滝フタバ
ゾンビというものは、人類の敵としてやみくもに打ち倒すべき敵なのか? これまで、ゾンビというものに対して頭ごなしに否定していた人々の間でゾンビに対する考え方が少しづつ変化しているように思われる。このような風潮の変化には、ミスターシンメトリックの研究の成果が大いに貢献しているのだ。
(有力エッセイスト 車虎吉)
第一章 滝フタバ
「ゾンビテクノロジーであるのか、あるいは、それを装着した者をヒーローに変えるパワースーツであるのか、人々の未来をどちらに託すべきなのか。町はその態度をきちんと表明すべき時期が来るってこともありうるよ」
都の文教予算の質疑の中で、この奇妙な語尾を都知事が発した。それは、膨大な予算をパワースーツ開発に投じたことが、失政であったことをそろそろ認めざるをえなくなった都知事の忸怩たる心境を表明していた。
ゾンビテクノロジー派が、表だった攻勢をかけてきそうだ。確かに多くの人はそういう予感があった。しかし、まだ、パワースーツの支持者は、負けを認める気はさらさらなかった。
滝フタバが店に入ってきたとき、装着していたパワースーツの変装機能を入(ON)にしていた。コーヒーパーラー『ライフ』のマスターは、滝フタバが入ってきた様子で、滝フタバの父、シンメトリックのことが思い浮かんだのだが、しかし彼女が滝フタバ本人であるとは、思わなかった。滝フタバは、パワースーツ派の急先鋒、開発責任者で、さらに滝フタバの夫も、ヒーロー用パワースーツ開発の第一人者であった。その滝フタバが、ゾンビの出入りが噂されるコーヒーパーラー『ライフ』を訪れることを、マスターは予期していなかった。
「もしもし、お忙しいところすみません。こちらのお店でいいのでしょうか。実は、『ライフ』というお店を探しているのです」
マスターが、返事をしようとすると、すでに、滝フタバは自分で看板を見つけてコーヒーパーラー『ライフ』であると確認をすませた。
「いや、いや、偶然ですね。こちらがコーヒーパーラー『ライフ』というのですね。道を間違えてしまったかと思いました。もっと、裏通りにある店かと思っていたもので、本当に古風なお店ですね」
滝フタバのコーヒーパーラー『ライフ』への来訪は、マスターにとって見慣れぬ、いち女性客の来訪にすぎなかった。だから、全くの初対面のはずの女性が、わかったような、分からないような話を正々堂々と馴れ馴れしく話し始めたときには、マスターは、エーッと思った。滝フタバの作戦が功を奏したのか、奇襲攻撃を受け、煙に巻かれた状態に陥ってしまったマスターはなかなか滝フタバということに気づかなかった。
後になって考えると、あんな風なのは滝フタバ以外にはいないと思ったのだが、そのときには、理由もなにも、その女性が、滝フタバであることは夢にも思わなかった。
確かに、マスターには人間音痴の気があった。しかし、それでも、その声の調子で、すぐに気づいてもいいはずであった。
女は、思春期の子供を抱える主婦だそうだ。滝フタバもそうであった。見かけ的にも、滝フタバより少し若めに見える中年で、滝フタバと同じくらいの中肉、中背であった。これらはどれもも有力なヒントになりえた。滝フタバもそういう年格好であった。どこか理知的な顔をしており、金には困っていなさそうな風貌。ある種の上から目線を強烈に感じたのだ。これも滝フタバ的であった。女は、息をするごとに、傲慢で、凶暴なパワーを発散していた。これらは、どれもこれもが滝フタバに至る有力なヒントでもあったのだ。
女のイライラを含んだ真剣そのものの物言いは、それでいて、話題が一カ所に集中せずに、内容がドンドンと変化していった。そして、なにかに集中してだすと、示される度を超した集中力も、時がたつにつれて激しさを増した。
――一刻も早く、この女の言いたいことを理解して、この女の話をきちんとしたレールに載せてやらないと、この女は、大爆発を起こしてしまうぞ!
