その2
「着いたぞ」
「えっ」
一秒も掛かっただろうか。すぐさま掴んでいた手を離す。結局はお遊びで、馬鹿にされたんだと思いながら、私は目を開けた。
景色がガラリと変わっていた。太陽が優しく私を包み込む。地面から伝わってくる「気」、これは何と表現したらいいのだろう。元気付けられているような感じだ。周りには、所々に小さなレンガの家があり、私とミシェンがいる前にも一軒の家が建っている。
「ようこそ、希望が実る世界、サーベスティアへ! あ、そこの家、俺んちね」
ミシェンが格好付けて言った。
「希望が実る」って、一体どういうことだろう。
と、そこへ勢いよくドアが開いて、中からふくよかで、桃色に近い赤い髪を後ろで団子状に束ねた女性が出てきた。
「ミシェン、また仕事抜け出して! もしかしてまた誰か……」
ミシェンの母親らしき女性は、私を見ると、すぐに態度を変え、
「あら、ごめんなさいね。うちの馬鹿息子がいつも仕事中抜け出してるから……オホホ」
と誤魔化した。
「母さん、これも仕事の内だよ」
「何馬鹿なこと言ってんの。そんな仕事がある訳ないでしょ、もう。この子は?」
びくりとした。違う星からやって来た、なんて言ったらどんな反応をするのだろう。
そんなことを考えてる間に、
「チキュウのニホンって世界から連れてきたんだ。あとは宜しく」
「はあ? ちょっと待ちなさい、本当にまた異世界人を連れてきたわけ?」
ミシェンは母の質問にも答えず、一瞬で消えてしまった。
「ほんと、あの子の転移術の素早さといったら……」
無責任だ。私は思った。ミシェンの母も呆れていた。
そういえば、「また異世界人を」と、言っていた。何度もこの世界に、他の星の人たちを連れてきているのだろうか。
おどおどしている私を見て、ミシェンの母は改めて面と向かって話した。
「本当にごめんなさいね。って、あなた、その首のあざは……!?」
すっかり忘れていた。鏡を見ていなかったし、異世界に行くとかで、痛みも気にならなくなっていたのだ。
「き、気にしないで下さい」
「そんなこと出来ないでしょう。とりあえず、包帯を巻きましょう」
スタスタと家の中に戻り、奥で誰かとの話し声がしたと思った後、すぐに戻ってきた。手には救急箱を持っている。
「一体何があったの?」
「それは……」
黙り込んだ私を気にせず、丁寧に包帯であざを隠してくれた。
「よし、っと。これで、とりあえず痛々しいのは気にならなくなるけど……、ミシェンが連れてきたのにも意味があるようね。とりあえず中に入って寛いでちょうだい」
はい、と答え、私はミシェンの母と一緒に家の中へ入った。靴は脱がずに、玄関で汚れを軽く払い、狭いリビングには、中央に木のテーブルと椅子が四人分置かれていた。奥にはキッチンがあり、私と同じくらいのこれまた金髪の少女が、料理をしている。先程の話し声は、この子だったのかもしれない。
気配に気付いたのか、金髪の少女はこちらに振り向いた。ミシェンに似た顔、茶色の瞳、紛れもなく兄妹だ。
「あ、初めまして。首、どうかしたんですか?」
向こうから丁寧に挨拶してきた。慌てる私に、
「ちょっとねえ、怪我してて」
と、ミシェンの母が話してくれた。
「そう……」
ミシェンの妹であろう少女は、私に気を遣っているようで、何も聞いてこなかった。
「そういえば、まだ名前聞いてなかったわね。何ていうの?」
ミシェンの母の問いに、私は答えた。
「リコ、です」
「リコちゃんっていうの。宜しくね。私は、もう分かってると思うけど、あの馬鹿息子……じゃなくてミシェンとこの子の母です」
口癖か、オホホ、と誤魔化したつもりで笑いながら、ミシェンの母が自己紹介した。すると、少女の方も、
「私、カシェンです。何か困ったことがあったら言ってね」
と、明るく笑顔で言ってくれた。
何だか、この世界なのか、この家族は違う。いや、私のことを何も知らないからだろうか。そのうち……。
「リコちゃん、疲れてるようだから、カシェンのベッドで休んでなさい。いいわよね、カシェン」
「うん、もちろん」
黴菌だらけの私が寝てもいいのだろうか。後から豹変でもしないだろうか。
カシェンの部屋は、リビングの左手前のドアに繋がっていた。中はベッドと机だけで、歩くスペースも殆どない。存在する価値もない私の部屋と比べたらとても狭くて、私の部屋が贅沢に思えた。
「それじゃあ、ゆっくり休んでてね」
そう言うと、おばさんは部屋から出て行った。
キチンと整頓された机の上や本棚。桃色の絨毯に、ベッド。
目に映る光景に、私は悩みながらも、靴を脱いでベッドの中に潜った。もう引き返せない。制服のまま寝るのは何となく居心地が悪かった。
日本ではもう母も帰ってる頃だろう。私がいなくて大騒ぎしているんだろうな。一人娘だもんね。学校にも連絡がいって、皆は面白がっているのかな。まさか異世界にいるなんて誰が考えているだろうか。考え出したらキリがない。
私は、目を瞑った。そして、いつの間にか深い眠りに落ちていた。