再度来店
ヨハンから補佐を受けながらも、魔導書店管理人としての生活に慣れて来た頃。
「フェリシア! いるのは分かっているんだぞ!」
叫ぶ声と共に、魔導書店の扉が乱雑に開かれた。元婚約者が、再度突撃してきたのだ。
「……私に、何か用事かしら」
客達に関わらせるわけにはいかないので、フェリシアが進み出る。すると元婚約者は満足そうな顔をした。
「お前は、我が伯爵家に必要だ」
『来てくれるだろう』と言わんばかりの、その満足げな顔を。
――パァン!
思いっきり、平手打ちする。
周囲から歓声のような、はやし立てるような声が聞こえるが無視した。
「なっ!?」
叩かれた頬を抑え戸惑う元婚約者を、睨み付ける。
「要するに、書類雑務をする者がいなくなり、領地運営が大変になったから来たのでしょう? そして、私にまた雑用でも押し付けようという魂胆ね! 莫迦にしないでちょうだい!」
思いもしなかったのか、元婚約者は口を戦慄かせたままで茫然とフェリシアを見上げていた。
フェリシアは周囲に視線を巡らせるが、今回は不倫相手の男爵令嬢はくっついていないようだ。振られたのだろうか。
「魔導書店には、お前の代わりはいくらでも居る! うちの領地に戻ってこいっ!」
立ち上がり、元婚約者はフェリシアの腕を掴もうとする。
「……そこまでです」
そこを、フロンスが立ちふさがった。押しのけられるようにフェリシアはフロンスの背後に隠され、視界から婚約者が見えなくなる。
「なんだ、お前は」
「通りすがりの、魔導書店利用者ですが」
「ただの客だろうが! これは俺とフェリシアの問題だ! よそ者はすっこんでろ!」
「ここは魔導書店です。そして、彼女はこの店の管理人候補。関係は大いにありますが」
感情的な元婚約者を、フロンスは淡々と言い返す。その淡々とした喋り方が、どことなくフォラクスと似ている気がした。
「あなたと彼女との婚約は破棄された。つまりは、あなたと彼女は赤の他人です。あなたの領地を手伝う道理がない」
「なっ!」
「それに、あなたは伯爵貴族でしょう。この国に、伯爵貴族がどのくらいいると思っていらっしゃるのです。それこそ、あなたの代わりはいくらでもいるのですが」
「なんだと!? お前、何者だ? 不敬罪で訴えるぞ!」
(フェリシアには見えないが)フロンスは冷ややかに見返し、元婚約者は激高する。
「私は侯爵のフロンスですが」
「なっ、こ、侯爵!?」
フロンスの言葉に、元婚約者はしどろもどろになった。そのまま、しりすぼみに何かしらごにょごにょと口走った後、
「こ、これで勝ったつもりになるなよ!」
と叫んで魔導書店から出て行った。
「そもそも、勝負はしていませんがね」
「私の圧勝ですし」とフロンスが呟いたのが聞こえた。……負けず嫌いらしい?
扉が完全にしまったのを確認した後、フロンスはフェリシアを振り返る。
「困ったときには、また声を掛けてください」
思わぬ近さに、フェリシアは心臓が大きく脈打ったのを感じた。思わず胸元を抑え、
「助かりましたわ。ありがとうございます」
と動揺を悟られないようにお礼を述べる。
「平手打ちとは、中々大胆なことをしますね」
フロンスはフェリシアの顔を見て、柔らかく笑った。
「だ、だって。あの時はあまりにも酷くて……」
見られていたのか、となんだか恥ずかしくなる。
「……あなたが、無事で良かった」
そう零すフロンスの声色に、心底心配していたらしいと察せられた。冷静に思えば、平手打ちで激高した元婚約者が、どう行動に出るかもわからない。フロンスに庇われなければ、もしかすると痛い目に遭っていたかもしれないのだ。
「(……どうしてかしら?)」
安堵するフロンスを見ていると、なんだか不思議な感情を抱く。安心するような懐かしいような。
「(……懐かしい、香り?)」
さすがに至近距離なので、彼の魔力の香りである雛菊花の香りはする。それともう一つ、香らしき香りがするのだ。混ざっていて、よくわからないけれど。
「(……って。他人の香りを嗅ぐなんて、はしたないわ)」
「どうされました?」
声をかけられ、意識を戻す。と、フロンスが好みの容姿だったことを思い出してしまった。突き飛ばしてしまいたくなる衝動を必死に抑え、フェリシアはそっと顔を逸らす。顔がものすごく熱い。
「いえ、本当に。ありがとうございます」
いつも通りに言ったつもりだったが、どうだったろう。
「失礼、近かったですね」
とフロンスがくすくすと小さく笑った。
元婚約者が突撃してとんでもない日になったと思っていたが、存外悪くない気持ちになってしまった。これも、フロンスのせいだ。
「(……ところで、何かとんでもない情報を聞いたような気がするわね)」
×
その夜。フェリシアは自室に戻り、眠る準備をしていた。
「(……そうだ。この間の手紙、もう一度読もうかしら)」
ペンフレンドのメフィストが、時候の挨拶も忘れて出してきたあの手紙を。
そっと便箋から取り出し、ゆっくり眺める。
「……よく見たら、なんだかキラキラしているわね」
魔力だろうか。便箋や墨水とは違う色だ。この魔力の色、どこかで見た覚えがある。
「いえ、それだけじゃない……」
何か、もっと嗅ぎ覚えのある香りがする。手紙をそっと、顔に近付けてみた。
「(手紙のにおいを嗅ぐなど、はしたないと言われそうだけれど)」
どうせ、見ている者などいないのだ。仮に居たとしても、それは使用人のマリーかニコラスだけだ。
ゆっくり嗅いでみると、文香の香りがする。この香りにも違和感を覚えたが、今探しているのはこの香りではない。注意深く、魔力の濃い箇所を嗅いでみると。
「この香り……雛菊花?」
そんなまさか、と思う。
雛菊花は、フロンスの魔力の香りだ。
見覚えがあると思ったこの色は、彼の目の色に限りなく近い。
だが、魔力の香りは特に独特なものではない。同じ香りの者は、世界に何人もいる。魔力の色だって、同じものは何人だって……。
「……そう、きっと偶然よ」
言い聞かせるように、フェリシアは呟く。
だって、フロンスはフェリシアが王都に来る前から、魔導書店の常連客なのだから。
それを思い出し、フロンスが呪猫の出身だったことを思い出す。
「あまりにも、偶然が重なり過ぎているわ……」
だが、この世界には『神』が居るのだ。とんでもない偶然だって、もしかしたらあり得るかもしれない。
そっと便箋を封筒にしまい、フェリシアは息を吐く。眠る前にとんでもない発見をしてしまったようだ。
「(早く寝て、忘れましょう……)」
安眠のまじないを使い、思考を断ち切るように眠った。




