その4
市場で人が一人倒れている。だが、皆気にせず、そのまま通り過ぎている。
「可哀相。でも、市場の中には入れないし……」
「生き地獄」
「うう……」
私はこんなに涙が出る人間では無かった。「愛の実」の力は凄い。
「あ、リコちゃんだ」
振り向くと、ラカーレがいた。
「あ、ラカーレく……」
「何してんの」
え。
「そこの子、見たことあるな」
「あたしもあんたのこと、見たことある」
「聖堂だったな」
「よくサボってるって言われてるよね」
「別にいいじゃん」
「良くない」
「ちぇっ。じゃあ」
ラカーレは足音を鳴らしながら去っていった。
「あいつのこと、知ってたの?」
「うん。ミシェンの友達で」
「ああ、なるほど」
あのラカーレはラカーレではない。私にくっつこうとする筈なのに、何の興味を示さなかった。これも愛が消えたからか。この様子だと、イギルやメルタも同じだろう。ミシェンやカシェンも……。
「さて、これからどうすっかだな……」
「……」
ラカーレをあれだけ煩わしいと思っていたのに、寂しい。前の方が良かった。これからは森で暮らすしかないだろう。
「おーい!」
顔を上げると、青い瞳で茶髪の青年がこちらへ走ってきた。深緑色の服を着ている。聖職者か……?
「ザイバー! 無事だったんだ」
「無事も何も、聖堂はとんでもないことになってんだよ」
「やっぱり」
ザイバーと呼ばれた青年は、よく見ると童顔で、高い身長と釣り合わない。
「愛の実を食べた犯人とティスカ捜しをしてるぜ!」
ザイバーは冷や汗をかいている。
「あたしも捜されてんの!?」
「俺も逃げてきたから、きっと合計三人を捜し回ってる筈だ」
「ますます不味くなっちまったな……」
この二人、仲が良いのだろうか。
ポカンとしていると、ザイバーが私に気付いた。
「ティスカ、その子は?」
ティスカが耳打ちしようとするので、ザイバーがしゃがんだ。そして、ひそひそと話した。
「逃げよう!」
二人が走り出したので、私も一生懸命追いかけた。ティスカは一体何を話したのだろう。
その答えはすぐに分かった。
再び森の中へ入る。
ザイバーが誰もいないのを確認して、
「君、本当に愛の実を食べたのか!?」
と訊いてきた。
「はい……」
私は小さくなった。今日で何度涙が出ただろう。
「異世界から来たってことは、訳有りで?」
「はい」
「いじめられて、自殺しようとしてこの世界に来たんだって」
ティスカがハッキリと言ったので、私は下を向いてしまった。
「いじめか。俺の学校でもいたな、いじめられてる人。でも当時俺、不良だったから助けなかったんだよなあ。悪い事をしたと思ってるよ」
「不良、だったんですか!?」
その童顔で、と付け加えそうになった。聖堂にいるということは、もう更生したのだろう。
「実は不良だった為に、仕事が見つからなくてね。ここの聖堂で働いたのが初めてなんだ」
「そうだったんですか……」
「そこに、ミシェンって男が現れて、『人生をやり直したい』って思いで連れてきてもらったんだ」
「えっと、ザイバーさんも、ミシェンに連れてこられたんですね」
「三人一緒」
「そういうこと、だな」
「あ、私はリコです。よろしく……」
「よろしく!」
これでまた仲間が増えた。ザイバー、十七歳――まだ少年だった――と、ティスカ、十一歳、そして私の三人が共に行動することになった。
「にしても、腹減ったな」
「あたしも」
「私も」
ザイバーがポケットから小銭を出す。
「これで買えないかなあ」
「馬鹿。市場の中に入るんだ」
「でも他に方法が……」
「……」
三人は黙り込んでしまった。
結局、市場に買いに行くことになった。
恐る恐る市場の中へ入っていき、弁当屋を探した。妙に静まり返っていると思えば、喧嘩が絶えなかったりで、滅茶苦茶になっていた。
やっと弁当屋が見つかった。
文字が読めない。
そういえばどうやって異世界の者同士が話し合えるのだろうか。
そんな疑問を考えている間に、ザイバーが文字の形を見て、
「弁当一つ下さい」
「毎度ありがとうございます」
急いで森の中に戻った。
「一個しか買えないってどういう意味!?」
「まあ、怒るなよ。ティスカは全く持ってなかったんだろ?」
「……分かったよ。みんなで分けよう」
「うん」
細々とした食事だが、朝食を食べていなかったので、とても美味しく感じられた。でも、これからは本当に食べられなくなる。
「働くしかないよな……。聖堂は恐ろしくていけないし」
「当たり前のこと言うんじゃねえよ」
「真剣な話をしようとしているのに!」
「まあまあ、二人とも、落ち着いて……」
私はなだめ役になっていた。
「ごめん、ごめん。で、働くとなると、市場しかないよな」
「当然」
「俺は力仕事も考えるけど、二人は無理だよなあ」
「無理無理」
「無理です」
「とにかく、明日働けそうなところに行って、頼みまくるんだ。採用されたら飯の為にひたすら働く」
「私の両親に似てるなあ……」
「リコんちって、貧乏なの?」
「ちょっとね」
「働くって、命がけでもあるんだね」
ティスカが珍しく素直に言った。
「そうさ。それじゃあ、明日朝一で決まりな」
「オッケー」
「分かりました」
働くのか……。私は大学に行って、収入のいいところに勤められればいいな、と思っていた。それが、もう働くなんて……。大体にして、この年齢で働くことが出来るのだろうか。不安になってきた。
そういえば、一つ訊いていなかったこと。
「あの、何で私達、異世界の人同士なのに喋れるんでしょうか」
「あれ、知らなかった? サベスの樹が翻訳してんだよ」
「ええっ、樹が翻訳!?」
ティスカの言葉にさぞ驚いた。まさか、六色の樹が、そこまでの能力を持っていただなんて。崇めるしかない。
「あ、そうそう、俺はウォルカレスって星から来たんだ」
「ウォルカレス……。宇宙には沢山星があるんですね」
「そうだね」
そういった話をしていると、話題が無くなってしまった。三人はただ、寝たり、寛いだりして過ごした。そして、そのまま暗くなるまで待ち、眠りについた。




