その9
正面で大きな戦いが起こっている今、イチョウとリオが『機械の軍勢』の本拠地に入るのは難しいことでは無かった。彼らは上手く建物の死角へと着地、そして運の良いことにその付近に中へ入る道があるのを発見した。彼らには知る由も無いがそこは高い壁が作られる前に仮に設置された出入り口であり、今はもう用済みとなったものだ。
二人は警戒しつつもそこから本拠地内部へと足を踏み入れる。
だだっ広いだけで飾りらしい飾りも無い金属の壁に覆われたその廊下は自然に溢れた大地で暮らして来たリオは勿論、イチョウでさえ類似したものを見たことが無い。およそ人の住む為に作られた建物とは思えず、今ここの正面で戦っている機械たちの通路としてのみ存在するのだろう。
「こんなに広いのに何だか息が詰まる思いです」
「同感だ」
人にはどうにも居心地の悪いその空間を二人は歩き続ける。彼らは扉を見ればそれを開けてその先に何があるのかを知らべた。しかし彼らが捜している生産設備やそれに繋がる情報は見当たらない。部品倉庫や今は動いていない機械たちは幾つか見かけたので場合によってはそちらの破壊方法のみを行って帰ることになるだろう。
更に進み、進み、幾つもの扉を開けて辿り着いたその場所は廊下の突き当り、一つの扉。そこで二人は足を止める。
「この扉……」
「ああ」
そこはこれまでとは明らかに毛色の違う場所だった。彼らは幾つもの扉を開けたのだがその扉はただただ無機質な金属の塊に開閉する機能を与えただけのものだった。
しかし今、彼らの目の前にある扉には模様が付けられ木を削って作られたネームプレートが掛けられている。リオはそのネームプレートを手に取りじっと見つめる。
「これは……、何かの模様でしょうか?」
「……模様? ああ、まあ、そうかもな」
イチョウは心臓が音を立てて鳴っているのを自覚していた。しかし何とか平静を装ってドアノブに手をかける。
「この先は、今までとは違うんだろうな」
そしてゆっくりと扉を押し開けた。
そこはまるで人の生活する部屋だ。椅子や机、本棚や花瓶、決してそれらは機械が保管されているだけなら必要の無い物。二人は思わず息を呑む。
「誰かの部屋、ですね」
「ああ」
二人は警戒するのも忘れてその部屋に踏み入った。『機械の軍勢』の本拠地にあってこの部屋にはまるで機械の存在を感じない。椅子や机は木製でおそらく誰かの手作りだろう。花瓶も粘土を練って作られておりその凸凹した表面は手慣れていない者の作品であることが想像される。本棚は大雑把に板を打ち付けただけの造りでそれを作った者の性格を感じさせた。
「……調べましょうか」
「そうだな」
とりあえずと言った様子でリオはそこら中にある物の表面から裏側まで調べ始める。対してイチョウは元の世界で自身も気付かぬ間に培われた習慣だろう、本棚に置かれた本を手に取って読み始めていた。
無益な時間が過ぎて行く。家具や置物にはそれ以上の意味など感じられず、置かれている本はリオ曰く古い物ではあるが特に珍しい物でも無いらしい。この部屋には『機械の軍勢』に関係しそうな物品など置かれていないのではないか、そんな考えが二人の頭を過る。
イチョウは農耕についてまとめられた本を棚に戻し次の本を手に取る。次は狩りの仕方だろうか、そんなことを思いながら本の表紙を見る。
「……ん?」
そこには日記と書いてあった。
「どうかしましたか?」
リオがイチョウの手に持った本を覗き込む。
「これは……、何て書いてあるのでしょう?」
「さあな」
イチョウが本を適当にパラパラとめくる。
「ふーむ、どのページも読める文字ではありませんね」
「何かの暗号かもしれないし少し見てみる。リオは他の事をしていてくれ」
リオはイチョウの言うことに素直に従い再び部屋の探索に戻る。
イチョウは部屋の中央にある椅子に座り込む。それはこれから彼が暗号解読に腰を据えて挑む為、ではない。
なぜなら彼は暗号解読などするまでも無くこの文字を読めるのだから。
本のタイトルは『日記』、ただそれだけだった。それは少し珍しい言語で書かれている。イチョウがいた元の世界で本を探していると偶に見かける文字。記憶からは薄れつつあったが入り口のネームプレートを見た瞬間に不意に思い出したのだ。
彼はこれまで疑問に思ったことが無かった。どうしてこの世界で言葉が通じているのだろう、どうして この世界の文字を読めるのだろう? 否、なぜ元の世界とこの世界で同じ言語や文字が使われているのだろう?
彼は思う。この日記を書いた者、この部屋の主。
レイシアとは何者なのだろうか?
今、ゆっくりとページが開かれる。