ぼくと「犬野郎」
「それにしても、なんだってこの町に来たんだ?」
篠はずいぶんぼくを捜していたようだった。多分、この町はぼくらがかつて暮らしていたところとはかなり離れたところなのだろう。山田だって、昔はぼくらの近くに住んでいたはずだけど。
「そりゃ、『ねこさま』を捜してきたのさ」
「嘘をつけ」
「別に、完全に嘘とも限らんぜ。この地方に用があってきたのは確かだが、この町にシロがいるらしいと噂を聞いて立ち寄ったんだ」
「さっきから噂噂と言ってるが、そんなに噂になってるのか」
「ああ、まあ、知ってる奴はひっきりなしに囁き合ってるな。なにせ、お前の匂いはよくわかる」
別に、ぼくが臭いわけじゃない。気配のようなもの、と篠は言っていた。今では、その意味がなんとなく分かるけれど。
「どうするんだい? このへんを縄張りにするのか」
「別に……」
自分が思っているより気のない声が出た。山田は重ねて問う。
「猫のことはどうする。あれの中は、ただの猫なんだろう」
ただの猫……ではない。推測だが、ももこさんは、元々ぼく、小山楓になるべき存在だったんだろう。ぼくが人間になる過程で、彼をはじき出し、元のぼくの身体に入ってしまったのではないかと思っている。つまり、本当は人間になる予定だったのだ、ももこさんは。多分。
「でもまあ、ももこさんは今、猫であるわけだし」
「戻らないのか?」
「もう一度身体を奪うことなんてできない。それにおれは、今のももこさんが大好きなんだ」
「お前、ナルシストだったの。元々自分の身体だろ」
「お前だけには言われたくねえよ。犬好きナルシストめ」
「シロ、お前そんなこと思ってたのか。あんな可愛い顔して」
「ほうらお前だって思ってたんだろう。元おれだった猫が可愛いと思ってたんだろう」
「今のお前は可愛くない!」
そんなの知ってらい。
ぼくは犬が嫌いではない。というか、昔のぼくは、相手がどんな生き物でも別に構わなかった。今では、猫が好きだけど、それが純粋に好きなのかどうかはよく分からない。
『それが元の身体への執着なのかなんなのか』
そう篠は言った。
そうなんだろうか?
ぼくは猫に戻りたいのだろうか?
否、そもそも……ぼくは最初から猫だったのだろうか?
考えても分からない。自分がいつから生きているのかなんて、全く思い出せないのだ。記憶は篠がやってくる少し前から、途切れ途切れにあるだけ。
なんかおかしいのかなあ、ぼく。
山田と別れて歩いていると、スーパーマーケットが近づいてきた。そこでぼくの思考は、卵を使った晩ご飯のことでいっぱいになる。
家に帰ると、篠がやっぱり転がって待っていた。
「ただいま、篠」
「…………ぇり」
なんだかものすごく機嫌が悪い。
「どうしたんだ」
「べっつにい」
そういう態度、ぼくは好きじゃないなあ。
学校鞄をその場に置いて、買い物袋を置きに台所に向かう。慌てて篠が追いかけてきた。
「悪かった、ねこさま。追い返さないでくれ」
「別に、追い返してなんかないだろ」
「追い返してるだろお、そんな圧力かけといて何を言ってるんだ」
ぼくの能力は、自分の望みを押し通すことだ。
「べっつにい。おれは、人の問いにまともに答えない奴なんてこの家にいらないなあと思ってただけだよ」
「本当に意地が悪くなったな、ねこさま……!」
ふるふると震える篠をよそに、ぼくは鍋に水を入れて火にかけた。
今日の晩ご飯は親子丼だ。最近手抜きじゃないかって? 簡単に作れておいしいものこそが、料理の神髄だ。
鰹節を鍋にぶちまけて火を止め、ぼくは篠を振り返った。
「で、どうしたんだよ」
「最悪な奴に会ったんだよ」
「最悪な奴?」
「犬野郎だ。……あ、そっかねこさまは覚えていないな。昔、ねこさまの周りをうろちょろしてたゴミだ」
ゴミとまで言うか……篠は本当に山田が嫌いだな。
「そんなにこき下ろすなんて、逆に気になってくるな」
ぼくは知らないふりをして、山田に興味をもったふうに言った。篠はあからさまに顔をしかめる。
「気にしなくて良い。あいつのことを思い出すだけで、篠はぞわぞわしてくるんだ、嫌悪で」
「それって恋じゃないか」
「やめてくれ!!」
篠が珍しく金切り声を上げた。本当にうるさいので素直にやめてやった。
ももこさんがベランダにやってきた。今日は寄り道をして帰ってきたらしい。
「ももこさん、お帰り」
ぼくはそう声をかけて、煮出したあとのおかかをお皿に入れた。
「おれのクラスに来た転校生が、犬が好きらしいよ」
「犬は嫌いじゃない、犬野郎が嫌いなだけだ、勘違いするな」
吐き捨てるように篠は言って、それから一瞬立ち止まり、ぼくを振り返った。
「まて、そいつは山田とか名乗らなかったか」
「よく分かったな」
にやにやしそうになるのを必死で堪えて答えると、篠は頭を掻きむしる。
「あの野郎、またねこさまに近づこうと……!」
「何だ、犬野郎って山田のことか」
「何で呼び捨てなんだ、話したのか!」
篠はぼくの胸ぐらを掴まんとする勢いでぼくに迫ってきた。
「今日、買い物に行く前に偶然出会ってな」
良い奴そうだよ、と言えば、絶対に今後近づくなと念を押された。多分それは無理だろうけど。
「なんでそんなに嫌いなんだ?」
「別に、何かされたとかしたとか、そういうことではない。生理的に無理なんだ、あいつは。……もう二度と会うこともないと思っていたのに」
まあ、わからんでもないけど。
そういえば、どうしてこの町に来たのか、はぐらかされてしまったな。どうしてこんな遠いところへ、わざわざやってきたんだろう。




