倉吉と犬
次の日の放課後、倉吉に誘われて、学校帰りに本屋に立ち寄ることになった。部活はと聞くと、また休みのようだ。
「休みっていうか、今日は自主練なんだけど、俺は休んだ。前センがなんか忙しいみたいなんだよな。まあ、夏の大会が終わったあとだし、みんな気が抜けてるのもあってさ」
自主練習を休んで本屋に何をしに行くかというと、テニスの本を買うらしい。つくづくテニスバカであるようだ。ぼくは、学校から本屋は帰宅道中だし、買い物もしたかったから快諾した。今ぼくらは学校を出て、バス停に向かっている。倉吉が口を開いた。
「山田、すっかりクラスに馴染んだな」
「うん、まあ」
それは、倉吉が積極的に奴と仲良くしていたからじゃないだろうか。多分、倉吉が絡んでこなければ、山田はぼくにしか話しかけなかっただろうし、ぼくと山田のペアじゃ、今いちクラスに馴染むことはなかっただろう……いや別に、ぼくがクラスに馴染んでないとか、そういう意味じゃないけど。そこは確と否定しておくけれど。
倉吉はバスらしいので、付き合って一緒にバスで駅へ向かった。「二人乗りでも良い」と倉吉は言ったけれど、ぼくはそういうことはしない。疲れるし、楽しくないし、なにより法令違反だ。「なんでわざわざ男と」っていう気持ちも少なからずある。女の子なら良いってわけでもないけど。
駅でバスを降り、商店街にある本屋へ向かう。昔からあるらしいが、今の経営者が熱心なのか、品揃えは新しく、特設のコーナーやポップなども多い。
店に入ると、倉吉は真っ先にスポーツのコーナーで向かって行った。ぼくは特にスポーツに興味はないので、そこらをふらふらする。マンガも篠が持ってくるから、足りてるんだよな。小説はそんなに読まないし……。
思いついて、動物のコーナーへ行ってみる。犬の習性について書かれている本を手に取って、異常行動を解説している項をぱらぱらとめくった。まあ、昨日の遠吠えの犯人は多分純粋な犬じゃないから、ここを読んだって意味ないんだけど。
「なんだ、小山、お前犬に興味あるのか」
ぼくの背後から、倉吉が声をかけてきた。ぼくはなんだか慌てて本を戻して、振り返る。
「もう買ったのか」
「買うもの決まってたからな。で、猫派から犬派に転身か?」
「バカを言うな」
思わず少しむきになってしまった。倉吉が顔色を失くして立ち尽くす。
「ああ、ごめん……行こうか……」
言い過ぎた。というより、やりすぎた。倉吉はまだ真っ青な顔で、「はい……」と神妙に返事をして、ぼくに続いた。
「もー、小山って、まじで怖ええわー」
数分経ってようやく調子を取り戻した倉吉が、頭の後ろで手を組んで伸びをした。別に、怖がらせるつもりはなかったんだけど。うっかり威嚇しちゃうことって、あるよね。
商店街の本屋を出て、どこかで何か買い食いでもするかという話になったところで、倉吉がふいに声を上げた。
「あれ、山田んちの犬じゃないか?」
「え?」
指差す方、大通りから外れた狭い路地を見ると、確かに先日、写真で見せられた犬がそこに立っていた。
灰色の毛並みに、凛とした顔つきの日本犬。写真で見るよりも、大きい印象だ。特に何の感情も見せず、まっすぐにこちらを見ている。首輪がついていたが、そこから伸びているリードは地面にだらんと垂れ、綱を引く飼い主が近くにいないことを示していた。
倉吉はどこか嬉しそうにぼくに確認してくる。
「お前もこないだ写真見たろ? あれ山田の犬だよな?」
「あ、ああ……」
ぼくには分かるけれど、なんで倉吉はわかるんだろうか。正直人間にとって、動物の顔の見分けなんてつかないと思うけれど。戸惑いながら、なんとか頷いた。山田は同意を得ていっそう気を大きくしたようで、一歩、また一歩と少しずつ犬に近づいていく。
