その3
私は手を離し、ミシェンは何事も無かったように家の階段を上っていった。私も後に続く。
「ただいま」
「ミシェン、遅かったじゃないの。またラカーレ君と話をしていたのかい」
「ああ」
転移術を使ったせいか、おばさんはさほど怒っていないようだ。
カシェンは既に帰宅して、椅子に座っていた。本当にサーベスティアの学校って、自由なんだな、と思った。
私とミシェンも椅子に座り、昼食を待った。
「どうだった? リコちゃん」
「緊張した……」
「そうだったんだ」
何故かミシェンが答えた。
「お兄ちゃんは黙ってて」
「分かったよ。それより、リコがお前より一つ年上という事が発覚したぞ」
「そうだったんだ」
カシェンは十二歳だったんだ。多分その位だろうと思っていたので、驚かなかった。
「でも、リコちゃん、って呼んでいいよね。『先輩』とかなんて付けなくても……」
「いいよ」
「ありがとう」
意外と細かなことで気にするタイプだったんだなと、私は意外だった。
「はーい、昼食出来たわよ」
おばさんが運んできた。また、というのも失礼だが、野菜サラダにフルーツ、そして、サーベスティアでは初めてのパンだ。
「いただきます」
肉が食べたい、と思いながら、私はパンを口にした。食感は硬めけど、意外と美味しかった。野菜サラダにも、玉子があれば美味しいと思うんだけどな、と思いつつ、美味しく戴いた。私の心の中は、料理に対して文句たらたらだ。
「ごちそうさまでした」
食器を片付け、さてどうしようか、と話し合うことになった時、
「そうそうリコちゃん、着替え、買ってきたから使ってね。サイズは合ってると思うんだけど」
そういえば、昨日おばさんが替えの服を買ってきてあげると言っていたが、まさか本当に買ってくるとは思わなかった。しかも、下着まで、ツーセット。
「あ、ありがとうございます」
「脱衣所で試着してみて。サイズが合わなかったらまた買ってくるから」
「そこまでしなくても……」
「遠慮しなくていいのよ」
こんな私の為に本当に悪いと思いながら、女の子用の服を一式持って、脱衣所に向かった。ふざけてついていくミシェンをカシェンが引き止める。
制服を脱ぎ、用意してくれた替えの服を着る。こんなものなのだろうか。私は脱衣所を出て、リビングへ戻った。上半身は桃色の長袖、下半身はぶかぶかの赤い長ズボン。もんぺみたいな形をしている。
「似合ってる!」
「可愛いなあ」
兄妹達から言われ、私は何故か照れてしまった。
「良かった、サイズはピッタリのようね。これでサーベスティアの住民の一員ね」
「良かったね、リコちゃん」
「流石にベッドまでは買えなかったわあ」
「お気持ちだけで、十分、です」
これがサーベスティアの服。生地は綿のようだ。本当は青が好きだけれど、おばさんが買ってきたもう一つのセットは、黄色と橙色だ。
何やら視線を感じるが、ミシェンだろう。何も言わないなんて珍しい。
「午後は何する?」
カシェンが言ったので、今度こそ一緒に外を歩いてみたいと思ったが、またもやミシェンだ。
「よし、今度は俺の仕事場だ」
「えーっ」
「何ならついてこい」
「分かったよお」
カシェンが不満そうに同意した。また会うのは男……、でもカシェンがいるだけ心強いかな、と思った。まだ彼女以外にサーベスティアの少女を見ていない。
三人は早速出発して、ミシェンの言う「仕事場」へ向かった。
気付けば、サーベスティアに来てから、一台も車を見ていない。レンガで舗装されたこの道は、歩道なのか。だから午前中にミシェンとラカーレは、道のど真ん中で話していたのだろうか。そう考えるとつじつまが合う。では、どうやって長距離を移動する……ん、転移術を使うから、必要ないのか?
