「証拠もないくせに?」~前世は科捜研の令嬢、婚約破棄の断罪劇で死者の記憶を投影しますわ~
「セシリア・アンバーグレイス。お前との婚約を破棄する!」
卒業式典の大広間に、王太子ライオネルの声が高らかに響き渡った。
居並ぶ貴族たちの視線が、一斉に私に突き刺さる。
さて。
私は内心で、実に静かにため息をついた。
(知らんがな、というのが正直な感想ですけれど)
輝く金髪に、自信過剰の滲む顔立ち。私の元婚約者殿は、腰に栗色の巻き毛の少女――男爵令嬢ミラを抱き寄せ、勝ち誇ったように胸を反らしている。
「罪状は、ここにいるミラへの度重なる嫌がらせ。そして――毒殺未遂だ!」
ざわり、と会場がどよめいた。
毒殺未遂。ずいぶんと物騒な言葉が飛び出したものだ。
私は表情ひとつ変えず、背筋を伸ばしたまま彼を見据える。
前世――私は日本の科学捜査研究所で法医鑑定官をしていた。事故で命を落とし、気づけばこの琥珀と魔法の世界の公爵令嬢に転生していた。
だからこそ、この光景がどうにも滑稽に見えて仕方がない。
(証人が被害者本人だけ。物証の提示なし。反対尋問の機会もなし。相変わらず段取りが悪い茶番ですこと)
「セシリア様……どうして、こんなひどいことを……」
ミラが潤んだ瞳で私を見上げ、わっと顔を覆う。
(涙の量まで計算されている。見事な演技ですこと)
「なにか申し開きはあるか、セシリア!」
ライオネルが吠える。
私はゆっくりと口を開いた。
「証拠もないくせに、私を罪人扱いするのか、婚約者殿?」
静かな、しかしよく通る声だった。
ライオネルの頬がぴくりと引きつる。
「な……証拠なら、ミラの証言がある!」
「証言。ええ、伺いましたわ。ですがそれは、証拠とは申しません。証言は、証拠の一部を裏付ける材料に過ぎませんの」
(この人、一度でも自分で裏を取ったことがあるのかしら)
私はもう一度、心の中でため息をついた。
いいでしょう。三ヶ月、耐えました。
証拠が揃うまで動くな――前世の科捜研魂が、ずっとそう囁いていた。
そして今、すべての証拠は、私の手の中にある。
◇
会場のざわめきが大きくなる中、私はふと三ヶ月前を思い出していた。
発端は、ある夜の報せだった。
侍女のアンナが、青ざめた顔で私の部屋に駆け込んできたのだ。
「お嬢様……前王妃様が、毒でお亡くなりになったと……」
前王妃。ライオネルの実母であり、この国で唯一、私に本当の意味で優しかった人。
その死に、私は違和感を覚えた。
公表された死因は「病死」。だが、私が拝見した遺体には、明らかに毒物特有の兆候があった。
(爪の変色、皮膚の斑点――これは病死ではありません。ヒ素系の遅効性の毒。……間違いない)
それから三ヶ月。私は動かなかった。
いえ、正確には――動いていたのに、動いていないふりをしていた。
「お嬢様、あの男爵令嬢、また証言をでっち上げているようです。今度はお嬢様が毒を盛ったと」
アンナが眉を吊り上げて憤慨する。
「落ち着きなさいな、アンナ」
私は淡々と、集めた証拠を整理していた。
毒物の残留サンプル。偽造された筆跡と本物の照合。目撃証言の時系列の矛盾。
そして――最大の切り札。
公爵家に代々伝わる家宝、『死者の記憶を宿す琥珀』。
数千年前、樹液に飲まれた死者の魔力と記憶が結晶化した秘宝。触れた者は、封じ込められた死者の最期の記憶を追体験できる。
前王妃が亡くなった夜、私はある賭けに出た。
遺体から採取したわずかな血を、この琥珀に触れさせたのだ。
死者の記憶が――宿るように。
「お嬢様の、不思議なお仕事……わたし、理屈はさっぱりですけど」
アンナがサンプルの小瓶を運びながら、そう言って微笑んだ。
「でも、お嬢様がなさることは、絶対に正しいって信じてます」
「ありがとう。……もう少しですわ」
なぜ、今まで黙っていたか。
答えは簡単だ。
証拠は、公開の場で一気に叩きつけてこそ効く。
(さあ、婚約破棄の断罪劇。むしろ好都合ですわ。舞台は、向こうから用意してくれた)
◇
「どうした、セシリア。言い訳もできんか!」
ライオネルの勝ち誇った声が、私を現実に引き戻した。
私は静かに微笑んだ。