マスターは、圧倒されて思った。マスターは何か良い方策はないか考えた。
その間も、滝フタバは、話し続けた。滝フタバの話しは迷走を続けていた。
――まもなく、滝フタバのストレスは、ピークに達するだろうな。
マスターは思った。
「区役所に相談しても埒があかない。警察も取り合ってくれないの」
「本当は、自衛隊の問題かも知れない。しかし、滝フタバ一人の意見で、自衛隊が動いてはくれなさそうなのは、何となく分かったわ」
「そうして、最後には、自分で解決するしかないと言う自然な結論にたどり着いたの」
「この相談だというのは……。区庁舎、つまりの本陣に乗り込んで一気に決着を考えたのですけど、その前に! ……」
「えー、その……」
「なにかしら、……」
「いやいや、何から話したら……」
マスターは、良いことを思いついた。マスターは、滝フタバに、メニューを出した。
「あら、そうだわ。ケーキセットでもいただこうかしら」
ふとわれに返って注文を済ませると、滝フタバの慌ただしさがやっと落ち着いた。
つぎに、コーヒーパーラー『ライフ』の店内を見渡すと、物憂げな、退屈そうな、まったく物足りないという表情をして見せた。それは、期待して訪れた敵の秘密基地が、期待に反してあまりにもショボかったので、大いに不満であると言わんばかりの表情であった。
「期待していたのに、これじゃ期待はずれ。無駄足だったというわけね。……でも、シンメトリックさんは、こちらが親切なお方と教えてくれたのですよ」
滝フタバは、気を取り直して、当初から予定していた駆け引きを開始した。紹介してくれた人物の名前を出したのだ。それは、シンメトリックの名前だった。
「そうか、そういうことだったのか。 お久しぶりですね」
マスターは、その時になってやっと分かったのだ。彼女がまさに、滝フタバその人であると言うことが。滝フタバが、パワースーツの変装機能を切(OFF)にすると、たしかに、マスターに見慣れた滝フタバが現れた。
「……」
気がつくのがあまりに遅すぎたんだよと言わんばかりに、滝フタバはマスターから目をそらした。
「それにしても、上等の変装技術ですね。シンメトリックの名前が出なかったら、あなたの変装をもうしばらくのあいだ見抜けなかったかもしれません」
と、マスターは感心して見せた。
「特殊メークの技術は、最近、進歩が著しいですからね」
滝フタバは、一応納得した。
「しかし、あなたは、相変わらず嘘は下手だ。シンメトリックがあなたのために紹介とか、何かするなどということは考えられませんよ。だって、シンメトリックとあなたは、絶縁状態なワケですから」
マスターは、何を思ったのか不用意な方向に話題を変えた。
「和解しましたのよ。知りませんでした」
女は、冷たく答えた。
それで、マスターは爆笑して、言った。
「それは、ありえませんね。あなたにそういうことを教えることは、あまり考えられないし、そういう連絡も受けてはいません。はっきりしていることは、今日に至るまで、シンメトリックは、あなたたちの強引なやり方での結婚は認めてはいらっしゃらないのですよ」
これは、マスターのナイーブな事柄をあつかうにはあまりに軽率な行為であった。マスターの笑いは、滝フタバの大反撃を呼び込んでしまった。
「しかし、あなたは私を嘘つき呼ばわりしていますが、本当の嘘つきはあなたではありませんか。父の後輩としてうちによくいらしていた頃、あなたは、そんなんじゃありませんでしたよね。あの頃、私のことをフタバと呼んで優しい目で見つめてくれたことがありましたよね。それが、いまでは、私が目の前にいても全く気づかない体たらく。あのころのあなたは、本当に大うそつきということだったのでしょうね」
「わ、わかりました。その話はよしにしてください」
マスターは、早々に、白旗を揚げて、敗北を認めた。
「では、うそつきでない証拠に、私の力になってください」
滝フタバは、要求した。
「しようがないなぁ。ということで、あなたを悩ませている問題とはいったい何なんですか」
要求に屈した、マスターは、滝フタバに聞いた。
「うちの庭に、ゾンビの死体が放置したままになっているんですよ。それで、困っているんですよ」
「ゾンビの死体……?」
「ゾンビというのは、死なないから、ゾンビの死体というのはおかしいとか、突っ込まないでくださいね。ゾンビの定義について議論しにやってきたわけではありませんからね。この間の例の事件で、何人かのゾンビが、ドレミヒーローに、倒されましたよね。覚えてますか。そのときに、瀕死のゾンビが、うちの庭に逃げ込んできて、そのまま動かなくなってしまったんですよ。あれから、二週間もたちますよね。二週間の間に、わたしも、何度かゾンビを突ついたり、間近で顔の表情を見てみたりしたんですよ。でも、なんの反応も示さないんですよね。あれは、死んだと言うしかないと思うんですよ。だから、市役所に電話して、引き取ってもらいたいといったんです。すると、ゴミとして、ゴミの日の指定に時間に、指定のゴミ置き場に、指定のビニール袋に入れて持ってきて欲しいというんですよ。でも、うちに倒れているゾンビは、ずいぶんと大柄なんですよ。私の女手にはあまるんですよ。ちょっと、力を入れてもぬるぬるで力が伝わらないのですよ。それで、二、三軒の清掃業者にに相談したら、ゾンビみたいな、動物の死体とかをいじるのはイヤだというんです。すこし、臭いもするんです。いやな臭い。不潔ですから、子供たちには、さわらせたくないんですよね。将来のある身ですから……子供たちは……」
「……」
滝フタバのはなしは、喫茶店に持ち込むにはあまりに方向違いで、マスターとしてはどう答えるべきか、見当がつかなかった。
