その3
「おーい、起きろー」
「ミシェン、馬鹿言うんじゃないよ」
「そうだよ、お兄ちゃん」
「何だよ、夕飯の時間になったから教えてあげようと思っただけなのに」
「こら、ミシェン!」
「父さんまで何だよ」
耳に入った会話で私は目覚めた。そうか、私は異世界に来たんだった。我ながらよく寝たものだ。外は暗い。もう夜なのか。
私が上半身を起こすと、そこにはミシェンファミリーがいた。
「ごめんね。こいつのせいで家族みんな勢揃いしちゃって」
「こいつとはなんだよ、母さん」
半分怒っているおばさんは一生懸命優しそうにするのに精一杯のようだった。私は怯えた。
「あーあ、母さんのせいで可愛い寝顔が無くなっちゃったじゃないかよ」
可愛い寝顔……!? ドキリとした。何を言っているんだ、ミシェンは。変態というか、どこにも「可愛い」等という要素がない私によくそんなことが言えるな、と思った。
「あ、私とお父さんは先に戻るね」
カシェンと、茶髪で橙色の瞳をした細身の男性、ミシェンの父は、五月蝿い二人を残して部屋を出て行った。
「ごめんね、リコちゃん。無理矢理起こしちゃったようで。もう夕食出来たから、来てちょうだい。ミシェン、今日の給料半額家に納めなさい」
「ええー」
ミシェンは口笛を吹きながら部屋を出て行った。続いておばさんも追いかけるように出て行く。
靴を履き、リビングへ行った。五人分の食事が用意されている。わざわざ、私の分まで作ってくれたんだ。
「そこに腰掛けてね」
おばさんがそう言ったので、私はその椅子――皆とは違うけれど――に座った。そして、全員揃って「いただきます」と言って食べ始めた。こんな光景、今の日本ではなかなか見られない。
料理はおばさんと、カシェンの手作りだ。新鮮で、とても美味しい。地球には存在しない食べ物でも、舌はちゃんと機能しているのだと、私は感慨深く思った。
ただ、不思議に思ったことは、肉も魚も無いということだった。そういえば、テレビで「ベジタリアン」という言葉を耳にしたことがあった。野菜だけ食べる人のことを言っていたと思った。この家はそうなのだろうか。
「どうしたの」
自分の世界の中に入っていた私に、突然カシェンが口を動かしながら話しかけてきた。
「い、いや、あの、ベジタリアンなのかな、と……」
「ベジタリアン?」
よく分からないようだった。この世界、確かサーベスティアでは通じないのだろうか。そういえば、なんで異世界人が日本語で話しているのだろう。
「ベジタリアンって何のことなの」
おばさんも訊いてきたので、答えればならなくなった。私は話すのが苦手だ。
「えっと、野菜だけを食べる人を言って……」
「穀物も食べてるよ」
ミシェンが口を挿んできた。
お米も食べるのかな。私はそこまで詳しくない。
「へえ、チキュウって、そう言うんだ。サーベスティアにはそんな言葉自体ないから、分からなかったよ」
カシェンが目を光らせながら答えた。余程珍しいのは私にだってよく分かる。
「そうね。でも、野菜だけっていうと、他にどんな食べ物の種類があるの?」
「肉と、魚と、卵です」
「本当にそうなの?」
私以外全員の目が点になり、一瞬静寂に包まれた。
「本当に、動物を食べないのは、私たちの世界だけみたいね……」
カシェンが残念そうに言った。
悪いことを言ってしまった、と私は自分を責めた。サーベスティアでは肉等の動物性食品を摂らないなんて思いも付かなかった。やっぱり私は存在してはいけないんだ。
「リコちゃん、そんな辛そうな顔しないで。我がサーベスティアの住民は、動物を人間と同等に見ているんだ。だから食べるなんて発想さえないんだ」
おじさんがなだめてくれた。
「あ、いつもの台詞」
「シーッ」
ミシェンがふざけて言った言葉で、カシェンの眉間にしわが寄った。
動物を人間と同等に見る。なるほど。地球だって、動物を飼って可愛がっている。でも、食べ物になる為に生きている動物もいるのではないのだろうか。そもそも、動物に知能というものがあるのだろうか。きっと、その辺の考えが地球とサーベスティアの違いなのだろう。
