Eテレ
ちょうどTEDの放送中に日記する。
TEDというのは外人が外人達の前でプレゼンテーションしている模様をお伝えする番組。さまざまなジャンルの頑張り屋さんが熱く語り、ときたま憎らしいほどユーモアを交える。
外国のエンタメ好きな、陽気な感じの空気が伝わる。日本のプレゼンテーションとはその辺りが違うかも。ソースは?
去る金曜夜に放送の、なんとか白熱教室もアツい。外国の人気教授の一般公開の講義を、ただただ、たっぷり流す番組。
どちらも構成の勉強になる。
聴衆を満足させる…そんな直接的な成果を勝ち得ている情景を見られるなんて刺激的。
もちろん内容も面白い。力強いし、情報密度も栄養も豊富。
プレゼンテーションというのは、提案者が大勢の人たちに説明をする行為を指す。発表、とも言える。
聴衆に何を伝えるのか。
自分は何を伝えたいのか。
聴衆は何を楽しめるのか。
自分は何が楽しいのか。
いちいち考えると戸惑う。道筋がこんがらがる。
出発点と、終着点。その二つが要るのは確かだろう。そしてその旅の目的も。
もし、このプレゼンテーションという情報交錯の場に臨む時、僕たちはドキドキしながら準備するだろう。
そのシチュエーションを想像するほど、小説作りと似ているように感じられる。
発表者としての、パフォーマンス能力。つまりある種の演技力。
そして、そのストーリーを準備する、脚本家。
脚本の土台となる、情報編集者。
観客の顔色をイメージし、ショーとしての質を高める演出家。
……と、あらゆる視点からの頑張りが必要だ。ひとり何役ですか。
無駄に思い出したけど、劇団ひとり、ってウケる芸名ですよね。始めて見た時笑ったなあ。
このタイミングで言うのもアレだけど、上記のオススメ番組、ちょっと劇っぽい感じがしたりします。外国の甘ったるいお菓子みたいな。
ただ、日本人がここまで役に入り込んだプレゼンをする様子を見たことはなく、またちょっと似合わないとも思うし、つまり参考になることはものすごく確かなのですが、鵜呑みにし過ぎて消化不良は危ないよ、と思っておきます。
どの部分が素晴らしいのか。そういう、見抜く力は、受け取る時にも渡す物を作る時にも役に立つ。
ソウルの教授がソウルフルな良い言葉を効果的に伝えたので、ここにも。
「どんなにつらい運命に苛まれる人生でも、その人の人生を愛せるのは、その人だけだ」
だから応援する、けど、その人のつらさなんてその人しか本当にはわからない。百パーの共感なんてなく、だから全ての応援は実は根拠に乏しい。
あんたに何がわかんの。である。
しかし、その人の人生を生きているのは、紛れもなく、当たり前すぎるほどに、その人。
あんたに何がわかんの。そんな事、言うまでもない。誰もわかんないっての。でも、応援したいって気持ちが、何を種としてるかはともかくとして、向けてもらえてるんだから、それでいいじゃん。応援してくれる人に怒るなって。もっと仲良くしろよ。
人はみんな違う。当たり前。どうでもいい。だからそんな事で悩むより、他の事を、自分しか悩めない事を、自分しか知らない事を、自分にしか解決できない事を、考えるほうがいいんじゃないの。
それで、自分の人生に意味を見つけて、あるいはこじつけて、無理にでも良い人生なんだって思い込めるように、取り組めばいいんじゃないかな。頑張れ。自分を嘆くより、自分を強くして、悲劇を悲劇のままにせず、幸せになるための起点に変えてしまおう。
……というような意味だと思った。
より、つらい人生を生きている人は、よりキツいトレーニングを積んでいる人だろう。
そのトレーニングで、疲れ切って、もう動きたくなくなったりするかもしれない。
けど、せっかく付いた力を、どこかでなにかに活かせないだろうか。
よりオリジナルなトレーニングを経験した人にほど、僕はその検討をオススメしたい。
その際、トレーニングも、休憩法も、力の発揮も、いずれにせよ効率を少しは求めていいだろう。上達に罪はない。
自分とも、他人とも、仲良くなる世界を願う。