それでも、滝フタバは、お構いなしに話を続けた。話しの方向が少し変わって、ここでは滝フタバの言いたいことが理解できた。
「最近、ほんの少しの間のことだと思うのですけど、ゾンビに対する人々の態度というものが、ずいぶんと変わったと感じません? しばらく前までは、ゾンビが出現するとそれは大騒ぎになりましたよね。そして、都も区もきちんとした対応をしていました。ゾンビが原因で、病気とか広がらないのかと気を使っていました。しかし、今はゾンビの問題は、どこに持ち込んでもたらい回しにされちゃうんですよ。この頃は、ゾンビは積極的に処理すべき緊急課題ではなくなったみたいですね」
滝フタバは、そして、結論を言った。少なくともマスターは、そう思った。
「さらに、いま、ゾンビに関しては下手に動くと損だとみんな考えているみたいです。ヘンな噂が流れているんですよね。ゾンビが有用になる時代がやってくるとか、そのための薬が開発されているとか」
滝フタバが、世間が気にしているようなことを普通に気にしているので、マスターは一安心した。
「私が、そのゾンビの死体とやらを処分しろと……」
でも、念のために、マスターは滝フタバの話しの最初の部分について、確認した。
「そう言うことでもないんですよ。私だって、コーヒーパーラー『ライフ』のマスターが、ゾンビの死体をかたずけてくれとかいうのは、とんだお門違いですよね。それは、もちろん分かっていますよ。旦那もいろいろ当たってくれているから、何か解決策があるかもしれません。ただ、ちょっとした噂を、聞いたんですよ。ゾンビのことで、それで、なにかの手がかりが得られるかも知れないと思ってここへやってきたんです」
「もうすこし具体的に。私から、どういう話を聞きたいのですか。いわゆるゾンビってやつの……」
「ゾンビは、山の手では出没はしないはずなんですよ。それが、唐突に、うちの住まいの近くにゾンビが現れたのです。それは、あまりに不自然です。これまで、ゾンビは下町のちょうどこの辺りに出没するのが、決まりでした。そうでしょう。理由は分かりませんがね」
山の手にゾンビが出没したことは、マスターをも不安にさせていた。滝フタバの言葉は、マスターにはイヤミに聞こえた。
「理由は、私が分かっているはずだ。あなたは、そう言いたいのですか」
「事実そうでしょう」滝フタバは悪びれずに答えた。
「まるで、ゾンビの出没とこの店、コーヒーパーラー『ライフ』が関係しているみたいな言い方ですね」
「そうでしょう」
マスターは、ケーキを滝フタバに出した。マスターは渋い表情で滝フタバを見た。
「おいしそう」
滝フタバは、ケーキをほおばった。そして、コーヒーをすすった。
「こんなおいしい、ケーキを出すお店に、ゾンビが出入りしているなんて信じられませんわ。第一、しらを切るのは大人げないですよ」
私は、私にたてつくヤツ・うそつくヤツは容赦しないよ。滝フタバの物言いには、なにか、そんな覚悟あるいは、気迫のようなものが確かに感じられた。もともとは、短気なのは分かっているけどそれでも似つかわしくはないように思われた。普段の彼女とは違っているのが、マスターには、あとにまで印象に残った。
――フタバさん、何か困ったことでもあるのでしょうか。
マスターはふと思った。しかし、マスターはとぼけた態度は崩さなかった。
「それは、初耳ですね。うちは、ゾンビお断りとか言う店ではありませんが、それでも、ゾンビのお客さんはまだいらしてませんが……」
「……。でも、ゾンビに知り合いがいらっしゃるんでしょ」
「だれか、そんなことを言っていましたか。」
「私たち、素人の人間は、何とでも言ってだまし通せるでしょうが、その筋の人間の人たちは、あなたたちがやっていることは、すべてお見通しなんですよ。分かりますか」
「つまり、ゾンビを呼び出すとか言う霊媒師とかにその話をお聞きになったとか」
マスターは、混ぜ返した。
「霊媒師って、あいつのこと? シンメトリックとかいう……それは絶対にありません」
「お父さんのことを、そんなに呼び捨てにして言うんですか」
「……」
こちらの親子の道は、この二十年近く行き止まりのままの状態だった。
滝フタバは、マスターにむくれて見せた。
「ゾンビの騒動なんて、滅多にありませんし、この世で毎日生じていている死者の数に比べれば、ゾンビなんて存在は、現実の世界のささやかな誤差に含まれてしまうような問題かも知れませんがね。それでも、この近くでも、ある種の風が吹いて、事件が起こるそうじゃないですか。つまり、私が言いたいのは、偶然の出来事だと言うこと。そして、それは私とは無関係です」
マスターは、ゾンビに関して自分にかかっている嫌疑について、弁解しようと必死に試みていた。
「風が吹けば、大気の中にある死者の魂が、ゾンビとしてうまれでる。世間のひとは、そう考えているようですね。でも、その魂は、水の流れの泡のようなもので、生まれたと思えば次の瞬間には消えてしまっていたわけですが。本来そんなものなのです。そんな泡沫のようなものを現実の物として、この世に固定できる力を持つクスリがあるそうですね。ビタミンCとか言いましたよね」
滝フタバは、狙いの獲物が現れたので、追跡を始めた。というか、マスターを追求した。マスターは、滝フタバがゾンビのことに関するとあまりに無知なのでおどろいてしまった。
「ビタミンCではありません。それは、ベータミンCというものです。それは、Beta-minCと表記します。ベーター試験中のCタイプのクスリという意味です。これくらいのことは、誰でも知っていることです。とうぜん、Beta-minDというのも存在します。そのつぎは、Beta-minEでしょう。シンメトリックは、こういう風に名前をつける習慣があるのです」