やや空気が悪くなってしまった夕食だったが、それでも皆は私を責めずに、明るく振る舞ってくれた。これが本心なら、嬉しくて泣きたいところだ。
就寝する準備を終えようとしたところで、一つ困ったことがあった。
着替える服が無い。
ここにいる間、どの位か分からないけれど、ずっと制服で過ごすわけにもいかない。でも、どうせこんな私に服なんて……。
私が悩んでいるのを察知したからか、私の首の包帯を巻き直しながら、おばさんが話し掛けた。
「そういえば、リコちゃんの替えの服が無いわねえ。明日おばさんが買ってきてあげるから、今日はその服で我慢してね」
「あ、ありがとうございます」
居候の黴菌女の為に、わざわざ服を買ってきてくれるというのだ。「ありがとうございます」なんて言ってしまったが、本当に良かったのだろうか。悪い気がしてならない。
「そうだ、今日は私のパジャマ貸してあげる」
カシェンがそう言うと、自分の部屋に入って持ってきてくれた。
「はい」
「え、いいの……?」
「勿論だよ」
私はまるで何も持たないでやってきた留学生みたいだ。カシェンは何も気にしていないようだが、物凄く抵抗がある。
女しかいないリビングで、シンプルな桃色のパジャマを恐る恐る袖を通す。続いて足も。
「似合うじゃん」
突然湯上がり姿のミシェンがリビングに入ってきて言った。私は見慣れない男の上半身に目を伏せる。
「こら、ミシェン。女の子のお客さんがいる前で裸になって堂々としてるんじゃないよ」
「……分かったよ」
母親に叱られ、脱衣所に戻っていくミシェン。私はそうっと顔を上げた。
「お兄ちゃんはいっつもヘラヘラしてふざけてるんだ。ごめんね」
「カシェンが謝ることじゃないよ。後でしっかり叩きつけてやるからね」
おばさんがそう言うと、リコの方に向き直った。
「そういえば、リコちゃんには、まだ言ってなかったわよね、希望の実のこと」
「希望の、実?」
「そうよ。本当はサベスの実って言うのだけれど、みんなそう呼んでるの。植える種によって、それぞれ別の効果が表れる実が生るの。その実を食べれば、きっとリコちゃんも元気になって、自信が付く時がくるわ」
「へえ……」
おばさんはそう説明すると、種をキッチンから持ってきた。
六つの小袋にそれぞれ、赤、橙、黄……と色の名前が書かれており、見た目は普通の、米粒ほどの大きさの種が少量ずつ入っていた。
「その実はね、努力しないと生長しないの」
カシェンが補足した。
「努力?」
「そう。努力しないと育たない珍しい植物なの」
「明日、植えましょうね」
私は希望の種をまじまじと見た。とても興味深かった。
「お、希望の種だ」
いつも突然現れるミシェン。同じく半袖Tシャツに青いズボンを穿いている。
「何、明日蒔くの?」
「そうよ」
「そりゃ楽しみだなあ」
ニヤニヤしながら言うミシェン。
「でもあんた、明日も仕事でしょ」
「今日残業したから明日は休んでいいって、社長が言ってた」
「あらそう。仕事抜け出したから休みにされたんじゃないの?」
「違うって」
この親子の会話は長く続く。理想の親子、と言うべきか。リコの家では小学生の時から両親と共に会話することが少なく、数年に一度の国内旅行が何よりの楽しみだった。これでも思い出はある方なのかもしれないけれど。
就寝時間になった。ミシェン一家はリビングから各部屋へ散り、私はカシェンと共に部屋に入る。私の分のベッドが無い為――当然だが――、何とか二人でカシェンのベッドで寝ることになった。
こんなに近くで寝ると、友達みたいだ。
嬉しいような気もするが、素直になれなかった。嫌がっているんじゃないかと気になって仕方がない。独りになるスペースが欲しいと私は思った。突然ミシェンが私の部屋にやってきて、サーベスティアという異世界に連れていかれて、こうしてお世話になって、頭の中が混乱している。