「リードついたままだ。逃げ出したのかな」
どうしてまたこんなふうにぼくらの前に現れるのか。普通に考えたらこれだけ大きい犬が放し飼いにされてるって、かなり怖いぞ。
犬はひたすらにぼくらを見つめていたが、やがてぱっと振り向き、駆け出してしまった。
「あ、おいこら、待てよ」
倉吉はそれを追いかけて走っていく。
「え、倉吉。追いかけるのか」
「だって、山田が探してるだろ、多分! 小山、連絡してやれよな!」
そう言い捨てると、道を曲がってあっという間に見えなくなってしまった。犬もそれなりの速度だったけれど、倉吉、足速いな。さすが運動部。
ぼくは振り向いた。
「……連絡してやれって言われたけど」
そこに立っていた山田は肩をすくめて言った。
「今、連絡を受けたってことでいいかな」
どうやら山田は、倉吉とぼくを引き離したかったらしい。というより、ぼくだけと話がしたかったようだ。
「あんなふうに放し飼い風で、大丈夫なのか?」
「うん、まあ、なんとかなるものさ。それより、かっこ良かっただろう?」
別に格好悪いとは思わないが、シチュエーションの不思議さに、そんな感想を抱く間もなかった。それに犬を褒めるようなことをこいつに言いたくはない、調子に乗るから。
「で、なんだって、こんな風に倉吉を追い払ったんだ?」
「お前が家に帰ってしまったら、あの女が邪魔をして話ができないからね。下校途中に話したかったんだ」
あの女というのは篠のことだろう。ぼくが言えば、篠も聞く耳持たないなんてことないと思うけど。まあ、面倒くさいことに変わりはないから、今話をした方がいいかもな、確かに。
「何の話だ?」
山田はにやにや笑いをおさめて、やにわに厳しい顔をした。
「……木谷先輩が、痴漢に遭っているらしい」
「え? チカン?」
聞き返すぼくに頷く。
「電車通学らしいんだけど、毎日遭うらしいんだ。時間を変えても、いつの間にか突き止められて、また被害に遭う」
それはどうにも同情的なことだったけれど、ぼくに言われても、というのが正直なところだ。
「心配なら、付き添ってあげれば良いじゃないか」
「うん、そうするつもりだ」
「そう……」
どうして、ぼくにそんな話をするんだろう? しかもわざわざ、下校途中をつかまえてまで。
山田はぼくをまっすぐ見て、言いにくそうに口を開いた。
「お前も一回、ついてきてくれないか」
「はあ?」
やっぱり、このごろの山田は変だ。自分一人でやればいい話だし、いつでも誰かと一緒、みたいな人間思考はむしろ嫌っていたはずなのに。
「多分、僕は一発で犯人を突き止めるだろう。だから一回で済む。頼むよ」
「なんでおれも」
「冷静でいられる自信がないんだ。何かあったらお前、周囲にうまいことごまかしてくれよ」
……確かに、痴漢を取り押さえるなんてことになったら周囲の注目も浴びるし、木谷先輩も平静ではいられないだろう。山田が冷静でいられないっていうのは……まあ、そこは自制しろよとしかいいようがないけれど。
「でもおれ、電車になんか乗らないんだけど」
駅に近いところに住んでいるから。
「だから頼んでいるんじゃないか。明日、朝六時に駅だから、よろしく」
「六時だと!」
早い、早すぎる。ぼくはその時間に起きるんだけど。というか時間に気を取られたけど明日ってのも非常識だろ。
「大体なんで、山田はそんなに木谷先輩にこだわるんだよ」
そう言うと、山田は驚いたように目を丸くして数秒黙った。それから、しょうがないというふうにため息をついて、
「僕の最後の心残りだからだ」
と言った。




