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山田と痴漢

 倉吉には山田から連絡をいれておくということで(そういえばぼくは、倉吉の連絡先も山田の連絡先も知らないのだった)、ぼくらはそこで分かれ、家に帰った。なんだか今日の出来事で頭がいっぱいで、夕飯の買い物をするのも忘れたけれど、栗があるし、家にあるもので他はなんとかしよう。

 ということで、家に帰ったあとはいつものように台所に立っているんだけれど、どうにもすっきりとしない。篠にも不審がられてしまった。

「ねこさま、さっきから何首をひねっているんだ?」

「いや、別に……」

 言葉を濁すぼくに、篠は頬杖をついて、呆れた声音で言う。

「これ見よがしに悩む様子をみせておいて、何も言わないのはどうかと思うが」

 そうそう、それを山田に言ってやってくれよ、あいつ明らかに何かあるくせに何も言わずに、しかもぼくを巻き込むんだ。

 ……とは言えない。篠は山田が大嫌いだからだ。

「痴漢って、篠は遭ったことあるか?」

「あると思うのか?」

 篠は鼻に皺を寄せて言った。

「いや……」

「それもなんだか失礼だな。篠に魅力がないと言いたいのか」

「いやいや」

 ぼくは手を振った。

「篠みたいな強そうな女の子は、痴漢が狙わないだろう」

 フォローのつもりだったんだけれど、篠の鼻の皺は消えなかった。実際、篠に不用意に手を伸ばそうものなら、その腕を問答無用でへし折られても文句は言えないだろう。そしてそんな雰囲気を、篠は普段から醸し出している。そんな女の子に手を出す男はいまい。まして、痴漢なんて卑劣な手段しか選べない男には無理だ。

「……じゃあ、心残りって、あるか? 篠には」

「こころのこりぃ?」

 今度は顔を大げさに歪めて言ったあと、床に大きく転がる。

「何だよ、ねこさま。篠が死ぬって言うのか?」

「いや、別に……」

「またそれだ」

 そうなんだよなあ。『心残り』っていうと、どうも『死』を連想してしまう。山田って、死ぬんだろうか? いや、まさかなあ。

 また考え始めてしまったぼくを、篠はしばらく転がったまま眺めていたが、とうとう大きな声で催促を始めた。

「おーい。篠の栗ごはんはいつできるんだよ!」

 別に、篠のために作ってるんじゃないんだけど。




 朝六時に駅に着いた。時間通りだ。自分に何の得もないのにこんなに早起きをしてこんなところに来るなんて、ぼくって友人思いだったんだ、という自分で新しい発見だ。でも山田って、ぼくの友人なんだろうか? 素直に頷きがたいものがある。

「遅いぞ」

 しかし山田はぼくを責め立てた。

「遅くないだろ。六時だ」

「三十分前行動って、知らないのか」

 知らないよ。どこの山田ルールだ。

 山田は軽く息をついて、すぐに真剣な表情を作った。

「まあいい。電車に乗るよ」

 山田の計画としては、ここから五駅ほど下ったところに行き、そこからこの駅に戻る電車に乗る。その電車に木谷先輩が乗っていて、そして痴漢ももれなくそこについてきているらしい。

「そういうの、どこで調べたんだよ」

 まさか、木谷先輩が山田に言うはずもないし。

「まあ、話し声を聞いている犬ってのは、どこにでもいるのさ」

「……おとといは、ずいぶんうるさかったな。篠が半ギレしてたぞ」

「あんな女、ほっとけ」

 切符を買い、電車に乗り込んだ。



 山田の計画通り、五つ離れた駅に到着した。反対側のホームへ移動し、目的の電車の時刻まで待機。

「何時の電車なんだ?」

「七時三十五分だよ」

 ふーん、とぼくはホームの時計を見た。

 今は六時半すぎ。

「……なんでこんなに早く待ち合わせたんだよ」

「何があるかわかんないだろう。三十分前行動だよ」

 山田は涼しい顔で言う。自分で勝手にやってくれる分には構わないが、そのルールにぼくを付き合わせないでほしい。このために、朝のももこさんとのふれあいを泣く泣く諦めたんだぞ。ぼくが出るときにはまだ寝ていたから。ていうか、三十分前どころじゃないだろ。

