その7
イチョウが異世界へと来てから随分と長い時が経った。その間に起こった全てを語るとあまりに長くなってしまう程であり、またその多くには語る程の特別なこともあまりない。日々の生活があり、稀に『機械の軍勢』との戦いがある。
リオの言葉を借りるなら、この大地がどれ程の苦難に満ちていようと歩き続けた、それだけだ。
その中で語るべき意外な事実と言えば、イチョウが彼ら獣人たちと道を共にすると決めたことだろうか。元々の予定ではこの大地を一人で渡り歩きその中で様々な資源を回収、いずれは元の世界に戻って贅沢な暮らしを満喫する、そんな考えだったはずだ。しかし少しだけ彼は考えを改めたらしい。
ある日のことだ。
「リオ、実は少し思い出したことがあるんだ」
「何でしょう?」
「俺は元々『機械の軍勢』に対抗し得る技術について研究していたんだよ」
「ほう?」
「ただ研究所は奴らの襲撃に遭ってしまって……。でもそこで蓄積された知識は俺の頭の中に残ってる」
「それは、つまり」
「ああ。俺も一緒に『機械の軍勢』と戦うぜ」
それから彼は自身の中にある元の世界の知識の中で『機械の軍勢』に通用しそうな一部のものを彼らに教え始めた。例えば使われている金属や工法の弱点、中にある部品を転用し武器にする方法、破壊した機械を改造して味方として再利用できる可能性について。
その中には高度過ぎるものもあり始めはその話に誰も付いて行けないようなものだったが、それでも彼らは諦めることなく辛抱強く話を聞き続けた。そしていつの世も頭の良い者は存在する、一人がイチョウの話を理解し始めそれを切っ掛けに次々と彼らの中に知識が広まって行く。
イチョウの知識を元に集落は発展していく。ふと気が付いた時、そこは他の獣人たちの何世代か先の技術水準を誇る程に。
そして彼らは今、元居た集落を離れ『機械の軍勢』との戦争における前線基地にいる。
「諸君、我々は今、この世界の未来における重要な分岐点に立っている」
一際大きく鍛え上げられた肉体を持つ獣人が壇上に立ち演説を行っている。彼はここに集まった者達のリーダーだ。彼の演説を聞くのは屈強な肉体を持つ多くの獣人たち。そしてその中にイチョウやリオも混じっていた。
「とうとうこの日が来ましたね」
「そうだな」
彼らが感慨深くそう呟くのも無理はない。今日は『機械の軍勢』との決戦の日だ。
イチョウのもたらした知識は獣人たちと『機械の軍勢』の争いにおいて重要な役目を果たした。それは元々圧倒的に優位にあった『機械の軍勢』を追い詰める程に、だ。
強固な金属の鎧と遠距離から一方的に攻撃できる銃器、そして圧倒的な数こそが『機械の軍勢』の武器だった。獣人たちが攻撃を仕掛けてもある程度以上に数が固まっている場合は近付くこともできず死ぬか、運よく近付けたとしてもその鎧を破壊する前に強固な昆虫を模した脚に貫かれる運命だ。
獣人たちは破壊できた銃器を研究しどうにか形を真似た物を作ったり、破壊できた脚を流用した武器を作ったりはして抵抗を続けていた。それらは一対一の戦い、或いは獣人たちの方が数が多ければ大きな活躍を見せたがまとまった数の『機械の軍勢』を相手にするにはやはり心もと無い。
しかしイチョウのもたらした技術はそれを過去の物とした。
「銃弾の貫通力を強めることで外装を破壊することが出来るはずだ」
まず彼は獣人たちが使う銃をより強力に改造した。
「『機械の軍勢』に付けられている銃器を防ぐ盾を作ろう」
敵の攻撃を確実に防げる盾を製造した。
「こいつらは仲間同士で通信しているらしい。それを利用して罠にかけることが出来るかもしれない」
破壊した『機械の軍勢』の部品を利用して敵を罠にかける方法を考案した。
その他にも様々に彼らを助け、そしてとうとうこの日へと辿り着いたのである。
演説は盛り上がりを見せ、人々は興奮の坩堝にあった。
「我々は今日、これより約一時間後、戦いに赴く。『機械の軍勢』の本拠地へと攻め入るのだ!」
人々の歓声が沸き上がる。拳を振り上げる者、戦いへの気概を叫ぶ者、武者震いしている者、彼らは様々な反応を見せているが心は一つだ。
「我々は今日、『機械の軍勢』に奪われた全てを取り戻す! 如何な困難に見舞われようと我々は戦うことを決して止めず、明日への道を歩むのだ!」
再び歓声が上がる。
リオとイチョウは並んで立ち、人々の声に耳を傾けていた。
「皆さんがこの戦いに懸ける思いが伝わって来るようですね」
「大したもんだよ。死ぬかもしれないなんて恐怖は無いのか?」
「あったとしてそれが立ち止まる理由にはなりませんよ」
「だろうな」
ここに居る者は、いやこの世界の大多数の者は命を懸けて自分や皆の明日の為に戦うことが出来る。イチョウはそんなことはとっくに知っていた。
演説は終わり、この軍のリーダーが壇上を降りる。そして彼は二人の方へと歩いて来た。
「やあ、正面は我々が受け持つ。危険な任務だがよろしく頼むよ」
「もちろんです」
「頼もしい限りだ」
それだけ言うとリーダーは去って行く。
イチョウとリオはこの戦いにおいて特別な役割を担うことになっていた。
二人の役割は潜入工作。本拠地は広大でありその中にいる『機械の軍勢』の規模も相当なものになるだろう。正面からの戦いでは必ずしも勝利を得られるとは限らない。故に今回の作戦で最も重視されたのは新たな『機械の軍勢』を生み出せないようにすること。
新たな機械の生産設備の破壊だ。
まず獣人軍の大部分が正面から戦いを仕掛ける。それに対し『機械の軍勢』は当然本拠地を守る為に迎え撃ってくるはずだ。そこに潜入し本拠地内部の情報を持ち帰り、可能なら機械を製造している設備を破壊する。この任に就いたものは複数名いるのだが、その中にイチョウとリオの姿もあった。
「イチョウさん、共に戦い勝ちましょう。頼りにしています」
「寧ろ頼るのは俺の方なんだけどなあ」
イチョウが買われたのはその頭脳、獣人たちの技術水準も随分向上したとはいえイチョウにしか出来ないことはまだまだ多い。しかし彼は他の獣人たちに比べても肉体的にはひ弱であり、そこを補うのが比較的付き合いも長く強靭な肉体をしているリオだ。
二人は持って行く荷物の最終確認を終えるとそれらを背負い立ち上がる。
「行くか」
「ええ」
獣人と『機械の軍勢』、その最後の戦いが始まる。