞いて、通じてやっと100%。


言葉の強さ、素晴らしさを知って、だからこそ言葉少なになる。真の覚者は、相手の言葉の中に相手の求めるものがあると見分けたら、そこに注意せよとほのめかすだけで、自ら何かをやたら説こうとはしない。必要なことが起こり、全て揃っているのに、ことさら余計に加えて紛らわしくしてしまい、迷わせてしまうことを避けて口をつぐむ。


自分の口から出た言葉だ、自分の頭にこびりつく言葉だ。誰よりも自分に意味を見つけてもらいたがっている言葉である可能性は高いだろう。真の覚者はそこまで知っていて、自らは鏡に成り切るようにしてただ相手と向き合う。それで相手が気づくのをじっと待つ。

真の優しさ。気づかせる、を超えて、気づくように黙って準備をしておくだけ。鏡を見ようとするかどうかさえ相手の自主性を尊重する。真の謙虚さ。謙虚とは、力のあるものがその力を自ら畏れ、驕らないこと。力もないのに謙虚の皮をかぶって真似をして、先に謙虚の美しさだけを手に入れようとしても上手くいくはずがない。順番を知らなくては。慌てて勝手に結論に向かって一直線に走ってはいけない。落ち着け。その人がなぜ謙虚なのかを見極めろ。


上善、水の如し。

山に囲まれ空に覗き込まれる湖面は、驚くほど青く穏やかで、山のシルエットをぼんやりとぼやかして映していた。さざなみが砂浜でちゃぷちゃぷと音を立て、砂を綺麗に洗っていた。砂は磨かれて、光っていた。


木々は、僕が行く時にも帰るときにも同じように枝を伸ばして立っていて、バスの速さのせいで枝はどんどん視界を払っていく。プロレスラーの入場シーンを連想した。ファンたちが目の前を通り過ぎるプロレスラーに手を伸ばしている。そして野太い声援。窓を開けると、風は遠慮しなかった。


木々の出迎えと見送り。どちらも、まったく同じに見えた。ただ純粋に目の前を通り過ぎることを嬉しがって、微笑んでくれているように思えた。来るのも、去るのも、同じように接する。

人間にはなかなかできない。



田舎の父の実家を見る。今は誰も住んでいないから、草が支配的だった。その日は親戚のおじいさん一人と、草刈りのプロのおばあちゃんを二人呼んでお任せする。僕たちはそこにいるだけ。ちょっと作業を楽しむ。おばあちゃんたちは小さいハンドサイズのカマで黙々と草を刈る。さすが、地面と草とも幼馴染。親しげだ。


家の裏手は山の斜面で、隣家や旧家があるので木はしばらくほとんどない。父の後から登る。ぎっしり生えた草を分け入っていくと、そのてっぺんについた小さな穂が、最高ではあごにまでぺちぺち当たる。牛の好物だと聞く。牛はこんなに硬いまっすぐな草を好んで食べるという。伊達に胃袋を四つも持っているわけではない。使うから四つも持っているのだ。と父はドヤ声。

なるほど。人が、腕時計を四つ持っていると言ったって、同時に四つ腕につけていたりはしない。


使う言葉を揃えよう。揃えるほどに、言葉に使われそうになる。それでも…と僕はムキになって掻き集めていたのかもしれない。使うときに使うぶんだけ使えたら、いいのかもしれないな。

工夫を編み出す頭を忘れるな。道具を使う手を甘やかすな。



その家と、その周りを見たのは、思えば今年の三月初旬以来だった。草の育ちの恐ろしさ。


三月は雪が降っていた。雪国。同じ場所でも、三ヶ月を隔てただけで別世界。氷点下の空気で輝く雪を思い出す。降りしきる乾いた大粒の雪。震えたように唸る風。薄暗く、けれど輝かしい早朝に、広い駅前のレンタカー屋さんのたわいもないポストの頭に積もった雪を指で撫でて、雪では初めての感触を楽しんだ記憶。踏むとムズムズと軋み、くっきりと残る足跡の細かなディテール。砂糖のようだ、と思った。




「それなりに面白く書けていますが、同時に売れる作品を目指すのがプロです」





激昂した。

僕の作品の甘さを指摘された時とも比べようもなく、かつてないほどに憤った。

三ヶ月経った今でも、鮮明に思い出せる怒りの爆発の心象風景。一万人のランボーの満員電車。ランボー怒りの通勤ラッシュ。


ランボーは、いま脚色した冗談です。



なぜ僕はこの言葉にキレたのか。僕に直接向けられたセリフではなく、僕が尊敬する作家さんと尊敬する作品に向かって言われたセリフである。


僕の知らないその現場で本当にそのセリフそのままに再生されたわけではない、(その作者さまが必要な成分を結晶化させてくれた言葉だ)という当然の発想さえ忘れていた。とにかく理性も何もなく憤った。思考は消えていた。