「やっぱりそうだ。ずいぶんとゾンビとクスリについてお詳しそうですね」
滝フタバは、無知を装ってマスターに罠をかけていたのである。
「……」
マスターが黙ると、滝フタバが元気づいた。
「あなたは、しらを切るのがあまりお上手ではなさそうですね。ゾンビとの関係をかたくなに否定なさるのなら、それでも、かまいませんよ。わたくしとしては、いくつかの質問だけには答えてください。わたしは、うちの庭のゾンビの死体の処分についても興味がありますし、そして、もっと基本的なことについても、知りたいと思うようになったのです。ところで、ドレミヒーローについてあなたはどう思われますか。単刀直入な言い方をすると『彼は、セクシーだと思いますか』あれって、今でもアイドルなんですか。私はよく覚えていますよ。バラエティ番組によくでていた頃、観てましたもの。でも、私に言わせれば彼は、一文の値打ちもないゴミのような存在です」
「なぜ唐突に、ドレミヒーローの名前が出るのですか」
「博士というあだ名で呼ばれる少年の話を聞いたことがありますか」
「博士なら、このあたりでは有名な天才少年です」
「博士は、今後ゾンビテクノロジーが、パワースーツに取って代わるだろうと、予言したんですよ。パワースーツ陣営が、ゾンビテクノロジーに対抗しようと考えるならば、ドレミヒーローという個人に着目すべきだってね。私は、それを聞いたときに何かの間違いだろうと考えました。最新技術の粋を集めたパワースーツの技術が、ドレミヒーロー一個人に劣るような言い方じゃありませんか。信じられます?」
「……」
博士は、ゾンビテクノロジーの陣営に属していたので、ゾンビテクノロジーを持ち上げるというのは、マスターにも理解できた。しかし、ドレミヒーローの話については、初耳であったし、正直驚いたことだった。
「私は仕事柄、関わりの深い、あるいは立場上ヒーローアイドルという物の存在について、全面的に信頼しているわけですが、ただ、ドレミヒーローって言うヤツだけは、生理的にどうしても受け付けないんですよね。それでも、全く違う世界にいてくれれば、知ったことじゃないんですけど、ドレミヒーローにかんして、いろいろと仕事が回ってくるので、本当にいやになります」
滝フタバは、ほんとうに不快そうな表情をして見せた。
「つまり、……」
滝フタバは、思いを一気にはき出そうとした。
マスターは、滝フタバの考えが予想できた。
――いつものおきまりの話しがこうやって始まる。
マスターは思った。
「つまり、人間性と言いますか、彼の持つ道徳観についてなのです。時代遅れの正義のヒーローっていうやつです。世界の平和が、自分の双肩にかかっていると信じて疑わない。へんてこな信念。さらに問題なのは、ドレミヒーローが、もう若くはなく、醜悪な中年になりつつあるということなのです。美しくない人間が、ヒーローを語るというのは、大きな罪だと思いません? だった、こどもが、ドレミヒーローを見て、正義というものが、醜悪な中年のことだとか思ったら、子供たちはみんな、ギャングとかヤクザとかにあこがれるようになってしまうのですよ。ほんとうに困ったことです。正義を行き渡らせるには、美が必要なのです。人の心を打つ美を持っていなければ、その人の言うことを信頼する人間はいるでしょうか? そう思いませんか? 私は、ドレミヒーローから、『セクシー』さというものがひとかけらも感じられないのですよ。それが、なぜ、わたしたちの研究の足を引っ張り続けているのでしょうね」
たしかに、滝フタバは、ひとを判断する場合、『セクシー』かどうかということが、非常に重要なポイントであった。そして、滝フタバにとって、『セクシー』に思えぬ人間は、無価値であるばかりでなく、嫌悪すべき敵と見なしていた。これは、昔からの傾向だった。
「信頼って? つまり、あなたにとって『セクシー』かどうかということですか」
マスターにとって、これは、確認するまでもないことであったが、このときには、あえて聞いてみたかった。
「……」
滝フタバは、マスターの質問の意図が読めたのか。不快そうな顔をした。そして、質問には答えなかった。二人の間に沈黙が現れた。
ところで、滝フタバの『セクシー』という言葉で、マスターは滝クルミというアイドルを思い浮かんだ。そういえば、滝クルミといえば、アクションヒロインとして、テレビドラマに出演して人気急上昇のアイドルであった。もちろん、滝フタバの娘である。
滝クルミのドラマの相手役の若者、一之条隼人も、今『セクシー』イケメンとして評判が高かった。
沈黙を破ったのは、マスターだった。
「ドレミヒーローも、たしか、『ナンチャッテヒーロー』という番組で主役をしていました。あのころは、いくらか『セクシー』という要素もあったのでは……」
「そうです。ワンクールだけ。そして、スキャンダラスな事件を起こして、あの番組を終わらせてしまったのです。しかし、彼は、番組を降りても、厚顔無恥にも、ヒーロー活動はやめようとはしなかったのです。 まったく、『セクシー』じゃない人間が!」
「……」
マスターは、ドレミヒーローのことを考えると、返事に困った。
「答えにくい、質問をしてしまいました。ドレミヒーローとはお知り合いですよね。我がヒーローズアカデミーの恥部、ドレミヒーロー、とても滑稽で、関係者として私は恥ずかしいです。ところで、彼の戦い全般のそぶりについて、私にはまったく理解できないところがあるのです。……」
滝フタバのドレミヒーロー批判は、ますます熱を増していった。滝フタバには、ドレミヒーローに対する同情心もないのだろうか?
