その8
砂塵吹き付ける砂の海の中、そこに『機械の軍勢』の本拠地がある。この世界の豊かな自然環境を否定するような砂の海の中に突如現れる圧倒的に巨大な人工物。金属で作られた壁は何人も立ち入れさせまいと高く聳え立ち、周囲に威圧感を放っていた。
「この壁を超えるわけですね」
リオは少し怯んだ様子で確認を取る。
「まあそうなるな」
それに対しイチョウは気負う様子も無く平然と頷いた。
当然ながら壁とは外部からの侵入を防ぐために作られている。凹凸は無く指を掛ける場所は無い、高さも外に多少の足場を作ったところでどうにかなる高さでは無い。獣人の身体能力をもってしても超えることは不可能と断じて良いだろう。
故にこれを超える手段をイチョウは用意した。彼が荷物から取り出したのは簡易飛行装置。上部の奇妙な形の羽と下にブランコのような簡易的な足場が付いている。
「これに乗って壁を越えて降りて行くわけだ」
「落ちたらどうなります?」
「言うまでもない」
この装置は潜入任務に就く者全員に配られている。一応事前に動作確認はしているが実際にこの上空を飛んだことがあるわけでは無い。強風にも流されない仕組みにはなっているようだが搭乗者はその限りでは無く、危険性は火を見るよりも明らかだ。
「では、合図が来たら行きましょう」
しかしリオは勿論、この任に就いた皆がそれでもこれに命を預けることに同意した。
「お前たちってホント最高だよな」
「ん、何か言いましたか?」
「いいや」
思わず漏れたのはイチョウの本音だ。元の世界で他人なんてのはいつだって資源を求め争う相手でしかなかった。
人に信じてもらえることが、共に戦うことが、これほどに心を燃え上がらせるのか。イチョウは瞳に熱を感じながら時を待つ。
獣人軍が拠点を目前に迫った時、そこには既に数えるのも困難な数の『機械の軍勢』待ち構えていた。双方は砂塵の向こうに自らの敵を認識する。
「行くぞ! 我々の未来を掴みに!」
獣人の咆哮と共に銃声が鳴り始める。
遠くから強い風に乗って獣人の声がイチョウとリオの元へ。
「来ました、合図です」
「この距離でもあんなはっきり聞こえるのか……」
イチョウは呆れながら飛行装置を動かし始める。そしてリオと共に足場に乗ると空へ。
空の旅の間、二人が何かを喋ることは無かった。それは予想以上の強風に話をする余裕が無かったのもあったが、互いにこれまでの戦いとこれからの戦いに思いを馳せていたのだ。
イチョウは想定よりも長くこの世界に居着いてしまったなと思う。しかし最後に元の世界へと想いを馳せたのがいつだったのか彼は覚えていない。多くの技術や知識を提供する際にはいつだって元の世界の事を考えたが、思い出すのは本に書かれていた知識がどうだったかや部品の構造の事ばかりだ。
この戦いが終わったら……、とイチョウは未来に思いを馳せた。
「壁の上に辿り着きましたね」
その思考を遮るようにリオが呟いた。いつの間にか聳え立っていた壁の上にまで飛んで来たらしい。イチョウは装置を操作して一旦その壁の上に着地する。
そこは想像よりも広く、人が二人で擦れ違える程度には幅がある。こんな巨大な壁を建造するのは並大抵の事ではないがあの『機械の軍勢』を量産できることを思えば然程不思議では無いのかもしれない。リオは降りられる場所が無いか見て来ると言って壁の上を歩いて行った。
一人残ったイチョウは壁の中、本拠地を見つめる。
「高いな」
敵の本拠地は彼のいる場所から遥か下にありそれを見ているだけで縮み上がる思いがする。いくら装置があるからと言って、いくらこの戦いに望んで参加しているからと言って本能的な恐怖を感じるのは当然だ。彼は共に来たリオも同じことを思っているのだろうかと疑問を浮かべる。
そして彼ならば当然イエスと答えるだろうとも。
この戦いに参加した全ての獣人がそうであるとイチョウは信じている。そして恐怖を感じながらも、それに立ち向かうことを選べる彼らだからここに自分も立っているのだと。
「降りられそうな場所は見当たりませんね」
リオが戻って来た。イチョウは飛行装置を強く握り締めた。
「ならもう一回こいつで飛ぶしかないな」
「あの壁が風も防いでくれていると良いのですが」
二人は再び動き始めた飛行装置の足場に乗る。そして緊張と恐怖に苛まれながらも彼らのより良い未来の為に壁を飛び降りた。