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その5

 イチョウが異世界へ来てから一週間が経とうとしている。彼は獣人のリオに助けられて以降、獣人たちの小さな集落で世話になっていた。

 そしてイチョウは今日も世話になる人々の力になろうと外へ出る。

「流石に森も見慣れたな」

 来たばかりの頃は青々とした木々を見る度に新鮮な驚きを持っていたものだが見慣れてしまえばそういうものだとしか思わない。ここに長く居座るとあれがどれだけの価値を持っているか忘れてしまいそうだと彼は思う。

「イチョウさん、お目覚めですか」

「リオか、おはよう」

 相変わらずリオは彼によくしてくれており、イチョウは自身の事を隠しているのが少々後ろめたさを感じているほどだ。そしてその後ろめたさを少しでも払拭しようと何かの手伝いを申し出ているのだが。

「大丈夫ですよ。記憶、まだ戻らないんでしょう? ゆっくり休んでください」

 イチョウは流石に異世界から来たなどと荒唐無稽な話をするほどおつむが弱くは無い。記憶喪失のフリをして徐々にこの世界の常識に慣れて行こうとしているのだが、リオは有難迷惑なことにそう言って彼を家に押し込めようとするのだった。

 なぜそれほどまでに手伝いを拒否するのか。初めは裏があるのではないかと彼は勘ぐっていた。例えば捕らえて食料にするつもりだろうか? 或いはどこかへ売り飛ばされるのかもしれない。元の世界の本の中にはそう言った人々を題材にした本があったのだが、あれはもしや異世界の住民の事だったのだろうかと恐れ慄いたものである。

 しかしこそこそと家を出て他の人と話をしている内に段々とこの世界の事がわかって来てからは考えを改めている。

「道端で倒れてたんだってな。リオさんから聞いたよ。記憶も無いんだって? よっぽど恐ろしい目に遭ったんだろうな」

「きっと警備隊も逃がすので手一杯だったんだろうな。はあ、うちもいつまで安全か」

「やっぱり物見塔を増やしたいんだよねえ。上から狙い打てば奴らもどうにかなると思うんだが、っと。あんたかい、病み上がりに手伝わすような仕事じゃないよ」

 それぞれ兎、狐、熊の獣人から聞いた話だ。もちろん、彼らが何の獣人だったのかは全く重要ではない。

 重要なのは彼らが恐ろしい敵の存在に直面しているという事実だ。


 この世界には人類の敵が存在する。それらは日々人類の生存圏を脅かしその命を無慈悲に奪っているのだ。

 彼らはその敵を『機械の軍勢』と呼んでいた。


「『機械の軍勢』か」

 それを知ったこの日からイチョウの当面の目的は『機械の軍勢』の全貌を調べることとなった。元の世界に戻る当てがない以上はこの世界を彷徨うこととなる。となれば必然それらに狙われることもあるだろう。しかし彼には敵がどんな姿で何をしてくるのかもわからないのだ。

 しかしその日は何らの収穫も無く気が付けばリオに呼ばれ夕食の時間を過ごすこととなっていた。

「レイシア様の恵みに感謝を」

「……恵みに感謝を」

 いつものように食事を始め、いつものように食事を終える。この後は部屋に閉じこもっておかないといけない。昼間はリオも色々と忙しいのか外に出ていて監視の目も緩いが、夜ともなれば病み上がりはさっさと寝ろと部屋から出してもらえない。

 イチョウは部屋に戻ると翌日に備えてさっさと寝てしまおうと思っていた。しかし不意に戸がノックされる。

「失礼します。あなたにこれを差し上げようと思いまして」

 リオが持って来たのは数冊の本だ。

「故郷から持ち出せた数少ない本です。どうもあなたはやることが無いと外へ出てしまうようなので、これを読んで少しは気を紛らわせてください」

「はいはーい」

 要はもっとじっと休めと言いたいのだろう。記憶を失っているふりをしたのは失敗だったかと思ったが、しかしそれ以上に違和感のある受け答えをしまくる方が恐ろしい。最悪、例の『機械の軍勢』の一員だとでも思われたらどうなっていたか。

 それはそれとして、その数冊の本はイチョウにとってかなりの価値があるものと言える。

「ふうん、『レイシア様と人々の歩み』ねえ」

 どうやらその数冊の本は全て一続きのものらしく、タイトルの後ろに番号が振ってある。レイシアと言えば食事の前に祈りを捧げていた相手だ。興味を惹かれたイチョウは素直に番号の若いものから読み始める。


 レイシア、皆はその名を知っているだろう。

 そんな一文から始まったのはこの世界の歴史をとある人物に焦点を当てて解説した物語だ。

 レイシアは人々を教え導き今の世を作り上げた。それだけを聞くと胡散臭い宗教のようだがここに書かれているものはそんなものとは少し毛色が違う。レイシアが人々に伝えたのは知識だ。