それなりに面白く書けていますが、同時に売れる作品を目指すのがプロです



僕にとって、石碑に刻んで生涯忘れない言葉となるだろう。石碑に刻む言葉は決した。だが、なぜその石碑が立ったのか、残そうとしたのかを知らないといけない。場合によっては石碑に追記しておく必要も生じるだろう。(そうして聖典は怪しくなったのかも。パンセはまだあまり侵されてない。比較的新しいだけある)

もう一度、その言葉の前半を思い出そう。



それなりに面白く書けていますが、



それなり? なめんな! と僕の感情は言葉頭を捉えて無駄に着火するが、とにかく鎮火しよう。ガスコンロへ行き、火をつけて、何をするために火をつけたのかわからなかったら、ひとまず火を消す。当たり前。そして、何をするために火をつけたのかを考えよう。思い出そう。


まあ言葉の表現の仕方は、表面なのでつまり結果の一部である。結果から原因を辿ろうかな。


面白い作品であるということは、彼もある程度認めているのだ。と仮定。で、言葉の後半…



同時に売れる作品を目指すのがプロです



むしろ僕はこちら側に油田があると思う。とんでもない火柱が上がっているからだ。天を焦がし、空のすべてを赤く染めて黒煙で濁らせようとするかのような、地獄の大火災。

ランボー怒りの消火活動。

…お、消えた。さすがはスタローンだ。よし、なぜ火事ったか考えていこう。



僕は、売れる作品というのを知らない。売れた作品ならすこしは知っている。

発言者の彼は、売れる作品というのを知っているのだろうか。どちらにせよ、たぶん、作者さまにアドバイスはしただろうな。


それなりに面白い作品から、売れる作品へと目指す、そのルートを。


彼の発言はそうであることを示している。そしてそれが職業通りの働きだ。さすがプロの○○者、えらい。


僕らは、売れた作品を買うことも多い。

ナントカ賞受賞! ベストセラー! 話題の一冊!

それで本屋で手にとってみたとして、即刻買う前に、すこし読んでみる派の僕。(図書館なら割と勇敢にどんどん連れ去るが)もちろん面白いと思わなければ、買わない。あるいは、面白そうだ、と期待できなければ。(僕は作家志望なので勉強になりそうな本、という基準でも本を求めるが、お客さんは本にはまず面白さを求めるだろう)


面白いとは、主観でしかない。だから僕が面白いと言ったとしても、言われたその作品が絶対的に面白いわけはない。

僕がその作品を読んだところ面白く感じた、という現象なだけだ。一人の意見。作品とのマンツーマン。ランボーは一人。


面白く書けていますが…と言った彼もその危険性を知っているだろう。面白さ、なんて曖昧なのだ。その面白いと感じる勘を信じてやりたくなるが、どうにもしばしば裏切られるので、なんとかして面白さの原理を解明したくなるのだろう。それは僕か? …気が合うじゃないか。怒ってごめんね。熱かった?



面白い、だがそれだけでは不安だ。売れなければプロではないのだ。



いや、あのね…。プロは、仕事に応じてお金をもらいますよね。つまり、プロは仕事をするとお金を受け取る、という流れ。

売れなければ収入がない。むしろ刷った本の在庫が残ればそれだけ赤字。売れるのは、プロである前提なのであって、前提というものを目指すのは逆走では? 自分の尻尾を目指して追いかけてどうするの。そんな犬や猫は可愛いけど、君はどちらかと言うとヘビ顔だもん。いや、その前に人間か。


生きているので呼吸をする。

呼吸をするので生きている。


いや、だからね…呼吸を止めてもしばらく生きてるでしょ。え、なに? それでも君は呼吸をしてないから生きてないって言い張るの? 胸に手を当てなよ。え、やだ? …まあ、苦しくなったらまた呼吸しなよ。いい加減にしとかないと窒息自殺になっちゃうよ。そういや、そんな哲学者いたらしいよね昔。わ、まさか、それじゃ君は哲学者だったのか。お見それしました。同志じゃないか。皮肉ってごめんね。冷たかった? …あ、冷たくなってる。


わからないからって死ぬな! 勝手に死んでることにするな!




