ぼくと篠(の瞳)
ご無沙汰しております。短めです。
さて、どう突き崩すか。どう看破すれば、この少女はあきらめるのか。
ぼくは落ち着いて、ジュースを一口飲んでから、篠に向き直る。
「あり得ないだろう」
「何がだ」
「おれがたとえば『ねこさま』だとして? その力を使っているとしよう。この世はおれの思いのままじゃないか」
現実はそう甘くない。ぼくが親と交渉して一人暮らししていることも、『理系男子』というものに憧れるだけで実際は数学がいつも赤点すれすれなのも、全部思い通りになるなら、ぼくだってそうしたい、でも、実際はそうじゃない。
「だから、そう言ってるだろう。今は無自覚だから、うまく扱えていないだけだ。使い方を思い出せば、本当に思いのままだぞ。今までのねこさまがそんなことに興味がなかっただけだ」
「思い出すも何も、知らないんだ。思い出すものは何もない」
相変わらず、会話は平行線をたどる。篠はぼくが「ねこさま」だと言い、ぼくはそんなものじゃないと言う。
「じゃあ、たとえば、おれがたまたま『ねこさま』と同じ力を使える別人だったとしたら?」
この切り口は意外だったらしい。篠は少し目を見開いた。
「……篠が、ねこさまのにおいを間違えるわけがないと言ったろ」
「それはおれにはわからない。『ねこさま』と同じ能力を持っているからといって、おれが『ねこさま』という証明にはならない」
「ねこさまが認めなくてもねこさまがねこさまであるということは事実だ」
「わからないやつだな」
本当にいらいらしてきたぞ。吐き捨てると、篠は僅かに肩を竦ませた。
「わからないのはねこさまのほうだ。本当は気づいているんだろう、自分の異常性に」
「知らないね」
「わからないならそれこそ異常だ。お前がねこさまであろうとなかろうと、学校にねこを連れてきても一人だけ何も言われない、そんな特権をもっているだけで普通の人間とは違う、そんなことすらわからないようなら」
「ももこさんがあまりにかわいいからみんな見逃しているんだ」
「それは本気で言っているのか?」
篠はぼくをじっと見る。ももこさんがかわいい、というのは紛れもなくぼくの本心ではあるが、篠の言いたいことはわかっていた。痛いほどに。
「何を恐れている? 普通じゃないことに」
「恐れてなんかいない」
きっかり十秒、篠はぼくを見つめたようだった。秒を数えていたわけではない。目を離すタイミングが、まるできっかり測っていたかのような感じがしたから、そう思っただけ。目を逸らすとため息をついて席を立った。
「もういい」
それがどういう意味の「もういい」か、ぼくには今いち判別がつかない。
「食ったんなら、出るぞ。ここはうるさい」
一人で十分うるさい女が何を言う。しかしぼくは黙って従った。
昼下がりの商店街には、さぼりの学生と足早に歩くサラリーマンが数人、あとは大半が主婦だ。というか、ぼくもさぼりの学生に見られているんだろう。間違ってはいないけれど。
また思考がわずかに脱線したところで、篠は先に立って歩きながら言う。
「ねこさまが認めないというなら、篠はわからせるだけだ。けれどいずれ気がつくだろう。今までだって、気づかないふりをしてきただけなのだから」
「違う。おれは本当に知らないんだ」
篠は振り返って、少しぼくに顔を近づける。
かなり顔を近づける。
その近さにぼくは少したじろぐが、彼女の瞳がぼくを離してくれない。さっきのバーガーショップで見つめてきたときの比ではない。
ぼくの瞳を覗き込んで、篠はまるで問いかけているみたいだ。
何に?
さしずめ、ぼくの魂に、だろうか?
「だって……普通じゃないだろ」
言い訳めいた口調になってしまうのはしょうがない。彼女の瞳があまりにぼくを抉るから。
「それがどうした」
「ぼくはいたって普通の人物だ」
「くだらないな」
言葉通りの表情を浮かべて篠はぼくを見る。でも顔が離れてぼくは少しほっとした。
「『ねこさま』はそんなことは気にしない。普通、普通じゃないなんてそのこと自体が単なる比較。そんなことを気にするのは人間だけだ」
そのまま篠はぼくから少し離れた。セーラー服のスカートがふわりと風に持ち上げられた。制服特有の布地の固さなんて、少しも感じられない。けれどくたびれた様子でもなくぱりっとしているのが不思議だった。
そうか、と彼女は小さく呟く。
「…………ねこさまは人間になってしまったんだな……」
そのまま背を向けて、篠は歩き去った。
「なんだよ」
ぼくは人間だ。最初からそう言っているのに。
どうしてそんなに寂しそうな顔をするんだ。
ぼくは篠を完全に拒絶したわけではない。拒絶するには、ぼくは何も分からなさすぎた。結局、彼女にぼくは何一つはっきりとした態度をとることは出来なかった。拒絶も、許容も、信用も。
そんなぼくに彼女は呆れ果てたんだろうか。
それから三日経っても、篠はぼくの前に姿を現さなかった。