滝フタバは、ドレミヒーローの存在が癌となって、ヒーローズアカデミーを代表とするパワースーツの陣営に大きな不利益が生じている。滝フタバも、そう信じ込んでいるのであった。
マスターも、この地域を担当しているドレミヒーローの闘いを何度か目撃していた。しかし、ドレミヒーローの闘いをセクシーやら何やら方面から考えてみたことはなかった。しかし、これほどこき下ろされるとは……。それほど、ひどいようにはマスターには見えなかった。マスターは、滝フタバの、ドレミヒーローに対する一方的な批判には、賛成しかねるところがあった。
「ドレミヒーローにも、事情があると思います。たとえば、もう少し、上等のパワースーツを提供してもらえば、彼の印象も変わると思います。そういえば、あなたの着用しているパワースーツは、驚くほどの性能なのにどう見ても、普通のワンピースにしか見えない。それほどよく出来ている。パワースーツの技術にも、最新のものには格段の進歩があるのでしょうね。それくらい最新式パワースーツをドレミヒーローに提供できないのですか?」
「ここにもドレミヒーローの味方がいるとは……。ドレミヒーローっていうのは、調べれば調べるほど、おもしろい存在ですね。ああいう体たらくでも、憎からず思っている人間がいるのですね。そういう人たちが、私の追求からドレミヒーローの守ろうと必死になっているのでしようね」
「ドレミヒーローには、あなたも、守られているはずだ。いつかあなたもそれに気づくはずですよ」
マスターは断言した。
「私がドレミヒーローにまもられているですって。私は、ドレミヒーローに異議を唱えます。だって、ドレミヒーローが博愛的であるからという理由だけでヒーローでありうるなら、この土地には、若さと力の本物のヒーローの良い伝統が根付かないではありませんか。でも、こんど、ドレミヒーローに最新型のパワースーツが提供されることになりました。それだけは、お伝えしておきます。でもあなたのドレミヒーロー擁護論を聞いて、ドレミヒーローのことがますます信用できなくなりました」
滝フタバが、これほどまでに感情的になるのは珍しかった。よほどの理由があるのかもしれないと、マスターは思った。
しかし、マスターは、粘り強く反撃した。
「人生を賭け、すべてをなげうって、世の中の平和を守りたいという見上げた人間が、実際に生きていることを知ったときに、それは、立派なことです。ドレミヒーローが『セクシー』でなくてもかまわないじゃないですか。彼は、アイドル出身で、派手な暮らしを体験してきたにもかかわらず、地味な仕事を着実にこなしているのです」
「これ以上、話をしても無駄なようですね。ただ、あなたの石頭はよくわかりました。どうしても、あのお馬鹿さんの味方をしたいみたいですね。そうとなれば、はっきりしました。あなたは、私の敵です」
滝フタバは、交渉決裂で、言語道断という表情を隠そうともせずに退散した。
コーヒーパーラー『ライフ』の店内に残ったマスターは、滝フタバが自分も昔抱いていたパワースーツに対する理想をいまも抱いているのだなぁと思った。だから、あれほどのこだわりが生まれるのだろう。その理想は、マスターの日常生活の中では縁遠い物になっていた。
しばらくすると、クリーンスタッフの社員、高見沢治美から、電話が入った。今から、例のクスリを受け取りに来るというのである。マスターは、なぜか、高見沢治美に、滝フタバが来店していたことを告げた。
「滝フタバさんていうひと、いま、ヒーローズアカデミーの中でとても苦しい立場に置かれているそうですね。演劇仲間の情報なんですけどね……パワースーツの開発ですけど、いろんな不都合で暴走事故が頻発しているそうなんですよ。このままだと、パワースーツ開発計画に支障が出かねないそうです」
「そうか、来たときにでも、詳しいこと教えてよ」
マスターはどきりとした。
――あの滝フタバが窮地に陥っているだって?
しかし、マスターは、手短に電話を切った。
というのも、マスターは、自分以外は誰もいないはずの店内に、人の気配を感じて不審に思ったからだ。
――おや?
