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「証拠もないくせに?」~前世は科捜研の令嬢、婚約破棄の断罪劇で死者の記憶を投影しますわ~

作者: uta
掲載日:2026/09/06

「セシリア・アンバーグレイス。お前との婚約を破棄する!」


卒業式典の大広間に、王太子ライオネルの声が高らかに響き渡った。


居並ぶ貴族たちの視線が、一斉に私に突き刺さる。


さて。


私は内心で、実に静かにため息をついた。


(知らんがな、というのが正直な感想ですけれど)


輝く金髪に、自信過剰の滲む顔立ち。私の元婚約者殿は、腰に栗色の巻き毛の少女――男爵令嬢ミラを抱き寄せ、勝ち誇ったように胸を反らしている。


「罪状は、ここにいるミラへの度重なる嫌がらせ。そして――毒殺未遂だ!」


ざわり、と会場がどよめいた。


毒殺未遂。ずいぶんと物騒な言葉が飛び出したものだ。


私は表情ひとつ変えず、背筋を伸ばしたまま彼を見据える。


前世――私は日本の科学捜査研究所で法医鑑定官をしていた。事故で命を落とし、気づけばこの琥珀と魔法の世界の公爵令嬢に転生していた。


だからこそ、この光景がどうにも滑稽に見えて仕方がない。


(証人が被害者本人だけ。物証の提示なし。反対尋問の機会もなし。相変わらず段取りが悪い茶番ですこと)


「セシリア様……どうして、こんなひどいことを……」


ミラが潤んだ瞳で私を見上げ、わっと顔を覆う。


(涙の量まで計算されている。見事な演技ですこと)


「なにか申し開きはあるか、セシリア!」


ライオネルが吠える。


私はゆっくりと口を開いた。


「証拠もないくせに、私を罪人扱いするのか、婚約者殿?」


静かな、しかしよく通る声だった。


ライオネルの頬がぴくりと引きつる。


「な……証拠なら、ミラの証言がある!」


「証言。ええ、伺いましたわ。ですがそれは、証拠とは申しません。証言は、証拠の一部を裏付ける材料に過ぎませんの」


(この人、一度でも自分で裏を取ったことがあるのかしら)


私はもう一度、心の中でため息をついた。


いいでしょう。三ヶ月、耐えました。


証拠が揃うまで動くな――前世の科捜研魂が、ずっとそう囁いていた。


そして今、すべての証拠は、私の手の中にある。



会場のざわめきが大きくなる中、私はふと三ヶ月前を思い出していた。


発端は、ある夜の報せだった。


侍女のアンナが、青ざめた顔で私の部屋に駆け込んできたのだ。


「お嬢様……前王妃様が、毒でお亡くなりになったと……」


前王妃。ライオネルの実母であり、この国で唯一、私に本当の意味で優しかった人。


その死に、私は違和感を覚えた。


公表された死因は「病死」。だが、私が拝見した遺体には、明らかに毒物特有の兆候があった。


(爪の変色、皮膚の斑点――これは病死ではありません。ヒ素系の遅効性の毒。……間違いない)


それから三ヶ月。私は動かなかった。


いえ、正確には――動いていたのに、動いていないふりをしていた。


「お嬢様、あの男爵令嬢、また証言をでっち上げているようです。今度はお嬢様が毒を盛ったと」


アンナが眉を吊り上げて憤慨する。


「落ち着きなさいな、アンナ」


私は淡々と、集めた証拠を整理していた。


毒物の残留サンプル。偽造された筆跡と本物の照合。目撃証言の時系列の矛盾。


そして――最大の切り札。


公爵家に代々伝わる家宝、『死者の記憶を宿す琥珀』。


数千年前、樹液に飲まれた死者の魔力と記憶が結晶化した秘宝。触れた者は、封じ込められた死者の最期の記憶を追体験できる。


前王妃が亡くなった夜、私はある賭けに出た。


遺体から採取したわずかな血を、この琥珀に触れさせたのだ。


死者の記憶が――宿るように。


「お嬢様の、不思議なお仕事……わたし、理屈はさっぱりですけど」


アンナがサンプルの小瓶を運びながら、そう言って微笑んだ。


「でも、お嬢様がなさることは、絶対に正しいって信じてます」


「ありがとう。……もう少しですわ」


なぜ、今まで黙っていたか。


答えは簡単だ。


証拠は、公開の場で一気に叩きつけてこそ効く。


(さあ、婚約破棄の断罪劇。むしろ好都合ですわ。舞台は、向こうから用意してくれた)



