ぼくと盗み聞き
その日の授業が終わって、みんなそれぞれ教室を出て行く。
倉吉はテニス部へ、山田は同好会へ。そしてぼくは家に帰る。ももこさんに声をかけて、一緒に教室を出た。
今日は何を作ろうかな。篠が昨日、ずっと栗の話をしていた。確かに栗の季節だから、いいのがあれば、渋皮煮でもしようかなあ。でもちかごろ野菜ばかりだから、ももこさんのために肉か魚にでもしようかなあ。
ぼーっと廊下を歩いているうちに、見覚えのある、というか近頃すっかり見慣れた後ろ姿が見えた。
山田だ。なんでこんなところをうろついているんだろう。進路指導室から出てきたようだった。山田は左の方、窓から外を見て、突然急ぎ足でどこかへ向かっていく。
「ってあれ、ももこさん?」
ももこさんがそれを追って軽やかに歩き出した。となれば、ぼくも当然あとを追う。一体ももこさんが山田に何の用だろう?
ももこさんの邪魔をしてはいけないと思って、ぼくはできるだけ気配を抑える。とはいっても別に、息をひそめたり身をかがめたりはしない。『ぼくはいないものとしてくださーい』なんて念じながら、ただてくてく歩くだけだ。
山田は角を曲がっていく。ももこさんもそれに倣った。少し遅れたぼくは小走りで彼らを追いかける。
「先輩! 木谷先輩」
山田が前方へ声をかけたところだった。なるほど、木谷先輩は一階の渡り廊下を挟んだ先、普通教室棟の昇降口に立っていた。山田は走って、彼女のところへ追いつこうとする。……あれ、ももこさんは?
鳴き声。見上げると、ももこさんはすぐ横の建物の軒先に上がっていた。こちらを一瞥したかと思うと、少し隙間の開いた窓から、建物内へするりと入ってしまった。
そこは食堂だ。ははあ、ももこさん、おやつにありつこうって言うんだな。じゃあ今晩は魚はなしだ。
さてぼくはどうしよう。せっかく山田にも気づかれていないし、ちょっと盗み聞きでもしちゃおうかな。そんな趣味の悪いことを考えて、ぼくは走って彼らへ近づいた。
一緒に同好会に行くことになったらしく、二人は階段を上がっている。話しているのを聞くに、やっぱり、山田がなんだか勢い込んでいて、木谷さんがその勢いに押されている感じがする。
木谷さんは、多分根っからの善人なんだろう。ぼくだったら、苦手な奴につきまとわれたら、ひたすらに避けまくるけれど、木谷さんは拒まない。あの人も悪気はないし、なんて思って相手してしまうんだろう。本当に嫌なら、山田なんて、斬って捨てても死なないぞ。それはそれで面倒くさいけど。
「先輩って、どうして歴研に入ったんですか?」
「う、うーん、先輩に誘われたのもあるし、うちの父親が歴史の研究してるから、興味があって」
「研究してるって?」
山田は立ち止まり尋ねた。木谷さんも合わせて立ち止まる。
「大学の教員をしてるんだ」
「え、すごい! どこのですか?」
「え……あの、市立大学、わかる? 隣町の」
山田はやけに食いつくな。木谷さんが戸惑っている。
「わかります! 凄いですね!」
「す、すごいのかな? 普通のサラリーマンと一緒だよ、多分」
「だから歴史が好きなんですか。なるほど」
「うん……」
二人は思い出したように再び足を動かした。もう数段を残すのみだった階段をすぐにのぼりきり、渡り廊下にさしかかる。
「……先輩、何か、悩み事ありませんか?」
「え?」
「なんだか、元気なくないですか?」
そうだろうか? まあぼくは木谷さんとほとんど会ったこともないから、普段の様子と比べることができないし分からなくて当然か。
そう思っていたら、木谷さんも同じようなことを言った。
「そんなことないよ。私、いっつもこんなもんだよ。最初に会ったときは、新入部員に浮かれてただけ。本当はテンション低めだよ」
「そうですか?」
「どうして、そんなふうに言うの?」
木谷さん、なんだか混乱してきている。ちょっと怒ったような口調で山田に問うた。山田は全く動じない。真剣な眼差しで、木谷さんを見つめた。
「……僕は、あなたを守りたいんです」
「え?」
渡り廊下は解放廊下だ。風が吹き抜けて、ぼくらの髪を揺らした。急に自分が盗み聞きをしていることが恥ずかしくなる。二人が見つめ合うその脇で、なんでぼくは気配を消して突っ立ってるんだろう。
木谷さんが何かを言う前に、ぼくは踵を返してその場を離れた。山田にも気づかれないように気を使ったせいで、いつもよりも疲れて帰宅した。
「栗だ!」
篠が目を輝かせる。
「栗だよ。明日はご飯にも入る」
「ネタバレをするな」
渋皮煮を食卓に出すと、篠はさっと皿ごと手にもち、まず一つ口にする。
「こら、それ一人分じゃないぞ」
「うまい」
満足げな顔をされても、その皿の占有は認めないからな。ぼくは他のおかずを配膳し終わり、自分の箸を取る。床に伏していたももこさんが期待に目を上げたけれど、今日は野菜がメインです。
篠って、なんでも食べるけれど、嫌いなものはあるんだろうか。
「人間の喰わないものは、たいてい喰わない」
「じゃあ、芋虫とかも食べるのか」
「うまかったらな。それよりも動物の肉の方がうまいし好きだ」
食べたことがあるのか……。
と、篠が眉をひそめ、ちらりと窓の方を見遣る。ももこさんもそれに続いて、首を再び持ち上げた。
「どうした?」
「うるさい」
唸るように篠は言うが、それがぼくに対してでないことはすぐに知れる。
遠くで、何かの音が聞こえたからだ。それは非常に微かだったけれど
「なんだ、これ? 犬か?」
そう、その音はまるで、
「遠吠えだ……」
遠吠えは、こだましているのか、他の犬がつられているのか、一度上がるといくつもいくつも、途切れることなく続く。
篠はすっくと立ち上がり、ぼくを見下ろした。
「黙らせてくる」
「だめだ」
ぼくは篠を見上げずに言った。だって、今見上げたら位置的に、なんというか、スカートの中の方が、なんとなく見えそうっていうか。結構短いんだ、篠のスカート。
「なんで止めるんだ。ねこさま?」
篠が尋ねるのに答えず、ぼくはもくもくとご飯を食べる。ももこさんは興味をなくしたように眠り出した。篠はしばらくぼくに抗って出て行こうとしたが、ぼくが押さえつけ続けるとやがて屈した。
「なんでだよ……」
ふてくされた様子で食事に戻る篠。それでいいんだよ。お前にとって、ぼくの渋皮煮に勝るものがあってはならないんだ。せっかく作ったんだから。
結構面倒くさいんだぞ、鬼皮むぐの。