マスターは、だれも姿が見えないのに、誰かがいると確信できた。姿の見えない誰かに向かって話しかけた。
「なにか忘れ物でも?」
「……」
マスターは、忘れ物をして舞い戻ってきた客用のおきまりの言葉で話しかけた。しかし、返事はなかった。
「やっと確認できました。滝フタバさん。その光学迷彩には、ホツレの部分があります。そこから、唇あたりの輪郭が丸見えですよ」
マスターは、そう言うと、店の宙のある点を指さした。
「うまくいくと思ったのに。二流の光学迷彩の技術者は、クビにすべきね」
滝フタバが、チッっと舌を鳴らした。
滝フタバが、光学迷彩の機能を切ると、滝フタバの姿が現れた。
「そういえば、ベータミンCの不良品をこの店で売りさばいているみたいですね。アコギにもうけている」
滝フタバは、悪さをしているのを見つけられたきまり悪さを、打ち消そうとマスターに攻撃をしかけた。武器として、コーヒーパーラー『ライフ』のベータミンCの取引を記録した裏帳簿を開いていた。滝フタバは、光学迷彩で姿を隠して、戸棚をあら探しして、裏帳簿を見つけたのだ。
「それは、嘘だ。もうける気はない」
マスターはおちついて答えた。
「もうけている」
「それは、ないといっているだろう」
「もういいから、帳簿を置いて、返ってくれ。君をお迎えの車が到着したようだ」
その時、リムジンがコーヒーパーラー『ライフ』の前で止まった。
「確かに誰か人をよこしてくれるって、連絡が入ってた。でも、車はいくらでも待っていてくれます。ところで、あなたは、ゾンビの妻がいて、そのために、薬を研究してるって……」
マスターが、滝フタバの手元をよく見ると、滝フタバは、ずうずうしく、帳簿の他にも、使い古したノートをめざとく見つけそれを手にしていた。かって知ったる他人の家という、間柄でもないはずだが……。そのノートも、滝フタバはチェック完了さしてしたところの様子だった。
「ここに、薬の取引の経緯が、記されている。あなたは、不幸なゾンビのために、この仕事に手を染めたのね。それだったら、情状酌量の余地があるかもね」
「早く返してくれ。分かっただろう。あなたの欲しがっているようなものは、扱っていないんだ」
「ほかもに帳簿があるはずね。裏の裏帳簿って言うやつ。ところで、私の欲しがっている物って? 逆に私が知りたいわ、アハハ、アハハ」
滝フタバは、すこし下品な笑い方をした。
「どうしたんだ。なぜ、笑う」
マスターは、聞いた。なぜか不安になった。
「あなたの秘密を知ったのよ! 偶然ね。アハハ、アハハ」
滝フタバは、帳簿の中から一枚の写真を取り出した。それは、新しい写真だった。そこには、滝フタバと娘の、滝クルミのツーショットであった。
滝フタバは、笑い続けた。マスターは黙り込んでしまった。それを見て、滝フタバの笑いはさらに激しさを増した。
「うーん。そういえば、あなたは、いま評判のニューヒーロー、滝クルミというアイドルのお母さんで、いらっしゃる。そ、そこにその写真があるのは、実は、僕も滝くるみさんのファンなんです。ママの前で、こういうことが判明するのは、実は、恥ずかしい……。そうですよね。あなたは、滝クルミのママさんですよね」
マスターは、意味のない言い訳をして、かえって、あたふたした気持ちを取り繕うのに失敗していた。それでも、マスターは上手く答えたつもりだった。明らかに取り乱していた。マスターが、ようやく冷静さを取り戻して、滝フタバを見ると、彼女の表情が知らぬ間に硬直しているのが見て取れた。マスターにも良くは分からなかったのだが、何かの事態が、おそらくは『ママ』という言葉をきっかけにして起きたのだ。滝フタバは、震えだし、涙を流した。そして、うめくように言った。
「そう、わたしは滝クルミのママ! だから、ドレミヒーローの間抜けな失敗に巻き込まれて死ぬわけには行かないの」
滝フタバの頭の中には、とつぜん目覚めたママとしての自覚のため、ドレミヒーローに対するいらだちが再燃したのだろうか? 彼女は、絶叫のあと壁の一点を見つめ、微動だにしなくなった。
滝フタバの絶叫がきっかけになって、不思議なことに、あるイメージが、マスターの頭に喚起された。
――滝フタバと心が通ったのだろうか?
マスターは、後から考えてもそうとしか思えない現象であった。
滝フタバが、いま思い描いている思念が、マスターには手に取るように見えた。
滝フタバの思念には、滝フタバが目撃してきたドレミヒーローの姿が再構成されて映し出されていたのだ。
滝フタバの思念の中に見られたもの、彼女の心に映し出された映像。それは、当然マスターもよく知っているモノであった。それは、ドレミヒーローが戦う姿そのものであったのだ。しかし、その様子が彼女の心に深く刻み込まれて、なんどもなんども、滝フタバの心に現れて、いまでは滝フタバの心の外傷、トラウマといったものになっている様子であった。
たしかに、運命の行き違いから、妻、奈津とともに、人生の裏街道の辛酸をなめている、ドレミヒーローこと、江上洸一ではあるのだが、滝フタバの思念に現れたその戦いぶりは、ヒーローのオーラが十分に見られたのだ。
ゾンビの攻撃は、ドレミヒーローによってすべて見切られた。
ドレミヒーローのそれほど、軽い身のこなしは、いまでも維持されていた。
最後に、ドレミヒーローは崩壊する建物や、落下してくるがれきから、子どもたちを庇おうとした。これは、さすがに、もはや若くはないドレミヒーローの活動は、もちろんとても危険なことであった。しかし、ドレミヒーローを動かしているものは、自分が何かの力によって守られているという確信であった。
