その1
六日目の朝、私はすっかり寝坊してしまった。昨日メルタ達と話した疲れが溜まったのかもしれない。カシェンに起こされて、朝食を食べた。もうサーベスティアの生活には馴染んだ。
「今日は家にいる?」
カシェンが訊いたので、私はそうすることにした。
ミシェンとおじさんは仕事に行き、カシェンとおばさんは家事をしている。私も何か手伝わなければ、と思ったが、今日の疲れは異常だ。
昨日のミシェンは何だったのだろう。どう思っているかだなんて……。ラカーレとかいった少年も――年上だが――私のことを美人とか言っていたし。まるで「好き」とでも言って欲しいような感じだった。でも、どうせその後からかったり、傷つくことを言ったりするのだろう。だって、学校でも似たようなことがあって、私はその男子に好意を持っていたから思い切って本音を言ってみれば、「マジ最悪」と言われて、傷ついて終わった。だからもう恋なんてしないようにと決めたのだ。
「リコちゃん、芽が出てるよ!」
庭仕事をしていたカシェンが、家の中に戻ってきて私に伝えた。そういえば、すっかり水遣りを忘れていた。
慌てて玄関を出て家の裏に行くと、芽と言うよりは、小さく尖った木の枝が出ているような感じだった。
「変わってるでしょ。希望の実って、緑色の植物じゃなくて、小さな木なんだよ、葉っぱが付いていない」
「へえ」
私は目を丸くして、鉢植えを覗き込んだ。心の中で驚いていた。あの種から木が出てくるなんて、想像できない。
私はじょうろで水を遣った。このペースだと、まだまだサーベスティアにいることになりそうだ。
「きっと、リコちゃんの気持ちが明るくなったから、芽が出たんだよ」
「そうかな」
「そうだよ」
カシェンはニコニコしながら言った。
確かに、自分自身を責めることが少なくなってきたかもしれない。学校から離れられたからかもしれないが。
私とカシェンは一旦家の中に入り、おばさんに芽が出たことを伝えた。
「おめでとう。この調子で頑張るのよ」
肩をポンと叩かれ、おばさんはウインクした。
そうか、頑張ってミシェンの友達と接したから芽が出たのかな、と思った。少し嬉しくなった。
午後、私はテーブルの上に突っ伏してウトウトしていた。
「リコちゃん、そんなに疲れているなら、寝てもいいわよ」
おばさんが心配そうに言う。
「ありがとうございます」
私がカシェンの部屋に行こうとすると、玄関のドアをノックする音が聞こえ、勝手に開いた。
「こんにちはー」
この声は、ラカーレだ。ミシェンがいるとでも思ったのだろうか。
「あら、ラカーレ君。何のようなの? ミシェンなら仕事だけど……」
おばさんの説明を無視して、部屋の中に入ってきた。そして、
「リコちゃん見っけ」
と言い、私の方に駆け寄り、手を掴んだ。ドキッとした。
「ちょっと、リコちゃんに何するの」
おばさんが怒り気味で言ったが、これまた無視し、
「外で話そうよ」
と私をそのまま外に連れ出した。怖くなった。
「あ、ちょっと、待ちなさい」
おばさんの言葉を耳にした後、景色が公園に変わった。転移術を使った。
「座りなよ」
私は恐る恐る腰掛けた。男に拉致されるなんて初めてだ。
「何……?」
「デート」
「えっ」
訳の分からないところがミシェンそっくりだ。公園で遊んでる子供達がチラッとこちらを見ていく。
「急にごめんな。でも、どうしてもやってみたかったんだ」
「そ、その、デ、デートを?」
「うん」
ラカーレは満面の笑みを浮かべている。
「自己満足かもしれないけど、こんな美しい子と隣にいてみたかったんだ」
何だか気分が悪くなった。彼が気持ち悪いということではなく、急に手を掴んだり、「美しい」と言ったりしたことが、私の疑いをますます強めていく。
「この前はミシェンがいたから聞けなかったけど、リコちゃんって、何をすることが好き?」
好きなこと。私は勉強一筋だった。家は貧しくて、習い事なんてさせてもらえず、本さえあまり買ってくれなかった。全部旅行の為の貯金に回されていたように思えてならない。
「えっと、絵を描くこと、かな」
最低限の出来ることだ。特に好きでもないが、これくらいしか言うことがない。
「見てみたいな。そこに描いてみてよ」
「え」
「嫌だ? 恥ずかしい?」
美術の時間で描いた絵は散々馬鹿にされ、通信簿でも三と、あまりいいとは言えない。
「見ても無駄だと思うよ」
「残念。他には? あ、じゃあさ、将来は何がしたい?」
次々と質問をするラカーレ。将来を消し去ろうとした私に答えることなど何もない。何を言わせる気なのだ。私はうつむいた。
「俺、不味いこと言った……?」
「……」
だんだん辛くなってきた。帰って本当に寝てしまいたかった。けれど、勝手にそんなことはできないし……。
「あ、忘れてた。リコちゃんって、希望の実の種を植えたんだったよな。確か橙だっけ……」
「うん」
「そっか、ごめん。あれからミシェンに一度も会ってなくて、理由を聞いてないんだ。今話せない?」
「ちょっと……」
やっとラカーレの目を見ることが出来た。だけど、今の状態でいじめのことを話すのは無理がある。
「じゃあ、ミシェンから聞くよ。それと、芽は出た?」
「うん、出た」
「それは良かったな。実を食べた後のリコちゃんの笑顔、楽しみにしてるぜ」
ラカーレはそう言って、立ち上がった。
「家まで送っていくよ。転移術がいいか?」
転移術だと、また手を繋ぐのだろう。でも、私は早く休みたかった。
「うん」
「じゃあ、手、繋ごう」
ラカーレの左手が、私の右手を握った。そのまま立ち上がると、ミシェンの家の前に着いていた。
手を離し、彼はドアをノックして、「リコちゃんを連れてきましたー」と言った。その声を聞き、カシェンが出てきた。
「もう、リコちゃんを勝手に連れていくなんて。あ、リコちゃん、お帰り」
「ただいま」
「ちゃんと一言言ったぜ」
私は中へ入った。
「またな」
ラカーレは笑顔の中に照れを混ぜながら、私に向かって手を振った。私も振り返した。
ドアを閉め、私の目が下を向く。
「ラカーレ君も困った人なんだよね。お兄ちゃんと似てて、嫌だなあ」
カシェンは困った顔をして言った。
「あ、今お母さんは夕食の材料の買い出し中だから。休みたいなら、私の部屋を使っていいよ」
「ありがとう」
ようやく横になれる、と私は疲れ果てながら思った。すぐさまカシェンのベッドの上で横になり、体を休めた。今のところ、私の将来したいことは、育てた希望の実を食べることだろうか。考えると、いじめられたことを思い出してしまう。そのせいで、眠れずにいた。