 かつて獣人達は過酷な大地の中で獣たちを相手に狩り狩られる生存競争を強いられていた。主に洞穴などで暮らし日中に狩りに出ては日暮れ前にその成果を持って帰る日々。焼いた肉が彼らの主食であったが彼らには火を灯す手段すら確立されていなかった。洞穴にはいつからそうだったのかわからないが絶えず火が焚かれ、決して絶やすことの無いように毎夜誰かが火の番をしていたらしい。

 そこへ現れたのがレイシアだ。

「火を点ける方法をあなたたちに教えましょう」

 曰く彼女は人々にその方法を伝え歩いているのだと言う。獣人たちは突然現れた彼女の言葉に半信半疑であったが実際に実演されてみれば疑う余地は無い。彼らは火を操る術を得たのである。

 次に教わったのは食料の保存方法だ。肉は腐るのが早いが適切な処理と天日干しによって干し肉にすればある程度は長持ちすることを教わった。更には食べられる木の実やその保存方法、効率の良い狩りのやり方、より快適な住まい、より便利な道具、自然の動力を利用した機械、文字や言語の統一、この本にしても彼女の知識より生み出されたものだ。

 そう、言うなれば彼女はこの文明を作り上げた一人の偉人だ。

「……ここに書いてあるのが事実なら本に残したくもなるわけだ」

 イチョウは歴史に関する本と言うのを元の世界で昔に読んだことがある。昔は機械なんてものは無くて人が獣を相手に木の槍などを手に狩りを行っていたというような話から徐々に様々な知識を身に付けて文明が発展していく。壮大な歴史ロマンなどと大層に書かれていたが彼に取っては全く想像もつかない世界の姿だった。

 しかしその歴史ロマンとやらとこの『レイシア様と人々の歩み』には明確な違いがある。

「レイシア様ってのは何でこんなに賢いんだ?」

 元の世界の歴史書にもその時代に突出した人物と言うのは散見されたものだが、彼女のようにあらゆる知識を携えて現れた人物と言うのは存在しなかった。あくまでも彼らはその時代に存在する物を上手く扱って人々より一歩先を行くそれが傑物である。そしてその様々な一歩を重ねて文明がより大きく発展していく。そういうものでは無かったのか?

「……まあ異世界に元の世界の話を当てはめても仕方ないか」

 イチョウはそんな疑問をとりあえず余所へ置いて先を読み進める。

 

 本を読むのに夢中で夜が更けているのにも彼は気付いていない。この世界を知るのにあまり重要でなさそうな部分を読み飛ばしていたのだが、時代が進みとうとうレイシアが姿を消す時がやって来た。

 レイシア様が人々を導いた百年程の長く短い時が過ぎ去った。彼女は唐突に姿を消しそれから二度とは現れていない。それはこれ以上彼らを導く必要が無くなったからであろう。これからの時代を人々はレイシア様に頼るのではなく自らの力で切り開いていくのだ。

 本はそんな言葉で結ばれていた。

 彼女が消えたとされる年代はこの本が刷られるおよそ七十年前、この時のイチョウはまだ知らないが現在よりおよそ百年前の事だ。

「思ったより最近の話なのか、これ」

 そのことに気付きそしてふと思う。ここに書かれていない事。

「……『機械の軍勢』はこの時はいないのか?」

 もしもレイシアがいる時代に『機械の軍勢』がいたとすれば必ずそれに関する事柄が記されているはずだ。彼女は献身的に人々に尽くしており、そうであれば『機械の軍勢』への対抗策に関しても何かしらを伝えているだろう。

「……レイシアと『機械の軍勢』は何か関係が、いや。レイシアが文明を前へ進めたことで『機械の軍勢』が彼らを襲ったとか?」

 そんなことを考えていると読んでいない本がまだ一冊残っていることに気が付いた。

「レイシアは消えたのにまだ続きが?」

 イチョウは呼吸を整えるとその本を手に取り最初の頁を開く。


 レイシア様の消えた世にそれは突然現れた。どこから現れたのかはわからない、どうして現れたのかはわからない、ただ唐突に現れてそして我々の世界を破壊した。

 そんな文章から始まる戦いの歴史、イチョウがそれを読むことは無かった。

 ガアァアン、ガアァアン。

 突然鳴り響いた音がそれを遮ったからだ。

「何だ?」

 困惑する彼の元へ焦燥と共にリオが現れる。

「イチョウさん、あなたは隠れていてください。『機械の軍勢』が来ました」

「えっ」

「数は少ないようなのでご安心を、私は迎撃に向かいます」

 それだけ言い残すと彼は足早に外へ向かって走って行った。取り残されたイチョウは当然リオの言葉に従う選択肢があった。隠れて先ほど読み始めた本を読み進めておくことだって出来たのだが。

「……行くか」

 獣人たちの身体能力に比べ彼のそれは圧倒的に低い、それらを補える元の世界にあった機械もこの世界には無い。それでも彼は見に行かねばならない、そう思った。

 この世界のことを確かめる為に。

 そしていざという時は、ここまで親身にしてくれた彼らの為に身を挺する為に。


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