しかし、そういうような根拠不明な、自信過剰な信念が、あとになって考えてみれば、死を自ら手招きしているにすぎなかったことを、覚ったとしても、その時には、時すでに遅しと言うわけだ。
運命の神様というのは、気が変わりやすく、そうでなくとも、基本的に、人間に対して、過酷な対応をとりがちなのである。
というわけで、彼の目の前で、ゾンビと、ドレミヒーローの壮絶な戦いは、勝利のうちに終わったのであった。
ゾンビたちや、それを操る者は、最後には、地団太を踏んだ。
滝フタバは、この様子を近くから目撃していたらしい。
野次馬もいるのだが、彼らの反応は、ドレミヒーローに対して、あまりにも冷淡である。たしかに、微妙なところに、人を嫌悪させてしまうような、不細工さがある。
そして、けっきょくは、
『ナンチャッテヒーロー』、ドレミヒーロー♪
という、揶揄を浴びてしまうのだ。
しかし、これが現実というモノなのだ。また、
「ゾンビって、何か悪いことでもしたのかい? 」
野次馬たちが、つぶやいているのが、滝フタバの耳にも届いた。
「まったくだ! シンメトリックのクスリをドレミヒーローってやつも使っているそうじゃないか。これって、どういう意味かわかるかい。ドレミヒーローってやつも、ゾンビと同じ穴のムジナっていうわけさ」
そう、ドレミヒーローには、自身がゾンビ菌に冒されているという噂が広まりつつあった。
マスターという人間は、ドレミヒーローとは、浅からぬ縁があった。
たしかに、ドレミヒーローもベータミンCを処方されていた。
ところで、ドレミヒーローは単独で戦っていたわけではなかった。ドレミヒーローはイヌ型ロボットとチームを組んでいた。ドレミヒーローこと、江上洸一を監視し、操っているのは、このイヌたちだ。イヌのコーチの命令に従って動いているのは明らかだ。ドレミヒーローは、唸りのように、イヌが発する音を何かの言葉として理解できているのだ。
ドレミヒーローの足が止まりそうになると、二匹の犬がせっつくのは見て取れた。
「風が、やがてもっと強力なモンスターゾンビを送り込んでくる。誰もが噂しているのよ」
と、滝フタバは、野次馬たちのつぶやく声を聞いた。
滝フタバの思念が終息し、マスターはわれに返った。
しばらくして、滝フタバがつぶやいた。
「ヒーローがこんな姿って、おかしいよね。」
マスターも、映像には大きなショックを受けていた。マスターは、滝フタバの意見に同意し、うなずいた。
滝フタバにも、マスターと心が通ったことが実感されたのか。滝フタバの口が軽くなった。
滝フタバは、彼女の心の奥にしまってある小さな秘密を打ち明けてくれた。それは、彼女が大きく関わった、とあるスパイ活動についてである。
これから語ることは、滝フタバが、自慢げに語ったことである。このスパイ活動を通してパワースーツ陣営は、ベータミンシリーズに関して、重要な情報を手に入れてきたのだ。滝フタバの話しは冗長になったので、ここでは、ポイントだけを掲載しておく。
「その手法とは、イヌ型スパイロボットよ。これだけの情報を、イヌ型ロボットが収拾してきてくれたの。彼らは、ドレミヒーローのナビゲータとして開発されたのだけど、暇時を見計らってスパイとしても活動してもらっている。彼らは、見た目は愛くるしい犬そのものなので、ひとの生活の深いところにまで立ち入って、情報収集できるのが利点ね」
「私は、博士やたけしたちが行動を開始した頃から、すでに、スパイロボットを有効に用いて、必要な情報を手に入れてきました」
「博士とたけしは、知り合った頃にはすでに、自分たちの秘密基地をもっていました。博士とたけしは、そこに優秀な子供たちを集めてきたのです」
「子供たちは、シンメトリックがヨーロッパで研究に使った資料を読みあさっていたのです。子供たちは、博士の指導を受けると、マンガとか、ゲーム攻略のパンフレット類を読むように、楽々に、それらを読みこなし、内容についてシンメトリックを中心として熱心に議論を繰り返していたのです」
「私が、彼らのことで注目したのは、この博士というあだ名の少年です。彼シンメトリックは子供たちに『ヤツ(博士)のことさえ聞いていればたいていは大丈夫だ』と日頃から言い伝えていました。シンメトリックは、それほどに、博士のことを信頼していたのです。子供たちと、博士はなかなか打ち解けて、心を開き合うようなことはないようでした。たいていは、博士は、孤独でいたのです。だから、私たちには博士の孤独につけ込むことが出来たのです」
「三年前、ヨーロッパから帰国したシンメトリックは、ヨーロッパの大学で知り合ったエジプト生まれの少年を連れていた。シンメトリックの帰国の目的のひとつは、シンメトリックと少年が研究していたベータミンCの実証実験で、もうひとつはベータミンCの本格的生産でした。日本には、宗教的な制約のない闇製薬会社が存在しており、シンメトリックと少年は、これを活用することにしたのです」
ベータミンCについて語っておこう。これが闇で売り出されたのは、三年ほど前からである。それは、シンメトリックが、帰郷した時期と一致している。というか、ベータミンCは、シンメトリックと切っても切り離せない関係にあった。
「ベータミンCの効用というのは、第一に宙に漂う死者の魂の固定化なのよ。そのほかにもあると思うけど私は知らない。それについては、マスター、あなたの方が詳しそうね。ベータミンCによって、それまでは、偶然生まれ、そして、すぐに消えていたゾンビが長くこの世にとどまれるようになったの。ということで、この世にとどまるゾンビを何か金儲けに利用できないかと考え始めたのがいまの風潮ね。『日本には、ゾンビの軍隊を使って世界征服を企んでいるものがいる』などというとんでもない噂が、流れることも仕方のないことね」