「どうした、セシリア。言い訳もできんか!」


ライオネルの勝ち誇った声が、私を現実に引き戻した。


私は静かに微笑んだ。


おそらく、この場で私が笑ったことに、彼は違和感を覚えたことだろう。


「――結構ですわ」


「なに?」


「婚約破棄、謹んでお受けします」


会場が、しんと静まり返った。


ミラの涙が、一瞬止まる。予想外の反応だったのだろう。


(ええ、そうでしょうとも。あなた方の脚本には、私が素直に頷く展開なんて書かれていませんものね)


「ですが、その前に一つだけ」


私は懐から、小さな琥珀の欠片を取り出した。


魔導灯の光を受けて、琥珀色に淡く輝く。


「証拠鑑定を、させていただけますか?」


「証拠……鑑定だと?」


ライオネルが眉をひそめる。


「ええ。私が毒殺未遂の罪を犯したというのなら、正式に検証いたしましょう。この国の公爵令嬢として、汚名を着せられたまま去るわけには参りませんもの」


「くだらん! そのようなもの――」


「お待ちなさい、ライオネル」


低く重い声が、玉座から降ってきた。


国王オズワルド陛下。威厳ある白髪の壮年が、初めて口を開いた。


「アンバーグレイス公爵家の令嬢が、これほどの場で検証を求めている。……許可する。やってみせよ、セシリア嬢」


「陛下!?」ライオネルが顔色を変える。


「感謝いたします、陛下」


私は深く一礼した。


そして琥珀を、高く掲げる。


「これは、アンバーグレイス公爵家の家宝――『死者の記憶を宿す琥珀』」


ざわめきが広がる。その名を知る者が、何人かいたようだ。


「死者の最期の記憶を、映し出す秘宝ですわ」


私はミラを見た。


可憐な仮面の下で、その瞳がわずかに揺れたのを、私は見逃さなかった。


(ええ、あなたには心当たりがあるはずですわ。ミラさん)


「では――お見せしましょう。三ヶ月前、王都で毒に斃れた、ある方の最期を」



琥珀が、魔導灯の光を吸い込んで輝きを増した。


次の瞬間――空中に、光の像が投影される。


映し出されたのは、豪奢な一室。


そこにいたのは、前王妃だった。


会場から、悲鳴にも似たどよめきが上がる。


「母上……!?」ライオネルが呆然と呟いた。


像の中の前王妃は、微笑みながら杯を手に取っていた。その傍らには――二つの人影。


栗色の巻き毛の少女。


そして、金髪の青年。


「あれは……ミラと、ライオネル殿下……?」


誰かが震える声で言った。


像の中で、ミラが前王妃に杯を差し出す。その口元には、この場で見せている涙も庇護欲もない――冷たい笑みが浮かんでいた。


『どうぞ、王妃様。ライオネル様と私からの、心ばかりの品でございます』


前王妃が杯を呷る。


そして――苦しみ、崩れ落ちる。


像の中のライオネルは、ただ立ち尽くしていた。止めようとも、駆け寄ろうともせず。


映像が、そこで途切れた。


静寂。


誰も、言葉を発しなかった。


私は、静かに琥珀を下ろした。


「実はこの毒殺未遂事件――被害者は、私ではございませんの」


私はミラに向き直る。


「あなたは前王妃の座を狙い、邪魔な私を排除しようとした。ですが本当に怖かったのは、私が前王妃殺しの証拠を握っていたこと。そうでしょう?」


「ち、違う! こんなもの、まやかしよ! 偽物の映像に決まってる!」


ミラが金切り声を上げた。可憐な仮面が、剥がれ落ちていく。


「まやかし、と仰いますか」


私は懐から、さらに書類の束を取り出した。


「では、こちらはいかが? あなたが偽造したセシリア名義の毒物購入証。筆跡を鑑定いたしましたが、あなた自身の筆跡と特徴が一致しております。この癖のある『え』の跳ね、そっくりですわね」


