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我が輩はねこさまである②

 俺は『ネコ』と呼ばれる生き物である。名前はまだない……っていうのは二度目なら許されるだろうか。あるけど、俺は知らない。

「オッ、シロノカラダノホウ」

 ……けれど、最近俺を呼ぶ声が一定ではなくて、少し戸惑っている。目の前のこの男からは、このように呼ばれることが多いけれど、それは俺の名前なのか、それとも何か違う言葉なのか、皆目見当もつかない。

「キョウハカツオブシヲモッテキタゾ。オマエモタブンスキダロ」

 と言って、ひょろ長い男は俺の目の前に皿を置いた。出されたものは食べる主義だ。

 しかしこの男、どうにも臭い。人ではない匂いがするのだ。人ではなく、俺のようなしっぽと手足の動物でもない、俺よりも身体の大きい動物の匂いがする。その動物はときどき人が連れていて、身体はでかく声もでかく、やたらとしっぽを振ってうっとうしい上に、紐につながれていなければ俺を見るなり追いかけてくるので、俺はあまり好きではない。あまりに匂いが強いから、あんまり近寄りたくはない。この人間の雄は、その動物と同居しているのかもしれない。俺の家によく来る女もこいつのことが嫌いらしいし、関わらないのが吉と思われる。ただまあ、このうまそうな匂いのものに罪はないし。

 食べながら見上げると、男はベンチに座り、ぼんやりと空を見上げている。

「ウマイカ?」

 何かを期待する目でこちらを見たが、俺が男に与えられるものなどないので、とりあえずしっぽで地面を叩いておいた。

「ソレ、ドウイウイミダ。サイソクカ」

 そう言って男は再び皿に魚を出してくれた。しっぽを振れば良いのか。覚えたぞ。

 こいつは悪い奴ではないのかもしれない。俺の苦手な動物の匂いがするが、必要以上に近づいたり撫でられたりしなければ良い話だし。

 そう思っているうちに、男は再び空を見上げ、小声で呟く。

「アメガフリソウダナ」

 そして突然変な呪文を唱え出した。

「あいむしーーんぎりんざれーーん」

 なんだか、聞き覚えがある音程だ。これは歌だ。

「じゃすとしーーんぎりざれーーん」

 いや、これ、は……。

「わーらぐろーりあーすふぃーーりんあんど……」


 やめろー!!


 俺は思わず男の足にしがみつき、吠えた。

 その歌を止めろ! 俺はそれが大嫌いだ!

 男は素直に歌を止めて、不思議そうに俺を見下ろす。

「なんで? 雨嫌い?」

 雨なんかはどうでも良い。そんな平然とその歌を歌わないでくれ。

 それは暴力の歌だ! 聞きたくないんだ!

「ヒドイ……イタイ…………ボウリョク?」

 男はいぶかしげに呟いたが、やがてぽん、と手を打った。

「あ、あっちの映画か。なんか偏った趣味してるな、お前」

 偏ってなどない! 映画とかは覚えていないが、俺はその歌が……、

 ……あれ、なんでこいつ、人間のくせに俺の言うことがわかるんだ? 俺もなんでこいつの言うことがわかるんだろう?

 きょとんと見上げる俺の言いたいことが分かったらしい。男はにやりと口角をあげると俺の目の前にしゃがみこんだ。

「僕は犬になったからね。動物と心を通わせることができるのさ。特に、お前みたいな人と猫の中間みたいな奴なら簡単さ」

 人とネコの中間。確かに、自分でもそんな気がしていた。やはりそうなのか。……でも、イヌになった人間ってのは、どういうことだろうか?

「お前はきっと、人として生まれるべき奴だったのだ。そして生まれる前も人だったのだろう。お前が知ってるこの歌は、猫として生まれる前に聞いたものだろ?」

 意思疎通はできるが、言っていることが難しい。理解が遅れる。

 ……人として生まれるべきだった。そうはいっても、今の俺はネコであるのだ。どうやったって変えられるものではない。それで良いではないか。

「しっかり猫生を謳歌してるね……。人に戻れる可能性があれば、戻りたいか?」

 どうやったって変えられるものではない、という前提が間違っていると。……人に戻る、か……。

 男は真剣に俺を見下ろしている。こいつは俺のなんなのだろう。急に現れて、俺に問いかけをする。まともに会話している俺も俺だ。

 …………確かに、先ほどの歌は俺がネコとして生まれてから聞いたものではないだろう。だが俺は、以前人として生きていたとしても、それをはっきり覚えているわけではないし、人になりたいと思ったことはない。俺はこの、『ネコ』と呼ばれる生き物として生きるのが好きだ。

 男は、しばらくそのまま俺をじっと見つめていた。俺もそれに倣って見つめ返そうと思ったが、すぐに飽きて視線をそらしてしまう。それで男の雰囲気がふっと緩んだ。


 なんだか、この男とは馬が合う気がしてきた。

 イヌになった、という意味は間もなくわかった。男は人だが、イヌになることもできるようだ。だから臭かったらしい。

 ときどき俺が道端で転がっていると、男はどこからともなく現れて(そのタイミングは女のいないときに限った)、魚の削ったものや乾燥させたものをくれる。ときどき、『これは高いから心して食べろ』などといいながら、凄くうまい味の汁のようなものをくれる。否、否、餌付けされているのではない。やはり、話ができるというのは、楽しいものなのだ。食い物を忘れたときに冷たくあしらってしまうのは、たまたま男と会話する気分じゃなかっただけなのだ。

 男は本性が人ではないからなのか、ネコの呼吸を良く分かっていて、俺が放っておいてほしいときにはすっといなくなる。または、一緒に座り込んで、ごろごろとしてくれる。ネコはこんなこと仲間としかしないのだが、俺に仲間はいなかったのだ。いつでも孤高の存在の俺だ。……というのも、このあたりに同族はほとんどいない。男は俺のせいであると指摘するが、俺が無意識に縄張りを荒らされることを拒むから、みんな遠慮してしまうのだろうとのことだ。

「なあ、シロノカラダノホウよ」

 やっぱりそれって名前なのか。

 男はいったんつばを飲み込んでから口を開いた。

「シノと一緒に風呂入ったってのはほんとか」

 シノというのはだれだ。湯の入った桶の中に、女となら入った。

「入ったのか! シノは裸だったのか!」

 裸だった。

「うげえー」

 ……それってどういう反応なんだ?


山田が歌っているのは「雨に唄えば」です。

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