 さすがにぼくの不満が伝わったか、山田はいったん駅から出て、コンビニエンスストアで肉まんを買ってきた。

「肉まんだ!」

「そう目を輝かせるなよ。食い意地が張ってるとこ、よく似てるよな」

 山田はあきれ顔で言う。それってぼくと篠のことを言いたいのか? あの胃袋と一緒にしないでほしい。

 肉まんを平らげ、ベンチでぼーっとしていると眠くなってきた。

「お、シロの身体の方が来た」

「え?」

 目を開けると、ももこさんがベンチのぼくの隣に上がって、丸くなろうとしている。

「どうしたの、ももこさん! おれに会いにきたの?」

 ももこさんはちょっとうるさそうにぼくを見たけれど、わかってる。わかってるよ、ももこさん。ぼくに朝のあいさつをしにきてくれたんだよね。

 感極まって膝に抱き上げると、すぐに降りてフェンスを乗り越え、去って行ってしまった。

「ああ、ももこさん……」

「ちょっと異常だぞ、お前のその猫好き」

 だから、お前に言われたくはないってば。



 数回のうたた寝を経て、ようやく目的の電車が現れた。

 木谷先輩は前から三番目の車両に乗っているらしい(さすがにストーカーレベルだと思うのだけど、本人には突っ込むまい)。ぼくらもその車両に乗り込む。木谷先輩に気づかれて不審がられないように、ぼくと山田の存在感はそこそこ抑えてある。……なんだか、猫を学校に連れてくるだとか、自分の気配や存在感を消すだとか、せこい使い方しかしていないけれど、本来そういうものだと思う、ぼくの能力って。構わないでほしいっていう思いだけなんだ。

 電車が走り出す。朝のラッシュ時、動けないほどではないけどかなり混んでいた。山田と二人きょろきょろと車内を見わたして、ぼくの方が先に木谷先輩を発見した。

「山田」

 小声で指し示すと、すぐに山田も彼女を見つけた。先輩は俯いていて、表情は見えない。

「シロ。頼むぞ」

 山田は呟くようにそう言うと、人をかき分けて先輩の方へ行ってしまった。

 待て待て、ぼくも行かないと意味ないんじゃないのか。焦ってぼくもそっちに向かおうとしたけれど、背後からの声に足が止まった。

「あれ、小山」

 思わぬ声にぎょっと振り向くと、すぐそばに倉吉が立っている。

「どうしてこんなとこにいるんだ? お前、自転車通学だろ」

「お、お前こそ、どうして」

「俺は元から電車通学だし」

 倉吉は背中にテニスラケットを背負って当然のように言った。というか、実際当然なんだろうけど。

 これは困った。倉吉が近くにいたんじゃあ、いろいろとやりにくい。山田に合図しようとしたら、山田はすでに満員の車内に紛れてしまっている。ぼくには篠みたいにテレパシーは使えない。

「なあなあ。電車に乗るほど遠くに住んでないだろ。なんで電車に乗ってるんだよ」

 ああもう、聞かないでくれ。

 そう思うと倉吉はぴたりと口を閉じた。まあ、そうだよな。ぼくの能力を使えば、問題はないんだ。思い出して、少しほっとしたのもつかの間。


「おい、何やってんだ!!」


 大声が車内に響き渡る。ぼくは反射でびくりと竦んだ。周りも、なんだなんだと声の方に注目する。

「こいつ、今痴漢してたぞ!」

 男の手を取り、引っ張り上げたのは山田だった。騒ぎにしたくないんじゃないのか。なんでそんな大声出すんだ。

 山田はぼくを見つけて目配せをする。指し示されたのは窓際に縮こまっている木谷先輩。ああ、そういうこと。

 ぼくは木谷先輩に人びとの注意がいかないよう念じた。あくまで、目立つのは犯人。

 普通のサラリーマンだ。別段ぶさいくでもなく(ぼくの主観ではあるけれど)、なんなら普通に恋人がいそうな容姿だ。今は目を白黒させて、ぱくぱくと口を動かしている。その反応が焦り故なのか冤罪故なのかはぼくにはわからないが、山田が捕まえたんだ、きっと本当に痴漢していたんだろう。

 周囲の注意が十分に集まった。男の顔色は白から赤へ。山田は容赦なく手首を捻り上げている。

 と、電車が駅にたどり着いた。ぼくらの降りる駅だ。痴漢騒ぎが起きていても、自分の生活には代えられないんだろう、どっと人が降りていく。その隙をついて、痴漢男は山田の手を逃れ、一気にホームへ駆け出した。

「あ、」

 ぼくは思わず声を上げるが、とっさのことで足は動かない。ぼくだけじゃない、そこにいた人全員、一瞬棒立ちになった。痴漢は逃げてしまうのか……、


 目の前を、灰色の影がさっと通り抜けた。


 風のように駆け抜けた影。それを見送るぼくは刹那の間に、初めて会ったときの山田の言葉を思い出していた。

 奴は、「人の身を捨てて、犬になりたい」と言ったのだった。




 ぼくらは、大きな灰色の犬に押えつけられ、地面に這いつくばっているサラリーマンを見ていた。男はじたばたと手足を動かすが、犬は噛み付かんばかりに唸り、その拘束を解こうとはしない。

 やがて駅員が駆けつけ、男は連れられて行く。犬はさっと退き、連行される男を見送った。

 事件の解決を見た通行人たちは、思い出したように自分の通勤、通学先へと向かって歩き出す。現れた犬のことは気にならない、それはぼくがそう望んでいるからだ。きちんとバックアップは果たしたぞ、山田。

「……ていうかあれ、山田の犬じゃね?」

 あ、いけない、倉吉のこと忘れてた。


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