制作工程いろいろ
ジブリ作品は完璧にプロットをこしらえてから作り出すどころか、結末も決めないまま制作を開始していくんだそうです。まじか、宮崎駿……まさしく驚愕でした。
その場その場で展開を考え、緊張感を持って作画、ストーリーとが半ば並行するように同時に作っていくんだとか。
そんなやり方は、個人の趣味の創作ならまだしも、スタジオが一丸となって映画一本を作るときに採択するには…ちょっと無茶すぎる。興行収入だとか、事前の広告プロモーションとか、そういった商業的なしがらみを、ことごとく無視しているかのような不敵さ。でもそれは、作品主義と言えるのかも。
この流れで言うのは無謀だが、僕も最近は一部行き当たりばったり気味に書いてみている。
動機は緊張感を…という駿に及ぶべくもなく、僕はただやってみているといった程度。
話の流れが完全に見えてしまうと、あとは書くことが消化作業っぽくなって、つまりモチベーションとテンションが揃ってションションしょげてしまう。作り手に向いてないな、受け手の心理そのままである。
先が読めたらつまらない、と。
でも100%そうというわけではなくて、部分的には、結構先が読めてから書いている。普通に。
大筋、メインの流れは見えてないとさすがに書き進む動機がない。ちょうどいいと感じるのは、書いてみたいと思えるメインの流れを思いついて、細かい部分まで綿密に決める前に勢いで書き出してみたりとか。(細部までキッチリ見えてしまうと作りきった気になって書く必要性を失いがち)
その逆も。細部というか、メインストーリーではない設定を思いついて、書いてるうちにだんだん大きな展開と結び方を考えたり思いついていったりのパターン。最近のではサプライアーがそれにあたります。いや、大筋もわりと半透明で見えてたけど、もっと見えてくると、どうにも書くのが億劫な展開(特に結末付近)で、今の僕の記述精度ではガサガサになりそうで、一時撤退しました。当たって砕けろで、挑戦しようよ。
で、コーヒーの夜を書く(昨日書き終わりました)。思いついたタイミングといい、なんとも逃避っぽい勢いを利用して作りました。
こちらは前者で、話の流れだけでスタートを切りました。いや、ちょっとは後半の思考内容の一部を持ってのスタートだったか。
アドリブがものを言う感じになった。新鮮味があるかどうか。
この日記で僕は、書く作業に入るときの抵抗を減らせたと思う。マイナスに言えば、なんも考えずに適当に書き出せるようになった。
そっちが100%になったらダメだよなあ。緻密な下準備をする几帳面さと、勢いで突っ走る大雑把さを両方使いたい。
しかし僕は、そういえば物体を作るときにも大して設計図を書かなかった。
パッと思いついたら、頭の中でだいたいフォルムを描き、それを紙に移す。紙の上では修正が簡単なので、しつこく描き重ねるようにしてとにかくシルエットを決める。(カッコ良く)
で、シルエットは二次元なので、三次元のフォルムとは誤差がある。立体にしてみないとわからない。立体になるとどうなるのか。
その興味の強さが作る面倒さを上回ったとき、あるいは頭の中のイメージに自信があるとき、ようやく作り始める。(最初は小さい模型から)
頭の中でボツ(それか完成、終了)になるものも確かそれなりにあったし、描いて満足して終わるのも結構あった。文章を書くようになってからは、グンと立体のアイデアは激減したが、最近たまには立体を考えたりしている。やはり椅子を一脚、渾身のものを考えたい。ハタチのときに(これ以上の椅子は、しばらく思いつけないな)と我ながら燃え尽きた椅子を作り、それが僕の工作人生のピークだったかもしれない。その椅子のフォルムを良化、それかリファインしようと思っても、当時の僕は、もうこれ以外の形はないと思い込んでいた。それは創造性の限界かも。
時間を置いた今なら、ドライに改良を加えられそう。しかし、やはり慎重になってしまう。まあそれでいいのかも。
頭の中のイメージを、この世の形に表現するのが創作だとすれば、文章の形とはなんだろう。文章は、内容、ではないのか?
なら、立体の形にも内容を籠められるか?
それが、コンセプトというやつか…今さら知った。
しかしまあ、どちらも作るのは楽しい。良いアイデアの文章ほど、書く気が進むようになればいいな。そういう勘が大事。
そして当然、アイデア生産力。
プロの領域に踏み込むには、量も質もまだまだ足りない。
量、早くたくさん書くこと。
質、読みごたえを与える力。
そのほか、細かな要求がいくらでもあるけど、見えすぎるとギチギチで動きが重くなりそうだからやめとく。
とりあえず量が特に不足してるのは自覚している。書くのも好きだけど読むほうが今はタメになるんだよなあ。
アイデアはあれど書くのに手頃なのは品薄。
ガラッと気分を変えて、またプチプチと小粒な小ネタを量産する訓練もありかなあ。
どうだろうなあ。
31アイスクリームのアイス4玉キャンペーン、行く機会ねえなあ。
そのうち、31玉全部乗せとか売り出されたらウケますね。この世の終わりみたいな気がしそうです。
立体作りの学生の時、カッコいい銘木でアイスの木のヘラを作ったことがあったが、珍しく先生に褒められた。その時は、過去最高にシルエットをしつこく描き、吟味した記憶が強く残っている。その重要性を学べた。それでも何十パターンとまでは行かず、三四回描き直しただけだったと思う。(僕はフォルム決定に関して妙に自信過剰なところがある。下手に器用だった)
自分を信じることも大事だろうけど、同じくらい強く疑って圧力を高めることが、鋭く洗練されたモノを生み出す力になるのかもしれない。わかっていても、なんとも自分の得意な部分には頼ったり甘やかしたりと、依存めいたことをしてしまう。
アイス食べたい。
でもアイスって口の中で溶けきったら、のどを通るときには液体だよね。
食べて、飲む。
完全食品だ!




