老婆と少女
商店街をふらふらと、少女が歩いていく。目的地は特にない。魚屋の表で穴子を焼いているのを目を細めて見ている。時代が時代だから、盗ったりはしない。それに、少女は金を十分に持っている。
姿こそ高校生くらいの少女であるが、実際彼女は人間の生を十倍は長く生きている。山の中で動物たちと暮らした期間が長いから、獣のような行動をとることも多いが、もともと初めて姿を模したのが人間であったこともあって、基本的には人間の仕草や動きの方が慣れている。……それに文化も。
かつて幕末に名を連ねた塾のそばで、姿を変え聞き耳を立てて勉強したこともある少女の思考は、今や購読しているマンガ雑誌のことでいっぱいであった。
「今日は月刊帝王の発売日ではなかったか」
彼女が今最も楽しみにしているマンガの掲載誌である。
「先月は実にアツい展開で終わったからな……」
馴染みの書店に入り、ちらりとカウンターの奥に陣取る老婆を見遣る。老婆は心得たものでさっと厚めの雑誌をカウンターに載せた。
「話の分かるばばあだ」
「私がばばあならあんたは大ばばあじゃ」
この老婆が十の頃から、少女は変わらぬ姿であるのだ。
「ふん、くそばばあ。昔はあんなに懐いておったのに」
「単なる餌付けで威張るんじゃないよ」
言いながら、老婆は違和感を覚えていた。この少女が自ら昔の話をするなど今までになかったことだからだ。
少女の方もそれに気がついた様子で、そっぽを向いたまま呟いた。
「……篠は行こうと思う」
どこへ、と聞いても意味はないことが老婆には分かっていた。少女が行ってしまう、それだけが老婆にとって意味のある情報である。老婆は黙って、翌日発売予定の週刊マンガ誌をカウンターに出した。
「餞別か?」
少女が尋ねるが、今度は老婆があさってを向き答えない。発売日前の商品を出すことは厳しく禁止されているのである。少女はしばらくカウンターと老婆を交互に見つめ、やがてごそごそと懐に治めた。「かさばるなあ」等ぐちぐち言いながら。
「じゃあな、達者で暮らせ」
のんびりと少女は立ち去った。
店の戸が閉まるのを見送って、老婆は軽く息をついた。「……もう閉め時かね」
まだ日は高く、閉店するような時間ではない。老婆が言うのはこの小さな書店の存続についてだった。最後の娘を嫁にやったあと気の抜けた亭主はぽっくりと逝き、息子達もあとを継ぐ気はなさそうだ。亭主と始めたこの書店、まさか一代で終わるとは思っていなかったが、もはや続ける意味もあるまい。五年前、同じ通りにチェーンの大きな書店ができたときから、老婆の仕事はカウンターの前に座っているだけようなものになっていた。それでもこれまで続けてきたのは、ひとえに少女の存在があったからである。老婆は恩を知らぬ人間ではない。戦中戦後、どこからともなく食糧を持ってきて分け与えてくれた、ずっと見た目の変わらないあの不思議な少女のため、毎日店を開け続けた。
少女はもう戻ってくることはない。少なくとも老婆の生のあるうちには。少女は別れの一言にそれをにじませ、老婆もそれを感じ取っていた。
「こんちは」
と、ランドセルを背負った少年が、控えめな声とともに扉を開けた。
「はいよ」
老婆をちらちら見つつ、目当てらしいマンガの単行本コーナーに少年は足を向ける。こうして、まだときどきは客が来るのだ。この体が続くまでは、店を開いても良いのかもしれない、と老婆は思い直した。
「……とりあえず、月刊帝王の入荷はもうストップするか」
ここ数年、少女しか購入者はいなかったのである。




