シェールガス
新しい主要エネルギー源として人気上昇中のシェールガスとは、ざっくりいうと、ミルフィーユっぽい地層から採れる天然ガスのことらしい。
良く採れるの場所は、アメリカ(最近採れ始めた)やカナダやロシアなどの、でっかい国。
天然ガスはコストパフォーマンスが良いのと、石炭(火力発電の主力燃料)よりクリーンだったか効率がいいんだったかなんか忘れたが、とにかくなんだかんだの理由でガスブーム到来中らしい。発電に使う燃料の割合を占めるシェアは今後増えていく気配。
ずっとアラブに居座っていたカネの女神が、ガス大国に移動するのだ。尻軽女神である。
いま日本も、比較的仲のいいアメリカからシェールガスを買おうとしている。当然の流れだ。
だが、足下を見られる。交渉人かわいそうだった。
理由はおそらく、原子力。発ガンなんかよりも耳にタコをよっぽどつくる、原発の問題の話になります。
僕は原発を使わないといけないのは当たり前だし、短期的だろうが長期的だろうがその否定はアホの二文字でしかないと思います。脳細胞がそのくらいしか使われていないという意味。感情なら理解できますが。
まず何のために人間をやってるんだ、と言いたい。その感情ひとつを吐き出すことで、どれだけ、文明というもの(人類・先祖の築いた蓄積)に対してムシのいいわがままを要求することになるのか、わからないのだろうか。
いや、考えただけでわかるとこなので、考えてない、というだけのつまらない単純な結論に至るのは当然であり、というかひとまず僕も変に感情的になってしまったので落ち着きます。
文明うんぬんとか言う意見は、まあいちいち文にしなくてもいいだろう。
今回の原発の失敗は、未来の安全に大きく貢献するし、させないといけないだろう。
でないと経済的にいずれ死にます。みんなが消費電力を半減させればいいかもだけど。でもそれをするくらいなら感情を忘れて原発にGO出すでしょどうせ。その時期に反対してきたら僕は感心する。
まあ、原発なんかショーにミスディレクションされてないで(人為的な問題、備えのアホさや事後のあたふた、上の腐り加減の露呈のサンプルデータとしては有効ですが)、身近な問題を見たほうがいいです。
発ガン率が0.01パーセント増減するかどうかって程度の放射能の数値なんか、みんなして気にしておく必要なんてあるわけないでしょ。ガイガーカウンター見ながら歩いてたら交通事故で死にますよ。
某県内(玉のつく県)では、かなり死亡事故があるようです。年間で200人ほど。
交通事故は放射能よりずっとあり得るし怖いものなんだなあ、と思った。
というのは、加害者が出てしまう点。
これはツライ。実質、死亡者の倍以上の人々が人生に大打撃をうけるわけです。
油断ドライバー、反対!
このプラカードを僕は見たことがないのですが、なぜなのでしょうか。
どちらかというと道が悪い、と僕は思いたい。改善すべき危ない造りの交差点はいっぱいあるだろう。
昔、江戸とか明治だったか忘れたが、その頃は、役所とかけっこう無視して町村の人が勝手に道を造ったり、改造したりしてんだそうです。
さすがに今そこまで自由にアートじみた犯行をしろとは言いませんが、自分たちのまわりの環境の構造に、もうすこし目を向けるべきなのかも。
あることが当然になってて、与えられない限り得られない、というモノに溢れた時代病が、あらゆる危険の素なのかもなあ。
なければ造る、工夫力。ここが不満、だからどう直そうか、という改善思考が減ったのか。そうなるようになってもんな。世の中のつくりが。
簡単に、たとえばあの交差点が自転車にとって怖い、とか、そういう意見を書き込めるサイトを、役所でも民間でもいいが運営・普及すればいいかなと思う。
放射能怖い、よりは、よっぽど生きた声である。
僕の感情100パーで言うと、原発に対しては、全然技術以前のださいイージーミスだったし腹が立ったので、リベンジとして原子力を使いこなしてもらいたい。日本ならできるはず。火を使いこなした猿の子孫なんだから。
ていうか、原爆落とされてんのによくもまあ原発って採用されてたよな。そっちのプロセスのがよっぽど気になる。いやマジで原発反対の人はそのまま反戦運動にスライドすべき。
あるのが当たり前、と無意識レベルで思っていると、感謝を忘れて自分の感情が正しいと錯覚する。
たとえば、歯医者もけっこうツライ職業だと思うけど(必要な仕事なのに、子供には悪魔のごとく恐れられるし)でもそれ以上に偉いはず。
当たり前に、歯医者は町のあちこちにたくさん居て、歯が痛んだら歯医者に行き、治る。それが当たり前。感謝なんてなく、「あそこの歯医者は麻酔が痛い」などのちょっとした難癖が自分の中の思考を100パーセント埋めてしまう。
治してもらった、という思考はゼロ。
無人島に漂流したとして、そこで歯が痛くなったとして、もし、そこに歯医者さんが色んな設備を背負って歩いてきたら。
で、治してもらったとしたら、きっとすごく感謝するだろう。「で、歯医者さん、携帯持ってる?」とか聞かないように。そういう話ではない。
まあ世の中の前提が、どんなものも、ものすごくたくさん供給されていて、僕らの判断や思考は、そのたくさんの中の細かな優劣だけに費やされてしまう、という流れになかなか逆らえないところがヤヤコシイ問題に思うのでした。そのおかげで細やかな洗練化が進むんだけどね…文明と、その成長発展が抱える矛盾なのか。
ひとつのピースを見て、自分の感情と思考を百パーまで埋めてしまわないようにしたほうがフレキシブルかな。なんでそのピースなのか、どうしてそうなったのか、どう繋がるのか、と、距離感や座標を変えてモノを見るようにしたら、色んな物事がわかってくるような気もしている。
思考は、そう使うのが向いている道具に思える。
一番強く、かつ一番問題を抱えた道具が、人の頭脳だろう。誰が発明してくれたかわからないが。
頭脳反対! というプラカードは現代アートにカテゴライズされそう。
ボソッと否定的でネガティブな発言を種に、話が始まって、議論に発展して、結果、否定的発言がなかったら考えなかったようなところに多くの人の思考が行き届くようになる…。という流れは、日常会話でもありえますよね。
つまり、意見は多種多様たくさんが良く、その中に芯を探し、なるべく納得できるよう努力する思考を個々がもっていると、いい感じに思う。にぎやかなことに感謝しよう。