おそらく、この場で私が笑ったことに、彼は違和感を覚えたことだろう。
「――結構ですわ」
「なに?」
「婚約破棄、謹んでお受けします」
会場が、しんと静まり返った。
ミラの涙が、一瞬止まる。予想外の反応だったのだろう。
(ええ、そうでしょうとも。あなた方の脚本には、私が素直に頷く展開なんて書かれていませんものね)
「ですが、その前に一つだけ」
私は懐から、小さな琥珀の欠片を取り出した。
魔導灯の光を受けて、琥珀色に淡く輝く。
「証拠鑑定を、させていただけますか?」
「証拠……鑑定だと?」
ライオネルが眉をひそめる。
「ええ。私が毒殺未遂の罪を犯したというのなら、正式に検証いたしましょう。この国の公爵令嬢として、汚名を着せられたまま去るわけには参りませんもの」
「くだらん! そのようなもの――」
「お待ちなさい、ライオネル」
低く重い声が、玉座から降ってきた。
国王オズワルド陛下。威厳ある白髪の壮年が、初めて口を開いた。
「アンバーグレイス公爵家の令嬢が、これほどの場で検証を求めている。……許可する。やってみせよ、セシリア嬢」
「陛下!?」ライオネルが顔色を変える。
「感謝いたします、陛下」
私は深く一礼した。
そして琥珀を、高く掲げる。
「これは、アンバーグレイス公爵家の家宝――『死者の記憶を宿す琥珀』」
ざわめきが広がる。その名を知る者が、何人かいたようだ。
「死者の最期の記憶を、映し出す秘宝ですわ」
私はミラを見た。
可憐な仮面の下で、その瞳がわずかに揺れたのを、私は見逃さなかった。
(ええ、あなたには心当たりがあるはずですわ。ミラさん)
「では――お見せしましょう。三ヶ月前、王都で毒に斃れた、ある方の最期を」
◇
琥珀が、魔導灯の光を吸い込んで輝きを増した。
次の瞬間――空中に、光の像が投影される。
映し出されたのは、豪奢な一室。
そこにいたのは、前王妃だった。
会場から、悲鳴にも似たどよめきが上がる。
「母上……!?」ライオネルが呆然と呟いた。
像の中の前王妃は、微笑みながら杯を手に取っていた。その傍らには――二つの人影。
栗色の巻き毛の少女。
そして、金髪の青年。
「あれは……ミラと、ライオネル殿下……?」
誰かが震える声で言った。
像の中で、ミラが前王妃に杯を差し出す。その口元には、この場で見せている涙も庇護欲もない――冷たい笑みが浮かんでいた。
『どうぞ、王妃様。ライオネル様と私からの、心ばかりの品でございます』
前王妃が杯を呷る。
そして――苦しみ、崩れ落ちる。
像の中のライオネルは、ただ立ち尽くしていた。止めようとも、駆け寄ろうともせず。
映像が、そこで途切れた。
静寂。
誰も、言葉を発しなかった。
私は、静かに琥珀を下ろした。
「実はこの毒殺未遂事件――被害者は、私ではございませんの」
私はミラに向き直る。
「あなたは前王妃の座を狙い、邪魔な私を排除しようとした。ですが本当に怖かったのは、私が前王妃殺しの証拠を握っていたこと。そうでしょう?」
「ち、違う! こんなもの、まやかしよ! 偽物の映像に決まってる!」
ミラが金切り声を上げた。可憐な仮面が、剥がれ落ちていく。
「まやかし、と仰いますか」
私は懐から、さらに書類の束を取り出した。
「では、こちらはいかが? あなたが偽造したセシリア名義の毒物購入証。筆跡を鑑定いたしましたが、あなた自身の筆跡と特徴が一致しております。この癖のある『え』の跳ね、そっくりですわね」
「な……」
「そして、前王妃の遺体から検出された毒。あなたが薬師から入手した記録も、押さえてありますの」
一枚、また一枚と、証拠を突きつける。
泣き喚くミラの顔から、みるみる血の気が引いていく。
「証拠もないくせに、と仰いましたわね、ライオネル殿下」
私は、静かに元婚約者を見た。
「――ございますわ。死者は、嘘をつきませんの」
◇
「衛兵! その二人を拘束せよ!」
国王オズワルドの声が、大広間に轟いた。
近衛の騎士たちが、素早くミラとライオネルを取り囲む。
「離して! 離しなさいよ! 私は男爵令嬢よ! こんな……こんなはずじゃ!」