「数ヶ月後には、、肝心のシンメトリックは、博士と呼ばれる少年と袂を分かったの。シンメトリックは、子供たちの秘密基地から去って行った。何があったのかは分からない。ただ、『これからは自分たちでここを守れ』と言ったそうよ。それから、博士とたけしは、本格的にベータミンDの開発に着手したのよ。三年後のいま、ビルは荒れ放題。金目のものは、あらかた、売り払われてしまった。ベータミンCに関する資料ももちろん売り払われてしまった。それは、ベータミンDの研究、開発の資金に充てられたのよ」
「私たちは、スパイ犬が集めてきた資料を分析した結果、このプロジェクトの中核を担っていると見られる博士と呼ばれる人物と絶対に接触をとらなければならないという確信に至ったのです」
「博士についてですが、いまでは博士とは、お友達でもあるんですよ。ここにくる途中で、偶然姿を見かけたので、すこしばかり、話をしたんですよ」
「そして、……」マスターは、滝フタバをうながした。
「あの子は、すばらしい記憶力の持ち主で、三年前に起きた出来事について聞いてみたのですが、すべてについて事細かに記憶していたんですね。あの子さえ何とか出来れば……」
「あの博士のことにまで手を伸ばすとは……」
マスターは、あきれてしまった。
「私は何も弁解はしないわ! でも、私が到達した結論についてだけは言わせて! ベータミンDは、世界を滅ぼしてしまうわ。そうなる前に、私の願いを聞いて! お願い! 博士は、自分の研究日誌をある自分の信頼できる人間に預けていたはずよ。その様子を、スパイ犬が録画に成功したの。博士は、研究日誌にメモ書きを添えたわ。そこには、『いつまでも友達でいようね。僕のHALへ』と書かれていた。HAL? HALって、いったい誰のこと!」
滝フタバは、思いあまって絶叫した。
マスターは、確信した。滝フタバが、最新パワースーツを着用の上のご来店の本当の目的は、完成が噂されているベータミンDにあったのだ。
「融通の利かない、シンメトリックは、孫の(クルミ)を滝フタバから取り上げようと執着している。君、滝フタバさんには、父親に対する反発があった。父親が関わる野望を打ち砕いてやりたかった。そのためには、ベータミンDを手に入れて、シンメトリックに先手を打つ必要があったのだね」
「なんという……。見当外れな推測! 私は、シンメトリックなどは問題にしていないわ。問題は、博士と、そして、ここの町で番長を気取っているガキ、たけしとかいうやつよ。たけしについては、手を打ってあるわ。問題は、博士だけ……」
「ベータミンCは、死者の魂を、ゾンビとして地上に定着させ、ベータミンDは、地上に定着したゾンビを支配し、コントロールする。よって、ベータミンDの秘密を握る者は、世界最強の軍隊を獲得することになる。それを阻止するには、いまが最後のチャンスなの。ある人が、私たちに協力してくれるって約束したのよ。その人の力を借りて、私は、ベータミンDを闇から闇に葬り去ってしまうつもりよ。それには、どうしてもHALを見つけ出すことが必要なの!」
「君の正体がだんだん見えてきたよ」
「あはは、それは、よござんしたね。わたしもあなたが大馬鹿だってことはよく分かったわ! あんたなんか当てにしないで、自分の力でHALを探し出してみせる」
「しまった」
マスターは叫んだ。
マスターの目の前で、滝フタバのパワースーツが、その高性能というか、傑出した運動性を発揮した。滝フタバが、一瞬、カウンターの方に体重を移動したかと思った次の瞬間には、カウンターの奥の冷蔵庫にしまってあったはずのチーズケーキ、ワンホールを手にしていた。
滝フタバは、ワンホールのチーズケーキを手にしていた。そして、言った。
「このお味についても、ゆっくりと分析してみないとね。ゾンビから、ずいぶんとふんだくって儲けているひとが、ケーキの代金とか小さいことは言わないわよね」
滝フタバは、チーズケーキ、ワンホールを抱えたまま、姿を消した。あとには、代金をもらい損なったマスターの失望が残されていた。
「これで、あなたとはお別れ、二度と会うこともないでしょう」
彼女は、パワースーツのせいか、ネズミのような敏捷性で、表の通りのリムジンのところにたどり着いた。
そのとき、マスターの心の中で、大きな化学反応が起こったのである。滝フタバの後ろ姿に、何かの感傷をマスターは映し見たのだろうか。マスターは、滝フタバを追いかけて、表通りのリムジンのところまで行き、そして、彼女に必要以上に大きな声で話しかけた。
「二十年前のあの日、君の旦那の滝茂雄君と約束したんだ。シンメトリックには、才能があるし、彼を利用しようと考えた人間たちが、彼になんとか近づこうとしていた。そのうえ、シンメトリックは、短気でカッとなりやすく、気まぐれな人間なのだ。だから、僕はシンメトリックから目を離すことはできなかった。滝茂雄君も、ヒーローズアカデミーの研究成果を悪人たちから守り抜かなければならなかった。俺たちは、同じ考えでありながら、袂を分かち、違う道を歩むことに決めたのだ。だから、……」
彼女は、マスターの話をここまで、無言で聞いていたが、ここで、リムジンに乗り込んだ。リムジンは、走り去った。
それは、愛の告白の一種だったのか。当人同士だけが知ることかもしれない、ただ、マスターの顔には、その後しばらく火照りが残っていた。
第二章 発動
につづく
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