「な……」


「そして、前王妃の遺体から検出された毒。あなたが薬師から入手した記録も、押さえてありますの」


一枚、また一枚と、証拠を突きつける。


泣き喚くミラの顔から、みるみる血の気が引いていく。


「証拠もないくせに、と仰いましたわね、ライオネル殿下」


私は、静かに元婚約者を見た。


「――ございますわ。死者は、嘘をつきませんの」



「衛兵! その二人を拘束せよ!」


国王オズワルドの声が、大広間に轟いた。


近衛の騎士たちが、素早くミラとライオネルを取り囲む。


「離して! 離しなさいよ! 私は男爵令嬢よ! こんな……こんなはずじゃ!」


ミラが暴れ、喚き散らす。もはや、あの庇護欲をそそる可憐な少女の面影はどこにもなかった。


ライオネルは、抵抗しなかった。


ただ、呆然と立ち尽くし――やがて、私を見た。


「セシリア……」


かすれた声で、彼は言った。


「なぜ……なぜ、何も言わなかった。証拠を握っていたなら、なぜもっと早く……」


私は、彼を静かに見返した。


「申し上げましたら、信じてくださいましたか?」


「それは……」


「あなたは一度でも、私の言葉に耳を傾けてくださったことがありましたか。婚約者として、私を一人の人間として、見てくださったことが」


ライオネルは、言葉を失った。


「証拠が揃うまで動くな。それが私の――信条ですの」


(本当は、あなたにも救いの手を差し伸べる余地はあったのですよ。ですが映像の中のあなたは、母君が倒れるのをただ眺めていた。それが、答えでしたわ)


「連れて行け」


オズワルドが、疲れきった声で命じる。


引きずられていくライオネルの背を見送りながら、私はふと、傍らのアンナに目をやった。


アンナは涙ぐみながら、小さくガッツポーズをしていた。


「……アンナ」


「あっ、し、失礼しました、お嬢様! で、でも、でも……!」


「ふふ。ええ、よく頑張ってくれましたわね」


私が微笑むと、アンナはこらえきれずに、ぽろぽろと涙をこぼした。


やがて、玉座を降りたオズワルドが、私の前に立った。


そして――国王が、公爵令嬢に頭を下げた。


「セシリア嬢。愚息の非礼、そして……妻の無念を晴らしてくれたこと。国王として、一人の夫として、深く詫びる。そして、礼を言う」


「陛下、どうか頭をお上げください」


「アンバーグレイス公爵家の名誉は、完全に回復する。そして望むなら――」


「いいえ」


私は、静かに首を振った。


「王太子妃の座は、辞退させていただきますわ」


オズワルドが、目を見開いた。



王都を離れ、辺境へ。


私が選んだのは、王太子妃の華やかな座ではなかった。


『死者の声を聴く鑑定師』――前世の鑑識知識と、この世界の琥珀の力を活かした、第二の人生。


「お嬢様、本当にこんな辺境でよろしかったんですか?」


荷解きをしながら、アンナが心配そうに尋ねる。


「ええ。私には、宮廷の華やかさより、真実を解き明かすほうが性に合っておりますの」


(それに、あの茶番劇の中心にいるより、よほど気楽ですわ)


そう思っていた、ある日の夕暮れ。


新居の扉が、控えめに叩かれた。


扉を開けると――そこには、見上げるほどの長身の男が立っていた。


銀灰色の髪。鋭い眼光。噂に名高い、竜人族の将軍。


戦場で『氷血の将』と恐れられる、ヴァルド・ドラグヴェイン。


前王妃の、実の弟だ。


「あなたが……セシリア・アンバーグレイス殿か」


低く、重い声。冷酷無比と噂されるだけあって、その威圧感は相当なものだった。


「ええ。ヴァルド将軍。前王妃様の――」


「姉の、無念を」


彼はそこで、深々と頭を下げた。


「晴らして、くれた」


「将軍、頭をお上げくださ――」


「あなたの傍で」


遮るように、彼は言った。


「その琥珀を、守らせて……ほし……」


そこで、言葉が止まった。


私は、彼の顔を見た。


縦に裂けた竜の瞳から――ぽろり、と涙がこぼれ落ちていた。


「……将軍?」


「ち、違う。これは……姉のことを、思い出しただけで……」


強面の偉丈夫が、しゃくり上げながら、必死に涙を拭おうとしている。


(冷酷無比の氷血の将……ではなかったのかしら。噂と実物の落差。これはもう、鑑定するまでもありませんわ)


あまりのギャップに、私は思わず脱力した。


「姉は……本当に、優しい人で……あなたが、真実を……ぐす……」


完全にポンコツである。


私は小さくため息をつき、懐からハンカチを取り出した。


そして、竜人将軍にそっと差し出す。


「守るのは結構ですけれど――まず涙を拭いてくださいな、将軍」


ヴァルドが、はっと顔を上げる。


涙で潤んだ瞳が、私を見つめた。


その不器用で、まっすぐな眼差しに――私は、ほんの少しだけ。


この辺境での新しい人生も、案外悪くないかもしれない、と思ったのだった。


(さて。死者の声を聴く鑑定師の第二の人生――どうやら、賑やかになりそうですわね)

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