「リコちゃん、リコちゃん!」
カシェンの声でハッと気が付いた。
「こっちだよ」
私は考え込んでいたせいか、すっかり右の方を歩いていた。二人は歩道を左に曲がるところだった。
「ご、ごめん……」
私は走って、再び歩き出した。
しばらく歩いてミシェンが立ち止まった。
「ここ、俺の仕事場。がれき工場」
「がれきじゃなくて、レンガでしょ!」
二人の会話に少し口角を上げて笑った。ミシェンはレンガ工場の社員だったのだ。それで、時々面倒になって転移術を使って逃げ出している……。
「あ、メルタだ。メルター!」
門の外からミシェンが叫ぶ。やっぱり男だ。
メルタと呼ばれた男物の作業服を着た人物がこちらへ近づいてくる。あれ、女……?
「なんだい?」
険しい顔をしたその少女は、水色の瞳できつくミシェンに向かって睨んだ。
「あんた、今日休みだろ? 邪魔しないでくれる」
赤みを帯びた茶髪の髪を後ろで縛り、更にタオルで頭を縛っている。
私は怖くなった。学校の事を思い出してしまう。
「少しくらいいいだろー? この子はリコって言って、俺らより二つ年下。メルタからもよろしく言ってくれ」
メルタは私を見ると、またミシェンに視線を戻した。
「また連れてきたのか。仕事抜け出して迷惑掛けて。困った奴」
やれやれ、と呆れ顔になって両手を開いてポーズを取った後、私に目線を移した。
「リコちゃん、悪いね。こいつ馬鹿だからさ。また時間がある時、よろしく」
私はまだ怖がっていた。言葉が出ない。
「メルタさん、本当にごめんなさい」
「カシェンちゃんが謝ることはないよ。兄ちゃんが悪いんだから。さっさと追い払ってくれない?」
「……分かりました」
「お、おい……! メルタの野郎!」
「帰るよ、お兄ちゃん」
メルタはすぐに作業場へ戻っていった。カシェンは「メルタ!」と叫び続ける兄の手を引っ張りながら、工場から遠ざけた。
「カシェンもカシェンだぞ」
「だってメルタさんに言われたんだもん」
つまらなそうな顔をするミシェン。と、ここでやっと私の怖がっている姿を見て、こう言った。
「メルタにやられたのか」
なんて気を遣わない言葉だろうと、ますます落ち込んだ。
「お兄ちゃん、ふざけるのも程々にしてよ。リコちゃんはメルタさんと初対面だよ。ほら、メルタさんって、きつい目してるから、怖かったんじゃない?」
「そうだったのか?」
「う、うん」
カシェンの心遣いに、私は感動していた。
「ごめん……。あいつ、昔っから口悪くてさ、サーベスティアでは珍しいんだよ。間違って女に生まれたんじゃないかってくらい」
きっと、メルタと仲良くなれる日は来ないだろう、と確信した。
「落ち込むなって。ほら、折角希望の種蒔いたのに、芽が出ねえぞ」
「そうだよ、リコちゃん、頑張って」
そうだった。希望の実を生らせる為に、二人は行動してくれているんだ。ここでまた死のうと思ったら……。
私は顔を上げた。
「よし、仕方ないから帰ろう」
「工場見学したかったな」
ミシェンはカシェンの言葉を無視して歩き出した。カシェンのムッとした横顔が意外に可愛かった。
こうして、二日目の夜を迎えた。
おばさんは、家族の三人がリビングにいない間に、私に話し掛けてきた。
「そういえばリコちゃん、カシェンから話は聞いたわ。そんなに辛い思いをしていたのね……」
ハンカチで涙を拭いながら、続けた。
「チキュウって、怖いわね。橙の実で、絶対に明るくなって、いじめた子達をぎゃふんと言わせるのよ!」
燃えているところがミシェンに似ている。
「そこまでは……」
「とにかく、負けないこと。いいわね? おばさんも応援しているから」
私まで涙が出た。皆が心配してくれて、心配を掛けてしまって……。私はただ黙っているしかなかった。もし、偽物の涙だったら……。
「二人とも、何で泣いてるの」
「こら!」
またもミシェンが湯上がり姿で立っていた。私は目を伏せ、おばさんは怒る。この騒動に部屋から出てきたカシェンが、
「またお兄ちゃん……」
と呆れた様子で、戻っていった。
こんな日常が続いた。私は毎日忘れずに希望の鉢植えと名付けた鉢植えに、水をあげた。