面白く、同時に売れる作品を目指すのがプロです。



そろそろ僕の愛機、マックの巨体にマッキーしたくなってきている。さすがに勇気が出ない。書きたい、けど僕、あれだし、字、下手だし。



売れる作品とは。


それは知りたいが、教えられてはガッカリかもしれない。

まさにマジックのタネ。自分で見破れば優越感だが、教えられれば劣等感。


だが、考えてみる。どちらも、タネを知ったという現象は同じなのではないか。まったく同じで、違いなんてない。タネはタネだ。知り方が違うからって、タネの内容が変わるわけはない。

それが無意識でわかってくるから、タネを見破って、何個も何個も見破るほどに、だんだん虚しくなってくるだろう。優越感なんて幻だ。ただ、マジックと、そのタネの面白さしか残らない。(だからちなみに、反対に、タネを教わるときに純粋に楽しめる心も、また素晴らしい。その人のルートでは、タネを不思議がって追求する、しつこい頭脳がさらなる面白さを加えることで、より素晴らしくなるだろう)


それでも優越感だけを探していては迷子だ。


彼は、お母さんを探しているが、お母さんの顔を知らない。お母さんのぬくもりを知らない。

お母さんという存在の概念は知っていて、なら自分にもお母さんがあると信じて、それだけで懸命に探している。今いるのか、今いないのかもわからない。


彼の家では今、お父さんが待っている。彼に母の概念を教えてくれて、それでも母を探すことは諦めているきょうだいも待っている。3ヶ月に一度のご馳走をテーブルに並べて、彼を待っている。



彼は、待たせてしまった。ご馳走を腐らせてしまったのかもしれない。みなの笑顔を曇らせてしまったのかもしれない。心配させてしまったかもしれない。


けど、そんな大遅刻で帰っても父に怒られない。きょうだいに睨まれない。ただ、静かにたしなめられただけ。

冷たくなったご馳走を食べる。なのに今までで一番熱く感じた。



泣く以外に何ができるのか。





歩ける雨だと思ったので、地元の駅から家へは歩いた。父とは都内での乗り換えではぐれていた。たくさん渡してもらったお土産が手に食い込む。後で聞くところによると、兄も田舎に来ている(実際は兄は兄の家にいる)と情報の錯綜があり、持ち手を一人仮定で追加した上でのお土産重量となっていた。5キロはある。距離は2キロ。紙袋のヒモは悲鳴をあげ、僕の手だって悲鳴をあげる。しかし特に何か気にするほどではない。


マンションへ着くかという頃、家の鍵を持っていないことに気づく。入口に着き、自宅の番号を呼び出す。ふと振り返ると母が向かって来ていた。相変わらず、天性のタイミングマスター。

駅に車で迎えに行っていたのにと言う。無駄足アクセルを踏ませてしまった罪悪感は鈍っていた。僕はすこし疲れていたのかもしれない。疲れたかと聞かれて、まあうん、と気もなく返し、しかしその瞬間心は反発した。全然、疲れてなんかいない。身体は動くのが飽きたのか痛がっている部分もあるけど、心は喜んでいた。途方もなく多くのご馳走を食べた。

全然、と言えば良かったと激しく思う。心が、心の底からそう思ったからだ。まあ、いいさ。


父が怒っていたという。そりゃあそうだ。携帯のうんぬんの連絡の不運については割愛しても、僕がうっかりを重ねていたのは間違いない。僕の意図的なミスだ。歩きたかった。身体はじっとしていられなかった。そのくせ思考は一人で回りたくてウズウズしていた。

雨は小雨だった。とっとと歩き出すしかないと思った。


家にはもう父がいた。

勝手に判断するな。と遠く声だけで軽く怒られたが、言うべき言い訳と言わない方がいい言い訳を編集して簡潔に廊下の先へと声で送り、あくまでさらっと、僕は僕で楽しかったので心の底からさらっとドンマイ的な空気に持っていった。と、僕があまりに怒られる人間らしくない感じなのを察したのか、父の隠された切り替えの早いところを見せてくれたのか、ずいぶんあっさりと半笑いでたしなめる声質に軟化した。僕はいつの間にか、父の怒りに油をそそがなくなったのだろうか、それとも父は油でも消火されるようになったのだろうか。



気づくべきことがあまりに多いことに薄々気づいた。そんなマトリョーシカな言葉は楽しくて好きだ。



同時に売れる作品を目指すのがプロです。




三ヶ月間目を逸らして逃げてきた言葉が、今は僕に刻まれて一体となりもう逃げられないのだと知る。自分からは逃げられない。


この言葉がたまらなく恐ろしい。逃げたくてしかたない。


それでも僕は、プロが目指すのは、一流のトッププロであるほうが自然だと思う。などと言い訳じみた反抗をするしかない。


プロになりたいアマチュア。それが今の僕。




プロとは。



僕とは。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