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家に戻ると、メフィストから返事があったようだ。郵便受けの中に、彼からの封筒が入っていたからだ。
「(……最近、返信が早いわね)」
思いつつ、手紙を自室へと持ってゆく。
「(疲れたし、お風呂に入ってから見ましょうか)」
小さく息を吐き、フェリシアは手紙を机上に置いた。今日は、フェリシアにとって初めての労働だったのだ。そのご褒美としても、メフィストの手紙の時間は大事にしたかった。
通常、この『金の国』で一般的な入浴方法はシャワーである。あるいは、浄化魔術を利用して、そもそも風呂に入らない者まで居る。それは専ら魔術師や錬金術師がほとんどだが。
「……ちゃんと、湯船があるのはいいわね」
湯気の立ち込める浴室で、フェリシアは息をつく。
フェリシアの故郷の呪猫では、湯船に湯を張り浸かる入浴方法が一般的だった。それは呪猫自体が湿度が高く、水が豊富な環境だからだ。
もれなく、フェリシアも慣れ親しんだ湯船に浸かる入浴方法を好んだ。だから、湯船のある建物を探したのだった。
「……労働って、意外に疲れるのね」
湯船の用意を済ませたマリーによると、これはフェリシアの好きな香りらしい。
「確か、雛菊花の香りなのよね」
少し薫衣草に似た、でも甘いグリーンな香り。
フェリシアの魔力の香りは蓮子花らしい。洗練された蜂蜜のような甘さと濃密なフローラル、そして土っぽい重厚感を持った蓮子花の香りは、甘さの奥にほんのりとした青っぽさや少し土っぽさを感じさせる、自然で清々しい雛菊花の香りは、相性が良いという。
「……でもこの香り、どこかで……」
つい最近、嗅いだような気がする。だが少し考えても分からなかったので、考えるのを止めた。
それから身支度を済ませて、フェリシアは自室へと戻る。
×
「さぁ、どんな返事をくださったのかしら」
前回送った内容はほとんど忘れてしまったけれど、『男爵令嬢に乗り換える気か』と冗談めいた質問をしたことは覚えている。
手紙を出したのは二日前なので、今回も届いてすぐに出してくれたようだった。
だけれど、字は綺麗だし文香や季節の花が忘れずに入っている。
『私が他の者に乗り換えるなんて、あり得ません。あなたも悲しいでしょうに。冗談でもそのようなことは、二度と言わないように』
「あら、思いの外に熱烈ね」
季節の挨拶も早々に、すぐに弁明が書かれていた。思いの外、必死な様子が伝わってくる。
『私が浮気相手の情報を欲したのは……深い理由がありますが、こればかりはあなたに教えることはできません。申し訳ない』
どうやら、なぜ男爵令嬢の情報を欲したかは教えてくれないらしい。その文面を見、内心が少し暗くなる。
『ですが。誓って、あなたには悪いようにはしません』
「……乗り換える気がないなら、別にいいのよ」
少し、拗ねたような言い方になってしまった。だが、きっと彼には伝わらないだろう。手紙にはそう書かないから。
『最近、王都に寄る機会が増えているので、もしかしたらあなたとすれ違っているかもしれませんね』
「……そうかしら。あなたは独特の雰囲気を持っているから、気付くかもしれないわよ」
呟きつつ、フェリシアは手紙を読み進めた。
『近々、しばらく拠点を王都に移すことになったので、住所変更のお知らせをしておきます。お揃いみたいですね』
「そうね……住所は、ここから意外と近いのね。だけれど、確かあの地域は高級住宅地になるはずだから……許可の無い者は入れないはず。行くことはできないわね」
ペラ、と封筒の裏を見て確認をする。
記載された住所は思いの外に近いが、会いに行くのは難しそうだ。逆に言えば、メフィストの方は行こうと思えば、フェリシアに会いに行ける。
「……『来て』と言ったら、彼は来てくれるのかしら?」
呟くも、メフィストの気持ちは分からない。
フェリシアは便箋とペンを手に取り、手紙を書き始める。
×
次の日も、フェリシア達は魔導書店に立った。マリーとニコラスは魔導書を運んで、本棚のあるべき場所へと持っていく。
フェリシアは精算機で会計を行なったり、店主のヨハンのそばに付いて魔導書店主としての勉強をしたりしていた。
ヨハンのそばで勉強している時は、どうやら精算機は自動で精算してくれる。
「(やっぱり。魔導書店内のほとんどを、ヨハンさんは1人でできるのだわ)」
それを、フェリシアもできるようになるのだろうか。ただ、フェリシアの場合はマリーとニコラスが居るので全てを1人でしなくても良い。
休憩の時間になり、フェリシアは精算機のカウンターより出る。すると
「おや、休憩の時間ですか」
と、フロンスが声をかけてきたのだ。
「あなた——まだ居たのですね?」
「『まだ居た』だなんて、客に失礼でしょうに」
驚くフェリシアに、フロンスは困ったように苦笑する。
「だって、あなたが来店してからかなり時間が経っているはずですもの……」
「気にすることはありません。私は暇人のようなものですから」
フェリシアが最もらしいことを言うが、フロンスは軽く受け流した。暇人だからと言っても、限度はあるだろうに。
「ところで、私に何か用事なのかしら?」
変な用事だったら突っぱねてやろう、と内心で思いつつ。フェリシアはフロンスに用事を問うた。
「いえ。私には、あなたと近いくらいの妹が居るのですが……。今度、うちに遊びに来るのです。何を渡したら喜ぶだろうか、とお聞きしたくて」
「そんなこと、なのね?」
自分、というかフェリシアと同じくらいの歳の女性に用事があったらしい。目的が直接自分でないことに内心で安堵する。
「私の知り合いはどうも男ばかりで。顔見知りの女性はあなたくらいしか居ないのです」
そう、困った風に言われてしまうと、『仕方ない、力になってあげるか』と思う気持ちが湧いてくる。
「……分かりましたわ。参考になるか分かりませんが、いくつか提案をさせていただきます。その前に、妹さんの情報を聞いてもよろしいかしら?」
そうして、フロンスから彼の妹の話を聞き出した。どうやら描画を嗜むそうなので、描画に打ってつけの画材を売る店を紹介するなどする。あとは流行りの菓子も勧めておいた。
「参考になりました、助かります」
心底嬉しそうに感謝を述べ、フロンスは退店する。
「(……意外と悪い気はしないのが、困ってしまうのよね)」
小さく息を吐き、去る後ろ姿を見送った。
ちなみに、メフィストフェレスとマーガレットという像があります。面白いですね。