ミラが暴れ、喚き散らす。もはや、あの庇護欲をそそる可憐な少女の面影はどこにもなかった。
ライオネルは、抵抗しなかった。
ただ、呆然と立ち尽くし――やがて、私を見た。
「セシリア……」
かすれた声で、彼は言った。
「なぜ……なぜ、何も言わなかった。証拠を握っていたなら、なぜもっと早く……」
私は、彼を静かに見返した。
「申し上げましたら、信じてくださいましたか?」
「それは……」
「あなたは一度でも、私の言葉に耳を傾けてくださったことがありましたか。婚約者として、私を一人の人間として、見てくださったことが」
ライオネルは、言葉を失った。
「証拠が揃うまで動くな。それが私の――信条ですの」
(本当は、あなたにも救いの手を差し伸べる余地はあったのですよ。ですが映像の中のあなたは、母君が倒れるのをただ眺めていた。それが、答えでしたわ)
「連れて行け」
オズワルドが、疲れきった声で命じる。
引きずられていくライオネルの背を見送りながら、私はふと、傍らのアンナに目をやった。
アンナは涙ぐみながら、小さくガッツポーズをしていた。
「……アンナ」
「あっ、し、失礼しました、お嬢様! で、でも、でも……!」
「ふふ。ええ、よく頑張ってくれましたわね」
私が微笑むと、アンナはこらえきれずに、ぽろぽろと涙をこぼした。
やがて、玉座を降りたオズワルドが、私の前に立った。
そして――国王が、公爵令嬢に頭を下げた。
「セシリア嬢。愚息の非礼、そして……妻の無念を晴らしてくれたこと。国王として、一人の夫として、深く詫びる。そして、礼を言う」
「陛下、どうか頭をお上げください」
「アンバーグレイス公爵家の名誉は、完全に回復する。そして望むなら――」
「いいえ」
私は、静かに首を振った。
「王太子妃の座は、辞退させていただきますわ」
オズワルドが、目を見開いた。
◇
王都を離れ、辺境へ。
私が選んだのは、王太子妃の華やかな座ではなかった。
『死者の声を聴く鑑定師』――前世の鑑識知識と、この世界の琥珀の力を活かした、第二の人生。
「お嬢様、本当にこんな辺境でよろしかったんですか?」
荷解きをしながら、アンナが心配そうに尋ねる。
「ええ。私には、宮廷の華やかさより、真実を解き明かすほうが性に合っておりますの」
(それに、あの茶番劇の中心にいるより、よほど気楽ですわ)
そう思っていた、ある日の夕暮れ。
新居の扉が、控えめに叩かれた。
扉を開けると――そこには、見上げるほどの長身の男が立っていた。
銀灰色の髪。鋭い眼光。噂に名高い、竜人族の将軍。
戦場で『氷血の将』と恐れられる、ヴァルド・ドラグヴェイン。
前王妃の、実の弟だ。
「あなたが……セシリア・アンバーグレイス殿か」
低く、重い声。冷酷無比と噂されるだけあって、その威圧感は相当なものだった。
「ええ。ヴァルド将軍。前王妃様の――」
「姉の、無念を」
彼はそこで、深々と頭を下げた。
「晴らして、くれた」
「将軍、頭をお上げくださ――」
「あなたの傍で」
遮るように、彼は言った。
「その琥珀を、守らせて……ほし……」
そこで、言葉が止まった。
私は、彼の顔を見た。
縦に裂けた竜の瞳から――ぽろり、と涙がこぼれ落ちていた。
「……将軍?」
「ち、違う。これは……姉のことを、思い出しただけで……」
強面の偉丈夫が、しゃくり上げながら、必死に涙を拭おうとしている。
(冷酷無比の氷血の将……ではなかったのかしら。噂と実物の落差。これはもう、鑑定するまでもありませんわ)
あまりのギャップに、私は思わず脱力した。
「姉は……本当に、優しい人で……あなたが、真実を……ぐす……」
完全にポンコツである。
私は小さくため息をつき、懐からハンカチを取り出した。
そして、竜人将軍にそっと差し出す。
「守るのは結構ですけれど――まず涙を拭いてくださいな、将軍」
ヴァルドが、はっと顔を上げる。
涙で潤んだ瞳が、私を見つめた。
その不器用で、まっすぐな眼差しに――私は、ほんの少しだけ。
この辺境での新しい人生も、案外悪くないかもしれない、と思ったのだった。
(さて。死者の声を聴く鑑定師の第二の人生――どうやら、賑やかになりそうですわね)




