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山田と篠

「げっ」

 とあまりきれいではない声をもらしたあと、山田はしばらく固まった。

 道の向こうに、ぎりぎりと音がせんばかりに歯を食いしばってこちらを睨みつける少女の姿があったからだ。

「犬野郎っ」

 少女、篠はそう吠えた。篠は山田の名前など覚えていないのだ。……シロも山田の元の名前を覚えていないようだったが。まあ、いい。

 山田はあえてゆっくりと篠に近寄り、大声を出さなくとも声が聞こえるところまで来ると彼女に話しかけた。

「前回、何も話せなかったけど、僕は山田狗允というんだ」

 あれ、やっぱり前回も名乗ったような気がするな、と山田は思う。山田がこの誇らしい名前を名乗らないわけがないのだ。まあ、篠はどうせ覚えていないのだから、また名乗っても別に構わない。

「失せろ犬野郎」

 しかし唸るようにそう言った篠は、山田の名前を改めて覚えてくれるつもりもないようだ。

 こうして敵意を向けられることに対していい気分にならないのは確かなのだが、その実山田は篠のことが嫌いではない。頭が良く、身体能力にも優れていて、『ねこさま』という無二の存在をひたすらに信奉する姿は凛々しい。一種のあこがれだろうか。

 ただし篠はなぜか山田のことを毛嫌いしていて、いつもけんか腰で話もろくに聞かない。戦国時代に会ったきりだから、四百年以上会っていないのだけれど、全く変わっていないようだ。むしろ会えない時間が憎しみを育てたのかもしれない。

 それにしても姿が現代人のようになっているのはともかく、顔が以前より少し美化されているのが笑える。

「足とかも長くしただろ?」

「どこ見てものを言ってる」

 足の話しているんだから足に決まっている。否、これ以上ぼけたら今度こそはったおされるだろうか。山田は喧嘩が強くない。

「なあ篠」

「軽々しく呼ぶんじゃない」

「いいだろ、お前は仙人でも女神でもないんだから」

 結局山田は、仙人を見つけることはできなかったのだ。どこかにいるんだろうか。

「篠はいいのか? シロが人間で」

 篠は答えず、山田を睨みつける。別にこの発言のせいでもない、最初っから睨みつけている。

「お前も人間が好きじゃないだろ? その点、僕と一緒だ」

「一緒にするなあ!」

 篠はそう叫び、一歩後ずさった。山田が近寄ったらもう一歩後ずさるんだろうか、などと考えたものの、実際には一歩踏み出したら鼻面がアスファルトにめり込む結果になるのだろう。

 少女は自分の両肩を抱くようにしてさすった。鳥肌が立ったというアクションのようだ。

「ねこさまはねこさまだから良いのだ。お前の与り知らぬ世界があるのだ、もう関わるな。篠とねこさまに関わるんじゃない」

「いや、小山は人間になっただろ。僕と関わらないことなんてできないさ」

 得意になって山田は言った。あえて『小山』とシロのことを呼んだ。

「お前こそ人間嫌いのくせに。人間になったねこさまに構うんじゃない」

「シロはシロだと今お前が言ったじゃない。それに僕は、人間がそう悪いものだけじゃないと思えるようになったんだよ」

 これは山田の本音だった。山田にだって、四百年の間にいろいろなドラマがあったのだ。……まあ、実際にドラマがあったのはたかだかここ数十年の話だけれど。犬だとか人間だとか、カテゴライズすること、こだわること自体が狭い考え方、山田の嫌いな人間的なものの考え方だったのだ。山田はそれを、とある人物との出会いで悟ることになるのだ。

「どうでもいい。ねこさまに構うな、いいか。あんまりうるさいと本当に舌引っこ抜くからな」

 山田の感傷など知らぬ篠はそう冷たく言い捨て、会話も終わっていないのに踵を返してしまった。

 篠の四百年はきっと、シロを探し求めるだけのものだったのだろう。可哀想なことだ、と哀れんでは、篠に失礼だろうか。でも篠って、シロ以外のことで何か『自分のこと』ってあるのだろうか。

 山田はそこまで考えて、首を振った。これこそ、どうでも良いことだ。いずれ知るならそのとき。いっこうに軟化しない篠の態度を見るに山田が知ることはないのかもしれない。

 山田は両手をメガホンにして遠ざかる篠の背中に大声で言った。

「再来週から修学旅行だ! 楽しみだなあー! 僕、小山と同じ班になって自由行動しちゃおうーっと!」

 次の瞬間飛び膝蹴りが降ってきた。


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